best friend
君月の変わり様を見て、さすがに俺も驚かざるえなかった。髪はボサボサに伸びて、顔にはところどころニキビができ、青白く痩せて、ただでさえ華奢な少女がさらに 小さく弱く見えた。否、実際そうだろう。そこにはこの前まで周りに散々元気をばら蒔いていた笑顔がない。全くの別人になってしまっていた。
「・・・な、何?」
君月は冷たく嫌そうに言い放った。
俺はどう答えればいいのかわからず、香乃の方を覗き見るが、彼女も唖然としていてとても応答できる状態ではない。
「どうしたんだ、お前。まるで別人じゃないか」
そう言ってから後悔した。理由なんてとっくにわかり切っている。むしろ彼女の心情を逆撫でしているようなものだ。
「それ、本気で言ってるの?」
彼女の声に怒りが宿った。
「親友が、香乃が死んだんだよ!ウチがあんなバカなことをしたせいで!!そんなの平気なわけないじゃん!!!」
目の前、声を嗄らして、大粒の涙を零して叫んだ。彼女は自らにある負の感情を俺に吐き出した。反射的に俺は香乃のほうに目が行った。あいつの性格じゃ、きっ と・・・。
思ったとおり、彼女はさっき川原で見せた悲しみの瞳で今にも泣き出しそうだった。
確かにそうだ。俺の隣にいる香乃は幽霊でもう生きていないんだ。俺の好きな人 は、もう死んでいたんだ。
「・・・・・」
彼女は何も言わず、ただ踵を返した。
だがすぐに立ち止まった。
「・・・ねぇ」
「な、なんだ?」
「・・・・・なんでもない」
とても小さくてか弱い声だった。とても小さくて消えてしまいそうな背中だった。そしてそれに俺は何故か既視感を覚えた。
カチッ
部屋の電気がついて真っ暗な部屋が明るく照らされる。こうしてこの部屋、私の部屋に明かりを灯すのは何日ぶりだろう。この身体になってからいつも怖くて電気 などつけた試しがない。改めて見ると私の部屋は生前と何一つ変わっていない。いや、そういえば机の上にあった写真がなくなっているっけ。
さっきから気を紛らわそうと何か考えても真っ白になっちゃって上手く答えにたどり着かない。ただ、浮かんでくるのは自分の無力さとまた後悔だった。
千明だってきっとなんらかのショックを受けていることはわかっていた。でもあそこまで気に病んでいるとは思ってなかった。これじゃあまるで昔の湊みたいだ。私は正直、 湊はもっと強くてきっと琴さんの死も糧に進んでいけると思っていた。しかし、実際は数年にも渡って引きずってしまっている。湊も千明も、私が思っていた以上に不器用で優しかった。だからこその結末なのだろうか。
私はどうすれ ばいいんだろうか。千明についこの間までの湊みたいになってほしくはない。でも私の言葉も心も幽霊となってしまった以上、千明には届くことはないだろう。かといってただでさえ自分だって辛いのにここまで幽霊の私に気遣ってくれている湊にもう迷惑はかけたくない。
「…」
でもそんなことは理想論だ。
でも死んだ私に生きた人を動かせる権利も義理もない。
でも千明をなんとかして伝えたい。
でも湊を振り回したくない。
そんな言葉ばかりが脳みそにぐるぐると螺旋を描き、私を焦燥させた。しかし、いくら考えても私の答えはきっと一つしか出てこない。そんな負の感情しか出てこない。だって、もともとの元凶を作ったのは私だ。わかっている、私が死んだのも 、それを後悔しているのも、湊を自分を失わないために頼ってるのも、湊だって泣きたいのも、千明が苦しんでるのも、全部、悪いのは私なのもわかってる・・・。
「神様」
それはか弱くて、不器用で、心優しい少女の心からの叫びだった。
