第3話

 二人は驚きで、見つめ合いながら固まっていました。


(女の子が湖から出てきた?そんな様子は無かったけど、泳いでいたのかな?この辺はかなり深そうだったけど)


(え、あの木の下にいるのは人間!?いつもなら近くに人間がいたら気付くのに、気付かなかった。でも、あの子、なんか)


((人間ぽくない))


 奇しくも同じことを思いながら、しばらく二人はその場から動けませんでした。


 先に我に返ったのはアオイでした。両親の手伝いをしているので、人付き合いに慣れています。


「あ、あの。そこ、深くない?上がってくる?」

「あ、はい」


(私の事、人間だと思ってる?)


 スミレは警戒しながらも不自然にならないよう、拒まずに岸に向かいました。そして、木の下にいるアオイと自分を比べながら、違いがないか確認しました。


(肌の色も似てるし、服も着ているから、どこから見ても人間に見えてるハズ)


 スミレが岸辺に着き、陸に上がろうとすると、いつの間にか近づいてきたアオイが手を差し出しました。スミレは手を借りようとして、固まりました。

 アオイと手の形が少し違いました。肌色でわかりにくいものの、スミレの手は泳ぐための名残で、第二関節までの水掻きがついていたのです。


(あ、違う・・・)


 緊張と動揺で固まってしまったスミレに構わず、アオイはスミレの手を握り、岸に引き上げました。

 アオイが手の形に気付いたか、スミレにはわかりませんでした。

 アオイはスミレを大きな木の木陰に導きいれました。

 スミレはアオイが手の水掻きに気付かないよう、手を握りしめ、服の後ろに隠しました。


「自分は、アオイ。この先の村に住んでる。キミは?」

「・・・スミレ」

「スミレは村の子じゃないよね?村の子ならだいたい知ってるし。遠くから来たの?」


 スミレは答えられず、湖の方に視線を向けました。


「え、湖の向こうから来たの!?泳いで?」


 再びスミレは答えられず、首を振りました。


「そうだよね。泳いで来るのはさすがに無理だよね。この湖、広いし。じゃあ、湖の向こうの村から歩いてきたのかな?そういえば、拭くものは?」


 スミレは首を振りました。


「拭くものが無いのに湖に入ったの?」


 スミレは拭くものが無いのは事実なので、おそるおそる頷きました。

 アオイは驚きながらも、濡れたままのスミレを放っておけず、上着を脱いで拭いてあげました。


(弟や妹の小さい頃を思い出すな)


 アオイは上着でスミレの頬や長い髪を拭きながら、弟や妹の世話を焼いていたことを思い出しました。目の前にいる無口な少女が身長のわりに幼く見えていたからかもしれません。

 スミレはアオイに拭かれ、接している内にアオイから優しい波動を感じていました。


「スミレは、泳ぐのが好きなの?」


 アオイに聞かれ、スミレは頷きながら答えました。


「泳ぐと気持ちが良いから」


 スミレから言葉が返ってきて、アオイは嬉しくなりました。


「そっか。確かに気持ちが良いかも。暑い日はお手伝いのついでに自分も湖に入るから。あ、そうだ!また一緒に泳ごっか」


(一緒に泳いだら魚だってバレるかもしれないけど・・・)


 スミレは断る理由を探しましたが、アオイの期待に満ちた表情を見ていると、断りきれず、頷いていました。


「やった!スミレは泳ぐの上手そうだから、教えてもらおっと!あ、でも自分、こんな深いとこで泳いだことないや。もう少し浅いとこで泳いでくれる?」


 スミレは、嬉しそうに話すアオイが可愛く見えてきて、緊張も解れてきました。


「あ、笑った!スミレは笑った方が可愛いね」


(私、笑ってたのね)


 微笑んだ自覚が出てくると、落ち着いたのか、いつもの感知能力も戻ってきました。


(アオイは、あんまり怖くない。優しい波動を感じるけど、それだけじゃないような・・・)


「アオイは、優しそうね。それと・・・悲しいことがあるの?」

「え、悲しいこと?」

「うん。怒りというか、傷付いてるというか」


 アオイは、幼くも儚くも見える目の前の少女から、悩みを見抜かれた事に驚きました。


「えっと、村の子じゃないなら、自分の事は知らないよね?実は、村の人たちと上手くいってなくてさ。きっと、村の人たちにとって、自分は要らない子なんだ」

「どうして?」

「自分は漁師の息子なのに、魚が食べられないんだ。魚の祟りで生まれた子なんだって」


 アオイの親が漁師と聞いて、スミレの表情は暗くなりました。けど、魚が食べられないと聞いて、アオイから感じていた優しい波動はそこから来ることに納得しました。

 スミレですら小魚を食べて生活しています。祟りがあるなら、同族を食べているスミレこそ、祟られても不思議ではありません。


「食べていないのに祟られるの?」

「それは・・・両親や家族が食べるために魚をたくさん殺してきたから、魚が食べられない子どもが生まれたって話だよ」

「じゃあ、魚は微生物や海草に祟られるのかしら?魚を食べる魚だっているけど」

「まぁ、それはそうだけど・・・」

「人間は人間を食べたりしないわ」

「そうだね」

「魚だって生きてるもの。私だってできれば食べたくないわ」


(魚の私が人間を励ますなんて、変なの。でも、魚を食べないこの子が、その事で悩んで欲しくないし、少しでも楽になって欲しいもの)


「・・・そっか、そういう考え方もあるのか。魚が食べられない事は悪いことだと思ってた。でも、スミレみたいに、魚を食べたくない人もいるんだね」

「アオイは魚を食べないなら何を食べているの?」

「野菜とか、鳥とかだよ」

「野菜?」

「ニンジンとか、イモとか……あれ、知らない?」

「あ、あぁ、ニンジンとかイモね」


(そういえば、人間は食べ物を育ててるって学んだわ。それが野菜なのね。とりあえず、話を合わせておかないと。魚だとバレないようにしなくちゃ)


「じゃあ、また親に言って持ってくるよ。スミレも良かったら食べて」

「え、でも」

「良いの。自分のこと庇ってくれたお礼だから。あ、まだこの辺にいる?遠くに行ったりしない?」

「ここにはまた来れるけど」

「じゃあ、また明日、このくらいの時間にここに来れる?太陽があのくらいの位置に来る頃に」


 アオイはやや傾いた太陽を指差して言いました。

 スミレは頷きながら答えました。


「ちょっと前後するかもしれないけど・・・」

「ちょっとくらいなら大丈夫。じゃあ、また明日」


 約束をしてアオイは友達ができた嬉しさを噛みしめながら、村へ向かって歩きました。


(スミレは、嫌な顔をせず、自分をちゃんと一人の人間として接してくれる。家族以外では少ないから、嬉しかったな。お店の手伝いをしている時よりも生き生き話せたようにも感じた。もっと仲良くしたいな)


 アオイを見送りながら、スミレは思いました。


(人間なのに魚が食べられなくて、服で拭いてくれるくらい優しくて。なんだか不思議な人・・・)


 やがて、スミレは湖の方へ戻っていきました。少し高ぶった胸を押さえながら───


 後には二人を見送るように、大きな木がサラサラと葉を揺らしていました。

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