Good bye

朝、私は緊張していた。

起きて何気なく空を見上げたら、窓に映る自分の顔が耳まで真っ赤になっていると知った。もしかしら昨日からかもしれない。嬉しさもあるけど、それと同時に緊張とか不安とかもある。

昨日、私はついに本音を口にしてしまった。死んで後悔していること、湊が好きなこと、それぞれ違うけど同じなのは口にしてしまったら取り返しのつかないということだ。もう私は自分で消えると言う選択はできない。だって自身の後悔を否定するモノがもうないのだから。

「・・・でも、今日はがんばらないと。叶わないと思ってたことが実現するんだから、今日ぐらいは楽しもよう。ねっ、私?」

自分の胸にそう言い聞かせる。

そう、今日は湊とデートなのだ。私の最大の未練の一つである湊への告白、昨日ははずみで言ってしまったから今日はしっかりと伝えなきゃ。あわよくば彼が笑ってくれるといいけど。

手のひらで頬を軽く叩いて「しっかりしろ」と窓の中に自分にも聞こえるように言ってやった。窓の彼女も同じ行動をして引き締まった表情になり、親指をピンッと立てて見せた。別に驚くこともない、私自身も窓に向かってそうしているのだから 。

もちろん服装は生前の制服から変わらないからおしゃれとかできない。メイクなんてしようものなら、周りの人の視界に人の顔だけあるという不思議な光景をさらしてしまう。それは私も湊にもまずい。とりあえずいつもの格好で行くしかないかな。

誰もいないのを見計らってそっと家を抜け出す。この辺は基本的に車くらいしか通らないし近くに同年代の子供もいない。抜け出すことはそんなに難しくはない。扉を閉めてからもう一度キョロキョロと周りを見渡す。

「・・・よし、誰もいない」

ホッと息をついてから、さて出発だ。

「あっ、いけない!」

危うく忘れるところだった。せっかく書いたのにあのまま置いといては見つからないだろう。

あの二人にはお世話になったから黙って逝くのはさすがに気が引ける。

急いでそれを持って戻ってきた私は、大切にかつに急いでそれをポストに忍び込ませ、目的地に向かった。


むくりとベッドから起き上がる。否、ベッドだったものとしておくのがいいのかもしれない。家に戻ってきた初めの日に散らかっていた部屋はほとんど片付けた。とはいってもゴミに分類されるものは、俺が寝込んでいる間に親が片付けておいてくれたのであとは整理するだけだったけど。それでもタンスは凹み、ベッドは八つ裂きになっていて、プラスチック製の椅子もポッキリと折れている。全部買い換えるには少々時間がかかりそうだし、それ以前に目覚めてから買い物に行く時間もなかった。

いつものようにベッドから這い出て、時計を確認する。まだ9時にもなっていない。とりあえず遅刻することはないだろう。

「着替えるか」

タンスを漁り、一番良さそうなの服を適当に取り出し、どの組み合わせが良いか少しだけ考え込んでみる。今までこんなこと考えもしなかったが、さすがに今日は気になってしまう。だってあの香乃とデートなのだ。私服は何度も見られていたが、それとこれとはまた別だ。少なくとも俺はそう思う。

考え込んだ結果、そんなに気取りすぎると余計に変だ、という結論になったため 、お気に入りのジーパンといつもみたいなTシャツでも着て、後はいつものコートでいいかと、結局、普段とあまり大差ない格好になった。後悔も反省もしていない。

もう一度時間を確認する。まだ9時を少し過ぎた程度で、待ち合わせには充分時 間がある。

「そういえばーーー」

ギュルルルゥゥ・・・

朝食を食べていないことに今さらながら気がついた。昨日聞いたが、両親は朝早くから友人の結婚式か何かで出かけているらしい。何やら両方とも出身が県外どころか本州から離れているようで、帰るのは明日らしい。平日の朝食当番はいつも俺だ。冬休みくらいは毎日朝食を作ってもらおうかと思っていたが、今日は仕方ないか。

食べ終わり、片づけが終わって、歯を磨いている頃にはやっと10時近くになった 。時間というものは待っていると案外長いものだ。無趣味な俺にとって時間とはかなり長くてイライラしてくる。

さて、後の約6時間ほどを一体どうして過ごそうか。本でも読むという選択肢もあるにはあったが、あれはもう必要ない。楽しくて読んでいたわけじゃないし、もう何もしない時間が怖いわけでもない。だから、いつか本当にそれらが面白いと思える日まで触れないつもりだった。

