Coming Out

私の家は雨宮の家のすぐ近くだ。徒歩で5分とかからない。本当に目と鼻の距離 である。

ピンポーン

傘を差しながらインターフォンを押した。

午後からの急な雨でここいら一帯はどしゃ降りとなっていた。傘を差していても10分にはずぶ濡れになってしまうくらいだ。変わりやすい天気に嫌気さえ覚える。

ガチャ

徐に扉が開かれる。中から中年層の女性が出てきた。当然私のよく知っている人だし、むこうも私のことをよく知っている。

「あらっ、香乃ちゃん。ひさしぶりね」

にこやかに迎えてくれた。

「はい、久しぶりですね。・・・えっと」

「そこだとびしょ濡れになっちゃうでしょ?あがっていきなよ」

太く肉つきのいい腕が私の腕をがっしりと掴んだ。

「えっ、べ、別に・・・」

「いいのよ、せっかく来てくれたんだもの。お茶でも飲んでって」

そのまま引きずられる様にずりずりと家の中に呑み込まれた。

木製の年季の入った壁や床、木造住宅独特の木の香り。広めの庭に全体的に和風な雰囲気を出しつつも普通に洋風なソファーが置いてある残念感と日本人らしさ。 何から何まで昔と変わっていない。懐かしい湊の家の感じだ。

「さあ、ゆっくりしていって頂戴」

少し説明が遅れたが、彼女は湊の母親だ。昔からよく湊たちと遊んでいたこともあり、当時から良くしてくれている優しいお母さんである。

にこにこと邪気のない笑顔で私を居間に座らせ、紅茶とお菓子を運んでくる湊ママ。

あ、私がミルクティーが好きなことまだ覚えててくれたんだ。少し感激だなと私も思わず表情を綻ばせた。

「あらあら、先にタオルのほうが必要かしらね」

紅茶とお菓子の乗ったお盆を置くとどしどしと走っていってすぐに大きな白色のバスタオルが与えられた。

「あ、ありがとうございます。タオルまで貸してもらって」

「いいのよ、気にしないで」

腕をぶんぶん振りながら照れくさそう言った。

この人も相変わらずなんだなと安堵の息を漏らした。この強引さも、見てて楽しくさせるこの感じも、何気ない優しさも昔のままだ。まあ、だからこそ少々強引でも無下にできないんだが。現に彼女は良かれと連れ込んだのだと思う。幼馴染の家でなかったらただの人攫いだろう。

まぁ、久しぶりにあったわけだし、たまにはいいかな。元々少しずれてる人だし ・・・こんなこと言っちゃ失礼か。

「中学のとき以来よね?うちに来たの」

やっと席に着いたと思いきや、間髪いれずに質問とお菓子の袋を破るのを同時に 行い始める。

「はい、随分と長い間顔も見せなくてすいません」

「いやいや、香乃ちゃんも大変だったでしょうに。おばさん心配したんだから」

と言いながらも口の中にお菓子を放り込む。そして流れ作業のように、すでに次の袋に手が伸びてる。

ここも昔と変わらないんだと思わず関心さえする。数年経っても湊ママのこの食い様はまったく変化していない。通りでまんまるなお腹も健在なわけだ。そういえば太ってる人って顔が潰れて怖い人相になっている人がたまにいるけど、この人がそうじゃないのはこっちとしてはかなりありがたいことだ。だってそうだと多分怖くて上手く話せない。

「・・・ところで湊は元気かしら?」

「えっ?」

不意に投げられた変化球に思わず手に持ったミルクティーを落としそうになった 。

「変な話よね、母親が息子のことを何もわからないなんて・・・」

琴さんとそっくりな目でしょんぼりと呟いた。

「あの子、あれから何も言ってくれないし、部屋に篭ってばっかだから・・・、心配になってね。学校でうまくやってるの?」

私は、言葉を失った。

なんて応えればいいのかわからなかった。ありのままを話すべきなのか、それとも心配させないように嘘をつくべきなのか。

「そう、そうなのね」

私の態度で察したようでそれ以上は追及されなかった。

「そ、そういえばその湊君はどこにいるんですか?」

「それがまだ帰ってきてないのよ」

心配そうにため息をつきながらそう答えた。もう少し明るい話題もあったろうに 、自分の会話のセンスに嫌気が差した。

「今日ね、琴の命日なのよ」

「えっ?」

またもや襲来した爆弾にまたもや固まる。

「こ、琴さんの・・・」

急いで部屋のカレンダーを探す。だが見つける前に湊ママが12月7日だと教 えてくれた。そう、忘れもしない、確かにあの日は12月7日だ。琴さんが事故 にあったあの日だ。

「で、でも琴さんの命日っていつも湊君早く帰ってくるんじゃないですか?毎年その日はすごい勢いで帰っていきますけど」

「うん、そうなのよ。なのに今日はぜんぜん帰ってこないし、電話しても出ないし 、どうしちゃったのかなって思ってね」

「・・・」

―ーーじゃあ、誰が悪いんだよ。

不意に昨日のあの言葉を思い出した。

悲しみと憎悪を込めた悲しい言葉。

急に身体の芯から、私の身体が震えだした。全身の身の毛が逆立ち、ガクガクと震える。自分でもよくわからないが、嫌な感じがした。

「あら、暖房弱かったかしら」

そう言いながらエアコンのリモコンを操作しだす。

そ、そんなんじゃない。なんだろ、何でか、湊がいなくなるかもしれない気がし て・・・。

でもそんな直接なお告げのようなものなんてない。それでも急に怖くなって、 寒気がして、心配になって、もう会えなくなる気がして。

あの言葉は彼の本心で、本気の言葉だった。自分が悪人だと本気で思っている言葉だった。昔からの頑固な彼の瞳だった。

考えて、考えるんだ私!

