Part5 「まるでドラマや小説みたいじゃないか」という言葉の違和感

 先日、「ドラマみたいな人生だな」という言葉を聞きました。


 よく使われる表現だと思うので、皆様も一度はどこかで耳にしたことがあるでしょう。


 「ドラマのような恋がしたい」とか「波乱万丈な君の人生は小説みたいだ」とか。


 ここから読み取れるのはつまり、ドラマや映画は、ボクたちが生きている現実とは少し違ったものであるということです。


 そりゃもちろんフィクションの世界ですから、なんでもアリといえばアリな訳ですし、普段現実を生きている分、ドラマや小説には非現実を見て、逃避したいという気持ちも十分に分かりますし、何よりボクもそのように楽しんでおります。


 しかしながら、


 非現実的でなければ成り立たないというのは少し悲しい気持ちもあるのですね。(ドラマや映画で現実逃避を楽しんでいるボクが言えたことじゃないんですが)



 A.

 ある一人の会社員の女性がいます。

 同僚と恋に落ち、幸せな恋愛をし、結婚し、子供を産み、マンションを購入し、とても幸せな家庭を築きました。


 B.

 ある一人の会社員の女性がいます。

 同僚と恋に落ち、幸せな恋愛をし、結婚し、子供を産み、マンションを購入しました。

 家を買った後、旦那は姿を消してしまい、残ったのは多額のローン、シングルマザーとして働きながら子育てを頑張ります。

 しばらく経った後、旦那は多重債務者だったと判明し、知らぬ間に連帯保証人となっていて、さらに多額の借金が……。

 数年後、購入したマンションが欠陥住宅だと判明。

 子供が5歳になった頃に、交通事故で亡くなってしまい、悲しみの失意の中、自分にも癌が見つかる……。


 と、確かに後者の話の方がドラマや小説になると思います。


 Aはとても幸せであって、自分が生きるならこんな人生がいいのだけど、それをドラマや小説の中には求めていない。


 それが人間という生き物であり、ドラマや小説に求めることだというのですね。


 そう考えてみると、フィクション作品のあり方というものが見えてくるように思います。


 だけどボクは、リアリズムのドラマや小説があったっていいと思うんです。(自分が見るかどうかは別にしますが……)


 まるで自分のような人生、みたいなドラマや小説があったっていい。


 いや、違う。


 どんな人生だって、ドラマや小説になり得るのだと思うんです。


 一人一人の人生があり、一人一人のドラマがある。


 こんなありきたりな言葉で締めますが、ボクは本当にそう思うのですね。


 だから「ドラマのような人生が送りたい!」なんて、ボクにとっては意味のない言葉のように思えてしまったのです。


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