となると、仕方ない。

「川原で時間潰すか」

先に待ち合わせ場所で待機しよう。どうせ家にいても退屈だし、川の流れを眺めながらゆっくりと考え事に浸るのもいいかもしれない。そこまで考えてから。

「俺って寂しい奴だな」

と口から漏れた。

まあいいさ、趣味もこれから見つけていく。そうすればいい。今は・・・。

「行ってきます」

誰もいない家にそう告げ、俺はドアをゆっくりと閉めた。


さすがにまだ時間が早すぎる、もちろん湊は来ていない。だって午後5時に約束したのにまだ午前中だ。でも、どうせ家にいても仕方ない。

正直なところ、湊を自分の存在を確かめるために使っていた、ということは否定できない。きっとどんなに否定してもどこかではそう思っていて、否定しきれないと思う。

でも、ここで彼と会って、話した理由。もっと単純なものだとやっと分かった気 がする。

あれも、好きだったからだったんだ。

彼といると心が休まる。死んだことを忘れられる。そもそもそれは、彼が好きだったからなんだろう。彼に声が届かなくともきっと私は彼に泣きつこうとしていたに違いない。

そんなふうに川の流れを眺めながら物思いに耽るというのもちょっといいかも。

前もこうして考えていたことがあったが、今回はとても安らかな気持ちだった。昨日まであんなに目の前の生きている景色が憎くて堪らなかったのに、今日は少しだけスッキリしてあまり苦しくない。やはり、恋心というものはすごいものなんだ。そう実感せざるえない。

そう、湊がそうさせてくれた。湊が私は少しだけ変えてくれた。

ふと、家の前での出来事を思い出す。

何か気配がしてふと振り返るとそこには千明がいた。目の前にいる私に気付かないのを見るとやはり私は幽霊なのだと感じて胸がチクリと痛む。でも、今私ん家の前にいる彼女の表情に昨日みたいな嫌な感じのものはなかった。

「香乃・・・・・ウチさ、頑張るよ」

千明の瞳には何か強いモノが変わりに宿っていた。とてもとても強い彼女の決意のようなモノ。

純粋に私は嬉かった。これを見ていると、私がいなくてもきっとやっていけると千明の成長がしみじみと身に沁みた。

はは、私って何様なんだろ。

それに千明にはこれから湊もいる。彼は約束を守る人だと知っている。もう心配はいらないかな。

そうして私は少しだけ涙を流した。

いつもの悔し、恨めし涙なんかじゃない。嬉し涙だ。

時間はわからないけど、太陽はまだ東のほうにあるから午前中だろう。湊、早く来ないかな・・・。


いつもの道を通っていつもの川原に出る。そしていつも通りその川を沿って歩いていくと彼女は昨日のように草原に座っていた。

こんな時間に制服姿なのはもちろん香乃以外の誰でもないだろう。

「よっ、随分と早いな」

俺はなるべく意識しないでいつも通り彼女の話しかけた。小説とかのベタな展開ならここで声が裏返ったり、噛んだりして赤面しているだろうが、生憎とそういうミスはこれまでしたことないものでな。

予想通り、彼女はものすごく驚いた表情をしていた。そしてすぐに嬉しそうに「えへへっ、早すぎちゃった」と微笑んだ。

「いくらなんでも早すぎだろ」

「湊だって、まだ午前中だよ?」

「そりゃ、家にいてもすることなかったからな」

「あっ、私も同じ」

そんな他愛もない会話で彼女は微笑んでいた。ここは俺が率先して笑顔を誘ってやらないといけないのだろうが、うまく笑うことが出来ない。今更ながら少し悔しい。

「無理に笑わなくてもいいよ」

それを悟られたのか、彼女に笑いかけられる。

「ねぇ、まだ時間たくさんあるしさ、お昼までお話しよ。またここで」

もうちょっと話したいんだと香乃は付け加えた。断る理由もなければ嫌でもない 。俺は「ああ」といつものように返事をした。


今日は昨日よりもやけに明るい内容の話ばかりで、笑いが絶えなかった。もちろん笑っていたのは私なのだが。何故かと言うと、今日の湊はとても饒舌で主に昔の 、まだ彼が笑っていた頃の思い出話に2人で花を咲かせていたのだ。

