左胸のスカル

Jack-indoorwolf

第1話左胸のスカル

 ひさびさに元カレに会った。奴は終始笑顔でどこか空気が抜けたような鼻にかかる声でしゃべった。明らかにアレルギー性鼻炎ではない。おそらく日常的に鼻からコカインの粉末を吸引しているのだろう。

 それでも奴が警察に捕まらないのはとても彼らしい。彼はどこか要領がよくしたたかなところがある。昔からそうだった。

 

 高校生時代、奴はウェブ上に会員制のSNSを作った。そこに同じ学校の生徒らが参加した。ティーンエイジャーの秘密クラブのようなものだ。その時、彼は多額の会費収入を得た。17歳にして彼は美術品のコレクターにもなった。ところが彼のすごいところはそのあとだ。彼は彼自身が作ったネットの庭で一週間後に学校で行われるテスト問題を販売し始めた。しばらくの間、彼のおかげで学校の偏差値は高水準を維持した。かなり悪質。とはいえ彼がどうやってそれらを入手したのかは未だに謎である。彼は口も固い。しかし彼は高校卒業と同時にキッパリ足を洗いSNSは閉鎖された。結局誰も痛い目には遭わなかった。

 当時17歳の私は奴といっしょだった記憶しかない。ある夏の夜、郊外にある小さなゲームセンターを奴と私で貸し切りにしたことがある。ゲームで一通り遊んだあと欲情した私たちはビリヤード台の上でFUCKした。キングとクィーン。私たちの称号。だが今想えばお子ちゃま過ぎて恥ずかしい。幼い私たちは世のいうセレブ生活に憧れていたのだ。

 ところが、やがて私は混乱していった。私が世界を知ったからだ。こう見えて私は子供の頃から世界中の本を読みあさっていた。ネットでもニュースサイトやキュレーションマガジンの常連だった。私の持つ情報量は飛躍的に増え始める。そうして母国の内戦で無残に死ぬ子供たちや、経済危機を迎えているのに夜のクラブでシャンパン片手に踊りまくっている人びとがいる国を見つける。私は彼らが同じ世界に存在することが納得出来なかった。ましてや自分も。カオスな世界が腑に落ちなかったのだ。

 そんな私が奴と別れたのは浮気が原因だ。私が他の男に走った。その男は学校でフリーペーパーを作っていた。内容は学校の運営方針から日本の政治に関することなど。男は優等生だった。優等生は私にカオスの世界のやさしく解説をしてくれた。私は救いを求めるように優等生と関係を持った。


「俺の人生に汚点をつけたのはお前だけだよ」

 ジャンキーの元カレが私にそう言って笑う。

 奴が通う大学は東京近県にある。彼は講義を受けながら芸能事務所を経営している。彼は学生らが所属する軽音楽同好会の目ぼしいミュージシャン、DJを東京のライブハウスやクラブで働かせていた。テレビに出るようなビッグスターはいない。だがミュージシャンらの地道なパフォーマンスにより彼は親の援助を受けず大学に通えるほどの収入は得ているらしい。

 一方、私は大学に進学しなかった。早く社会に出たかったのだ。現在21歳である。高校卒業後2年ほど私は神奈川県のとある総合病院でアルバイトをした。院内の冷暖房管理、空調管理、病院食の残飯処理、トイレ掃除などが主な仕事。正確にいうと病院に委託された会社に所属して働いていた。そこでガッツリ金を稼いだ。ダーティーワークなので高給が得られた。

 その上祖父から遺産をもらった。実際遺産を譲り受けたのは私の父だったけれど。つまり父を介して私にもおこぼれがあったわけだ。祖父は高齢にもかかわらず山梨県の田舎でキャベツを栽培していた。山の奥で。しかし脳梗塞や糖尿病を患い86歳でこの世を去った。祖父の死後、彼が所有していた広大な田畑を処分してまとまった金になったのだ。