「・・・・・あの日に、返して」
ぶぅぅぅ、ぶぅぅぅ、
「ふぇっ!!?」
私の部屋の携帯電話がバイブレーションを発動させて蠢いていた。すぐさまそれを鷲づかみ、誰からかを確認した。
『From:千明
無題
ごめんね、今そっちに行くから。一人にしないよ香乃。』
「これって、どういう…?」
よく見たら受信ボックスにはすでに15件ものメールが来ていた。全部千明からだ。どれも一昨日から今日にかけてのものだ。
『From:千明
無題
ウチは貴方のことを殺してしまいました。どうしても謝りたいです。こんなウチの顔なんてもう見たくないだろうけど、会って下さい。』
一番初めのメールは謝罪したいから会ってくれというものだ。私は胸が途端に苦しくなった。メールも内容もいつもの千明のものじゃない。相当病んでいる。今さらこんな身体の私じゃあ会えるわけがない。そもそも、死人にメールを送るという時点でおかしい。それに彼女はどんなときも絶対に無題で送らないし、どんなに互いの機嫌が悪くても絵文字か顔文字を使う。それは状況的に考えれば当然かもしれない。でも何から何まで不自然で、本当に彼女のメールかすら疑った。
『From:千明
無題
天国ってどこにあるんだろう、高いところかな?ウチも空を飛べたらそこへいけるかな?会いたいよ。』
メールを順に開いていき、これは大体昨日の昼くらいに届いていたものだ。途中からメッセージは私にすら向けられていなかった。どこか独り言みたいでいない誰かに話しかけているようだった。
『From:千明
無題
もう耐えられない、香乃がいないなんて。私はどうすればいいの。』
そしてこれ以降のメールはすでにメッセージと呼べるものですらなかった。ただ 、「ごめんなさい」「許して」という記号がひたすらに並べてあった。そうしてやっとこのメールに篭められた意味を察した。
私は大馬鹿だ。
普通なら初めに呼んだ最後のメールで状況を気づけたはずなのに。
ーーーごめんね、今そっちに行くから。一人にしないよ香乃。
「・・・ダメ!」
私は息の止まった喉を振るわせた。千明は死のうとしている。私のとこへ来ようとしている。自分の命で償おうと考えてる。
次々と、またもや後悔の言葉が頭に渦巻く。
うるさい!
こんなの相手にしている時間なんてないんだ!
メールの日付は今日の一時間前、さっき千明と会ったのが30分くらい前。きっと千明はこのメールを送ってすぐに家を出て、死にに行こうとして いる。
私は自身の身体に出来る限り全力で鞭を打った。
急いで!
間に合わなくなる!
千明を死なせちゃだめ!!
無我夢中で部屋の扉を叩き開けた。
カチッ
部屋の電気の電源を入れた。いつも見ている部屋の風景がモノクロの絵画のよう に色褪せて見えた。いや、別に今さら悲しむことなんかじゃない。あいつが死んでることなんてとっくに呑み込んだ。それじゃない、俺がショックを受けているのは 。
ーーーそんな平気なわけないじゃん!!
君月の言葉が心の中でこだまする。俺だって平気じゃない。平気なわけがない。俺は俺が憎い。あのときに自分がしっかりと手を伸ばしてあいつをこっちに引き込んでいたらこんなことにはならなかったと、まだ自分自身が潰れそうなほど後悔している。でも潰れるわけにはいかない。今潰れたあいつはどうなる。あいつは川原で自問自答を繰り返していた。あいつは俺を唯一の自身の存在を確かめられるモノだと言っていた。そのことを本人は違うと否定していたが、俺はそれでもよかった 。俺をああして香乃と話していれば、生きている頃と変わらずにいられる・・・のか?