それもくだらない事ばかりだ。あのときのクラスメイトのあの子はすごく馬鹿で面白かったとか、隣のクラスのあいつは私のことが好きだったとか、中学の頃の君月の奇行など、私は笑ってお腹が痛くなったり、ちょっと恥かしくて赤くなったり 、少しだけ怒りが蘇って頬を膨らませて見せたり、とにかく楽しかった。

彼が「そういえば」と時間を確認した時にはすでに2時を過ぎていた。

「ちょっと話しすぎちゃったね」

「そうだな」

彼の表情こそいつも通り無表情だったが、その声音はすでにたくさんの色を帯びていた。それが嬉しくて笑顔になれた。

で、そのまま約束の時間まで話題を変えながらずっと話していた。不思議と話題も会話も途切れなかった。私としては当然だ。ずっとずっと湊とこうして笑って話がしたかったんだ、今日まで話せなかったことが山ほどある。

・・・ってさすがに多すぎるかな。

4時半になって俺たちはやっと動き出した。というか、やっと話題が途切れたのだ。楽しいかったけど、話しただけなのに疲れてしまった。こんなことはもしかしたら初めてかもしれない。

「どこ行くの?」

「そうだな、とりあえずついてきてくれ」

さあ、気を取り直して行こう。まだまだこれからだ。


「クリスマスフェアやってるよ!」

私たちは市内の商店街を歩いていた。通り過ぎる木々には色とりどりのイルミネ ーションで飾られ、それぞれの店がいつもは見せない姿を見せていた。ところによっては発行するサンタクロースが窓から吊られている。

「何か食べるか?」

彼も楽しそうに声を弾ませていた。

「食べたいけど、食べれるかな?」

私は質問を質問で返した。

「だって湊以外からは空中で食べ物が飛んでるように見えると思うけど」

「それじゃあ・・・」

彼はすぐ近くにあった小さなクレープ屋に止まって注文し始めた。ちょっとだけ驚いたけど、強行するってことは考えがあるってことだろうか。

「こうすればいい」

彼はクレープを持ってベンチに座り、そして隣に座った私にクレープを向けた。つまり、1つのクレープを一緒に食べれば目立たないだろ、ということらしい。

「えっ、でもそれって間接キスじゃ・・・」

「仕方ないだろ、せっかくだし楽しどけ」

「えっ、えっ、ちょっと」

はむっ

口に突っ込まれたクレープ。

生クリームの甘さが口いっぱいに広がり、それでいてちょっぴりビターなチョコシロップが絡めてあって、さらにバナナ独特の甘味がより一層おいしさを引き立てる。温かい生地も絶妙な食感。

「あれ・・・すごくおいしい」

「あれ、もしかしてお前ここ来たことないのか。結構有名なんだぞ?」

彼が不思議そうに首を捻る。女子の私より男子の湊のほうがスイーツ店のことを知っているなんて、ちょっと悔しい。

「も、もちろん来たことあるよ、でもこの味は初めて食べたってだけ」

だからついつい強がってしまった。でも、彼なら気付かずにいてくれるだろう。

「顔に嘘って書いてあるぞ?」

「ふぇっ!?」

「赤くなったってことは本当に嘘なのか」

彼は悪戯に微笑んだ。

そんな彼の笑顔に私は頬を膨らませていた。


それから結構いろいろと買って二人で分けて食べた。普通にこの時期にありそうなものばかりだったが、さっきのフランクフルトの屋台は正直驚いた。あのお爺さん、クリスマスを何かのお祭り行事と間違えているのだろうか?それともあえてか?

商店街の最奥部にはあの日に行ったデパートがある。俺たちはそこへ向かった。本当はあの日を思い出してしまうから自分から行くのは、と気が引けて考えていなかったが、さっきの川原の会話で服選びを彼氏としてみたいと言ったときがあった。香乃は自然に出た言葉で特には気にしてはいなかっただろうけど、俺は覚えていた。もしかしたら、これで最後かもしれないと思うと、行くしかないと俺の脳も心も一致した。