 最終的に私の貯蓄は約700万円になった。

 今はネットを使った金融取引をしながら町田で一人暮らしをしている。運良く日本政府の経済政策による株価上昇の好機をとらえ資産を増やすことに成功した。しかしこのままの生活を続けるつもりはない。

 私には夢がある。

 実は将来起業を考えている。「ドクターデリバリー」が出来ないかと思案しているのだ。つまり医師による訪問診療専門の病院である。この種の業態はすでに世の中には普及し始めている。高齢社会の産物だ。私はそれをもっと洗練された合理的なものに出来ないかと企んでいる。一部の男どもが利用するデリヘルのように一般化できないものか、と。病院でアルバイトしながら思いついた。これから医療系大学に入るプランも選択肢の一つだ。

 

 そういう日常の中、ジャンキーの元カレから連絡があった。フリーペーパーを作っていた優等生とはすでに切れている。複雑な国際情勢を私に納得できるようにネビゲートすることは、学校一のお利口さんにもお手上げだったようだ。世界に混乱した私は迷子のままだった。

 つまり私は高校卒業以来、性的にフリーだった。だから私は軽い気持ちで奴と会ってしまった。迂闊だ。まったく。


「ドライバーが自殺したんだって」

 奴がパイナップルジュースを飲みながら言った。

 ドライバーとは私たちが付き合っていた当時「足」として雇っていた大学生のことだ。車持ちの大学生がいくらかの謝礼の代わりに、奴と私を連日連夜遊び場所へと運んでくれた。奴とドライバーは厚い友情で結ばれてもいた。善良な男。その男が先日首をくくったのだという。

 奴と私は小田急線町田駅南口近くの某カフェで再会の風に吹かれていた。秋が深く、どこからかセンチメンタルなアコギのアルペジオが聴こえてきそうだ。しくじったか? 私は彼と会うことにした自分の選択に関して自問する。

 奴が陽気なのは昔と変わらないし何かを企んでるかもしれないのも昔と同じだ。

「久しぶりにオマエを思い出したんだ」

 奴が真面目な顔で言った。

「ふうん」

 私は無関心なフリをした。

 カフェ店内のインテリアは季節外れのトロピカルムード。壁にはサーフボードが飾られている。そのくせレンガ造りの暖炉もあったりする。ジャングルに生息していそうな観葉植物も目につく。おそらくテナントの入れ替わりが激しい店舗なのだろう。注意深く見ると突っ込みどころがたくさんある。私たちは黒く塗られたスクエアテーブルをはさみそれぞれ汚れたソファーに座っていた。奴は右肩で私は左肩で同じ壁を背負っている。私は太いストローでラズベリースムージーを吸っていた。

「これだよ」

 奴はその場で一度立ち上がりブラウンデニムの尻ポケットから長財布を出した。そして中をさぐり、再びすわる。彼はシルバーリングを一つ私の前に置いた。

「部屋で爪切りを探していたらこれが出てきた」

「誰の?」

「オマエの」

 私たちは一気に4年前に戻った。浮き足立った恋の道。

「たぶんオマエが料理したとき外したまま忘れてったんだよ」

 奴の好物は麻婆豆腐だ。

「それで懐かしくなってメッセージ送ったわけ」

 私は奴の話を聞きながらボンヤリ暖炉の上のサーフボードを眺めていた。

「オマエ、しゃべり方大人になったな」

「ありがとう」

 私はシルバーリングを受け取った。

 過去、現在、未来の話でひとしきり盛り上がったあと私は奴と別れた。彼は私が利用してるSNSのアドレスを知りたがったが教えなかった。だから私のFACEBOOK以外、彼はチェックしようがない。久しぶりに会わないかというメッセージも私のFACEBOOKページに届いたのだ。メールアドレスも教えなかった。「もうすぐメルアドを変えるから」と彼には告げた。

 

