第49話 真実の私

 外は、まだ真っ暗です。

 悪夢の世界に居た時間は、思ったほど長くは無かったようですね。


 そういえば、先程から、なんだか胸元がスースーするような?

 見てみると、服がはだけていてそこには血で真っ赤に染まった布が巻かれていました。

 夢の世界で負った怪我は現実にも影響を及ぼしていたようです。


「これは、クルス様が?」

「ごめんなさい!」


 クルス様が、ひれ伏すように頭を下げてきました。

 あの……私のような者に、クルス様のような高貴な方がする事ではありませんよ。


「どうか頭を上げてください! 手当までしていただいて、私はむしろ、クルス様に感謝しているのですから!」

「え? ……って、リズさん! 前! ちゃんと隠して下さい!」

「ああ! ごめんなさい!」


 慌てて前を止めようとしたら、破れてしまっているようで上手く止められませんでした。


「ご、ごめん……。焦ってたから服を破ってしまって……」

「いえ、こちらこそ……すぐに着替えますから」


 さっきから、私もクルス様もお互い謝ってばかりです。

 とはいえ、このままではクルス様に対して失礼ですし、荷物から代わりの服を出して着替えておきましょうか。


「リズさん、ごめん……。服、弁償します」

「大丈夫ですよ。このくらいでしたら、すぐに直せますし」


 裁縫は得意なので問題ありません。孤児院でマザーから修繕の仕方は習いましたし、きっと、こういう作業が好きなところも前世の影響を受けてしまっているんでしょうね。


「リズさんって、本当に器用なんだね」


 服を縫い始めた私を見て、クルス様が言いました。

 チクチクと作業を進めながら、静かに時だけが流れていきます。


「……私は、前世……人間ではありませんでした……」


 私はクルス様に、本当のことを打ち明けることにしました。

 この方には、真実の私を知っていてほしい────そう思ったのです。


「私は……ただの働きアリだったんです……」

「そっかー、リズさんは働き者だもんね」

「違うんです! ……私には……前世の記憶が残っているんです。嘘偽りなく全て話しますので、どうか聞いていただけますか?」


 裁縫の手を止めて、私はクルス様を見ました。

 先程までおどけていた彼の目は、まじめな眼差しに変わりました。

 自分から言い出しておいて、このまま本当に全部話してしまっていいのか……怖くなりました。


 でも、言うって決めたんです。その結果、嫌われてしまうのは怖いことだけど……。

 そうしないと、この胸に残るもどかしい気持ちが晴れることは無いのですから。


「教えて。僕はリズさんの事、全部知りたい」

「では……話しますね。私の前世は、この世界にも存在する“昆虫”に分類される生き物。アリという人間から見れば小さな小さな生物でした────」



━・━・━・


 そこは、この世界とは違う世界でした。

 魔物は存在せず、剣や魔法を携えた人間もそこでは見たことはありません。

 恐らく人間にとっては平和な世界だったのだと思います。

 その世界で、私は小さな働きアリとして生を受けました。


 卵から孵った私は、女王様を守る働きアリとしての使命を得ました。

 雨の日も、風の日も、雪の日も、雹の日も……。

 女王様や、これから生まれてくる兄弟姉妹達の為に、私はエサを探したり、巣を広げていったり、毎日毎日働き続けていました。


 そんなある日、私達の巣の近くに旅のコオロギさんがやってきました。

 どこか普通のコオロギとは違う……なんというか、不思議な雰囲気の方だったと思います。


 夜になるとコオロギさんは素敵な演奏をしながら、私達働きアリに様々なお話を聞かせてくれました。

 でも、大半の働きアリ達は、彼を怠け者と馬鹿にして足を止めることはありませんでした。

 私も最初は、そんな中の一匹だったのです。


 ある日、少しだけならと……私は、コオロギさんのしてくれるお話を聞いてみることにしました。

 私に気付いたコオロギさんは、いつも以上に意気揚々といろんなお話を聞かせてくれました。


 獰猛なドラゴンと、そのドラゴンに戦いを挑む勇敢な戦士のお話。

 勇者に選ばれた男性と、ダークエルフの女性の悲恋のお話。

 心を持たないゴーレムが、優しい人間の少女と出会うお話。

 病気で外へ出られない王女様へお花を贈り続けた、健気な鳥さんのお話。


 コオロギさんは、人間の世界に伝わる伝説や童話、胸の躍るような冒険譚を私に話してくれました。

 それまでの私にとって、人間とは強大で恐ろしいだけの存在でしたが、彼のお話を聞いているうちに私は密かに人間に憧れを抱くようになっていったのです。