湊の気持ちになるんだ!

湊ならどうするか考えるんだ!

昨日の話で私は湊の心の傷を抉ってしまったのは間違いないんだ。

湊の心を読み取れ!

昔あんなに遊んだじゃないか!

あんなに笑いあったじゃないか!

私は出来る限りで頭をフル回転させた。彼ならどうするか、どこに向かうか、何をするかはもうわかっている。

「あの!」

私は勢い任せに立ち上がった。

「えっ?」

目をまんまるにして湊ママが目で追いかける。

「私、用事を思い出したので帰ります!」

返答を待つつもりなどない。私はすぐに走り出した。

「ちょ、ちょっと!香乃ちゃん!?」

証拠も確証もないが、確信はある。きっと湊は事故のあった橋にいる。琴さんの逝ってしまったあの場所にいる。

玄関まで猛ダッシュで駆け抜け、靴を蹴飛ばしそうな勢いで履き潰し、傘を掴み 、扉を突き破るつもりで開け、門の下を疾駆する。外はスコールだったがそれどこ ろではない。傘をバトンのように振りながら水溜りを踏みつけた。

走ったとにかく走った。陸上部にも勝つつもりで走った。間に合えと、間に合ってほしいと、絶対に間に合ってやると。


雨が降っていた。

冬の冷たい雨。河は雨で膨れ上がり茶色い水を奥へと奥へと流し送り込む濁流。 悲しみはやがて下へと、絶望へと下っていくように。

強い雨だ。水溜りに、地面にはねた雨水が他の音を掻き消す豪雨。悲しみに沈んだ心は周りを明かりも消灯し、見えなくなってしまうように。

そんな悲しみの渦の中、雨宮湊は傘もささずに立っていた。すぐ下で荒れ狂い、猛威を振るう激流をただ静かに見つめながら。

「雨宮・・・」

橋の上はそれくらい辛く、息も堪えないほど無残なものだった。

そう、それこそ、あの雨の日と同じように。

私が発した声でさえきっと彼にはまた届かない。それもあの日と同じように。

そうして私はまた泣くんだ。

でも、今度はそういうわけにはいかないんだ!

「雨宮ぁ!」

思いっきり、渾身の力を込めて叫んだ。それすらもすぐに残酷で無情な雨は上から塗り潰す。

だがーーー

「・・・森野木?」

下を見ていた彼の虚ろな瞳が私の胸を突き刺した。

「こんなところで何してる?」

冷たい静寂の中、彼はそっと告げた。「邪魔をしないでくれ」とその眼で訴えて いた。それほど怖くて威圧的な声だった。

以前の私ならこれだけで引き下がっていたのかもしれない。

「雨宮こそ、こんなところで何してるの!」

彼に負けじと、湊にしっかりと届くようにと叫んだ。

今度は怖気づいていられない。私は濡れた拳を力いっぱいに握った。

「・・・お前には関係ない」

「ないはずないよ!」

突き放そうとする彼の声音とそれに抗う私の尖り声。泣き出したい心に鞭を打って彼の目の前に対峙した。

「お前までも、俺なんかに関わることはない、帰ってくれ」

ゆっくりと湊なりの優しさを冷たく言い放った。

「雨宮だってそっちにいちゃダメ!そんなの許さない」

「なら許してもらわなくても結構だ」

なおも冷たく突き放し、揺らごうともしない。

悲しみに呑まれた橋。彼はとっくに覚悟を決めていた。

そっと天を仰ぐ。

そして下を覗く。

そのまま柵に手を掛け、前屈みになろうと身体を揺らした。

「ダメェ!」

気がつけば私は地面を蹴飛ばして自分でも驚くようなスピードで駆け出していた 。橋の下へと倒れる彼、私はその左手をがっしりと掴んだ。

「・・・離せ」

「嫌だ!」

私の震えた声が叫びついた。

「なんで、お前は俺を止めるんだ?俺はただ償いたいだけだ、お前が必死になって止める必要なんてーーー」

「違う!雨宮が死んだって償いになんてならない!そんなの琴さんのいない世界に 耐え切れなくなって逃げてるだけだ!」

「お、お前には関係ないだろ!」

的確に彼の傷に触れられ、表情を苦めた。

初めてだった。湊が感情を露にするのはあの日から今日まで一度もなかった。湊は、本気だった。湊は本気で死のうとしていた。

それを知ってなのか、それとも自然に出たのか、私はあっさりと古いダムのように決壊した。

「・・・じゃあ、残った私は、どうすればいいのよ」

「ーーーっ!?」

もう耐えられなかった、限界だった。私の中でずっと蹲っていた本心が弾けた。

「もう嫌なの、もうこれ以上大事な人を目の前で失いたくない!」

言いたいことなんて山ほどある。その事実は嘘じゃないし、間違っていない。でも本当に彼に伝えたいことはほんの一言だった。

「湊ぉ・・・一人にしないでよ」

力いっぱい私は訴えた。雨と涙でぐしょぐしょになった顔を湊に向けて。琴さん が死んだとき、私は人の死がここまで苦しいものだなんて初めて知った。大事な人がいない苦しみ、それはきっと湊も一緒なんだと思う。いや、きっと湊のほうが苦しいはずだ。