 その後、私は場所を変え別の男と食事をした。右腕に蛇のtattooがある男だ。蛇は腕を一周して自らの尻尾を飲み込んでいる。話によると左胸にもスカルの絵があるらしいが、それはまだ見ていない。彼は母子家庭支援のNPO法人を運営している。シングルマザーを数人集めてオシャレなカフェを開いていた。店は繁盛し父親を知らない多くの子供たちが不自由な生活から脱出した。

 私たちは八王子のイタリアンレストランでご馳走をはさんで相対していた。ここはビルの屋上にある。テーブル席はカラフルで大掛かりなテントに覆われはいるが開放的だ。ビル風が心地よい。一見ビアガーデンにも見えそうだが品の良いインテリアと美味しい料理がそうはさせなかった。野外なので冬前には一時営業が休止する。周りを見渡すと店は馴染みあるパスタソースとしばしの別れを惜しむ客たちで賑わっていた。

 私はキノコ、旬の魚そして山羊のチーズでまとめられたパスタを完食し、デザートに手を付けている。小さなガラスプレートに乗った梨のタルトケーキは今までの私をすべて肯定してくれた。tattooの男は牡蠣のパエリアを食べ終わりハチミツ色のワインを楽しんでいる。

「母の死んだあと初めてtattooを入れたんだ」

「いつ?」

「27のとき」

 tattooの男は右肩で私は左肩で同じ夕焼けを背負っている。西の遠くが美しさをもって太陽の消沈を告げていた。私たちはオレンジ色を反射させながら談笑に興ずる。一日の疲労感が慰められる。

「毎朝起きてまず僕は右腕の蛇を確認してホッと安心する。ああ、今日の僕は昨日の僕と同一人物だってね」

「どうしてtattooを?」

「母が死んで覚悟を決めたんだよ。もうちゃんと一人で生きてかなきゃならないってね。それを忘れないための刻印」

 tattooの男は空いた手で右腕をさすり蛇を再確認した。

「西の空を見ろよ、世界が愛おしく思える」

 私たちはそろって太陽が美しく変色させた西の空を眺めた。

「みんな同じ太陽の下生きている。貧乏人も金持ちも、醜い者も美しい者も、不幸な者も幸福な者も」

 今夜は彼の口からそのセリフを聞けただけでもよかった。

 私は今でも世界に混乱することがよくある。この世にはたくさんのルールが並存し矛盾の原因になっている。たとえばある場所では他人に優しくすることが求められ、また、別の場所では戦争で他人を殺すことが賞賛されていたりする。カオス。今でも私はそのカオスな世界を目の前にして途方にくれてしまうのだ。自分の力ではコントロールしきれない現実社会に手を焼き時には投げ出してしまいたくなる。

 今度そうなったらtattooの男が言ったことを思い出そう。そう、どんな人間だってあの太陽の下で生きている。そして誰もがみな太陽の下では無防備なたった一人の人間なのだ。そう思えば少しは気も落ち着く。もう逃げるような生き方をしなくてもいい。

 

 私はハンドバッグを開け内ポケットからシルバーリングを取り出した。数時間前に元カレから再びプレゼントされたものだ。私はそれを梨のタルトケーキが乗っていたガラスプレートの上に捨てた。何も知らないウェイターが汚れた食器を片付ける。おそらく厨房で皿洗いをしているスタッフは廃棄した指輪など気づきもしないだろう。元カレとよりを戻すきっかけになるはずの思い出の品は残飯といっしょにゴミ処理場行きだ。

 私は笑顔でtattooの男を見つめた。彼を見てつくづく元カレの不必要さを感じた。奴は私を救ってはくれない。高校生の頃は恋に浮かれていたのだ。本当にただそれだけだ。西の彼方はビル街の稜線に沿ってほのかな藍色に色づいている。太陽が去る。

 太陽が姿を消している間、私とtattooの男はベッドの中で戯れあった。

 ジャンキーの元カレがコカインの不法所持で警察に逮捕されたのは、何度か新しい彼氏の左胸のスカルと再会を繰り返していた最中だった。

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