違うか、俺はやっぱり呑み込めていないんだ。だから、見えている香乃に縋っているだけなんだ。
自分勝手だな、俺は。
「・・・・・」
香乃はまだ一度も心から笑っていない。俺にはそう彼女が見えた。とりあえずは、あいつも助かっているようだし、いつかの恩もある。というよりも個人的にずっとああして話していられたらいいのにと思っている。
もちろんそれはダメなことだ。いつまでも過去に捕らわれていては前には進めない。乗り越えなくてはいけないんだ。そんなことわかっている。
「わかってるよ・・・でも、俺」
この間の川原で2人で撮った写真。メールに添付して香乃が送ってきたのを俺がプリントして写真立てに飾っているものだ。どういうわけか、あっさりと止んだ雨を忘たような、住宅で欠けた夕日が背景にあって薄暗い空をオレンジ色に染めている。その中で香乃は確かに微笑んでいた。
俺は昔から香乃が好きだった。姉貴の事故でそんな感情は忘れかけていたが、今までずっと変わらない。あの日、香乃の最後の日ももちろん好きだった。それだけじゃない。
あの日は、俺は告白しようと思っていた。
姉貴のことが落ち着き、改めて自分の周りを見渡すと香乃以外残っていなかった 。彼女はずっと俺のそばにいてくれたんだ。前々からわかっていたことだが、それでもとても嬉しい。好きじゃなかったとしてもあれは普通に惚れていただろう。優しくて不器用だからこそ、懲りずにいてくれたのかもしれないけど、俺はそんな彼女が愛しかった。
まったく俺も不幸な男だ。
なんて愚痴りたくもなるさ。
大好きな家族の1人を亡くし、そのショックになんとか立ち直って、告白しようとしたその日に、今度は恋した相手を失う。どんな悲劇(ムービー )だよ。神様に文句の一つでも言ってやりたいというのは今も変わってない。ぜひとも合ってみたいものだ。
そうやって、俺は今更わかりきったことを脳内で病的にループさせていた。
ピーンポーンッ
不意に自宅のインターフォンが俺を思考から現実に呼び戻した。
時刻は7時半ってところか、誰だろう。
今、家には俺しかいない。出るしかないだろう。
「はーい」
と、扉を開ける前に相手が威勢良く扉を突き飛ばした。そして相手はそのまま余った勢いで俺を突き抜けた。比喩ではない、本当に俺をすり抜けてそのまま床に豪快に倒れた。
「湊ぉ!」
本人の態度、声音から尋常じゃない事態だとすぐに理解できた。
「どうした」
「急いで、千明が!」
嫌な予感がした。直感なのか、それともさっき見た彼女の雰囲気でなのか、香乃がこれから何を言うか容易に想像できた。
「千明が死んじゃう!!」
香乃は今にも泣きそうな、崩れてしまいそうな形相で訴えた。
「さっきあの娘の家に走ってきたけど、まだ帰ってなくて。・・・どうしよ」
一瞬先に心の準備が出来ていたからなのだろう、俺の頭は存外早く機能しだした 。最終目標は君月の自殺を止める。香乃のためにも、本人のためにも。
「おい」
「えっ」
「遺書か何かがあるなら見せろ」
「湊・・・?」
「そんなのは後だ!今はとにかくあいつを探し出して止めるぞ」
いきなりの要求に少し固まっていたが、すぐに携帯を取り出して操作した後に「はいっ」と、画面を目の前に突きつけた。
そこには端的に今から死ぬと伝える文章があった。これだけでは情報が足らない。
「他にもメール届いているか?」
「うん」
「貸せ」
俺は香乃からひったくる様に携帯を取り上げた。
そして受信ボックスにあるメールを上からどんどん開いていき、千明のメールに 目を通す。間に合わなくなる前に急がないと。
ふと、ある文章に目が止まった。
『天国ってどこにあるんだろう、高いところかな?ウチも空を飛べたらそこへいけるかな?』
確かに、小さい頃は天国は雲の上にあるだとか信じていたが・・・。
ほとんど勘に近いものだったが、何故だか確信はあった。
「高い、ところ?」
後ろから香乃が携帯の画面を覗き見る。そう、高いどころ。
「香乃、なんかあいつが行きそうな高いところなんてわかるか?」
「・・・わからない」
