第5話 お母さんの誕生日
リズったら、あの様子だと、私に隠れて何かプレゼントを用意するつもりね?
そんな事しなくても、私にとっては本当にあの子が元気に育ってくれるだけで、それだけでいいのに……。
サラはそんな事を考えながらも、内心は嬉しく思っていた。
娘のリズは、あの年にしては少し大人びたところがあり、いつも母である自分を気遣ってくれる。
めったに親に甘えることをしないリズだが、これも娘なりの自分に対する愛情表現なのだろう。
サラは、自分の誕生日だと言うのに、娘の為にパンケーキを作ってあげようと、リズが出て行ってから早速台所に立っていた。
「あの子、甘いもの大好きだものね」
フライパンを火にかけようとしたその時、家が揺れるほどの大きな物音が響き渡った。
「何かしら……?」
サラが玄関に向かおうとした時、今度は室内に大きな音が響いた。
音がした方を振り向くと、そこには闇に紛れるように双角の魔物の姿があった。
「グルルルルル……」
「魔物!? なぜ、家の中に……!?」
サラは魔物に向け腕を伸ばした。
だが、その動作を取る前に、魔物はすでにサラの眼前に迫っていたのだ。
「くっ……【エプリ……」
サラが何かを詠唱しようとした時には遅く、魔物の角は、サラの腹部を刺し貫いていた。
その場に倒れ込むサラ。
「リ……ズ……!」
サラは、ただ中空に腕を伸ばし、そして手を震わせた。
腹部の致命傷から広がった血は、床を赤く染めて行った。
◆◇◆◇
しばらく歩くと、なんだか様子がおかしいことに気付きました。
この町は決して大きい町ではありませんが、いつもなら人々で賑わう声が聞こえてくるはずです。
天候が悪くなったので、みんな家の中に入ってしまったのでしょうか?
カラスの鳴く声が聞こえます。空の薄暗さもあって少し不気味に感じます。
なんだか嫌な胸騒ぎがします。私は歩く速度を速めました。
町に着いた私は、その光景を見て愕然としました。
朝出た時とは全く違う光景です。町の至る所が壊されています。
いったい何が……。
人が、あちこちに倒れています。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
倒れていた人を起こすと、お腹が噛みちぎられた様に抉られてしまっています。
体が硬い……死んでいる……!?
その先には、崩れたレンガに挟まっている人がいました。
苦しそうにしていますが、まだ生きているようです。
「大丈夫ですか!? 【ヒール】」
「……リズちゃんかい……ありがとうよ……」
ああ、この人は、庭で遊んでいた私にいつも笑顔で語りかけてくれていたお婆さんです。
「大丈夫です! 私が引っ張り出します!」
「……もういいよ、リズちゃん……私の下半身は……もう潰れてるんだ……」
「そんな……そんな……」
「せっかくだけど……もう助からない……他の……人……を……」
駄目でした……私のヒールでは、破損した体の修復まではできません。
私がしたことは、無駄にこの人を苦しめただけでした……ごめんなさい……。
私は町の中を走りました。
どこの家も破壊されて、黒い煙が上がっています。
かろうじて動いている人を見つけました。
早速ヒールを掛けようとしましたが、この人は胸元から大きく腕が割けていました。
もう……助かりません。その人は、しきりに何かを呟いていました。
「……急に空が……北の方から……魔物が……」
この町の北には、小国への国境があります。
お父さんから、魔物は西の森に棲むと聞いていました。
どうして北から魔物が……。
そして、声が止み動かなくなりました。
家の近くに来た時、私は見たくなかったものを見てしまいました。
そこに倒れていたのは、マリーの変わり果てた姿。
抱き起こすと、その瞳にはもう、光は灯っていませんでした。
体を揺すって呼びかけますが、何の反応もありません。
いつも私に笑いかけて、元気に走り回っていたマリーは……もう私に何も語りかけてくれないのです……。
目から、涙が流れてきました。
体が震えてしまいます。
マリーの体を抱き抱えると、その体にはもう、あの頃の温かさは感じられませんでした。
◇◆◇◆
