log.17 行動開始

 船橋内に響いたその声は、今正に自分たちが追っている船から届いたものだった。誰もが固唾を呑んで見守る中、夏目が無線機を手に応答する。

 「夏目だ。そちらの状況はどうだ、三島」

 夏目の問いかけに、向こうはすぐに答えた。そのやり取りから、あの船には本当にSSTの隊員が既に乗り込んでいた事を思い知らされる。

 『船はテロリストの手に落ち、人質を取られています。申し訳ありません、隊長』

 「いや、よくやってくれた。三人とも無事なんだな?」

 『はい。負傷者もいません』

 「よし、ではお前達が得た情報を教えてくれ」

 「了解」

 三島と呼ばれた隊員が、出来るだけ知り得た情報を話し始める。敵の人数、人質の状況、敵が所有している武器、あらゆる情報を得ながら、夏目の周囲にいる者たちが『アサヒ』の図面を睨んだ。

 『敵は船橋、機関室、厨房に分かれ、それぞれの場所に人質も集めています。甲板にも両舷にそれぞれ四名ほどの見張りがいる模様。武器はAK系統のアサルトライフル、拳銃などを所持しています』

 「三島、こちらは船長がテロリストの仲間であるという疑いを持っているが、それは事実なのか」

 一拍の間が空いた後、重たそうに口を開いたような声が届いた。

 『……事実です。更に船長自身も武器を所持している可能性があります』

 「!」

 三島の声色には悔いるような色が含まれているように聞こえた。夏目はそれが気のせいではない事を知っていた。何故なら三島たちを船に送る直前から、その手の情報は得ていたからだ。まだ疑いの域を脱していない段階ではあったが、もっと警戒していればという思いが三島の胸に過っているのではないか。

 しかしそれは夏目も同じだった。この事態を防げなかったのは隊長である自分の責任だ。夏目は国内最強の特殊部隊の隊長として、その責任を果たす決意を込めた命令を発した。

 「三島、船を止めろ。俺達もその隙を乗じて、必ず船に乗り込む」

 その命令を聞いた誰もが固唾を呑んだ。たった三人で、船を止めるために戦えというのだ。人質がいる以上、強行に乗り込む事は非現実的だが、船を止められたとしてもその猶予は限りなく短い。全てが難しい任務だ。その先方を、船にいる三人が担う。だが、三島ははっきりと応えた。

 『了解です。隊長たちが来るのを、コーヒーを淹れて待ってます』

 だから、と三島の笑みが目に浮かぶかのような声が続く。

 『コーヒーが冷める前に、ちゃんと来てくださいよ』

 「当然だ。冷める前に、船も取り返す」

 ここに、SSTによるシージャック船停船からの強行突入ミッションが開始された。




 轟々と唸るエンジン音の煩さも、制御室内は完全に密閉されている事で静かだった。『アサヒ』の機関室の場合、普段は『音』もまた異常を確認する術の一つなので、航海運転中は扉を開けている事も多いが、今回ばかりは鍵まで掛かっている程に厳重だった。それはこの監視室を占拠した彼らの方針だったからだ。

 機関長を始めとした機関部の者は全員、制御室の隅に集められていた。全員、ロープや紐状の物で手足を拘束され、一か所に身を寄せ合うようにして固められている。

 そんな機関場乗員たちを見張るのが、二人のテロリストだった。二人とも鼻から下は布のようなもので顔を覆い、作業服に合うような質素な帽子を被っている。その手にはアサルトライフルがあり、常に乗員たちを脅していた。

 『……島袋、比嘉、応答しろ』

 一人が持っていたトランシーバーから発せられた呼び出しに、二人はすぐに応えた。

 「こちら機関室。どうした?」

 『お前たちに伝えたい事がある』

 連絡を取り合い始めた二人を余所に、乗員たちもこっそりと口を開く。彼らは二人に気付かれぬよう、小声で会話を始めていた。

 「あいつら、やっぱり日本人だな」

 「日本人にしても、変わった名前だ」

 「あれは沖縄の苗字だ」

 乗員たちの会話に、疑問に答えるような形で参加したのは機関長の貝塚だった。彼は長崎の出身だが、若い頃は漁師として沖縄近海まで出ていた事もあった。沖縄の漁師仲間も大勢いる貝塚には、彼らの苗字が沖縄に多い苗字である事がすぐにわかった。

 「なんか、あったんでしょうかね……?」

 「わからん」

 トランシーバーから呼び出しを受けた彼らは、連絡を取り合う度にその顔が深刻なものに変わっていくのを貝塚たちは見逃さなかった。何かがあった、それだけはわかった。

 『我那覇たちとの交信が途絶えた今、そっちも警戒しておけ』

 「了解した。もしもの時は……」

 『構わない。そうなれば、奴らの責任だ』

 不穏なものを感じた貝塚は、こちらを一瞥した二人の目を見た。その目には、容赦のない感情が見え隠れしていた。

 二人が銃を構え、貝塚たちの方に詰め寄った。近付く二人のテロリストから乗員たちを庇うように、貝塚は拘束された体を正面から向ける。その時、近付く彼らの肩越しに見えた制御盤のモニターが赤く光るのを貝塚は目撃した。

 直後、警報が監視室中に鳴り響いた。警報が鳴り響いた瞬間、二人のテロリストが飛び跳ねるように驚いた。赤いランプが点滅する制御盤のモニターには、英語で何かが書かれていた。

 「おい! 何が起こっている!」

 一人が狼狽し、怒鳴るように貝塚に詰め寄った。貝塚はその警報が何を意味するのかを知っていた。


 LO圧力低下。モニターにはそう表示されていた。


 主機のLO圧力が低下し、警報が作動したのだ。

 だが、貝塚が答えるまでもなく、状況は更に変貌を遂げた。警報が鳴り響く中、混乱する二人のテロリストの背後から、どこからともなく誰かが舞い降りるように現れた。彼らはそれに気付くのが遅すぎた。あっという間に、彼らは突然現れた侵入者によってその身を床に倒す羽目になった。

 まず一人目が背後から羽交い絞めにされ、一瞬で倒された後に喉もとを突かれて気絶した。一人目が倒された事で侵入者に気付いた二人目が、慌てて銃口を向けるも、その動作は正に素人そのものであった。銃を持って同じ素人である乗員たちを脅せても、本物のプロには一切効果がなかった。侵入者に正面から突っ込まれた二人目は、そのままされるがままに無様に意識と体を飛ばされた。侵入者の膝の下で、二人目もまた白目をむいて気を失っていた。

 早過ぎる時間の流れの中で多くの事が起き過ぎてしまい、呆然としていた乗員たちの前で、あれだけの動作をやってのけた侵入者は息も切らさぬまま、頼もしいその顔を向けた。

 「大丈夫ですか、皆さん」

 「あ、吾妻さん!」

 この一ヶ月間、航海を共にしてきた海上保安官の吾妻だった。武装した彼の姿に、乗員たちは助けられた事も相まって感銘を受けていた。中には涙を流す者もおり、警報が鳴り響く制御室に、安堵の空気が流れた。

 「どこも怪我はありませんか」

 「ありがとう、助かった」

 「いえ、我々が不甲斐ないばかりに皆さんにこのような思いをさせてしまって。本当に申し訳ないです」

 「何を言っているのです、吾妻さん。我々をこうして救ってくださったじゃありませんか」

 誰もかれもが、吾妻に感謝していた。命の危険から救われた彼らは「テリマカシ」「ドンノバーット」、それぞれの母国語で無意識に、吾妻に礼を述べていた。その中で「アリガトゴザイマス」と、日本語で礼を口にした一番若いバングラデシュ人の青年の言葉が、吾妻の耳に深い印象を植え付けた。

 「この警報は、吾妻さんが?」

 「主機の潤滑油系統にちょっと細工をしまして」

 主機を始めとする油や水の配管系統を、吾妻はこの短期間で熟知していた。ただ一ヶ月間、クルージングを楽しんでいたわけではない。吾妻たちシップガードの面々は、この航海の間に乗員たちに負けない程、この船の事を知り尽くしていた。

 吾妻が施錠された制御室に突然現れたのも、緊急避難用の経路を利用したからだった。テロリスト側も知らない経路を辿り、吾妻はこの制御室内に侵入したのだ。

 「しかしこのままでは、エンジンが止まります」

 「それも狙いです。この船を乗っ取った敵は、鹿児島に向かうつもりです」

 吾妻の発言に驚きの声を上げる乗員たち。更に吾妻はもうすぐこの船に応援が駆け付けるという情報も伝えた。

 「敵の目的を阻止するためにも、この船を止める必要があります」

 「だが吾妻さん、他の皆は大丈夫なんですか?」

 貝塚はその事ばかりが気がかりだった。船橋には、自分の娘と歳が近い航海士もいる。この警報は船橋にも伝わっている事だろう。そして、船橋にはおそらく船長もいる。警報の意味を、テロリスト側も気付いたはずだ。

 「最善を尽くします」

 吾妻はそれだけしか答えなかった。だが、何故かその言葉を信じたいと思う貝塚たちだった。

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