Part6 「雪が降った日の純真な心」を落としてしまったのはいつだっただろう?
子供の頃雪が降ると、
それはそれは嬉しかったように思う。
目の前に広がる真っ白の世界は、まるで自分が慣れ親しんだそれとは別物の”何か”のような気がして、すぐにでも外へ飛び出して誰よりも一番の足跡を付けたものだった。
そう、ボクはどこにでもいる普通の子供であって、(いや、しかし、子供の時から雪が嫌いな人もいるらしいのだが)雪が降ればただ純粋に喜んでいた。
それにはきっと、ボクが関東圏に住み、雪の大きな被害にあったこともないのだと、今考えればそうも考えられるのだけど、当時子供だったボクにはもちろんそんなことを考えられる了見なんてなく、それはまるで天からの贈り物のようで、タダで貰ったプレゼントのようで、ただ純粋に嬉しくて楽しかったのだと思う。
しかしながらそんなボクでさえ、これくらいの歳になると、雪というものにあまり喜びを感じられなくなってきているのです。
最初に、自分が雪に対して感じていた高揚感を感じなくなったことを自覚した時、酷く寂しい気持ちになった。
なぜ、あんなにも楽しかった雪が、今は楽しく感じられないのか。
仕事へ行く日であれば、どうしてこんなにも鬱陶しく感じてしまうのか。
「子供の時とは違って、大人にはやらなくてはならないことがある。物事が順調に進まないというのはそれだけでストレスだ。だからじゃないか?」
と言われたことがあったけれど、ボクの純粋だった雪に対する気持ちを、そんな数文字の言葉で片付けて欲しくはないのであって。
まあ、その意見は正しいのだろうけど、そんなものを抜きにして、もっと純粋に楽しめないのだろうか?と思ったりするわけです。
その日、何の用事がなくても、おそらくボクは昔のように朝一番で足跡を付けに行ったりはしないと思う。
「そりゃ子供じゃないんだから」
なんて言われたりもしたけれど、なんだ「子供」って。
……なんて言うけれど、もちろん大人と子供の”そういうものの”違いは分かっているつもりです。
だからこそ、ボクはワクワクしなくなっているのだとも思う。
大人になることはとても楽しいことであるのだけど、得るものだけではないのが、少し悲しくも感じたりするのです。
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