太陽が……


【修のターン】


 工事現場。深夜二時。


「おらぁ修! 早く持ってこい、殺すぞ!」


 工事現場責任者のゲンさんが激しい怒号を繰り出す。


「す、すいませーん! 今行きます」


 工事現場の深夜バイトを始めて今日で三か月が経過した。完全に夜型に身体をシフトして仕事にあたる……明日まで労働が続いていたら、きっと俺は過労死してしまっていただろう。

             ・・・


「おーっし、一○分休憩だー」


「「「「「「ちーっす」」」」」」


 やっと……お……わ……た……


「なんだ、修。お前、なんでこんなところで寝転んでんだ?」


 ゲンさんがため息をついて聞いてきた。


「う……動けないす」

「はぁ……三か月も経てば慣れるだろう普通。最後まで虚弱っぷり発揮しやがって。よっぽど軟弱に生きてきたんだよな今まで」


 容赦なく甘さを指摘され、情けない想いが拡がる。この人たちは毎日俺なんかよりも働いている。何ら異論を挟む余地がない。

 残りの力を何とか振り絞って、休憩室へ入った。


「ホレ……お疲れ」


 同僚で先輩の竜二先輩が机にコーヒーを置いてくれた。


「あ゛……あ゛り゛がどーござい゛ま゛ず」


 先輩の温かい心遣いに思わず、涙声になる。


「お、大げさな奴だなコーヒーぐらいで」


 めちゃめちゃ引いている先輩だが、これには理由がある。

 親父に殴られてから、家族から無視されている。普段怒らぬ親父が殴ったところなど見たことがなかったのか、母親も妹もわれ関せず状態。今、家族団欒の危機なのである。

 休学届を出す時も壮絶な修羅場であったが、親父が「勝手にしろ、金は出さん」と言い捨てて犬の散歩に出て行ったので、保護者印だけは押すことができた。かろうじて、飯は出してくれるが俺がいると気まずくなるので、自分の部屋で飯をこっそり食べている。正直、一刻も早く海外逃亡したい状態ではある。


「しっかし、初めて修が来たときは笑えたなぁ。いきなり土下座して『何も言わず雇ってください』だろ」


「……その節はどうもすいませんでした」


 思わず顔が真っ赤になった。

 最初はまともに深夜バイトを探していたが、三か月の臨時で素人を長時間雇ってくれるところは正直、なかった。面接時に何度も『甘い』、『阿呆』、『世間知らず』と罵倒されたことか。

 とうとう、最後のページになっていよいよ追い詰められてきた時思いついたのが土下座作戦だった。

 三件ほど、門前払いを食らったところで四件目に行き着いた先がここだった。

 ゲンさんは「取り合えず、飲みにいくぞー」と強引に俺を連れ出して居酒屋へ直行。一通り俺の話を聞いて爆笑した後、「よし。俺に任せろ」と言って雇ってくれた。それから、深夜の工事現場へ毎日呼んでくれて、緊急のヘルプなども俺を優先に紹介してくれていた。


 俺のような新参者でもゲンさんの知り合いと聞くとみんなよくしてくれる。辛くて死にそうなバイト生活だが、唯一いいことがあったとすればそんな魅力的な人物に会えたことだろう。


「でも、今時女のケツ追ってアメリカに行こうとする奴がいるとはなぁ」


 すでに芋焼酎で出来上がっているゲンさんが俺の肩をバンバン叩く。

 本当はオーストラリアなのだが、すでに彼の中ではアメリカらしい。


「いやぁ、本当に阿呆ですよね……自分でもわかってるんです」


「阿呆すぎだろ」「バカもいいとこだ」「ストーカーだろ」


 口々に容赦のない冷やかしが飛び交う。


「一言ぐらい……元気づけてくれてもいいじゃないですか!」


 そう反論して爆笑。すっかり、俺はこの親父どもの酒の肴となり下がった。


「まあ、阿呆ぐらいが面白くていいけどなぁ。若いんだ、阿呆なもんだろう。最近の若い奴は賢ぶってつまらん奴が多いから」


 そう言ってゲンさんは美味しそうに芋焼酎を飲む。

 ――本当に阿呆になれればどんなにいいか。

 思わずため息が出る。

 死ぬほど辛いが、今はこれぐらいでちょうどいい。動き続けていないと、動けなくなるからだ。

 女のケツ追っかけてワーキングホリデー。

 自分で聞いても『頭おかしいだろこいつ』とツッコミを入れざるを得ないようなキャッチフレーズ。それは、世間一般でもそうだろうし、当然里佳ちゃんも……


「……うわああああああああああああああ!」


「ど、どうした修?」


「や、闇に喰われそうになりました」


 そう答えて、またしても爆笑。

 バンバンと頬を叩いて自分に言い聞かせる。

 考えるな。結果は明日わかる。わかるんだ。里佳ちゃんから気持ち悪がられたら、もう会わないようにすればいい。それだけのことだ。今まで通り会わずに過ごせばいい。それだけだ。