でも、もう独りは嫌なんだ。

だって、私は昔からずっと湊が好きだから。

私は雨宮湊に恋をしているから。

私は湊がどんなに優しいか知っているから。

私は湊がどんなに苦しかったか知っているから。

「・・・香乃」

彼はそっと私の名前を口にした。そのまましがみつく私を解く。

そして静かに抱きしめた。

「・・・ごめんな、香乃」

彼は少し湿った声でそう呟いた。雨の轟音に掻き消されそうなそんな声を私は決して逃がさなかった。

「本当に悪かったな」

「私こそ生意気言ってごめんね」


やがて私たちはぎこちない空気を保ちつつ、1つの傘に肩を並べたままゆっくりと歩いていた。まだ茶色く濁った川に沿って静かに道を進んだ。

あのあと、私は周りの雨にも負けないほど大泣きをしてしまった。高校生にもなって少し恥ずかしいが、今回くらいは多目に見てほしいものだ。そのつもりだったのか、湊は私が泣き止むまで、そっと抱きしめたままでいてくれた。こっちは 今になって考えると、少しどころかかなり恥ずかしいがとりあえず記憶の引き出しの奥にでも押し込んでおくことにした。じゃないと絶対に話せない。

あれほど降っていた豪雨はあっさりと勢いをなくし、今では周りの人がが傘を閉じ始めるくらいの強さでしかなかった。

それにしても本当に静かだ。まぁ、こんな大雨のあった川の付近、当然ながら周りには人がまったくいない。そんな喧騒のない道が余計に二人の気まずさを引き立てるのだった。だなんて言っている私も余裕がないわけで、今まで湊とどんなこと を話してきたかとかまるで出てこない。むこうもそうなのか、それともただ黙って いるだけなのかは知らないが、ほとんど言葉を発しない。自称コミュニケーション障害の私にこんなのどうしろって言うんだ。

そう肩を縮めた。

「森野木」

「は、ふぁい!」

「・・・なんだそりゃ」

いきなりの彼の問いかけに肩を飛び上がらせたものだから変な声が口から漏れ出 した。

「べ、別に。で、なにかな?」

正直、ただの恥ずかしい失敗なのでこれ以上は追求しないでほしい。

「・・・まぁいいや」

その言葉で救われました。

「お前はさ、いつも俺は悪くないって言ってくれるけど、なんでそう思ったんだ ?」

いつもみたいに表情を変えずに私にとんでもない質問をした。対する私のほうはその質問で目玉でも飛び出してしまうのではないかと思うほどギョッとした。別に疚しさがあるわけじゃないけど…。

「…雨宮自分を責めすぎだよって私は思うんだ。たしかに悪いのは雨宮でこうして 否定している私のほうが間違っているのかもしれないけど、それでも私は雨宮の味方でいたいんだ」

私は自分で思っているままを伝えた。

「なんで、そこまで…」

「…」

「なんで」、理由だなんてとっくに決まっている。

だって私、森野木香乃は雨宮湊のことが昔から好きだから。

私は湊に恋をしているから。

私は湊がどんなに優しいか知っているから。

私は、湊がどれだけ苦しかったか知っているから。

「…か、買い被り過ぎだよ。幼馴染みだからっていう簡単な理由。そうじゃなくても雨宮は私の大切な人なんだから当然だよ」

もしかしたら打ち明けるいいチャンスだったのかもしれない。でも私はそんなことを口にした。こんなときでも勇気を振り絞れない自分にまたもや嫌気が差した。

徐に雨宮のほうを覗き見ると、彼は目を丸くしてから小さくため息をついた。なんだか人を小馬鹿にしているようないやらしいため息だ。

「そうムスってしないでくれ。別に馬鹿にしているわけじゃない」

「それじゃあなにさ?」

そう問い詰めると彼はいつものような無機質な表情とは打って変わって少しだけ柔らかい顔になった。

「変に優しくて律儀なところ、森野木らしいなって思っただけだ。…ごめんな」

その瞬間、私は喉の奥で蹲っていた大きな何かがすとんっと落ちた感覚を覚えた 。彼は相変わらずに無表情のままだったけど、私には彼が少し笑っているようにも見えた。

「…違う、そこはありがとうって言うの」

私は少し調子に乗ってそんなことを言ってやった。私はそのすぐあとに来る「あ りがとう」の言葉が待ち遠して一秒さえ千秋に思えた。


12月のまだまだ上旬の週、12月8日。もう完全に冬の景色になりつつある静かな早朝の街並みを私は微笑みながら眺めていた。登校する時間まではまだ幾分余裕があるからこうして家の窓から眺めていた。

