愛情いっぱいのおにぎり
【夫のターン】
午前7時45分。 株式会社胡麻鉄製作所。自動車メーカーの下請会社で働いている。生産管理という仕事に従事して早3年、『管理』という言葉がすっかり嫌いになった今日この頃。
管理とはなんぞや。管理とは一体……ウゴゴゴゴゴゴ
出勤ボードの名札を退社から出勤に変え、自分の席に着席。
「おっ、ひろしじゃないか」
「……」
明らかに俺に向けられて放たれているその言葉を、『修という名前である』という理由で無視した。しかし、朝っぱらから意味不明でろくでもないことであろう予感は感じた。そして声の主が向かいの席に座るろくでもない中里先輩だということも。
「おい、ひろしー。聞いてんのかよ」
断じてそんなあだ名ではないが、先輩は立てねばなるまい。無視は一回までとは、企業戦士の宿業であろう。
「おはようございます……なんなんすか、そのひろしって」
朝っぱらということもあり、正直目障りだった。
「なんでもなーい」
「……」
ニヤニヤ。
だから、あんた彼女できねーんだよ、とは口が裂けても言えないが心の中ではそう罵倒してストレスを発散。
朝のラジオ体操、朝礼が終わり、いざ仕事モードと言うところで中里先輩が後ろから俺の肩をたたく。
「おい、猫。お前、その部品の発注済ませたか?」
!?
振り向くと、またしても先輩のニヤニヤ顔。そしてなぜか、招き猫のポーズを取っている。
さらなる嫌な予感が舞い降りた。
「な……なんで猫なんですか!」
「にゃんにゃん♪」
そう鳴きながら嬉しそうに『にゃんにゃん動画』を見せてくる。
「な、な、な、な――」
あまりに驚きすぎて開いた口がふさがらない。
「10万リツイートだって。お前、すっかり有名人だな」
「じゅ……あーのバーカー女!」
思わず大声が出てしまい、何事かと室中がこちらを見る。
「おい、修。サボってないでこの資料説明してくれ」
やべっ、課長だ。
「……し、失礼しました」
慌てて側に駆けよる。
「ほらっ、ここ。この部分よくわかんない。説明してくれ」
「は、はい。それはですね――」
・・・
「――以上で説明を終わります。いかがだったでしょうか?」
「にゃんにゃん♪」
……あーのー女、帰ったら覚えとけよー。
昼食。同僚の話によると、すでに俺のあだ名は『ひろし』か『猫』か「にゃんにゃん♪」だそうだ。
「でも、羨ましいじゃないか。楽しそうで」
「全然! 全然楽しくないです」
「嘘つけ。しかもあんなに綺麗な奥さんで。いや、俺あんな美人初めて見たもん」
「……ただの悪魔ですけどね。あんなもんは」
照れ隠しに悪態をつくが、先輩の意見には同意せざるを得ない。夫バカかと思われるかもだが、テレビでも里佳以上に綺麗な人を見たことがない。
「はいはい。幸せな家庭は、もうおなかいっぱいだよ。冗談くらいいいじゃないか。シャレだよ、シャレ」
絶賛独身貴族中里先輩としては半分冗談、半分羨望といったところだろうか。
「……あいつのはシャレのレベル超えてんですよ」
「でも、なんだかんだ弁当作ってくれてるんだろ?」
……そう言われると、少し弱いところだ。毎朝、欠かさずに里佳は弁当を作ってくれている。自分がどんなに育児に疲れていても、それだけは欠かしたことが無い。
「どう……なんですかねぇ」
そう照れ隠ししながら弁当箱を開けた。
『いつもお仕事お疲れさま! お昼もファイトだ―』
「……」
かわいいメッセージが添えられたカード。
「おっ……おにぎりに顔入ってるじゃん。可愛いー……くはないけど」
「……ノリスケっていう………らしいですよ」
あいつ……俺の分も……
――よしっ、許そう。
あんな妻だからしょうがない。あんな妻だから、こうやって思いもよらない嬉しさをくれる。苦労の元は全然とれないけれど。でも……それでも、毎日作ってくれる弁当に免じて。
この不格好なおにぎりに免じて。
・・・
砂糖じゃねぇかこのおにぎり!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます