第48話 悪夢の世界(2)

『リズがお姉さんになっちゃった!』

「マリー、助けてくれてありがとう!」


 マリーを抱きしめると、とても小さく感じられました。

 あの頃は同じくらいの背丈だったのに……。


『ここは、リズが見ている夢の世界だよ。悪いヤツ・・・・がリズをこの世界に引き込んだんだ』

「夢の世界?」


 これまでのことは、その悪いヤツという存在が私の中にある記憶を操作して見せていた悪夢だったとマリーは言います。

 そして、ここはまだ覚めぬ夢の中。

 では、いま目の前に居るマリーも、この夢の中だけの存在なのでしょうか。


『リズ、行こう!』


 マリーは森の中を駆け出しました。ここでいくら考えても答えは出ません。

 それなら、こうして私を助けてくれたマリーを信じることにしましょう。

 マリーの後をついて、私も走りました。


 やがて森を抜けると、今度は異様な場所に出ました。

 全体が薄い紫色で、天も地も無いような空間です。それなのに、地に足が付いているような不思議な感覚があります。

 後ろを振り返ると、そこにはもう森はありませんでした。


『ここにリズを苦しめたやつが居るんだ。この夢から覚めるには、あいつを倒さなきゃ』

「あいつ? それってマリーが言っていた悪いヤツのこと?」

『そう。リズ、絶対にあいつに気を許してはダメだからね』


 マリーと一緒に、空間の中を進んで行きました。

 結構歩いた気がしますが、方向感覚がわからない上に距離感もつかめません。


『だ、誰か! 助けてくれ!』


 向こう側から、男性がこちらへ走ってくるのが見えました。

 息も絶え絶えになりながら、その男性は何かから逃げてきたようです。

 ところどころに怪我も負っています。


「大丈夫ですか!?」


 私は、ついその男性に声を掛けてしまいました。


『リズ! 駄目!』


 心配して近付こうとした私をマリーが制止しました。


『クックック……』


 男性はニヤリと笑い、その姿が怪しく変質していきました。

 紫の肌が露出し、大きな尻尾が生えた悪魔のような姿へと変わっていきます。


『もう少しで、この娘の魂が俺の物になったのに、よくも邪魔をしてくれたな』

『リズ! こいつが悪夢の正体だよ!』


 変貌した魔物は、長い舌を垂らしながら縦に裂けた目で私を睨んできました。

 これが一体何者なのかはわかりませんが、どうやらこの魔物を倒さなければ悪夢からは抜けられないようです。

 でも、ここは夢の中。今の私は武器も精霊石も、何も持っていません。

 果たして魔法は使えるのでしょうか。


『ここから逃がしはせんぞ』


 長く伸びた魔物の尻尾が私を捕らえました。


「これは……っ!」


 全身に絡みつき、このままでは身動きが取れません。

 抵抗しようにも、締め付ける力がどんどん強くなっていきます。


『リズを離せー!』


 マリーが魔物の尻尾に噛みつきました。

 魔物は顔色一つ変えず、まるで意に介する様子もありません。


『そんなものが、この俺に効くとでも思っているのか? 邪魔をするなら小娘、お前の魂を先にいただくぞ』

「やめて! マリーには手を出さないで!」


 魔物の持つ鎌が、マリーへと迫りました。

 それでもマリーは魔物の尻尾を必死に噛み続けています。


「マリー! 私のことはいいからあなたは逃げて!」

『イヤ! リズはわたしが助けるの!』


 マリーは魔物の股間を思いっきり蹴り上げました。


『ぬおぉおっ!?』


 あ、それは効くんだ……。


 苦悶の表情をしたまま魔物の動きが止まり、尻尾の力も緩みました。

 今のうちに脱出です。尻尾を振りほどき、私は急いで魔法を詠唱しました。


「────【デオフレイムゲイザー】」

『グァアアア!!』


 魔法陣から噴き出した炎が魔物を包みました。

 良かった、夢の中でも魔法は有効なようです。


『リズ、すごい!』

「マリー、危ないから離れていて!」


 今の私では、せいぜい中等の上級魔法までしか使えません。

 高等魔法があればもっと有利に戦いを進められるのですが……。


『おのれ……これしきのことで、この俺から逃れられると思うなよ!』


 魔物の体は多少の火傷はあるものの、やはりこの程度では大したダメージは負っていないようです。

 その割には、その顔は苦痛に満ちていました。

 私の放った魔法よりも、先程のマリーの攻撃の方がよほど効いたのでしょう。


 魔物は大きく鎌を振り上げると、攻撃を仕掛けてきました。

 胸元を鎌が切り裂き、夢の世界のはずなのに痛みと同時に血が零れてきます。


「くっ……」

『フッフッフ……大人しくこの世界に囚われていれば、痛い目を見ずに済んだものを』


 魔物は、私の血が付いた鎌をその長い舌で舐めました。

 気持ち悪い……。ちょっと生理的に無理です、この魔物……。


 出血のせいか目が霞んできました。

 力が抜けていくような感じで、立っているのも辛い状態です。

 まさか、あの鎌に毒でも塗ってあったのでしょうか。


『このままじゃリズが……。お願い、誰かリズを助けて!』



………………

…………

……



 一体どういうことだ……?

 眠っているリズさんが苦悶の表情を浮かべ、急に胸元から血が滲んできた。


 止血しないと……恥ずかしがってる場合じゃないな。リズさん、ごめん!


 彼女の服を剥ぐと、そこにはまるで刃物で切られたような切り傷があった。

 荷物から取り出した布を切り裂き、止血の為にそこへ巻いていく。

 こんな時、僕に回復魔法が使えたら……。


 リズさんは目を覚まさない。顔色は悪くなっていく一方だ。

 血を吸い取った布が、すぐに赤く染まっていった。

 僕の手の届かないところで、彼女が何かと戦っているのは間違いなさそうだ。


 周りには何も気配はないが……どうしたらいいんだ!

 僕は、見ているだけしかできないのか……!


 その時、冠からの光が急に強く発せられた。

 その光に呼応するように、ベッドの片隅に置いてあったリズさんの精霊石が光り出した。


 ──もしかして──!

 僕は精霊石を、リズさんの胸元へ置いた。


 頼む、精霊達よ……リズさんを助けてくれ!



………………

…………

……



『叫んでも助けは来ないぞ。無駄に抵抗せず、俺と楽しくこの世界で過ごそうではないか』


 魔物はニタニタと笑いながら、私達に近付いてきました。


「マリー……あなただけでも逃げて!」


 マリーを庇いながら後退ります。

 魔物の体からは、先程の魔法のダメージは完全に消えていました。

 夢の世界でこのまま戦っても、無駄に魔力を消耗するだけです。

 一気に制圧できるだけの力がないと……。


『リズ! あれ!』


 マリーが上を見て叫びました。

 何事かと私も上を見ると、上空から光り輝く何かが降ってきました。


「これは……精霊石?」


 精霊石達は、私の手の中に収まりました。

 なぜここに……? よくはわかりませんが、これはチャンスです。


『な、なんだ……それは!?』


 それを見て、魔物の顔色が変わりました。

 精霊石のことを知らないようですが、直感的に危険を感じ取ったようです。


『貴様……さっきから……なんだか怖いぞ!?』


 手元の精霊石が一斉に輝き始めました。


「【エプリクス】、【カペルキュモス】、【ウィストモス】」


 光が放たれ、三体の精霊達が具現化していきました。

 この魔物は散々私の心の傷を抉ってくれました。

 魔力にも余裕がありますし、遠慮はしません。


『主よ、今度こそ本当に、我の出番のようだな』

『優しい主よ、その傷を癒して差し上げましょう』

『私の主に、仇為そうとする愚か者はどこだ』


 そう言うと、精霊達は目の前の魔物を睨みつけました。


『こ、これは……えっと……どなた達かな?』


 魔物は気まずそうな顔で、後退りして行きました。

 私は、精いっぱいの笑顔で魔物に言いました。


「フフッ……お仕置きの時間です!」

『イヤァアアアアーーーー!!』


●○●○


 そこには、精霊たちにめちゃくちゃにされて倒れている魔物の姿がありました。

 これで、お仕置きは終了です。精霊達は、満足げな顔で石の中へ戻って行きました。


 結局、今回も精霊達に助けられてしまいましたね。

 それにしても、なぜ突然、精霊石が夢の中に現れたのでしょうか?


『外のお兄ちゃんが、助けてくれたみたいだよ』

「クルス様が?」


 謎の空間が崩壊し始めました。悪夢の世界もこれで終わりです。

 どうしてこんな事になったのかはわかりませんが、夢の中とは言え、再びマリーにも会えました。


「マリー、色々とありがとう」

『ううん、わたし何もできなかったよ。ごめんね』

「そんなことない!」


 マリーは照れくさそうに笑いました。

 何もできなかったなどという事はありません。

 彼女が助けてくれなければ、今頃私は……。


『リズ……優しいのはいいことだけど、関係ない人にまで祈ったりするから、こんな危ない目に遭うんだよ?』

「どういうこと?」


 急に厳しい顔をして、大人ぶった言い方をしてくるマリー。

 私、何かしましたっけ?


『じゃあ……もう行くね』

「マリー……嫌だ、離れたくないよ……」

『わたしはもう死んじゃってるの。わかるよね、リズ?』

「マリー……それでも……」

『わたしの分も長生きしてね。それとね……冠ずっと持っていてくれて、嬉しかった。さよなら、リズ……』


 マリーの体が薄れていくのがわかりました。

 握っている手も、まるで私の指をすり抜けていくように感触が消えていきます。

 私がマリーの名を叫ぶと同時に、目の前が真っ白に広がって行きました。


………………

…………

……


「う……ん……?」

「リズさん! 良かった……」


 目が覚めると、クルス様に抱きしめられました。


「クルス様……苦しいです……!」

「あ、ごめん!」


 胸元には、精霊石と私の宝物が置いてありました。

 私の初めての友達がくれた大切な、大事な宝物。


 これがあの夢の世界で私を助けてくれたんだ……マリーだけは夢じゃ無かった。

 もうすっかり枯れてしまったその冠を、私は崩れないように抱きしめました。

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