正直、不安もあった。もう着れない服をわざわざ見せるのも残酷かなと。

「ねぇねぇ、湊。これとこれ、どっちがいいかな?」

それでもなかった。

デパートに入店してすぐに「服見よ!」と目を輝かせて懇願してきた。少しだけ心配して損したというのもあるな、これは。

それにしても香乃はファッションに興味津々らしく、かなり忙しなくこれはイイだのこれはダメだのすっかりと熱中している。まぁ、楽しんでもらえて何よりだが 。

気がつけば俺の服も一緒に選ぶと言い出し、意気揚々で次から次へと持ってくる。こんな時期なのに珍しく客が少なくてよかった。

結局、俺は彼女に押されるがままに服を買ってしまった。まさか香乃にこんな暴走癖があるとは思っても見なかった。一応派手なものではないのでよかったというのが本心である。何だかんだで俺も楽しめたからよしとしよう。

香乃もこんなに楽しそうに笑ってるし。


「うわぁあ、すごい」

私は感嘆の声を上げた。デパートで楽しくショッピングした後にちょっと見せたいものがあると湊が笑顔で言い出した。

そして来てみて私は目を輝かせた。商店街の外れにある並木道がイルミネーションでその場所が1つのアートみたいになっていた。さっきの商店街のとはまるっきり違って、ここだ け眩しいくらいに明るい。道を進んでみるとところどころにイルミネーションでできた動物だとかも飾られていて、どこを見ても綺麗で目移りしてしまう。

「田舎の催しにしてはすごいだろ?」

「うん、私こんなの知らなかったよ!」

彼も嬉しそうだ。

とっても幻想的で綺麗な世界、おとぎの国にでも来ているのかと思うくらい私の心は弾んで興奮していた。

ん、おとぎの国?

そうだ、ここはおとぎの国だ。

だから、少しくらい魔法にかけられてもいいよね?

私は自分に言い聞かせながら、そっと彼の手をつなごうとした。

彼も嫌がらず、むしろ私の手をしっかりと繋ぎとめていてくれた。その大きな手からは冷たい私でも感じられるほど、とても温かいものを感じた。


いつもの川原に戻ってきた時にはもう9時が終わろうとしていた。約6時間も楽しんでいたことになる。俺はまだ2時間も経っていないような気がしてならなかっ た。

「今日は楽しかったね」

「そうだな」

香乃の楽しそうな声に俺も答えた。俺自身、本当に今日は楽しかった。まるで夢でも見ているかのようだった。おとぎ話の中に迷い込んだかのように思えた。それほど幸せで充実した時間だった。

「食べ物もおいしかったし」

「何だかんだで沢山食べたな」

「服も買った」

「お前がここまで服にうるさいとは思わなかったよ」

「イルミネーションも綺麗だったよね」

「…俺は、お前のほうが」

って何言ってんだ俺は!

「えっ、何?」

幸い聞こえていなかったようだ。

「い、いや、何でもねぇよ」

「そっかー」

「なんだよ、その物言い」

少しニヤけた香乃の顔が近づく。それから、「なーんにも」と微笑んだ。

「お前キャラ変わったんじゃないのか?ウサギから」

「どーゆうことよ」

「さぁ?言ったままだぞ?」

「なによそれ~」

そう言って彼女は少し赤くなった顔で俺を睨んだ。でも、あの憎しみはどこにもない。とっても可愛らしくて憎めない、どこにでもいる普通の女の子だ。少し違う か、普通の好きな女の子だ。

香乃の顔に近づいて俺は彼女の頬に指を押し当てた。予想通り、膨らんだ頬はぷしゅーと小さな音を立てて潰れた。

「・・・」

「・・・」

「ぷっ!はっはっはっは!」

「ちょっと、何笑ってんの」

「だってお前、ヤバイだろ!」

「何がどうヤバイのか50文字以内で説明してよ!」

「「・・・」」

「「ぷっ」」

そうして俺たちは声を上げて笑った。とってもくだらないくて小学生でも笑わないだろう。でもこんなくだらないのがすっごく楽しかった。これなんだ、一度失いかけた、俺の大切なモノ。それを香乃が死んでから分かるなんて皮肉な話だ。でも、今はこうして楽しもう。今こうしている時間を忘れないように。