昨日、家に帰ったらお母さんが「お帰り、遅かったわね。あれ、どうしたの?そんな嬉しそうな顔をして」と出迎えてくれた。私はとりあえずなんでもないと答えて、お母さん手作りの晩御飯をおいしく頂いた。

そんなわけで昨日から私は外見だけですぐにわかるほど上機嫌だ。昨日の寝るときも修学旅行の前日のように目が冴えてよく眠れなかったものの、今は朝の冷たくて爽やかな空気を浴びて寝不足が嘘みたいに絶好調だ。こんなんで学校に行ったら千明あたりに何をニヤニヤしてるのかと、絶対訊かれるだろう。

そんな物思いに耽っていると、不意に勉強机の上に置いてある写真立てに目が行っ た。笑った私と少し驚いた表情の彼が写っている。昨日、帰り際についでということで一緒に撮ってもらったものだ。そしてそれを見るたびにニヤしまう。

私が上機嫌な理由はいうまでもない、長年罪悪感で潰れそうだった、幼馴染みであり、想い人の雨宮湊がつい昨日、少しではあったが確実に回復したからだ 。

あれならきっと彼が「笑ってくれる」のもそうは遅くはないかもしれない。きっ とすぐに笑ってくれる。そんな期待を胸に私は徐々に朝日で満たされる街を眺めるのだった。

教室に入ると待っていたかのように千明がすぐ私の席に現れた。ショートカット に少し黒目の大きい瞳に大きく緩んでいる口(いろんな意味で)いつも通りの君月千明だ。

「おはよ!」

「おはよう千明」

「・・・何かいいことあった?」

千明が隠してあったお菓子を見つけた子供のように無邪気な笑顔で問う。

「やっぱりわかる?」

「そりゃそんなに嬉しそうな顔してて悪いことあったなんて言わないでしょ?」

そういって二人で微笑んだ。やっぱり千明は憎めない親友だと私は思った。彼女が私の隣の席を借り、私に顔を向ける。

「そういえば、一昨日の結局どうなの?」

「一昨日?唐突になんのこと?」

「だーかーらー」

そこまで聞いてふと思い出す。そういえば千明に私が雨宮が好きなことバレたんだった!

「香乃があまーーー」

「大丈夫!うん大丈夫!今思い出したから!言わなくてもいいよ!!」

必死になって千明の口を押さえにかかる。それをスッとかわし、悪戯な笑みを浮かべた後で、すぐに近くの女子に話しかけに行った。

「ねぇねぇ、実はねーーー」

「わああああ!何やってんの!?」

また千明に飛び込むも華麗に避けられ、私は床に倒れる。その間にも言い終えたのか、後ろから「ええっ!そうだったの!?」という他の女子の声が聞こえた。

「ああ!もう!千明の馬鹿!!」

結局、いつも通りのいつもの日常がまた 今日も始まろうとしていた。


そして、今日という日が始まってしまった。


朝のホームルーム前のギリギリになって雨宮は教室にいつものように現れた。いつものように片手に本を持って読みながら。

「おはよう、雨宮」

「おう」

いつもみたく生返事だ。意識は完全に本の中に飛んでいってしまっているので今はどう話しかけてもきっとちゃんとした返事は返ってこないだろう。でも、不思議 と彼の表情は昨日よりも柔らかく見えた。そしてその表情にいつも以上にドキドキ すしている。周りのさっきの千明の話をきいた娘の視線などとおに忘れていた。このままこうして眺めているのもありかもと心の中で言ってからそれじゃあダメかと自分に言った。

ポンッ

雨宮が急に本を閉じた。

「お前な、そんなにじろじろ見られたら本読み難いだろ」

「え!?あ、ごめん」

「おおー、これは完全にそうですな」

たじろぐ私の横から千明が意地悪げな笑みで顎に手を添えている。

「本人に指摘されるまで見つめているなんて、これはーーー」

「あ、あう、うわわわああああああ!!!!」

何とか声を思いっきり上げて千明の声を覆い被せる。しかし、かえってクラスの みんなの注目を集めることとなり、視線がちょっと痛くて恥ずかしい。当事者の雨宮はすでに興味をなくし、読書に戻っていた。何だかいいのか悪いのかよくわからない朝だった。

「おーし、出席をとるぞ」

担任の介入により教室は放課のような盛り上がりをなくし、静かな教室に戻った 。そしていつものようにホームルームがあり、担任が無駄な長話をしてホームルームが終わってすぐに授業が始まる。授業は堅物で有名の数学の先生のせいか比較的静かでスムーズに進行した。放課までその白けた空気は続いた。

「はぁ」

「どうしたの?」

「千明のせいよ!」

「ごめん、ごめん。出来心だよ」

「ごめんで済むなら警察いらないよ!」

私は頬を膨らましながらわざとらしく憤慨した。それに対し千明はえへへっと歯を見せながら笑った。

放課になり、私の席に千明が機嫌よく歩いてきたところだった。私はというとさ っきの一件でとても険悪な空気を周りに放って怒っているアピールをしているつもりだったが、そんなに怒気は出ていなかったようで普通に話しかけられたのが少しショックだった。

