香 乃 ~kano~

千明は自殺しなかった。

彼女は生きてくれた。

とても胸が一杯だった。

湊には感謝し切れないほど感謝している。

そういえばその湊も自分で答えに辿り着いいて、琴さんの死にしっかりと向き合えたみたいだ。

いや、彼のことだから答えはきっととっくに知っていたのだろう。でも不器用にも実行することが出来なかったようだ。またそこが湊らしいかも。

「さて、私はどうするかな」

なんて空に向けて言ってみるも、答えはわかっていた。

湊や千明が何かに気づいたように、私もあることに気がついた。というよりも知ってはいたけど、強く実感させられた。

それはとても簡単なこと、「人間の死は残った人間に大きな影響を及ぼす」こと。

大袈裟でも何でもない、限りない事実だ。

人の死はそれだけで残った人に人生を変えうる大きな影響をもたらす。もちろん個人差がかなりあるだろうが、今回の私たちにとってその影響はとても大きなものだったはずだ。もしかしたら人の人生に終止符を打ってしまう寸前でもあったのだから 。それから湊にもすごくお世話になったし迷惑もかけた。きっと彼がいなかったら 私はとっくに沈んで何も出来ないままこの世を呪っていたのだろう。今もこの世を許したつもりはない。神様を引っ叩いてやりたいという願望をちっとも変わってい ないのがいい証拠だ。だってこれから思い出に残る青春が待っているというその矢先に死ぬことになるなんて誰が予想したか?千明と晴れて心の友になって一緒にがんばって同じ大学を目指そうとしていたのに、湊が一人と言う殻を破ってこれから彼が笑ってくれるまで笑いかけていこうと決心したのに、湊に自分の気持ちをはっきりと伝えようとしていたのに。

こんなの許せない。

でも、今さら後悔しても後の祭り。

もうそこはいいんだ。

もう死んでしまった私 なんかは今さら報われても遅いんだ。ならば今を生きている湊たちが笑ってくれればいい。そのために私はどうするか。

私の結論は、私が、私という幽霊がこの世から消えること。消えなくても彼らの前に現れないこと。

それだけだ。

さっきも言ったとおり、人の死は残った人に大きな影響を与えてしまう。ならばその影響元は早急に消えたほうがいい。悪い影響をこの世に残す前に。これ以上湊に迷惑をかけられない。

千明が消えようとしているのとはわけが違う。死んでいる人間が消えようと止め る人もいないし、影響を与えることもない。

湊はきっと悲しむかもしれない。でも、今ならきっと大丈夫だろう。きっと彼なら幸せに生きてくれる。

これで一件落着だ。

私が我慢さえすればそれでみんなが助かるんだ。

そう、私さえいなければ・・・。

…そんなこと、私にできるかな?


君月の両親に彼女を引き渡し、俺はすぐに走り出した。目的地なんてない、とにかく頭に浮かぶ香乃がいそうな場所を周るだけだ。

「くそっ、あいつ!」

すでに俺の身体は君月の時の学校までの全力疾走と、止める時の緊張、そして君月をまた急いで運んできたことで満身創痍だった。走る足が思っていたよりも重く 、吐く息の感覚が狭くて苦しい。でも急がないと。香乃が何を考えてるかなんてわかからい。ただ、今の香乃を独りにしておくのが怖かった。そのまま会えない気が して怖かった。だからすぐにでも香乃の顔が見たかった。


香乃の家の前。

「香乃!」

俺はところ構わず彼女の名前を呼ぶ。きっと傍から見れば俺は相当おかしな人だ ろう。でもそうせずにはいられなかった。

しかし、香乃の返事はない。


もう一度学校に戻る。

「香乃ぉ!」

返事はない。


バタッ!

足が縺れて前めりに倒れる。疲れていたのか、それとも俺がドジなのか、咄嗟に手が前に出なくて顔から諸にアスファルトに激突する。

「・・・くっ」

それもすぐに立ち上がった。

今を逃したら、きっともう会えない。根拠なんてない、直感だ。

「・・・だいたい、律儀なあいつに限って礼も言わずに消えること自体がおかしい んだ、急がねぇと」


そして、いつも香乃の幽霊と話しているあの川原に着く頃には足が本当に棒にな った様でろくに動かせなかった。

「はぁ・・・はぁ・・・」

途切れ途切れの弱い吐息が自分でもわかる。膝に手をついて息を地面に叩きつけ 、吸い上げる。そのまま倒れてしまえればきっと楽だろう。でも、心に大きな穴を残すことになる。香乃を、何とかして見つけ出さないと・・・。

「・・・香乃ぉ!」

ガクッと膝が地面につく。俺の身体はもう限界らしい。

情けねぇ・・・。

もう、このまま倒れるんだろう。ほんの少し前にがんばるって自分の心に確認したばかりだろうに。

やっぱり、俺は弱いんだな。

「・・・・香、乃」

だが。

俺は立ち上がっていた。

あいつを探そうと立ち上がっていた。膝を持ち上げ、踵でしっかりと地面を突き 、進もうと立ち上がる。自分でも驚いていた。ヘタレの俺のどこにそんな動力源があるのだろう。

「・・・・そっか」

俺は、こんなになっても諦められないくらい、死なれても諦めがつかないくらいに、香乃が好きなんだ。馬鹿みたいに、それこそ不器用にもあいつのことが諦め切れないんだ。俺って本当に馬鹿だよな、ここまであいつのことが好きならしっかりとすぐにでも告白してしまえばよかったのに。

「香乃ぉ」

俺は問いかけた。

「早く出てこいよ、馬鹿野郎!」

そのとき。

ふらつく俺の身体が何かに支えられたようにピタリと止まった。驚いて目を丸く して顔を上げるとそこには香乃がいた。倒れそうな俺を華奢な体が支えていた。

「・・・何で?」

「香乃」

「何でそんなになるまで、諦めようとしないの?」

彼女は泣いていた。

「何で、探そうとするの?」

すすり泣く声が耳を劈く。震える香乃の肩が痛いほど伝わってきて心が苦しかった。彼女の苦しさが直に感じられて彼女の幽霊(そんざい)を改めて確認した。

「・・・私は、消えようと・・してるのに」

「・・・知ってる」

「じゃあ何で私を探すの!?