家に着くと外壁は崩れ、あの綺麗だった庭も荒らされていました。
はやる気持ちを抑え、中へと入ります。
「お母さん! 無事ですか!?」
何ということでしょう……床にはたくさんの血が流れています。
そこには、血だらけになったお母さんが横たわっていました。
「お母さん! しっかりしてください!」
「リ……ズ……」
良かった……! お母さんは息がありました。お腹から血を流していますが、体に大きな破損はありません。
私はありったけの魔力を使ってヒールを唱えます。
「お母さん! 助けるから……絶対に助かるからね!」
手のひらから出る淡い光が、お母さんの体を包みます。
魔力を使いすぎて、今にも意識が飛びそうです。
それでも、私はヒールを掛けます。
そうするうちに、お母さんが私の手を握り返してくれました。
「リズ……あなたが無事で……よかったわ……」
「お母さん……」
「あなたが出て行った後……急に大きな音がして……魔物が……」
ヒールの甲斐があって、お母さんのお腹の傷は塞がりました。
なのに、お母さんは一向に元気になる気配がありません。
顔色も悪いままです。
「お母さん……今日は、お母さんの誕生日なのに……なんで……」
「リズ……おいで……」
お母さんは両手を広げました。
私は、お母さんに抱きつきました。
「良い子ね……リズ……」
「お母さん……」
お母さんは、震えるその手で私の頭を撫でました。
私の目からは、涙が流れて止まりません。
「これを……」
お母さんは、いつも指にはめていた赤い石の指輪を外しました。
「これは……火の精霊の加護がある指輪……リズ……あなたが成人したら渡そうと……」
「そんなの……いらない……!」
なんで、そんな大切なものを、成人もしていない私に渡すのですか?
それではまるで……もう、これが最期みたいじゃないですか……。
嫌がる私に、お母さんはその指輪を渡そうとしてきます。
そして、渋る私の手を握りました。
「リズ……あなたに精霊の加護を…………。お願い……生きて…………」
お母さんの手から力が抜けて、やがて動かなくなりました。
「お母さん! 【ヒール】……【ヒール】!」
私の手から、淡い光は出なくなりました。
「【ヒール】! ……何で出ないの!? お母さん! ……お、お母さん……!」
魔法は決して万能ではありません。
体に破損が無くても、失くした血は、その体に戻ることはありません。
私がもう少し早くたどり着いていれば……他の人に構っていなければ、もっと早く、お母さんの傷口を塞げていたら……!!
「お母さん……ごめんなさい……ごめん……なさい……」
お母さんはまだ少し暖かく、私はすがり付くように泣きました。
何も言わなくなったお母さんの傍で泣き続けました。
◆◇◆◇
町役場に着いた時、そこで働いていたお父さんも既に亡くなっていました。
もう、その大きな腕は私を包んでくれる事は無いのです。
ヘレナさんも、私と仲良くしてくれた町の人々も……みんな……みんな死んでしまいました。
なんで……どうして、こんなことに…………。
胸が張り裂けそうです。
……私も、みんなと一緒に死ねばよかった……。
お母さんは最期に、私に生きてと言いました。
でも、私は辛くて悲しみが止まりません。
働きアリだった頃は、悲しくてもこんな風に涙が出ることはありませんでした。
それに、仲間の死を見ても、こんなに悲しくなったりはしませんでした。
人間になって、私は弱くなってしまったみたいです……。
こんな気持ちになるのなら、人間になんて生まれ変わらなければよかった……。
私は家に戻り、死んで動かなくなったお母さんの胸に、プレゼントとして贈るはずだった綺麗な花を置きました。
袋には、あの日マリーがくれた花の冠をしまいました。
既に枯れてしまっていますが、何物にも変え難い、私の大切な宝物です。
町を離れ、崩れた街道へ出ました。
どうやら魔物は、この町を襲った後、ここを通って行ったみたいです。
この街道は、アステア国の……ディア様のいる王都へと続く道です。
王都は────ディア様はご無事なのでしょうか。
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