「千明も相変わらずだね」

「でしょ?」

こんなお調子者だが、こういう千明も好きだからこの娘と友達やっているというところもある。前にも言ったかもしれないが私にはない千明の余裕に私は憧れてい る。

「そういえばさ・・・」

そんなことを思っていた矢先に千明が少し小さく弱々しい声になった。いきなり 今までないことが起こり、私は一瞬耳を疑った。

「昼休み、時間空いてるかな、」

「え?う、うん大丈夫だけど・・・」

いつも一緒にご飯食べてるじゃないと言い返そうと思ったが、そういうことでないことに気がついた。なんかこう、真剣なオーラのようなものを放っている。

「どうしたの?」

急に身体の芯から心配という感情がこみ上げてきた。

「・・・屋上で待ってるから」

そうとだけ言うと千明はそのまま席に席に戻って寝そべった。昼休みまで彼女の態勢は変わらなかった。


昼休み。

屋上付近のエリアは当然ながら閑散としていた。相変わらず埃を被っていて汚いどころではない。もう何と言うか、腐海と言っても過言ではない。・・・やっぱちょっと言い過ぎたかもしれない。

「もう千明いるのかな?」

千明は授業が終わると同時に消えるようにして教室からいなくなっていた。いつも賑やかな少女がこんなにも意気消沈では当然クラスでも話題になっていた。もちろんほとんどが心配の声だ、中には明日は雪が降るんじゃないかと皮肉めいたことを言っていたクラスメイトもいたけど…。

「・・・私も心配だな」

雪が降るかも、なんて皮肉でも案外当てはまるものだ。実際に今日の千明は異常なくらい静かだった。

そんなことを思いながら急いで階段を上がった。

屋上の前のフロアの窓にはすでに壊錠された窓が口を開けていた。もう千明は外で待っているらしい。

私は早まる鼓動を抑えながらそっと身を乗り出した。

ペロリッ

急に無防備になっているスカートに変な感触がーーー

「今日はピンクか、ウチの予想通りじゃんつまらん」

「へっ?」

何かがおかしいぞ。

頭が真っ白になった。

「さて、このままパンツも下ろしちゃいましょか」

「ちょ、ちょっとぉ!!!」

「それぇ!」

「このバカァァ!!!」

バキッ!

千明の顎に決まる踵。その勢いで彼女はどすんっと倒れてごちんっと後頭部を強打した。

「ってぇ!香乃、もっと手加減してよ!」

「うるさい!手加減できない状況作ったのはどっちよ!」

私は埃まみれになりながら勢いよく窓から抜け出した。そして抜けてから勢いが強すぎたことに気付いた。

私のヒップが千明の顔面の上を飛翔し、そのまま着陸態勢に入った。

「あっ」

「えっ」

当然ながら、自由落下は無慈悲にーーー

鈍く地響きと小さな悲鳴。

「ぎゃぁっ!?」

千明の顔をドロップした。


「ねぇ・・・」

「なに?」

「何でウチヒップドロップされたのさ」

少し不満げに千明は頬を膨らました。

「ご、ごめんね。そういうつもりはなかったの」

「ごめんで済んだら警察はいらないんでしょ?」

う、もしかして千明って結構根に持つタイプかな。

屋上の心地よい風に打たれながら私はしょんぼりとうな垂れた。

あのあと約5分くらいの間、千明は完全に失神したままだった。さすがに私も焦って色々と行動を試みたわけだ。だが、私の力では千明すらおぶれなかったし、起こそうにもまるで反応なし。仕方なく怒られるのを覚悟で教員を呼びにいこうとし たとき、ようやく千明が目を覚ましたという感じだ。それはそれでびっくりして階段から転げ落ちてしまった。だっていきなり起き出すんだもん、驚くよ。

「本当にごめんね、今度ジュースおごるから」

「それならいいけど♪」

「・・・」

相変わらず現金な少女だ。

ってそうじゃない。なんだかいつもみたいな流れですっかり忘れていた。そうだ 、私はさっきの千明の様子が気になって・・・。

「そ、それで、急に改まってどうしたの?」

心配で仕方ないと私は彼女の顔を覗き見る。すると千明は少し遠くを見据えた。 そう、目の前の青い空の遠くの雲をじっと・・・。

「・・・香乃、志望大学決めた?」

徐に彼女は腰を下ろした。私を千明に続いて座り込む。

「うん、決めたけど」

そっかと、千明は進めた。

「どこにしたの?」

「え、地元の私立目指そうかなって・・・、進路の相談?」

少し驚いた様子で私は言った。いつも呑気でお調子者で後先考えない娘だとばかり思っていたから進学でそこまで真剣に悩むなんて考えてなかった。

「うん、そうなんだ。ウチさ、今の学力だと先生に進学は難しいかもしれないって言われたんだよね。それでさ、とりあえず進学はしたいからさ、今更だけど行きたい大学決めようと思ったときに香乃と同じところだったらいいなってさ」