彼女は申し訳なさそうに目を俯かせた。
後のメールにはそれらしいことは見つからなかった。となると、最有力候補は「高いところ」になる。考えろ、この地域で高校生が簡単に立ち入ることができて空に近いところ。高層ビルもあるにはあるが、一般の学生が理由もなしに行けるところじゃない。かといってこの辺りには廃ビルなんてものはない。じゃあどこなんだ ?そう、時間帯も重要だ。この時間に立ち入ることのできる高いところってだけでも相当絞れるはずだ。あくまで推理の範囲内だが、今の君月はなるべく高いところを選ぼうとするはず。どこだ、君月はどこにいる。どこに・・・。
「あっ!」
「なんだ?」
「学校・・・」
一瞬、なんのことかわからなかったが、なんとか俺の脳は情報を処理し切った。
そうだ、学校だ。四階建ての校舎なら充分に高いし、この時間なら遅くまでやっ ている部活とかでまだ校舎は閉まってない。さらに学校に学生が入っていっても止められもしないし、不自然でもない。なんなら忘れ物を取りに来たとかで簡単に入れるはずだ。うちの屋上は例外なく常時締め切りだが、あんあボロい校舎なんてその気になって、ちょっとした道具でも持っていれば女子でも簡単に出られる。それこそ例外なく。
「きっとそうだ。この辺だと屋上あるデパートとかないし、屋上はお気に入りだって!」
「決まりだな、行くぞ!」
「うん!」
そう言った直後に俺たちはまるでリハーサルをしっかりとしてきたかのように揃って走り始めた。目指すは通い慣れたうちの高校。
間に合え!!
この時期の夜の校舎は予想以上に暗くて気味が悪かった。日はほとんど沈んで 、いや、もうすっかり沈んでいる。真っ暗な上にボロボロの校舎、確か夏休みにここの 学校で肝試しとかもやったっけ。あのときは香乃はいなかったけど、それでもいい思い出かな。今度は香乃も一緒に遊びたいな。そんなこと言っても思ってももう手遅れだけど。
彼女はもうこの世にいない。
今となっては存在しないんだ。
でも、こ れから会いに行く。ウチも同じところに逝く。いや、1人の人を殺してしまったウチは1人の人を助けた彼女とは同じところになんて逝けないかも知れな い。きっと多分逝けないだろう。だからこれは賭けだ。もし願いが叶うならば、ウチは香乃に謝りたい。結果して地獄に落ちても構わない。どうしても香乃に会いたい。
「か、の・・・」
カツンッ、カツンッという音で淡々と階段を上る。こうして踏みしめて歩くと階段というのは存外と長い。中々最上階に辿り着かない。踊り場のプレートを見上げる、3とあるからあと少しのはずだ。
そう思った矢先、気がついたらもう屋上だった。ウチは相当疲れているらしい。 まあ、でもここまでこれば大した問題はない。金網を越えて、一歩空へと踏み出すだけだ。それできっと、香乃に会える。
「もうすぐ・・・」
それでも身体は軋んで悲鳴を上げながらそれを焦らそうとする。それもそうだ、ここ数日間ろくに食事もせずに毎晩泣いていたんだ。今のウチの姿がその表れじゃないか。
ゆっくりと、ゆっくりと、前へ、前へ、一歩ずつ、一歩ずつ、ただひたすらに、無我夢中になって進もうとする。きっとあの娘はウチを恨んでいたとしても「いい よ」なんて許してしまうかもしれない。いや正直に「嫌だ」と言ってウチを本気で軽蔑するかもしれない。でも今となってはあの娘の解答なんて問題じゃない。ウチはとにかく香乃に心から謝罪したい。今のウチにとってそれが目標で、それが全てだった。
ガシッと金網を掴むとそれは少しだけ揺れた。登っている間も少々不安定で少しだけ怖かった。これからここから飛び降りる人間がこんなので怖がっていてはと、なんとかよじ登る。もちろん恐怖もある。あるって表現じゃあ表しきれないほどに溢れている。死ぬのは怖い、けど死なないと香乃に会えない。あの娘に会うのがウチの最優先事項だ。ならば、行くしかない。それにこれは償いでもある、香乃を殺したのはウチなんだ。これだけ理由が有れば飛び降りるしかないだろう。
そう覚悟した。