私は、死人はこの世にこれ以上影響を残しちゃダメなんだよ。幽霊なんて負の産物でしかない、そんなものから負の産物以外をどう生み出せるの?

湊は、湊は今の私だから出来ることがあるって言った。でも、私は怖いの!

また誰かを傷つけることが!

湊なら、わかるでしょ!?」

「ああ」

「じゃあ、なんでー―ー」

「お前はそれでいいのかよ」

俺は自分の心を押さえ込んで目の前の悲しみに埋もれてしまった少女に訴えかけ た。

「俺がとか、君月がとか、みんながとか、そればっかじゃないか。お前はそれでいいのかよ。お前だって後悔があるんじゃないのか?」

今日、香乃はここで泣いていたんだ。彼女の言葉は俺にも聞き取れていた。


ーーーだけど、彼と会って私はどうしたいんだろう。自分でもよくわからないよ。


ーーーわからなくなんてない、私はきっと残った人たちの力になりたいんじゃない 、幽霊であることを否定して逃げたいだけだ。


ーーーだってならなんで昨日、私は親から逃げたの?もういない自分を確かにして しまうのが怖いんでしょ?


ーーー湊なら私が見える、そこにいるとわかってくれる。彼は私が唯一存在を確か められるモノだもんね。彼と話してるときは幽霊ってことだって忘れられると思っ たんだよね。


彼女は自分で言った全てに違うと叫んでいた。そんなんじゃないと子供のように泣きくじゃっていた。でも、あれが彼女の本心だ。本当は自身の死から逃げたい。こんな現実を認めたくない。そんな言葉にある本当の後悔が俺には見えていた 。

「そ、そんなの、いい…」

彼女は、苦しくも何かにしがみ付く。でも、そんなことしなくても顔に書いてあった。「死にたくなかった」と。俺の手を握ったまま香乃は目の前に躍り出た。


「いいわけないよっ!!!」

そして香乃は俺の前で初めて心を剥き出しにして叫びを上げた。

「・・・私は、貴方が好きだった!

今も昔も湊が大好きだった!

だから貴方が放っておけなかったし、何とかしたかった。気持ちを伝えたかったし、笑って欲しかった!

なのに、世界は、私からホシイモノを奪っていく。琴さんと湊の心を奪って今度は私の親友をも奪おうとした。 そして最後に私の命を奪った。この世界は、私が願ってはいけないっていうの!?」

「・・・・・」

あのときと同じ問いに咄嗟に答えることができなかった。俺が姉貴のことから逃げている間も、俺は気づかないうちにこいつを蝕んでいたのかも知れない。

「本当に、酷い世界よ。湊に想いを伝えようとして、失敗して、まだこれからだって心に決めたその直後に死ぬなんて、後悔してるに決まってるよ。でもどうすればいいの?私は・・・」

今思えば、香乃という少女は数奇な人生を送っていたのかもしれない。不器用で優しくて、対人関係が苦手で、一度手に入れたモノを切り離すことが出来ない。明 らかに重荷になっていた俺を切り離すことも、この世の理不尽への恨みも、自身に満ち溢れる後悔も切り離せなかった。死んでなお苦しんでいる。

でも、そんな数奇だけで表せられるような不幸な人生にさせない。俺は、香乃が好きだ。香乃も俺が好きだ。

それを知っていて、今、ここで彼女の苦しみを知っているのは俺だけだ。香乃に想いを届けられるのは俺だけだ。

「・・・香乃、明日予定とかないか?」

「えっ?・・・な、ないけど」

「じゃあ、デートしよう」

自分で言って少しだけ恥かしくなった。でもこういうのは男の俺が言い切らないと。そんな感じで心の奥にあるそれを言い包めた。

「ふぇっ?」

「俺らさ、こんな切羽詰った状況続きだったからもう忘れている思うけど、明日はクリスマスイヴなんだよ。お前の気持ちが折角わかったんだ、行かないか?」

12月23日。

明日はクリスマスイブである。

俺は目の前の少女に手を差し出した。この世の理不尽を恨み、悲しみ、歪んだ表情は引いていっていつもの小動物のような、ウサギのような儚い瞳を俺にむけた。

「えっ、でも・・・」

「別にお前のためじゃねぇよ、俺がお前と行きたいだけだ。駄目か?」

「ううん、行きたい」

その返事は小さくて弱々しい、そして少し嬉々としているようにも聞こえた。

「即答だな。じゃ、行こうぜ」

そう言うと彼女はコクリと頷いた。

その日の川原はどうしてかゆっくりコロコロという音を立てていて、綺麗だなと思った。俺の手を透ける手でとった香乃は少しだけ恥かしそうに頬を紅色に染めた。その触れられない手の感触が、俺には温かく感じた。

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