なるほど、確かに今の千明の成績では大学進学はかなり難しいだろう。でも理解できないとこがある。

「・・・なんでわざわざ私なんて追おうと思ったの?千明なら他にも友達たくさんいるのに」

そこだ。そこが理解できない。

沢山の人たちと仲良く接し接され、明るく元気な少女。それが私の千明のイメージだった。だからどうしても私に拘る理由がわからなかった。

そう言うと千明は少しハニんでから「香乃が、ウチの親友だからだよ」と言った 。

「えっ?」

そういう解答がくると思っていなかった私は隣で冬の寒風に揺られる友人を驚き見据えた。

「あれ、ウチ変なこと言った?」

「・・・いや、ちょっと、嬉しかったから」

そう言ってから二人ともが恥ずかしくなって顔を赤くしたまま気まずい沈黙が続 いた。女友達同士で何やってるんだと内心でツッコミ、それでも声をかける勇気がない自分に呆れかえった。

だから友達が少ないんだよ、私。

「・・・ウチね」

そんなことを考えているうちに千明が先に声を出していた。

「昔からさ、浮いていることは自分でも知ってた。周りの友達はウチが馬鹿やってて面白いからそのうち集まってきてくれるんだ。そういうのも悪くはないけどさ」

そうして千明が私のことをゆっくりと見つめた。

「香乃みたいにこういう真剣な話とか、悩みとかを話し合える“本当の意味での友達”がいなかったんだ。だから、お別れとか嫌で・・・」

それから彼女は自分の足元をしょんぼりと見て小さくため息をついた。

とりあえず千明の悩み事は大体理解できた。

つまりやっとできた親友の私(自分で言うと結構恥かしいけど)とこれからも一 緒にいたいが、今までろくに勉強していなかったので志望大学の差が相当開いてい て、とてもあと一年じゃ間に合わない。でも諦めきれない。という感じだろう。

たしかに私も千明のことは大好きだ。だから大学でも同じならそれはすっごく嬉 しい。現実はともかく、私たちの気持ちは固まっているんだ。

ならば話は簡単だ。

私は今のを直接言葉で(けど恥かしくて親友という言葉は使わなかった)彼女に伝えた。千明は大人しく、うんとだけ言った。

「それで、千明は諦めたくないんだよね?」

そう言うと千明は首を縦に振り、「そうだよ、でも・・・」と、口を噤んだ。

「じゃあ、一緒に頑張ろう!確かに千明はあんまり成績良くないかもしれないけど 、それでもまだ一年もあるでしょ?私も手伝うから」

すると千明は嬉しそうに表情を明るくした。しかし、すぐに戻って、

「でも、悪いよ。香乃だってこれから受験勉強とかやらないといけない時期になってきてるじゃん」

と手をパタパタと申し訳なさそうに慌て出した。

「いいよ、気にしなくて。教えることって自分の復習にもなるから私は問題ないよ 。それに、私だって千明と一緒に大学で楽しみたいもん」

気がつけば私は微笑んでいた。千明に向かって。千明本人も私が言い終えた後で 「そっか」と、いつもの表情に戻ってきた。

「あっ、やっと笑った!それでこそ千明だね」

そう私は言う。

「うるさいな、ウチはウチだっての」

と嬉しそうに2人でハイタッチを決めるのだった。


学校を出て、いつもの帰路につく。

私も千明もいつもと変わらない幸せな表情のまま喋っていた。こんな他愛のないこと、平和なことがやっぱり一番の幸せだなと感じる。昔の傷に今も苦しんでいる雨宮も昨日、ようやく生きた表情を見せてくれた。そして今日は友人の千明が本当の意味での親友となり、大学受験を一緒に頑張ると約束した。

昨日と今日ほど嬉しい日は今までにない。そしてこれからもこれよりも嬉しいことが待っていると考えると余計に明日が待ち遠しく思えた。雨宮も思い切って昔みたいに名前で呼んでみようかな・・・。

「そういえばさ」

「んっ?どうしたの?」

妙に嬉しそうに千明がこちらに振り向く。

「いろいろ考えてて忘れてたけど、明日は私の誕生日なんだ!」

「あっ!そういえば!」

今日は12月8日、明日は千明の17歳の誕生日だ。少し嫌な予感がした。

「だから、折角私達の友情を確かめ合ったばかりだし・・・今から明日のプレゼン ト買って!」

やっぱり!

「モチロン、ウチに選ばせてね」

私は「い、今からか~」と、苦笑しながらも財布の中身を思い出す。物によっては今月の残りのお小遣いを綺麗にもっていきそうだ。

「じゃあ!レッツゴー!!」

「とほほ・・・」

私はガッシリと腕を千明に掴まれ近くのデパートへ引っ張っていかれる。小さく ため息をつきながら。

「あれ?」

急に張り切って速足で進んでいた千明が止まる。思わず転びそうになりながら私は正面を見た。

そこに雨宮湊がいた。

「あ、雨宮」

「おう、君月と森野木」

彼は顔色変えず、平然とした無表情であいさつをする。ただ、いつもと違うのは目が死んでいない。それを確かめると私はホッとした。

「ちょうどよかった。森野木に用があって探してたところなんだ」

「えっ?」

そういうと彼は目の前まで近づいてきて持っていた鞄に手をいれ、何かを取り出した。これは、本?