そして生と死の境界と言う屋上の端に立ち尽くした。あとは、もう一歩先へと踏み出すだけだ。それだけで香乃に会える。
「今、行くね」
大きく深呼吸をする。身体が、全身が震えているのがはっきりとわかる。そんな弱音を吐く身体に鞭を打って、空を見上げた。最後は下なんか見ずにあの娘のいる 上を見て逝こう。来るときからそう決めていた。
「・・・よし」
一歩、前へ。
「千明ぃ!」
咄嗟にウチは出しかけていた一歩を戻した。
だって、聞こえた気がしたんだ。あの娘の声が。ウチの名前を呼ぶ香乃の声が。
一瞬にしてウチの心は自分の身体を突き破るくらいの期待と希望で一杯になった。香乃が、生きているかも知れないという、今までの人生の中でないほどの気持ちで一杯になった。
そして期待と緊張を込め、ゆっくりとした速さだが急いで、ウチは後ろを振り返った。
屋上の風はやたらに冷たかった。実際に外気温が低いのか、それとも俺が汗で濡れててそう感じるのかわからない、ただ確かなのは夥しい鳥肌が立ったことだ。
そして彼女小さな背中は視線のずっとずっと先に佇んでいた。
「君月!」
「千明ぃ!」
2人で同時に腹の底から声を張り上げた。瞬間、彼女の背中はビクンッと動いて 、一歩下がった。やがて少し間をおいて、柵の向こう側からゆっくりとこちらを向 いた。
まず初めに視界に映ったのは君月の希望に満ち溢れた瞳だった。だがしかし、それはすぐに冷たい絶望の眼へと変貌した。
「なんだ、あんたか」
目の前の君月は目を細めた。一体何を期待していたかは知らないが 、ひとまず一時的だが、止めることが出来た。
「・・・もしかして止めに来てくれたの?」
「あたりまえだ」
俺は荒く上がったままの息で答えた。
「悪いんだけど、帰ってくれないかな」
君月が俺達に身体も向け、お互いに対峙するような態勢になった。
「残念だけど、帰れないな」
彼女にしっかりと目を向けた。
「・・・優しんだね、雨宮ってさ」
「…」
そうでもない、と言い返そうを思ったが、咄嗟に口から出なかった。何故だか目の前の華奢な少女に強いデジャヴを感じた。
「でもね、ウチにはそんな言葉かけてもらう資格なんて、ないんだよ?」
弱々しく今にも消えてしまいそうなのに強い熱を持った言葉だった。彼女の罪悪感が目で見て取れるくらい鮮明に出ていて胸が苦しくなる。
「そんなことはない、お前は…」
「悪くないなんて言うの?」
君月の自虐的な声が遮った。
「あの日、買い物に誘ったのはウチ、道路に飛び出したのもウチ、香乃が庇ったのもウチなんだよ!ウチ以外の、一体誰が悪いって言うのさ!?」
「・・・っ!」
悲痛に顔を歪め、苦しそうに息を上げ、泣きながら彼女は叫んだ。自分のありったけの感情をぶちまけた。あの日から今まで溜め込んできたたくさんの想いを声にして叫んだ。獰猛で憎悪に歪んだ声音で。
少し前に感じだデジャヴの正体がこれだ。
これは、“かつての俺”だ。
ついこの間まで自分の罪悪感で潰れそうで、姉貴の死にとり憑かれていた俺なんだ。
そして、自分で背負い込んで償おうとしているかつての俺なんだ。
「君、月・・・」
「だからウチはあの娘に謝りたいの、死んであの娘に会いたいの!邪魔しないでよ !!」
「…」
君月はもう本当に死のうとしている。俺に、止められるだろうか。俺の、あいつの思いを伝えられるだろうか、あのときの香乃のように。いや、香乃を俺は超えないといけない。目の前の少女はあのときの俺よりも相当蝕まれている。
できるだろうか、俺なんかに。
姉貴の死に、気持ちに向き合えなかった俺。でも、放っておけない。違いはあれど、同じ境遇にある人を放ってはおけない。それに答えだって本当はずっとずっと昔からわかっていたんだ。どうしてもそれが出来なかっただけ で。それを今、口にするだけだ。
「・・・・君月、俺は」
俺は胸に不安をたくさん募らせながら、君月に言い聞かせるように、俺に言い聞かせるようにゆっくりと口を開けた。
「お前の言っていることは、あながち間違いではないと思う」
「えっ!?」