 人間と友達になれたら、どんなに素敵なんだろう────私にも、人間と意思疎通ができたらいいのに……。

 そう考える日々が続きました。



 そして、最期の日は突然訪れました。


 森の中で傷付いた仲間を見つけた私は、それを巣へ連れ帰ろうとしました。

 巣で休ませればまだ助かるはず……そう思って近付くと、何だかおかしなことに気が付きました。

 まだ生きてはいましたが、その体はよく見ると、ところどころ欠損していたのです。

 まるで、何かに噛み砕かれたように……。


 そうしているうちに、突然足場がすり鉢状に変わっていきました。

 中心へと流れていく流砂。もがいても、あがいてもそこから出ることはできません。

 その中心には、私達アリの間に伝わる悪魔が潜んでいました。


 私の体はどんどん引きこまれていき、とうとう悪魔に喰い裂かれてしまいました。




 それから気が付くと、私はこの世界で人間として生を受けていたのです。




・━・━・━


「これが私です。今まで誰にも話して来なかった、本当の私の秘密……」

「……」


 クルス様は、何も言わずにただじっと私を見ていました。


 私は怖くなり、彼から目を逸らしました。

 私が元々は人間では無く、アリだったなんて知ってしまったから……。

 だから、きっと彼は私を軽蔑して見ているんだ……。


 やっぱり、こんなこと言わないほうが良かった……。



「……そっか。じゃあ、リズさんの夢は叶ったんだ」

「え……?」

「リズさんは、人間になりたかったんだよ。憧れていたって言ってたじゃないか」

「それはそう……ですけど……」


 クルス様は、目を輝かせてそう言いました。

 その目は、まるで少年のよう……まさか、こんな答えが返ってくるなんて思ってもいませんでした。


「今にして思えば、魔物であるはずのデミアントと仲良くなれたのも、そういう経緯があったんだね」

「そうですね……あの時は、久し振りに仲間と会えたようで私も嬉しかったな……」

「僕はリズさんの凄く純粋なところに惹かれたんだ。今だから言うけど、ときどき君は人間じゃ無いんじゃないかって思ってたくらいだったんだよ」

「私はメディマム族ですし……人間と言えるかどうかわかりませんけど……」


 そう返すと、クルス様は私の体に手を掛けて、その腕の中へと引き寄せました。


「リズさんは人間だよ。……誰よりも純粋で、心の綺麗な人間だ」

「あ、あの……クルス様!?」

「リズさんに初めて出会ったときからそう思っていたんだ。こうして大人になっても、ずっとそのままで居てくれた」

「それは、きっと周りの方々の御蔭で……」

「気が付くと、僕はそんな君をいつも目で追うようになっていた」



 そうだったんだ────。


 クルス様は、私が孤児院でお世話になっていた頃も、よく様子を見に来てくれた。

 孤児院を出て、畑仕事をするようになってからも、よく挨拶に来てくれていた。


 騎士として忙しい中、王宮での仕事の合間を縫って、私のところへ来てくれていたんだ。



 胸がギュッと詰まる想いです。

 私はもう、この湧き上がってきた感情をごまかすことはできない。


 クルス様の腕に、いっそう力がこもりました。



「前世も種族も関係無い。僕はただ、リズさんを愛している」


 こんな時、私はどうしたらいいのでしょうか。

 どう、返事したら……。


「そういえば、リズさんの返事を聞いていない……。リズさんは、僕のことは嫌い?」

「……嫌いなわけ……無いじゃないですか。こんなに私の事を想ってくれていた方を……、嫌いなわけ無いじゃないですか!」


 もう、逃げるのは止めよう。

 今の私が人間であることを受け止めて、素直な気持ちで彼に伝えよう。


「私も、クルス様のことが……。……貴方のことが、好きです」



 それから────────。







◆◇◆◇



 朝です。


 窓から射し込む光に、私は目が覚めました。


 クルス様は、まだ心地よさそうに寝ています。

 普段はあんなに頼りになる方なのに、こうして見ると……寝ているときは、子供みたいなんですね。


 眠っているクルス様を起こさないように外へ出て、井戸で顔を洗いました。

 冷たい水がとても気持ちいいです。空も晴れ渡っています。


 もう少しここで休んだら、その後は、いよいよあの丘へと向かいます。


 この時期になると、蓮華が咲き乱れる花畑。

 果たしてそこに、世界を渡り歩くという精霊はいるのでしょうか。

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