働きアリだった私は、異世界の人間の町娘へ転生しました。

第69話 深淵の先へ

　これが闇の魔王……今までの魔物達とは違う、何か体を圧迫するような魔力を感じます。

　中心部に人の顔のようなものはありますが、覗き込むその目からは感情の様なものは読み取れません。

　まるで、彫刻の表情でも見ているよう……。

「【トルネード・クロス】」

　クルス様の魔法剣が魔王の体を貫きました。

　しかし、斬撃はそこに何も無かったかのように、ただ通り抜けていくだけです。

「まるで手応えが無い……何なんだ、こいつは……」

「【デオフレイムアロー】」

　中心部の顔を目掛けて放った矢は、そこへ辿り着く前に、闇に飲み込まれるように消えていきました。

　物理的な攻撃が通じないのなら、魔法を──詠唱に入ろうとしたところ、急激な倦怠感が私を襲いました。

　カペルキュモスはディア様の治癒を続行中、もう私にこれ以上詠唱する魔力は残されていません。

　口と思われる場所から、魔族達の使ってきた暗黒のオーラが放たれました。

　何とか避けることができましたが、その破壊力は魔族のものの比では無く、切り裂かれた祭壇の一部が大きく沈んでしまい、そこから地下水が吹きあがりました。

「リズさん、危ない!!」

　魔王の腕が大きく振るわれ私に襲い掛かりました。

　私を庇ったクルス様を弾き飛ばし、二撃目の攻撃が襲い掛かってきます。

「【フレイム・クロス】！」

　クルス様の炎の斬撃が魔王の腕を切り落としました。

　でも、魔王の腕は斬られたそばからまるでトカゲの尻尾のように再生してしまいました。

「効いてる様子はないな……」

　クルス様は片腕を押さえていました。

　さっき私を庇った時に……もう、回復手段も攻撃を防ぐ手立てもありません。

　ディア様を守り、治療を続けていたカペルキュモスが、胸元の精霊石へと戻ってきました。

　治療できたわけでは無い……ディア様の表情は変わらず、虚空を見つめたままです。

　そして、私の魔力もとうとう尽きる時が来たようです。

「クルス様……ごめんなさい……もう……」

「リズさんは少し休んでいて、僕が魔王を止める！」

　回復して差し上げたいのに、もう、初等魔法のヒールすら使えない。

　クルス様も、気丈に振舞っていますが余力はそれほど無いはずです。

「僕が……水晶を斬らなければこんな事には……！」

「クルス様のせいではありません……私こそ、もっと力があれば……！」

　その時、突然、闇の魔王から触手の様なものが伸びました。

　触手は私達を通り抜け、進むその先にはディア様が────駆け出そうにも、とっさに魔力切れで動けない！

「しまった！　ディア様!!」

「ディア様……お願い、目を覚まして!!」

　私は遂に、ディア様を守ることができなかった……己の無力さを悔やんでいたその時、倒れていたはずのあの男が動きました。

「ディアに……何をする!!」

　魔王の触手は、アリエスの胸を貫きました。

　触手が引き抜かれ、胸から血を流しながら、アリエスは跪くように崩れていきました。

「ディ……ア…………、わた……し……の………………」

　アリエスは、必死にディア様へと手を伸ばそうとしていました。

　苦し気に呟いた言葉……でも、その表情はとても安らかだったように思えます。

「悲しい男だ……」

　私が殺したいとまで思った憎き男は、自らの呼び醒ました魔王の手によりあっさりと絶命しました。

　結局、アリエスが何を考えて動いたのかはわかりません。

　でも、最期にアリエスは、ディア様をその身を呈して庇ったのです。

「ディア様……」

　ようやくディア様のもとへ辿り着き、再度呼びかけましたが、やはり反応がありません。

　初めてお会いした時前みたいに、優しく微笑んでほしい……。

　いつものように、いたずらっぽく笑ってほしい……。

　その望みは、もう……叶わないのですね……。

　私は袋の中から、お守りを取り出しました。

「あなたの大切にしていたお守りです」

　お守りをディア様の手にそっと握らせました。

　ロデオ様……どうかディア様をお守り下さい……。

　もう、今度こそ本当にこれで終わりね……。

　ごめんなさい、エプリクス……ウィストモス……。

　貴方達が、命を賭してまで頑張ってくれたのに、私は何もできなかった。

　ごめんなさい、メアリ様……レド様……。

　お二人の頑張りを、私は無駄にしてしまった。

　ごめんなさい、クルス様……私が巻きこんでしまったばかりに、貴方にまで重い使命を背負わせてしまった。

「愛してます……クルス……」

　いいよね……最期くらい、自分に素直になっても。

　隣に立つクルス様の手を、私はそっと握った。

「僕もだよ、リズ……ずっと一緒だ……」

　絶望はしない。愛する人と一緒なら……死ぬことなんて怖くない。

　闇の魔王から暗黒のオーラが放たれ、私達を包んでいった。

　目の前を闇が覆い、光の無い世界が広がっていった────。

────────

────

──

　気が付くと、私は光も音も無い空間にいた。

　前世で死んだ時は、気が付いたら人間に生まれ変わっていた。

　でも、今回は違う。

　目を見開いても何も無い、真っ暗だ。

　果たして私は本当に死んでしまったのか……。

　それとも、世界が滅んでしまったから、前のように何かに生まれ変わる事も無く、こうしてただ何も無い暗闇を漂っているということ……？

　クルス様は……ディア様は、どうなったの？

　光……？

　よく見ると遠くに淡い光が見える……あそこへ行けば、何かわかるのかも知れない。

『リズよ……』

　声が聞こえた。

　どこか懐かしい声……違う！

　この声はいつも私を守ってくれた、頼もしくも優しい声────

『エプリクス!?　どこにいるの!?』

『こっちだ』

　暗闇の中に視界が広がって行く。

　ああ……あそこにいるのは、私のよく知った人達の姿だ。

　カペルキュモス、ウィストモス、アルネウス、そして……。

『……エプリクス！』

　私はエプリクスに抱き付いた。

　もう会えないかと思ってた……私の大好きな精霊達！

『エプリクス……エプリクス…………！』

『わかった！　わかったから……もう泣くな、リズよ』

『うふふ、然しもの魔王エプリクスもリズには形無しね』

『私も頑張ったんだがなぁ……』

『それを言ったら私だって、空を飛んで皆さんを運ぶという大役を担ったんですからね！』

　精霊達は相変わらずだった。

　エプリクスとウィストモスだけじゃ無いということは、いよいよ世界は滅んでしまったのね……。

『ごめんなさい……せっかくみんな頑張ってくれたのに、私は世界を救うことができなかった……』

　せっかく精霊達が協力をしてくれたのに、未熟な私ではその力を使いこなせず、魔王を倒すまでに至れなかった。

　ごめんなさい……駄目な主でごめんなさい……。

『リズよ、お前は勘違いをしているようだ』

『え……？』

『まだ終わっておらんぞ』

　どういうこと……？

　世界はもう、滅んでしまったのではないの？

『さあ、魔王のもとへ行こうではないか』

　そう言うと、エプリクス達は歩き出した。

　魔王のもとへ……？　それは一体どういうこと？

　疑問は尽きないけれど、今は彼らに付いていくしかない。

　そして、私は歩き出す。

　暗闇の世界の、更に奥へと。