思わずウチは素っ頓狂な声を上げた。まさか肯定するとは思っていない。さすがに面食らっ てしまった。
「買い物に誘ったのも、道路に飛び出したのも、香乃が庇ったのもお前だ。お前の言ったことは間違いではないと思う」
「・・・だから、死にたいって言ってるじゃん!」
そう言うも、ウチも少しだけ焦っていた。早くしないと死ぬのが怖くて逃げてしまうそうで。かと言って、今ここでこの状況で飛び降りるのもできなかった。
「じゃあ、お前は何のためにそこから飛び降りるんだ?」
またもや耳を疑った。今度は声すら出なかった。
かなり突飛なことをいう人だ。香乃が好きな人は。それでも、混乱している様子などない。とても落ち着いていて真っ直ぐとウチを見ていた 。
「だからーーー
「あいつは親友が死んで喜ぶような人間じゃない!」
ウチの言葉を遮って雨宮は言い放った。
「あいつはな、どうしようもなく不器用なやつなんだよ。俺の姉貴が死んだとき、 何年も落ち込んいた俺みたいなヘタレをずって気にかけてくれる、大事なもののた めに命を懸けられる、そんな馬鹿なんだよ。馬鹿で、不器用で、後先考えないし、その上お人好しで、健気で、馬鹿みたいに優しい、そんな女の子だ!そんな奴がどうしてお前に死んでくれなんて言えるんだ!本当にあいつに償いをしたいんなら、死ぬなよ!!」
「・・・っ!?」
ハッとした。
確かにここに香乃がいたとして、優しい香乃なら私を止めるに違いない。
柵の向こうの彼はまるで自分に言い聞かせるように言葉を繋いだ。一生懸命に語った。咄嗟に言い返せなかった。声が出なかった。
でも。
「・・・あの娘はきっとウチを恨んでる!だから謝りたいの!ちゃんと会って謝罪したいの!赦してもらえなくてもいい!どんなに貶されても構わない!でも、あの娘に、香乃に私の気持ちを伝えなきゃいけないのぉ!だから、死なせてよぉ」
力なくウチは叫んだ。
「・・・きっと香乃はお前を恨んだりなんてしてない」
「何でそんなこと言い切れるの!だって、あれはーーー
「好きでもない奴に命を懸けようなんて思わねぇだろ」
「っ!?」
「結局、お前は自分自身のために死を選ぼうとしているんだ。
・・・違うか?」
ウチはその場に膝から崩れた。力が抜けて立っていられなかった。完全に見抜かれていた。ウチが目を背けてきた部分をしっかりと見透かされていた。そしてその通りだった。ウチにとっての本当の意味での友達の香乃はもう死んでしまった 。もうこの世にはいないんだ。知っていたし、わかっていた。ただ、その事実と向き合いたくないだけだった。だったら、あの娘のいる死の世界へ行きたかった、逃げたかった。
ゆっくりと彼はこっちに近づいてきた。でも、ウチにはもう抵抗する気力も精神力も残っていなかった。それでも、とウチは抵抗した。
「・・・・・でも、じゃあどうすればいいの?香乃がいなくなって、ウチ独りで、ウチはもう耐えられないのにどうしれば、いいの?」
「独りじゃない!」
彼はガシッと金網を掴み、ものすごい勢いで登りきってから、ウチの隣に飛び降りた。
そして、大きな手を差し出した。
「今は、俺がいる」
彼の表情は変わっていなかったが、それでも少しだけくだけた、感情の篭もった顔のような気がした。
「香乃のことが好きな俺たちだからこそ、あいつの分までしっかりと笑っていこうぜ。なっ?」
そのときだった。
ヒュゥーーーと静かに風が吹いて、背中に何か温かい感触が伝わった。背中だけじゃない、肩や首元にも、まるで後ろから誰かが抱きしめてくれているようなとても優しくて、とても温かい気持ち。
ウチは、そのときたしかに聞こえた。
“ごめんね、千明”
「・・・香、乃?」
“貴方をこんなに悲しませちゃった、本当にごめんね”
微かに耳に届いた声音は彼女のそれそのものだった。
「違うよ、謝るのは・・・・ウチの方だよ」
頬に熱いものが流れ、伝う。
“もちろん、死んじゃったことはものすごく辛いよ、でも私は千明が苦しんで泣いてることの方が辛いの。だから、笑ってよ、千明。いつもみたいに元気に、ねっ?”