「文庫本だね」

千明が少しニヤけた表情でやり取りを覗いていた。とりあえずスルーしてから、彼の手にある本を見てやる。白と薄い青色の紙のカバーに覆われている文庫本。それが何のために私に差し出されているのか理解できなかった。

「昨日言ってた俺のオススメの本だ。なくすなよ」

その抑揚のない言葉で昨日の本屋での出来事を思い出した。そういえば本を貸してくれるとか言っていた気がする。それをしっかりと覚えていて、それですぐ次の日に持ってきてくれる。彼の律儀さはまだ健在のそうだ。

「ありがとう、大事に読むね」

私はそっと本を受け取る。彼の掌の温もりがまだ少し残っていて少しだけ気持ちいい。

「じゃあ、俺はこれで」

さっと背を向けようと彼が脚を動かす。その瞬間、意外なところから声がした。

「ちょっと待った!」

大きな声で雨宮を止めたのは私の隣にいた千明だった。その声で雨宮はピタリと止まり、「どうかしたか?」と、振り返った。

「今から私たちと一緒にデパート行かない?」

「えっ!?」

思わず私のほうが驚きの声を上げた。

「これからか?」

「うん、それとも何か用事でもある?」

「・・・いや、ないな」

「じゃあ行こ!」

にこやかに雨宮の手を引っ張った。この強引さ、さすがの雨宮も私と千明の買い物に付き合う羽目になってしまった。


「おっ、もう着いたね」

無邪気に笑いながらはしゃぐ千明。ここまで来る道中のことだ。きっと湊も千明もお互いにお互いと今まで話したこともないはずだ。しかし、存外普通に会話が成り立てて、雨宮も今日ほど誰か と話した日はないんじゃないかと思うほど盛り上がっていた。それでも彼の表情が変化することは一切なかったが。そうやって2人で盛り上がっててくれたお蔭で私が変に緊張することもなかったのでとりあえずよかった。

「なあ」

と、不意に雨宮が小さな声でこっちに話しかけてきた。瞬間、鼓動がドクンッと 強くなる。

「へっ?なに?」

「君月っていつもあんな感じなのか?」

そう言われ、私は一度千明のほうを見る。彼女はすでに品物を見て考えるような仕種をしていた。

「まあ、いつもとそんな変わらないかな。でも今日は機嫌がいいと思うよ」

「何だよそれ」

そう言って彼は千明に興味を無くした。当人の彼女はまだはしゃぎながら私に買ってもらう誕生日プレゼントを選んでいる。

すると急に彼女はこっちに振り返り、拳に親指を立ててニコッと微笑むと華奢で細い足をもの凄い速さで動かせて店の奥のほうへと駆け出した。

「あっ!千明!」

そう呼ぶもすぐに彼女は見えなくなってしまった。あの身長で男子顔負けの運動能力を持つ千明、その能力はやはり尊敬に値するだろう。

「どうした?」

「なんか、千明が・・・」

だが、さすが生粋の問題児、突然自主的に行方不明とは恐れ入る。

走ってどこかへ行ってしまったと言い切ると雨宮は顔を上げ、キョロキョロと周りを見回す。私も同じように彼女を探す。そして私はすぐに諦める。あの速度であの体系を探すには見ているだけじゃ多分見つからない。こっちも動き回らないと探しようがないだろう。

「はぁ」

小さくため息を漏らす。

そういえば、千明は走っていく前に親指で「GOOD!」と、私に向けていたが あれは一体どういう意味なんだろう?

「・・・・・・あれ?」

「ん?どうした、見つけたか?」

「ごめん、なんでもない」

つい声に出てしまった。よく考えたら千明は私、森野木香乃が雨宮湊が好きだという事実を知っているんだ。もしかしたらさっきのサインは「ウチは邪魔しないように離れるから、がんばれ!」と、彼女が気を利かせてくれたのでは?

「ーーーッ」

気づいた瞬間、胸の奥に心地よい温かさを覚えた。同時に顔が熱くなるのを感じ た。

「・・・・ねぇ」

それらを何とか押し止め、雨宮に話しかけた。千明が作ってくれたチャンスなんだ。無駄にはしたくない!

「今度はどうした?」

彼は表情を変えずに返した。

「ここで、止まってても始まらないからさ・・・その、バラバラに探してもすれ違っちゃったり・・とかもするし、だから、その・・・・2人で、探そ?」

緊張しすぎだ。私。

「それならケータイ使えばいいだろ、そっちのほうが早い」

「えっ?」

予想外の答えに一瞬戸惑う。確かに実際に人探しならそっちのほうが早いけど・ ・・。

「えーと、ごめんね。私今日ケータイ持って来てないの。それにあの娘のアドレスだとかも覚えてないんだ」

もちろん大嘘だ。ケータイならポケットにしっかりと収まっている。よく考えるともしケータイが鳴ってしまえば即この言い訳がバレて怪しまれてしまう。

ど、どうしよう・・・。

「・・・・・」

雨宮が考えるような素振りをする。そういえば彼の成績は学年トップクラスと聞いたことがある。昔から頭の回転はよかったし、そんな雨宮だと、すぐに気づかれるかもしれない。

ドキドキ・・・ドキドキ・・・

鼓動が強く早くなるさらに顔が熱くなっていく。これはもう正直に「一緒に店内まわろう」、なんて言えばいいのだろうか?でもそんなこと恥かしくて死んでも言えない気がする。何かこの状況を打開するいい策はないものか。

「そっか、じゃあ2人で探すか」

「えっ?・・・あ、うん」

表情を変えないで彼はそう口にした。

もしかして雨宮って思ったよりも鈍いのかな?