 今はただ働け。牛馬のごとく。


「うーーっしっ、休憩終わり!みんな働けや」


ゲンさんが手を叩いて俺たちを休憩室から追い出す。

ああ……また、地獄が……



こうしてバイトに勤しんだ後でも、爆睡できるかと言えばそうではなく、この間に海外渡航準備も進めなくてはいけなかった。パスポートは、以前韓国へ行ったことがあるので問題なかったが留学エージェントにワーキングホリデーの手続きを進めてもらわなければいけなかった。


「フェリス学園で! ここは、譲れません」


「い、いやワーキングホリデーと言うのは学校で選ぶものではなくてですね、重要なのは、どんな所で働くかであって……」


「いえ、働き口は二の次です。とにかく、フェリス学園で。ここ一択なんです僕は」

「だからですねぇ……」


なーんという真面目にワーキングホリデーで飯を食っている人にとってカナリ失礼なやり取りをした。

 しばらく留学エージェントはワーキングホリデーの意義を説明してくれたが、やがてそれに意味がないと気づくと事務的に手続きを進めていった。


 その間、岳にも、犬上にも、他の誰にも相談しなかった。きっと、馬鹿にされる。そう思っていたし、実際のところ馬鹿にされるだろう。友のことを思っての助言でも、それがブレーキになるのならそれは聞きたくもなかった。


 馬鹿なのは、もうわかってる。わかってるんだから、もうこれ以上。

 その間、里佳ちゃんに何度もメールを送ろうとして、送れない毎日が続いた。

 深夜のバイトだから、終わる頃は早朝になる。こんな時間にメールなんかしたら迷惑だ。そんな風に自分に言い訳しながら。

「修、お前、ずっと携帯見てんな」休憩時間、ゲンさんが俺を眺めながらツッコむと、「まぁ……眺めてても何もないんですけどね」と、平静を装った。

彼女はメールを能動的にするタイプではない。そして、俺は彼女にメールを送っていないのだから彼女から来るなんてそんな。


「……変な奴だな。ワーキングホリデーで彼女を追っかける勇気はあんのに、メールする勇気はないんだから」


そんな風に言われて、『確かに』と結構それについて考えたことがあった。

 恐らく、防衛本能なんだろう。今、メールして返信が来なかったら、きっと俺はギブアップしてしまう。途中で、投げてしまう。この恋の結末は、そんな終わり方にはしたくない。

そんなことをゲンさんに告げると、


「お前は俺に似てるな」


 三回の離婚歴があり、未だ離婚訴訟が続いているゲンさんにそう言われた。

 ショックだった。


「いや、そんな似てるだなんて……」


「その向こう見ずで不器用な感じ。全くもって昔の俺と瓜二つだ」


 ってことはアレですか。俺はあんたみたいにいつかキャバ嬢に貢ぎまくって自己破産するって事ですか――なんてことは口が裂けても言えなかった。


「ははっ……」


 気がつけば、これ以上ないくらい乾いた笑いを浮かべていた。周りを見渡すと、みんな同じように俺に同情の目を浮かべていた。


「でも、修。お前は偉いよ。最初は、俺たちも面白がって応援してただけだが、今は違う。本気でお前の恋を応援したくなってるのよ、俺たち」


 周りを見渡すと、みんな同意したように頷いてくれる。


「みなさん……」


「いい女がいたら、全部賭けてモノにする。男なんて、それでいいんじゃねぇか? それで、ダメだったらよ……酒でも飲んで忘れりゃあいいじゃねぇか……それで、いいんじゃねぇか?」


