芳醇な血 4/5

 楽しそうに駆け回る雪を私は見失ってしまった。降る雪がさっきより少し強くなり、風も勢いをあげていた。

 彼女に「もうおうちに戻ろう」と言おうとした時には、彼女は私の確認できる所にはいなかった。きっと、はしゃぎながら、少し遠くへ行ってしまったに違いない。私はただ焦った。降り続ける雪の中で、笑顔のままはしゃいでいる雪を探した。


 雪は、すぐに見つける事ができた。本当にすぐ近くにいた。私たちの住むアパートのある路地から少し広い通りに出た、その場所で雪は倒れていた。路肩に乗用車が停まり、ハザードランプを焚いている。

 車は斜めに停まったままだった。私は自分の鼓動の早さについて行く事ができず、今にも心臓が口から飛び出してしまうのではないかと心配になるくらいに、真っ白な呼吸が繰り返された。


 遠目に見える彼女の倒れている雪の絨毯は、じんわりと赤く染まり、それは徐々に広がっていった。硬直していた自分に気付き、私は慌てて彼女の側に駆け寄り、彼女を抱いた。彼女の顔はとても奇麗なままで、その透明な肌も保たれたままだったけど、首は異様な方角を向き、頭からは大量に血液が溢れ出していた。私の着ていたベージュのダウンコートが一瞬にして赤く染まり、その場所に敷かれている絨毯も、とうに白である事なんて忘れていた。


 斜めに停められたままの乗用車から男性が慌てて降りてきて、

「きゅ、急に飛び出してきて……!雪で……全然止まれなくて……!」

男性は、ただそういった類いの事を繰り返し、繰り返し述べていた。私は小さな雪を抱いたまま、あてのない涙がひたすらに流れた。赤く染まった絨毯に落ち、その涙は一瞬にして、その中に溶け込んでしまっていた。


 雪の父だったその人とはそれから間もなくして別れた。別れる事になったきっかけ、それは雪の死に間違いはないけれど、別れを決定的なものにしたそれは、結局の所何だったのか分からない。

 雪を亡くしてから、私は生きる気力を失い、ただ呼吸を続けるだけの置物のようになった。一日中家に閉じこもり、口から言葉を発する事もなくなった。


 雪が降れば、震えたまま、部屋のもっと奥の方へ閉じこもった。その人はそんな私を案じ、いろいろと尽くしてくれていたけれど、私は彼に全く応える事がなかった。応える事ができなかった。彼は罪を自分の物と感じ、そして次第に彼自身も真っ暗な底の渦へ呑み込まれていったのだ。私たちはそれが最初から決まっていたかのように、離婚届に印をした。


酷く簡素に、簡潔に執り行われ、あっさりと私たち夫婦は別れ、個人の人へと戻ったのだ。

「……ごめん」

と最後に彼は言った。私は何も応える事ができなかった。


 結局私は何に対してこれまで塞ぎ込んでいるのか分からなかったし、事実、雪がもうこの世にいない事はどうしようもない現実だった。私は無言のまま、彼の前から去り、”もう一人の自分”として生きていこうと、小さな決心を胸に抱いていたのだ。

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