紅い花 2/3
『純白の花』
花瓶の悲しさに気付いた次の日、僕は花屋へと向かった。まだ同じ場所に置かれている寂しい花瓶に、何か一輪の花を挿してあげるためだった。花瓶は今もなお、表情と生きがいをなくしてしまったまま、僕の部屋で静かに息をしている。
仕事を終え、花屋へ向かう途中僕はまたあの女の子と出会った。あの時と同じ紅いワンピースを着た女の子に僕はすぐに気付いた。女の子の目と僕の目が合うと僕に駆けて寄ってきて、そして何も言わないまま一輪の紅い花を差し出した。
また、この女の子に会えるなんて思ってもいなかった。差し出された紅い花を受け取り、素直に「ありがとう」と言った。
「忘れないでほしいの」
女の子はとても小さな声で、でも強い言葉で僕にそう言って、また駆けて行ってしまった。”忘れないでほしい?”
そういえば、もしまた女の子に会える事があったら僕はこの花の名を聞こうと思っていたのだ。最初に花を貰ったあの日以降、いくつかの本を開きこの花の名を調べたのだけれど、それらの本にはこれと同じ花は載っていなかった。別に特殊な形の花ではないのに、その花はあえて誰かに隠されているように、すっぽりとそれらの本からは抜かれてしまっていた。だから僕は、結局この花の名を未だに知らない。
「これはあなたなの」
その言葉をまた思い出したのは、貰って帰った紅い花を花瓶に挿した時だ。置かれっぱなしになっていた花瓶の水を入れ替えてから、花を挿すと、殺風景だったこの部屋も一瞬にして明るく灯された。
女の子が言っていたその言葉を大して気にしてもいなかったけど、冷静に考えれば可笑しな話だった。見ず知らずの女の子に突然花を差し出され、「これはあなた」などと言うのだ。そのまま受け取ってしまう僕も僕だけど、可笑しいのは僕だけではないような気もする。
しかし、子供がいう事を一々真に受ける必要があるだろうか。僕はただ奇麗な花を受け取り、それを部屋に飾った。そして部屋がほんの少しだけ華やかになった、というその事実だけでもいいのではないだろうか。女の子だって、特に意味があって言っている訳じゃないかもしれない。考えれば考える程思考は一人歩きして、主軸とは違う、思いも寄らぬ方向に行ってしまうのは人間の悪い癖だと思う。
一輪の紅い花は部屋を明るく灯す。何度見ても、その紅はとても美しかった。
ただ、それだけでいいじゃないか。
二回目に貰ったその紅い花が枯れた頃。僕はまたあの女の子と会う事ができた。
女の子が真っ白なワンピースを着ていたためか、僕はその女の子があの時紅い花をくれた女の子とすぐに重なる事はなかったのだけれど、一輪の花を持ち、まるで僕を待っているかのように道ばたに佇むその姿は、紅いワンピースを着ていたあの女の子の風貌と何一つ変わらない。
その風貌はたしかにあの時の女の子とまるっきり同じなのに、それでも服の表情が違うだけで、女の子の雰囲気は随分と異なって見えた。女の子はまだ僕に気付いてないようだったから、今度は僕から女の子に声をかけた。
「あの。前に貰った花が枯れちゃったんだけど……」
僕の声に反応してぴくりと体を震わせた。そして女の子は僕を見てから、無言のまま一輪の花を差し出した。
「あれ?……紅い花じゃないんだね?」
女の子が持っていたその花は、奇麗な白い花だった。
「これでいいの」
女の子は小さな声でそう言ってから、また駆けていってしまった。
もし今、女の子と出会った日のように一面に雪景色の広がるような日だったら、僕はすぐに女の子の姿を見失っていたに違いない。その着ている真っ白なワンピースと雪が同化して、雪に溶け込んでいってしまうように女の子は僕の視界からすぐに姿を消しただろう。
でも今日は雪なんて降っていなかった。雨でもない、空には雲すらかかっていない。大きな月が煌々と夜空に浮かんでいるような日だった。
走り去る女の子の後ろ姿は、そんな夜の中でとてもよく目立つ。真っ白なワンピースが、真っ暗闇の中に吸い込まれていっていくようで、僕は少し不安な気持ちを隠せずにいた。
やがて僕の視界から消えてしまったその女の子はどこに行ってしまったのだろうか。
そんな思いを残しつつ家路に着いた。家に着くなり、貰ったばかりの白い花を花瓶に挿した。
こういう色を純白というのだろうか。僕は白い花を見つめながらぼんやりとそんな事を考えていた。純真無垢なその花は紅い花とはまた別の美しさを持っている。何も知らない清楚なその白い花は、以前飾られていた紅い花と同じで、僕の殺風景な部屋をとても明るく灯してくれた。
白い花の美しさに魅了される。その花に心を奪われたままぼんやりと眺めていると、家のベルが珍しく僕を呼んだ。
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