log.20 戦闘



 首相官邸 対策本部


 官邸の対策本部に集まった閣僚の面々が見詰めるスクリーンには、『アサヒ』の船上が映し出されていた。映像は現在の『アサヒ』を衛星が撮影したもので、官邸の対策本部に生中継で送っていた。そして今正に、スクリーンには『アサヒ』の上空を旋回する海上保安庁のヘリコプターが、テロリストグループとの銃撃戦を繰り広げている最中だった。

 「始まりました」

 至って冷静な様子で告げる名塚に反して、他の閣僚たちは映像に対して固唾を呑んで見守るしかない。

 「船には人質がいる。本当に大丈夫なんですか?」

 野々村は人質に取られている乗員の安否が何より気がかりだった。この事態が起きて、初めて焦りを滲ませる野々村に、名塚は平然と答える。

 「安心してください、総理。彼らは優秀です。すぐに終わります」

 「私が聞いているのは、人質の安否です。あんなに堂々と攻撃を始めて、もしテロリストが逆行して人質に手を掛けるような事があれば……」

 「総理」

 今まで聞いた事もない名塚の声のトーンに、野々村は思わず言葉を止めた。

 「我が国はテロに屈しない。そう仰っていたのは、総理ご自身ではありませんか」

 先月起こった海外のテロに対し、国際会議の場で発した野々村の発言をここで取り上げた名塚の意図に、周囲の誰もが言葉を失う。

 「大丈夫です。我々は勝ちますよ、総理」

 その時、野々村が見た名塚の顔は、憔悴しきっているようにも見えた。



 船内にいる三島たちの行動開始に合わせて、巡視船『やしま』から夏目隊長率いるSSTの第一班がユーロコプターAS332L1に搭乗し、第二班、第三班がRHIB(複合艇)に分乗し海上から『アサヒ』に急行した。

 上空のユーロコプターが敵の注意を引き付けている間、第二班と第三班が乗ったRHIBが『アサヒ』に接近。船外から甲板に通ずる階段口に梯子を掛けながら艇を接舷させ、素早く飛び乗った。隊員たちが階段を昇って甲板に辿り着く前に、ユーロコプターに搭乗した夏目たちが上空から甲板にいる敵を狙撃。更に船橋ウイングにいる敵にも対処する。

 「ぐあ!」

 上空から的確な狙撃を受けたテロリストの一人が、苦痛の声を上げて倒れこむ。一方、甲板にいる彼らは飛び回るユーロコプターに翻弄され、まともな射撃も叶わなかった。銃弾は一発も掠める事はない。逆に彼らは上空から狙い撃ちにされた。

 「ぎゃあ!」

 「おい! 大丈夫か!?」

 撃たれた仲間の傍に駆け寄る。だが、彼は倒れた仲間を見て悲鳴を上げた。

 「う、うわあ! し、死んでる……」

 仲間は胸を撃たれ、明らかに絶命していた。カッと見開いた目は、完全に生気を失っている。仲間の死を目の当たりにした彼は、恐怖に震えながら上空にいる相手を見上げた。

 「畜生、マジで殺すのかよ……」

 つい最近まで会社員だった彼は、戦いで死ぬ人間を初めて目撃し衝撃を覚えていた。彼は自分の覚悟がただの思い上がりである事を思い知った。しかし、彼はテロリストである。デモに参加していた頃、警察官や海上保安官に盾突いても何もされなかったし、手を上げられても逃げ切る事は出来た。仲間が多勢の警察官に抑えつけられ拘束される光景は見た事があっても、殺されるような事はなかった。

 何をしても殺されはしない。そんな認識が彼を誤った方向へと後押しし、更なる勘違いを植え付けていた。

 「い、嫌だ。死にたくない!」

 彼は銃を放り出し、物陰に飛び込んだ。慌てていたせいで配管に頭を打ち、意識が朦朧とした。すぐ傍で火花が散っても、彼は苦痛に悶え、そして全身に恐怖を支配されつつあった。

 「ここから動いたら殺される……」

 物陰でガタガタと体を震わせていた時だった。彼は咄嗟に、視界の端で動いた何かに顔を向けた。

 ヘルメットにゴーグル、アサルトライフルを抱え、完全武装の隊員が、彼の目の前に突然現れた。

 「た、助け……がはッ!」

 「被疑者確保! 逮捕する!」

 物陰で震えるだけだった彼は、情け容赦なく突然現れた隊員に拘束された。

 海上から乗り込んできた隊員たちだった。彼らは甲板から移動を開始し、船橋へと向かった。

 船橋ウイングには二人のテロリストが上空、そして甲板に向かって弾丸の雨を降らせていた。甲板を移動していた隊員たちも、物陰に隠れながら応戦する。

 船橋からヘリに向かって放たれる銃弾。三人目が船橋から何かを担いで現れた。

 「船橋左舷ウイングに対空兵器!」

 船橋からの銃撃に対処していた隊員が、RPGと思しき兵器を担いだ敵を確認し大声で報告した。甲板上の敵を掃討していた夏目が、船橋の方に振り返る。確かにそこにはロケットランチャーを構えた敵がこちらを向いていた。

 あんな物まで持っていやがったか。

 次の瞬間、発射音と共に先端の弾頭が分離された。接近する弾頭を回避するために、機体が激しく揺れた。弾頭はユーロコプターの後方を掠める事もなく通り過ぎっていった。

 機体が態勢を整える間に、夏目はドットサイト越しに船橋ウイングに立つ敵を睨んだ。機体が激しく揺れる中、夏目はレンズの中心に表示されるドットをRPGを抱えた敵の上半身に合わせた。

 そのまま引き金を引いた事で、89式から射出された5.56mm弾が敵の心臓を貫いた。血しぶきを上げながら、撃たれた敵はぱたりと倒れこんだ。

 「降下用意!」

 甲板上から移動しながら応戦する隊員たちに敵への牽制を任せ、夏目はヘリからの降下を決断した。夏目に促された他の隊員も、それぞれの携行武器を抱えて降下する準備を整える。隊員の一人がファストロープをホイストフックの支点に装着した。

 このファストロープは長さ18m、直径は44mmという太いロープで、一本で数名の隊員が一度に降下する事が出来る。着地後は降下器とロープを外す必要が無いので、すぐに射撃体勢に移行する事が可能だった。

 「降下!」

 夏目の合図で、隊員たちが次々とロープを握り締めて降下を始める。最早、降下する隊員たちを狙う銃撃はなく、彼らは易々と船上に降り立つ事が出来た。

 隊員たちを降ろしたユーロコプターは、そのまま『アサヒ』の上空から退避した。国内最強の特殊部隊が、テロリストが占拠するタンカーに乗り込んだ瞬間だった。

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