マジギレ

【妻のターン】


 第3次夫婦会議


 チクタクチクタク……沈黙で時計の音がやけにうるさい。娘を寝かしつけて、夫と向かい合って食卓に座る。そして、完全に修ちゃんはだんまりを決め込んで腕組みをしている。


「……あっ、バナナでも食べる? 前の買い物で国産バナナ買っておい――」


「いらない」


 き、気まずい。いくらなんでも、ちょっとやりすぎであったか。


 4時間前、私が残した『殴られちゃうから』発言は花見の席に大きな波紋を呼んだらしい。女子社員はひそひそ噂話を始め、後輩は何とか場を盛り上げようと別の話題に空回り。仲のいい先輩は爆笑し、熱血上司の課長からは『愛について』の熱い説教をするという、まさしくカオス状態だったそうだ。


 そして、「修の家近いし、行ってみたらどうすか?」と提案した先輩がいたらしく、「うん……そうだな。現地現物。わが社のモットー忘れちゃいかん。愛のある家族かどうか、家庭見学だ」という熱血上司のノリで、会社の面々が家に乗り込む運びとなったそうだ。


「中々、楽しい職場で安心。よかったね」


「……」


 む、無視。辛い……


「だいたい……このメールはなんだ?」


 修ちゃんは私に携帯のメール文面を見せる。


               *


『件名 Re:今からいくから !


本文

ええ、急じゃん。聞いてないよー(@_@) 』


――――――――――――――――――


『おい、上司と先輩が家に行くから適当に用意しておいて。言っとくがお前のせいだからな。なんとか、自宅になるべく遠回りしながら、時間を稼ぐから。さすがに、お前もすっぴんじゃあ嫌だろうし、上司や先輩にもなるべく不快な想いはさせたくないという俺の気遣い無駄にすんじゃねぇぞ』


               *


「なんなんだ、この顔文字は。いったい、どんな気持ちだお前は」


 淡々とツッコむ修ちゃん。


「それは、その……やっばぁい準備しなきゃって」


「……一つ聞く。お前の準備ってなんだ?」


 こ、怖い。怖いよ修ちゃん。


            *


遡ること4時間前


 家に会社の人たちが到着した面々を出迎えようと玄関で待っていると、


「あの……ちょっと準備できてるか確認してきます」


 と修ちゃんが先に家に入ろうとする。


 こっちは準備万端だと言うのに。なんて周到な夫であろうか。


 ドアが開くと、


「あっ、おかえりなさーい♪」


 もちろん、満面の笑顔で夫を出迎えた。


「里佳っ……なんでお前顔に包帯巻いてんだー!」


 予想通りの反応。巻いた甲斐がありましたわー。


「おーい、早く開けてくれよ!」


 酔っぱらった課長らしき人の声が響く。


「ちょ、ちょっと待って下さいー! おい、シャレになんねぇよ頭おかしいのか。 もはや仕事クビになるレベルだぞそれ。とんだ暴力夫じゃねぇか俺は……もーちょっと! すぐに開けますからぁ!」


 ひそひそ声で私に言う。


「うーん、ちょっと頭痛くて」


「嘘つけ―! いやホントマジで勘弁してくれ! ローンどうすんだよ? 一生ヒラだよ? 降格だよ? クビになって路頭に迷うよ」


 なんて真面目な冗談の通じない夫なんだ。包帯なんて取れば、冗談だってみんな気づくだろうに。しかし、このまま包帯を取らなければ、本気で殴られる危険がある。


 仕方ない……


「修ちゃん、あたし欲しいバッグあるの」


「こ、この女……わかった、バッグでもなんでも買ってやるから早くその包帯を取れ!」


「はーい」


 これ以上なく必死な夫の説得に、渋々包帯を取った。


 私が外し終えたのを確認し、大きく胸を撫で下ろした修ちゃん。そして、待ちかねていた課長と先輩を家に招き入れた。


「いつも、夫がお世話になっております」


 そう深々と頭を下げた。秘技猫被り。どっからでもかかってきなさい。


「狭い我が家ですが、どうぞ」


 挨拶もひとしおに、修ちゃんが安堵した表情でリビングへと先導する。


 ……り、凛ちゃーん! その顔面の包帯何ーっ!?


 結局、夫婦で誤解を解くのに3時間かかった。


                *


「あの……言っておくけど凛ちゃんが包帯巻いてたのは、私がやったんじゃないからね。あの子、自分でやったんだからね」


「……なお悪いじゃねぇか」


 うっ……やぶへびだったか。確かにわが娘ながら、かなり冗談のわかる娘になってしまったと思う。


「うー、だから、何回も謝ってるでしょ! そんなにぷりぷりしてるとモテないゾ」


 極力可愛く言ったつもりだったが、相変わらず夫の視線は冷たい。


「もはや、女子社員の間ではDV夫と噂だよ」


 そ……それは悪いことをした。


「なあ、里佳。俺は怒ってるわけじゃないんだ。なんであんな事をするんだ?」


 夫が私の手を優しく握る。


 ――どうしよう……言いづらい。『面白いから』って言いづらい。 そもそもこんなことを口走ってしまうと、さすがに本物のDV夫にしてしまう危険がある。


「寂しかった……の」


 とりあえず、言って様子をうかがってみた。


「……そっか。確かに、お前に子育てだって任せきりにしてたもんな。俺も最近仕事ばっかりだったから……ごめんな」


 真面目。くそ真面目な夫、修ちゃん。


「いや、まあわかって貰えればいいのよ。あははは」


 さすがに少し罪悪感があり、思わず乾いた笑いになる。


「おい、里佳」


 そう言って修ちゃんは大きく腕を広げた。


 ――あっ、それ、好き。わーい。


 痛痛痛痛痛痛っ―――!


「ちょ……修ちゃん!」


 そこ腰じゃなくてこめかみですけどっ!?


「こーのバカ女がっ! 寂しいだぁ? 騙されるか、ほら喰らえ!」


 ぐあああっ―――! グーリグリの刑だ……は、謀られた。


「卑怯者ーっ! か弱い女性になんて真似……」


「お前がいつ何時何分か弱かったんだ言ってみろ!? ふははははっ、悪霊退散、悪霊退散、悪霊退散ー!」


「いだだだっ! は、話し合いましょう。交渉を要求する!」


「交渉? 片腹痛いわ断固戦じゃ! こうなりゃ実力行使あるのみ。ふはははははっ! ふはははははははっ!ふはははははははっ!」


 はわわわっ、夫に変なスイッチが入ってしまった。


 結局、この小競り合いは深夜遅くにまで及んだ。


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