log.19 開幕

 一方、厨房を占拠するグループの方にも注意を呼びかける連絡が行き渡っていた。だが交信を終えた直後、それを合図とするかのように厨房内に何かが落ちる音が響いた。

 三人のテロリストが音がした方に振り返った。そこには床に跳ね返ったおたまが転がっていた。

 一人が転がったおたまに近付き、それを拾おうと屈んだ時だった。

 屈んだ瞬間を狙い定めたかのように、一発の銃弾がおたまを拾おうとした一人の肩を貫いた。

 苦痛の声を上げながら倒れる仲間を見た他の二人が銃を構える。僅かに開いた扉の隙間に気付いた二人が、一斉に発砲を始めた。扉に無数の穴が開き、火花や生じた煙が舞い上がる。

 散々撃ち続けた後、シンと静まった扉から、相方にアイコンタクトを送る。もう一人が頷くと、彼は足を前に踏み出した。おそるおそる、穴が開いた扉に近付く。

 一息置いた後、思い切り扉を開け放ったが、そこには誰もいなかった。額から幾筋もの汗を垂らしながら、彼は銃を構えつつ辺りを見渡す。そんな彼に、容赦ない一発が襲い掛かった。

 太腿、そして右腕を撃たれ、自分たちが撃ち放った銃弾が転がった床に倒れた。また仲間が撃たれた光景を目撃した最後の一人が、人質の方に顔を向け、どこかにいる敵に大声で言い放った。

 「来るな! 人質を殺すぞ!」

 銃口を人質に向ける。しかしその手が、指と共に銃を手放した。

 飛び散る血しぶきと共に、銃が人質の目の前に転がり落ちる。二、三本の指がぼとぼとと落ち、辛うじて繋がってだらんと抉れた指が残る手を抱き締めた彼は、苦悶の表情を浮かべながら膝をついた。そしてその腕に容赦のない追撃が浴びせられ、彼は遂に先に倒れた仲間の後に続いた。

 血が散乱した厨房に踏み込む存在。大きなガタイをした岩泉が、ぬっと現れた。

 「無事ですか、皆さん」

 「岩泉さん、助かった……」

 床に倒れ指を失い嗚咽を漏らしているテロリストに見向きもせず、岩泉は人質となっていた乗員たちの傍に歩み寄った。そして拘束を解くと、岩泉はあらかじめ三人で決めた安全な場所に向かうよう乗員たちに指示した。

 「岩泉さん、貴方は……」

 「俺はまだ戦います」

 避難する乗員たちを見送ると、岩泉は無力化した敵を残して厨房を出た。




 船内の各所で戦闘が始まった頃、船橋もまた異変に気付いていた。正確には――

 「……始まったな」

 そう呟いた林蓮司は、ただ一人だけ状況を理解しているような素振りだった。

 「船尾との交信が途絶え、10分が経った。他の奴らとの連絡もできなくなっているのではないか?」

 「まさか。最後の連絡はたった2分前に……」

 言いながら、不安を隠し切れない様子で一人の男がトランシーバーを手に取った。だが、その顔がみるみる内に変わっていく。

 「……取れないんだな?」

 林蓮司の問いかけに、男は表情で答えるだけだった。

 「ほぼ同じ時間に機関にも異常が起こった。船長、主機が止まるのは大体いつ頃だ」

 「……おそらく、30分後には船が完全に止まる」

 船橋のモニターに記された機関の警報から、具志堅はエンジンが停止する時間を予測した。汐里も林蓮司たちと同じく、機関の異常は三島たちの仕業に違いないと気付いていた。

 「鹿児島には辿り着けないが、まぁいい。プランBに移行するまでだ」

 不敵な笑みを浮かべる林蓮司に、焦りなどは全く伺えない。その笑みが更に不気味さを際立たせる。汐里は嫌な予感を覚えていた。

 「鼠共が動き出した。直にここにも奴らが来るぞ」

 「だが、こっちには人質が居る。それに他の部屋と違って、ここは俺達が有利だ」

 「果たして、それはどうかな」

 「何……?」

 そんなやり取りを、汐里が見ていた時だった。汐里は何かが近付いてくる音を聞いた。そして外の方に視線を向けた途端、白い大きな塊が視界の端から飛び出してきた。

 激しいローター音を響かせながら、日の丸を機体の横に記したヘリコプターが『アサヒ』の船橋を横切るように通り過ぎて行った。


 「海上保安庁だ!」


 テロリストの誰かが叫んだ。すると、林蓮司と人質を見張る者を残し、二人の男がウイングの方へ銃を持って飛び出した。ヘリは甲板の上空を旋回する。ドアが開き、ヘリに乗っている人間の姿が見えた。黒い塊――武器だろう。それを『アサヒ』の船上に向かって構えた。「撃て!」と、汐里たちの傍にいたテロリストの手の内にあったトランシーバーから声が上がった。直後、銃声が鳴り響いた。

 「きゃあ!」

 すぐ近くから銃声が鳴り響いて、汐里は初めて悲鳴を上げた。船橋ウイングに飛び出した二人のテロリストが、ヘリに向かって銃撃していた。

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