「はぁ・・はぁ・・ちょっと笑いすぎたな」

「そう、だね」

ふと、口の中に冷たく瑞々しいものがつたう。

「ん、雪?」

「えっ?」

見上げるとそこには積もるほどでもないが、小さな雪の粉が宙を舞うようにして 降りてきていた。

「今年はホワイトクリスマスだね」

「だな、笑いすぎて口の中に雪入っちゃったし」

「それは笑いすぎだよ」

「まったく、いい歳した高校生がな」

「別にいいよ。それに湊って笑うといい顔してるのにね、だからもっと・・・」

瞬間、香乃の目に驚きという感情が一気に攻め込んで支配した。

「あれ、湊が笑ってる?」

「んっ?」

俺は香乃が何に驚いているのかすぐには分からなかった。

「あっ」

「あれ・・・いつからだっけ?」

「こっちの台詞だ」

俺は姉貴が死んでから今まで、笑ったことがない。

家族にも、香乃にも多くの人からそう言われていた。自分ではそんなつもりはないけど、何もかもが全然楽しく も嬉しくもなかっただけだ。

「・・・そうだ、デート始まってすぐからもう笑ってた気がする」

でも、それこそ今は違う。さっき確認した通り、この時間はとっても楽しいし、ありえないくらい嬉しい。

だからかもしれない。

「・・・そういうお前も、やっと笑ったな」

「えっ?」

「昨日までちっとも笑わなかったじゃないか、仕方ないことかもしれないけど、結構寂しくてな、そういうお前も、やっぱ笑ったほうが良いな」

「・・・湊に言われたくないかな」

そして俺たちは互いの顔を見合ってもう一度笑いあった。

俺にとって森野木香乃の笑顔は太陽よりも明るくて、月よりも美しかった。

そんな恥かしいことよく言えるなって?

そんなこと、本当にそう思ったんだから仕方ないだろ。


「ねぇ、湊」

ゆっくりと慎重に彼の名前を呼んだ。彼はすっきりとした表情で「どうした」と私の目と合った。

デートの途中、いつ言おうかずっと迷っていた。今思えば、そんなに急がなくてもベストなタイミングが目の前にあるんだ、急ぐ必要もなかったようだ。

湊が、ついに笑ってくれたんだ。そう、私のここに残してしまった未練(おねが いごと)の最後の一つ。湊に昔のように笑って欲しい。こうして彼が笑って、これが未練だと初めて気付いた私も相当な馬鹿なのかもしれない。でも、もう全部わかっている。

「あのとき、なんか勢いで言っちゃったから、言い直したいの」

正直、告白し直すかどうかも悩んでいた。それをしてしまえば私の未練はきっと全てなくなる。それはつまり・・・。

「あのね、私は雨宮湊が………」

たくさんの思いを込めた、お願い事を込めた。これから放つ一言に。


「…大好きです」


彼の目を見て真っ直ぐに言った。

彼は少しだけ驚いたように目を開いたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。その表情で答えはわかってしまった。それでも私はほんの少しだけ寂しくなった気がしてしまう。

しかし、彼はいきなり前の氷の表情に戻して答えなかった。黙って悲しそうな無表情を無理に作っいた。

「何で答えてくれないの?」

私は素直にそう聞いた。彼の表情から無表情のハリボテが簡単に崩れて、中の寂しそうな顔が姿を現した。

「・・・答えたら、お前が消えてしまう気がして」

「・・・」

やっぱり湊もなんとなく気付いていたのかもしれない。テレビや映画に登場する幽霊は未練がなくなると成仏して消えてしまう。それはきっと本当なんだろう。私 もこうしてとても安らかな気持ちの反面、意識が少しずつ遠のいていくような、そして不思議な浮遊感が増していっている。そういうことなんだろう、間違いはないはずだ。

「でも、それはいいことでしょ?」

当然、また私は泣きそうだった。目がすごく熱くて悲しみと嬉しさの結晶が流れ落ちてしまう寸前だ。それでも無理やり笑顔を作る。

彼はずっと我慢していた。優しい湊のことだ、不器用な湊のことだ、今度は自分がなんとかしないと、という気持ちがあったことだろう。本当なら彼だって悲しいんだ。でも私に会ってしまった。きっと思ったはずだ、死んだ本人のほうが辛いに決まっている、なんてことを考えていた。だって、湊は無表情のわりには案外雰囲気に出るもん。なんとなくだけど、わかるよ。今の私なら。

彼は限界だった。もう感情を押し切れないんだろう。その証拠に大粒の涙が流れ落ちて頬を濡らしていく。

「いいことであってたまるかよ!なんでお前が死ななきゃいけないんだよ!俺は、俺はもっとずっと一緒にいたかっただけなのに、なんでそうやって大事な人から死んでいくんだよ!意味がわかんねぇよ!香乃(おまえ)が何をしたって言うん だ、香乃は俺を助けようとしてくれただけなのに!そんなの・・・認めてたまるかよ!!」