それからなんとか2人で千明を探すことになった、というもののきっと彼女は隠 れながらこっちの様子を観察しているのだろう。それよりも私が思っていた以上に 千明の気が利くのが一番の驚きどころなのだが、それはこの際おいておこう。

雨宮との会話、こちらも予想以上に盛り上がった。昨日の件で彼もスッキリとしてくれたのだろうか?だったらとても嬉しいな。

「そういえばさ」

ふと会話が止まったとき、彼が気恥ずかしそうに口を開いた。

「昨日は、そのーーーありがとな」

ーーー瞬間。

ーーー私の中の何かが煌いた。

ーーー何か熱くこみ上げてくるものを感じられた。

私は昨日がんばって本当に良かったと心からそう思えた。

「ううん、お礼なんてとんでもないよ。私は友達として当然のことをしたまでだもん。気にしなくていいよ」

そっと雨宮のことを見上げた。昨日よりも数段と輝いている瞳、それが気恥ずかしそうにこっちの目と合わさらないように動いている。口ももじもじと何か言いたそうだ。ほんの少しだけ可愛いと思った。

「・・・ねぇ名前で呼んでいいかな?昔みたいに」

急に私はそんなことを言い出した。

「はっ?」

そう、私にはいつまでも苗字で呼び合うなんて耐えられなかった。例え恋人じゃ なくても幼馴染みという名のかつての親友にそんな他人行儀な状態なんて耐えられなかった。きっとだからなんだろう。

「私は昔みたいに、もっと話したいんだ。だから・・・・いいよね?」

私はそう言って再度彼を見上げた。今度は真剣な顔つきだった。

「・・・お前は、昔みたいに、なりたいのか?」

彼はそう言った。

「私は・・・・昔、以上が・・・」

そこで暴走しそうな私が一旦止まった。というよりも正常に戻った。

熱い。

身体の芯までものすごく熱い。きっと今の私は耳の先まで真っ赤になっているのだろう。そう考えると余計に恥かしくて悶えそうだった。

「・・・・・香乃」

「えっ?」

かなりあっさりとしていて逆に何が起こったのかわからなかった。

「だから、名前で呼んでほしんだろ?」

また彼の顔が火照っている。きっと彼も私と同様に気恥かしくて、照れくさくて悶えているのだろう。それでも・・・・とても嬉しかった。

「ありがと、湊」

「・・・そ、そういえばもうこんなところまで来ちまったな」

恥かし混れにそんなことを言った。確かに話しているうちにいつの間にかかなり奥まで来てしまった。ここまで来ると人通りもかなり少なくなる。現に私たちの周 りには誰もいないわけだ。

「そうだね、Uターンして戻ろうか」

「そうだな」

2人でもと来た道に振り返り、足を運ぼうとする。

ふと、私だけ足を止めた。

「んっ?」

続けて「どうした?」と、彼が言う。

今なら言える。

不意にそんな気になった。急に今しか言えないと直感的に思った。

「ねぇ、雨宮」

「おう」

彼は不思議そうに首を傾げながら答えた。

思い立ったなら全力でアタックするしかない、私は覚悟を決めた。

「私ね、実は・・・雨宮のことが、すーーーー」

しかしここで止まった。

「す?」

雨宮が聞き返す。

「す、す、すーーースウェーデンについてとても詳しいって聞いたんだ」

「いや、俺ヨーロッパはあまり好きじゃないな」

ち、違う!!何わけの分からないことを言っているんだ私は!

ついパニックを起こしちゃって変なことを口走った。頭を掻きむしりながら彼に謝ってから仕切りなおし、もう一度彼に言おうと挑戦する。

「じゃなくて、私は、雨宮がすーーーーーきやきが好物らしいんだけど、それは本 当?」

「まあ、嫌いじゃないな」

だから違う!!!

さっきみたいについ変な言葉が出てしまった。余計に混沌が頭をグルグルとおか しくさせた。

「違う違う!じゃなくてーーーー」

「お前どうしたんだよ」

相変わらず彼は首を傾げたままだ。さすがにこれ以上失敗できない。

「えーと、私は!雨宮がーーーー」

「おーい!」

不意の聞き慣れた声音に私の肩はビクンッと跳ね上がる。

「おう、君月」

このタイミングで千明が帰ってきたのだ。上った肩が下がらなかった。

「探したぞ、どこに行ってたんだ?」

「あはははっ!ごめんごめん、いろんな商品に目移りしちゃってさ」

彼女はいつもの調子だった。

「ねぇ」

彼が戻ろうと私たちに背を向けたところで私が声を潜める。

「何であのタイミングで戻ってくるの?」

自分でも驚くほど剣幕な声だった。

「だって、あのままだと変な奴で会話が終わっちゃいそうだったから」

「ぐっ・・・」

千明は千明なりのカバーをしてくれたんだ。確かにあのまま私が上手く言い切れた保証はない。それどころか自爆率の方が高かった。これは逆に感謝すべきなんだ。

こうして私たちは何だかスッキリしない形で帰ることとなった。ちなみに千明が選んだのは普通にコンビにでも売っているお菓子だった。

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