 そう言って、ゲンさんは芋焼酎を一気に飲み干していた。


「……そうですね。ありがとうございます」


 そうだ……そうだよ。彼女が一緒にいたいかどうかはわからない。でも、俺は一緒にいたいんだ。その選択肢を作るために、俺は今、やりたいことをやっている。

 それで、俺の心は決まった。

 ただ、彼女が嫌がることはしない。彼女が嫌がったら、潔く身を引く覚悟も持とう。ここまで、好きにさせてくれた彼女だから。こんな俺の想いを『ありがとう』と返してくれたのだから。


 ただ一つ。もう一回。すべてを賭けた我儘を、どうか許してほしい。

 これで、最後にするから。




 とうとう最後のバイトが終了した。日にちは四月一日。エイプリルフール。とうとう、この日が来た。一年に一回。嘘をついてもいい日。嘘をついても、誰も傷つかない日。

 ふっ……太陽が……まぶしいぜ。


「修、お疲れさん」


 ゲンさんが芋焼酎を飲みながら俺の肩をたたく。震える手で、最後の日当を受け取った。


「それと、これ……」


 そう言って、ゲンさんは俺にもう一つ封筒をくれた。


「コレは……」


「少ないが、餞別だ。みんなからだ」


「ゲンさん……みんな……」


 思わず涙が出そうになるのを目いっぱい堪える。


「バカっ! 酒代程度だよ! 涙が出るほど入っちゃねぇよ」


 ゲンさんもみんなも、照れ笑いを浮かべている。


「本当に……ありがとうございます! こんな、俺のために」


 下げた頭が……戻せない。今、戻したら俺が泣いてる事が、バレてしまう。


「へっ……バカ野郎が。汗が……地面に、垂れてんじゃねえかよ。いいか! お前はお前の好きにやったらいい! 後悔すんじゃねぇぞ」


「……はい」


「ほれ、みんな行くぞー!」


「「「「「「「「「フレー! フレー! 橋場っ! フレーフレー橋場っ、フレーフレー橋場っ!」」」」」」」


 応援してくれる声に背中を押されて歩き出す。もう、俺の進路は止まることはない。工事中は、もう終わったのだ。

                ・・・

 午前十一時。

 出発まであと三日。準備は全て済ませた。いつでもオーストラリアに行ける状態。やることはあと一つ。あと、一つだけ。

 震える手で、携帯を手に取って着信を入れた。


「……はい」


「もしもし……橋場 修です」


 思わず、声が上ずる。


「……知ってます」


 久しぶりに聞く声だった。でも、少し楽しそうな声だと思うのは気のせいだろうか?


「あの、少し会えたらなって思うんですが、どうでしょうか?」


「……はい」


 心の中でガッツポーズを繰り出す。


「じゃあ、瀬戸市駅で……どうでしょうか?」


「……はい」


「では、一三時に……」


「あの……一四時でも、いいですか?」


「もちろん。では、お待ちしてます」


 そう言って、震える手で着信を切った。


「……よっしゃー! よっしゃあああい!」


 部屋で叫んで暴れていると、「修にい、うるさい!」と妹が壁を蹴ってきた……この妹、性格悪し。


作戦名

エイプリルフール大作戦


作 橋場 修


行動

里佳ちゃんにワーキングホリデーのことを伝える


 喜ばれた又はそんなに嫌じゃなさそうだった場合

→行って、猛アタック。


 嫌がられる又は何の表情も示さなかった(俺の動向などどうでもいい)場合

→『ウッソピョーン』と言ってごまかす。

 すでに日本にいれる状態ではない(行かなかったら確実に家族から殺される)から、オーストラリアへは行くが語学学校は登校拒否。酒を浴びるほど飲んで、働いて全て忘れることにする。


 この時のためのエイプリルフール。彼女が怖がることがないための措置。

 その場合は……ブラジルがいいな。地球反対側に行って「もう姿を現さない。安心して」なんてセリフをはけたら、俺は自分で自分を褒めてあげたい。

 ベッドの前に腰をおろして、深呼吸を一回。やれるだけのことは、全部やった。信じられないほど、気持ちはスッキリしている。自己満足とバカにされるかもしれないが、全力で頑張れば例えダメでも……きっと悔いはない。

                ・・・

いや、それは嘘だ。格好つけんな。多分、フラれればきっと後悔するのだろう。きっと、死ぬほど後悔するはずだ。

でも……後悔するなら、『しない』より『する』方を選びたい。選びたいんだ。


                ・・・


 時間だ。行こう。













 


 


 




 

 


 

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