湊が喉を震わせて叫んだ。その悲痛な表情が辛かった。

私はさらに遠ざかりつつある意識を叩き起こしながらそっと湊に抱き寄った。不思議としっかりと彼に触れることが出来た。さっきだってそうだ。昨日だって触れることが出来たし、今日なんて手も繋げた。

おとぎの国というのはあながち間違いじゃないのかもしれない。

まるで魔法のようだ・・・。

「昨日も言ったじゃない、もうこの世にいない私はこれ以上この世に影響しちゃいけないんだよ。私は湊の人生を狂わせたくない」

はっきりと言った。それはもう今までにもないくらい。

「それにーーー」

でもまだまだだ、これからもっと言うんだ。私から湊へ。

「私、今すっごく幸せなんだよ」

抱きしめる私の腕に、身体に熱い力が入った。

「えっ?」

「確かに、昨日まで苦しくて、辛くて、きっとこの理不尽な世界を恨んでいた。でも、貴方のお蔭で私は今、楽しくて、嬉しくて、こうしてこんなに幸せなの。それは貴方がくれたんだよ、湊?」

私は大好きな幼馴染みに笑いかけた。

「・・・香乃」

「ほら、そんな顔しないでよ。笑ってよ、また笑えるようになったんだからそれを見失っちゃダメ」

さっきみたいに彼は驚いたように目を見開いた。でも、今度は笑ってくれた。涙でボロボロ、目は真っ赤で涙の痕までついている。決してかっこいいなんて言えな い不恰好な姿だ。でも、私はそんな湊の素直な姿が大好きでたまらなかっ た。

そして私たちはそっと互いの身体を離した。自然と手と手は握り合って、真剣な眼差しで、相手を見据えた。

サァァと風が流れ、私たちを自然の神秘のベールが包み込んだ。やがて、彼が徐に口を開いた。


「俺も、森野木香乃が大好きだ」


瞬間ーーー

あのとき、死んだ直前に体験したような、たくさんの思い出が頭の中に流れ込んできた。でも、今回は、全部じゃない。湊との辛かったこと、苦しかったこと、嬉しかったことに楽しかったこと、彼と出会ってからの幸せな思い出の数々。

自分はたった今からこれは失うと急に悲しくなった。

「・・・なんだ、お前もボロボロじゃねぇかよ」

きっとそのせいだろうか、私の涙腺はいつの間にか崩壊していたらしい。最後は泣かないって決めていたのに。世の中、中々上手くなんていかないんだね、やっぱ り。

「うん、でもさよならは無しだよ」

「そうだな、俺たちは他に言うことがあるからな」

私の意識の遠のきが急速に早くなっていく。目の前が白く滲んでいく。でも、最後は湊と・・・。

「香乃」

「湊」

「「ありがとう」」

そうして私の目の前の世界は真っ白になった。寂しさがないと言えば当然嘘になる。でも、それでも私の最後の心境は安らかで、心地よくて、幸せだった。

また生まれ変われたらいいな、そのときはきっと湊に・・・。


取っていた手は輝く光と化して俺の手をすり抜けていった。そして、あの空の星に還るかのようにそれらは天高く昇って行った。

ゴシゴシと目を擦って涙を拭き取る。

そして鮮明な視界で夜空を見上げた。

いつの間にか雪は晴れて、すでにそこは綺麗に映える星々の光のパレードだった。それに向かって小さくて温かな光たちがゆっくりと向かっていく。今なら、あの無情な神様がなぜ俺だけに香乃を見せてくれたのか、わかる気がした。本当に最後まで憎たらしい話だ。

「あっ」

そのとき、ふと流れ星が流れた。

「・・・たまにはこういうのもいいか」

俺は自分の両手を祈るように握り、空に向けて一言。

「きっと、また生まれ変わった香乃に逢えるように・・・」

その声に答えるようにもう1つ箒星が駆けて行った。それらを見届けてから俺はまた辛く厳しく理不尽な日常へと戻っていくのだろう。でももう大丈夫だ。香乃が見 守っててくれる、それに君月とも一緒だ。

きっと乗り越えていけるさ。

俺は、繋いだ手の感触を忘れないように、ポケットに仕舞い込んで家路につくのだった。

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