やがて、風は吹き抜けて、何事もなかったかのように過ぎて行った。抱きしめてくれた温もりも、届けてくれた声ももう聞こえない。今のは、一体なんだったのだろうか。
幻覚?
幻聴?
だとしてもだ。
とても綺麗で優しい、まるで香乃が蘇ったよ うな幻覚だった。
「…」
ウチは彼の差し出された手をとった。その手は冬の寒さで冷たかったけど、どこか温かくて、大きくて、ゴツゴツしていて、人間味のある感触だった。
「…あり、がと」
そんな言葉は自然と口から零れていた。
タンッという乾いた音を立てて柵から内側へ飛び降りる。いつもならこれくらいで自分の足は悲鳴を上げたりはしないが、さすがに女の子1人を抱えたまま飛び降りるのはキツいようだ。
何にせよ、なんとか君月の自殺を止めることができた。
そして、しっかりと現実に向き合うことの大切さを理解した。今なら命を投げ出して大事なものを助けようとした姉貴や香乃の気持ちがわかる気がする。
あの事故、姉貴の死は確かに悪いのは俺だ。そのところはまだ変わっていない。でも、いつまでも背を向けて立ち止まることなんて出来ない。逆に背を向けたまま進むことだってできないんだ。人間はそんなに器用じゃない。前に進むにはしっかりとそれを向き合って前を向くしかないんだ。だって人間はそうやって前を向くことで成長していけるものだから。
俺が悪いという事実は変わらないけど、姉貴が俺を好いてくれてるからこそ、大切に思ってくれてるからこそ、助けてくれたという事実も変わらないんだ。だから 、俺も前を向いていればいい。姉貴の繋いでくれた命に感謝して。
ふっと誰かに呼ばれた気がして夜空を見上げた。億千の星々の中を煌く箒星が尾を引いて流れていった。
あんなところでずっと見ていたんだな、姉貴。
死んだって心配性なのは変わりゃしねぇ。
けど、今まで迷惑かけたな。
俺、もう少し頑張れる気がする。
だから、ありがとな。
「じゃあな、姉貴」
その言葉にそんなたくさんの意味を込めて、箒星を見届けた。
君月を抱きかかえ、屋上を後にした。余程疲れていたのか、それとも普通に体調不良か、君月はすぐに寝てしまった。いろいろと全力な奴だ。
とりあえず、自宅に運ぶか。きっとこいつの両親も心配してる。そして香乃も。
さっき、俺が君月に手を差し伸べたとき、いつの間にか移動していた香乃は君月を抱きしめていた。そして、何かを彼女に囁いていた。よく聞こえなかったが、とても優しくて柔らかい声だったのは覚えている。
でも、香乃は幽霊だ。彼女の声は伝わったのだろうか。
・・・きっと伝わったのだろう。俺はそう信じた。
「・・・香乃、そろそろ行くぞ」
俺はまだ屋上にいるであろう彼女の幽霊に声をかけた。
しかし、返事は返ってこない。
「おい、香乃?」
今度も返事がない。仕方なく、俺は入りかかった扉から顔を出す。
「香乃?」
呼びかけても見回しても、返事もなければ姿も見えない。背中に嫌な悪寒が駆け抜けた。
「香乃!?」
今度は校舎の中へ向けて声を出すも、虚しく反響して自身の声が返ってくるだけだ。いきなりの出来事に不安と焦燥で胸が苦しくなる。いったい香乃はどこへ行ったんだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます