log.18 思惑
万木は公安の人間の中でも、指折りの警察官だった。彼が担当した事件は悉く解決し、又、防止を行い、幾多も凶悪な事件を撲滅してきた。他人に言えないような事は山ほど経験したし、国家を救ったと言っても過言ではない功績も一度だけではなかった。
船酔いに苦しむ万木の姿からは誰も想像ができない程、彼は優秀な人材だった。
「何を見ているのですか?」
酔った万木を案じた都倉の配慮で、時々宛がわれた部屋で休んでいた万木は、様子を見に来た都倉に声を掛けられた。顔色を青くしたまま、万木が見ていたのはノートパソコンの画面だった。
「あいつらの犯行声明の動画ですか」
万木が見ていたのは、『アサヒ』をシージャックした『琉球の海』と名乗るテロリストグループが投稿した犯行声明の動画だった。長さは3分弱のもので、投稿からまだ12時間も経っていない内に、ランキングの上位に上がる程の膨大な再生数を稼いでいた。
「いやー、すごい数ですよねぇ。ゆーちゅーばーだったら、この動画だけで一儲けできちゃうんじゃないのかなぁ」
意外と呑気な台詞を吐く万木の調子に、都倉は苦笑いする。
「それだけ多くの人がこの動画を観たって事ですね」
昨今、インターネットの普及は人類社会にとって絶対的な神に等しいまでの価値と存在感を確立し、テロリストがSNSのアカウントを持つ時代だ。犯行声明は当たり前のようにインターネット上に投稿され、誰もが簡単に見る事ができる。
動画には閲覧した者が書き残したコメントもあった。膨大な再生数だけあって、多くの人が動画に対して各々の考えや言葉を書き残している。一番多いのが英語だが、その次に多いのは――
「……中国語ばかりですね」
そう、当事者たる日本人のコメントばかりかと思っていたが、実際は違っていた。
中国語の書き込みが余りに多かったのだ。
「貴方は何て書いてあるか、読めます?」
「……韓国語ならある程度わかるのですが、中国語はちょっと」
尋ねられた都倉は正直に返答した後、少し驚いたような表情で万木を見返した。
「もしかして、読めるんですか?」
「まぁねぇ」
万木は再び画面の方に視線を向ける。そして目を細め、その口から息を吐き出した。
「――うっぷ。この状態で漢字ばっか見ると、余計に気持ち悪い」
「む、無理はされない方が……」
「でもまぁ、私がこの動画を見ていた理由を説明するためにも、読んで差し上げる必要があるのですよ」
「?」
そう言って、万木は動画の下にずらりと並んだ中国語の一部を読み上げた。
支援琉球人!(琉球人を応援するぞ!)
百年前冲绳属于中国,那时地名叫琉球(今から百年前、沖縄は中国に属してて、琉球と呼んでいた)
冲绳是我们中国的(沖縄は我々、中国の物だ)
希望琉球人不要忘记自己不是日本人(琉球人は自分が日本人じゃないって事を忘れるな)
美国离开吧!(アメリカは出て行け!)
琉球独立万岁!!(琉球独立万歳!!)
英語や日本語、ほとんどの国の言葉はテロという暴力行為を批難するもの、又は人質の安否を気遣うものが大半だったが、中国語の書き込みには政治的な内容が半分を占めていた。
沖縄の独立を謳うテロリストに、多くの中国人ネットユーザーが共感、擁護している書き込み。
その書き込みに対し、他の国の者が、それより多くの同じ中国人が、批難するものもある。
コメント欄は荒れに荒れていた。
「これが、奴の狙いの一つかもしれない……」
「えっ?」
万木は応酬を繰り広げるコメント欄を指差した。
「奴は、こうなる事も狙っていたんじゃないかな。だとすると、既に奴の目的はもしかしたら半分近く達成された事になるかもしれない」
「どういう事ですか?」
「こいつはね、我が国への攻撃は、これが初めてじゃないんだよ」
驚愕する都倉の目の前で、万木は語り始める。
「4年前、俺は都内で行われた反政府デモをきっかけに、一人の男を見つけた。その男はデモの主催者を始め、何人もの関係者に背後から関わり、協力していた。奴は最初、留学生として日本に滞在していたが、捜査を進めていく内にある国の諜報機関と密接な関係にある疑いが浮上した」
それが動画にも映っている主犯格の男の事であるだろう事は、話を聞いていた都倉にもわかっていた。
「その男は度々、政府や米軍に対する反対運動に関わっていた。その男は、我が国の安全保障に関わるものに必ず出てくるという共通点があった」
その男の活動拠点は、主に東京と沖縄であり、安保関連法案や基地問題などの集会やデモにいつも参加していた。その中のあるデモで、公安が公務執行妨害で逮捕した数人からも、男の名が出たのだった。
「奴が日本の安全保障の確立を妨害する勢力の工作員である事は、その時点で我々は確信していた。我々は奴の監視を続け、注意深く探りを入れた。あと一歩の所で、みすみす逃がしてしまったが……」
「それで、その男とこのコメント欄に何の関係が?」
林蓮司の活動と、中国人の反応。この両者を結び付けるものとは。都倉は線と線が結び付くような感覚を覚え始めた。
「もしかして……」
「林連司の祖国は、今、国内が不安定な時期だ。国民の意識を逸らすために、何らかの行動を起こす可能性は我が国でも以前から指摘されていた」
中国国民にとって愛国心を刺激される元は、中国の太平洋進出への目論見にも一致する。将来の構想に向けたものというよりは、国民の意識を向けさせる意味合いの方が強いのもまた事実。
そして日本国内ではありもしない沖縄の独立という風潮を、さも存在し熱を帯びているかのように、沖縄への関心が強い中国国民に見せ付ける。
それこそが林連司の狙いであり、動画に対する中国人の反応がその象徴だ。
実際、中国でもテレビなどが既にトップニュースで報じており、林連司たちを完全に「沖縄の独立派」として伝えている。
「まさかこのような手段を打ってくるとは」
「しかし沖縄をダシに国民を煽るなんて……」
「沖縄というのは日本人が思う以上に、中国人の関心が高い場所さ。彼らは沖縄が自分たちのものだと本気で信じている」
この国は、そうやって勢力図を広げてきた。中国の自治区となっているウイグルやチベットなども歴史が物語っている。現在進行形で実力行使が現実化し継続中の南シナ海での問題を見てもわかる。
「船長さん、俺はここにいるけどね、陸では公安が今も走り回ってるよ。ただ走り回っているだけでない証拠に、さっき入った情報を教えよう」
白い歯を見せた万木の顔に、都倉は虚をつかれる思いだった。だが、すぐに納得したように意識が落ち着く。それはそうだ、公安の人間がここにいる理由を考えれば。つまり万木は陸とを繋ぐ中継役でもあるのだ。
「シージャックが世間に公表されたとほぼ同時に、国内でも幾つかの動きがあった。以前より要注意と認めた人間が、一斉に動き出した。我々はこの者たちを尾行、監視。可能となれば逮捕する用意も整えている」
国内に潜伏している敵工作員の情報だった。おそらく、いや確実に、林蓮司の仲間だろう。海と並行して、陸でも動き出した彼らの動向は、今は公安が見張っている。万木の言い方からだと、公安も本気でこの事態に動いているようだ。
「それと、これはとっておきの情報だぜ。……香港でも、動いた。過去に尖閣に上陸した事もある政治団体が、この事件に対し声明を出した。が、本題はその裏。密かに団体員が乗ったと思われる漁船団が出航準備に取り掛かっているようだ」
「―――!」
都倉は愕然とした。香港から漁船団が出航するという情報の中身に対してではない。
その情報を公安が掴んだという事象自体だ。
それは、気付かない方がおかしい。そう思う程、その情報は余りに彼らの手に余るものだった。
「万木さん。その情報は、どこから……」
都倉の質問の意図に気付いた万木が、意味深な笑みを浮かべる。
「動いているのは公安だけではない?」
「正解です。さすが、すぐ気付きましたね」
それはこれだけの事態という事だ。
動いているのは公安と海保だけではない。だとしても全く不思議ではない。
何せ一国の領土が狙われているのだから。
公安だけではない。もしかしたら――
「……これは非公式の情報ですので。口外はしないようお願いします」
万木は都倉にだけ教える旨を伝えてきた。都倉は約束し、万木の口からその言葉を聞いたが、然程驚きもしなかった。
「……自衛隊か」
最後の砦。領土を狙われ、彼らが動いていないはずがない。
「海では海保さん、陸では自衛隊の……正確には防衛省さんと協力しているのです」
「諜報部隊か」
そんな部隊があっても不思議ではない。世間に認知されていない部隊があったのは海保でも同じだ。SSTが世間に公表されたのもつい最近の話だ。
「我が国にも工作員がいたんだな」
「海外に行けない我々の代わりに、諜報員として訓練された自衛官が特定の国家に潜伏し活動。国内にいる我々公安と連携しています。香港からの情報は、そのルートから通って来ています」
その話が事実なら、事態は都倉の思う以上に大きいものだという事だ。おそらくこの現場にいる海上保安官、いや、官邸にいる政治家たちですら、都倉以上に事態の深刻さに気付いている者はいないのかもしれない。
もしこの事案が解決できなければ、いずれこの『現場』にも、最後の砦が出てくる事になるかもしれない。
それはつまり、国家間の対立に発展する意味を持つ。
「単なるシージャックじゃない。これは領土を巡った戦争だよ」
戦争。都倉は息を呑んだ。
「だが、どうしてこんな話を私に」
「貴方は信用できると、初めて会った時から思いました。それにこの現場で、本当の事の重大さを知る者が一人でもいた方が良いとこちらで判断したまでです」
この事案はSST主導と聞いた。もしかしたら夏目も知っているのかもしれない。
しかしその夏目は、もうすぐ敵国の工作員に乗っ取られた我が国の船に乗り込もうとしている。
今からでは確認しようがないが。
「(領土を巡った戦争……)」
最前線に立つ海上保安官として、都倉も尖閣の海で、国境線における日本が置かれた現状を目の当たりにした事がある。最近では尖閣専従部隊の編成が進められている。領土を狙われているという危機感が、現実味を帯びている表しなのだと、都倉は改めて実感した。
彼らは尖閣諸島だけでなく、沖縄すらも虎視眈々と狙っている。
そしてその彼らの狙いは、その段階として、今、踏みしめている最中なのだ。
―――沖縄が独立を望んでいる―――
まず、そのような動きがあると、国民に『印象付ける』だけで十分なのだ。
これまでの日本各地で報道されているデモや集会も、一度誇張してしまえば『印象』として彼らの意識に焼き付く。
あとはその『印象』を、『現実』にしてしまえば良い。
要は既成事実化を成し遂げれば、ようやく成功と言えるのだ。
「これはその前進だ」
「前進……」
「そしてその前進を止めるのが、我々の仕事だ」
その言葉を口にした万木と目が合った都倉は、我々の内に自分たち海上保安官も含まれているのだと実感した。その通りだと、都倉は頷いた。
「今、その仕事を確実にこなせるのは彼らSSTだ。彼らを信じよう」
「我々公安も陸で全力を注いでいる最中です。何か動きがあれば、そちらにもご報告しましょう」
「お願いします」
同じ国家を守る者として、都倉は目の前にいる男と同じ意を決する。敵の思惑が何であれ、沖縄を、日本を守るのが自分たちの使命だ。
その後、都倉が船橋に戻ると同時。状況が動いた。該船の行き脚が止まりつつあった。
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