log.16 駒
反対デモというのは二種類ある。ただ声を上げて行進するデモと、言葉を越えて暴力に発展するデモだ。後者に至っては、それはデモと言えるのか?という意見も出るが、それもまたデモという枠組に収まるべくして収まるものだ。何故なら暴力もまた言葉であり、訴えなのだ。第二次大戦が終結し、戦後の教育と政策が曖昧な定義の民主主義を国民に与えてしまった時点から、その民主主義の典型であるデモもまた曖昧なものとして浸透してしまった。
この地は特に現代でも有数のデモの酒場だ。地元の者だけでなく、外から来た者も大勢デモをする。正に彼らの酒場がこの地、沖縄だ。しかし地元だとか、外だとか、そんなものは関係ない。ここはデモをする者たちの聖なる酒場。境界線などない。デモをする者は等しくこの地の住民だ。
酒場には集団の中からテンションを高くして声を荒げる者は一人くらいいる。そいつは幹事とも言うべきだ。とにかくリーダーみたいな奴が当然いるのだ。
男は拡声器を持って演説台の上に立っていた。周囲には演説を聞こうと、似たような装備を身に纏った市民が集まり、更にその周りには警察の車両や警察官がデモの警備と称してその光景を見守っていた。
「日本政府、防衛省、沖縄防衛局は、沖縄民衆の圧倒的民意を無視し、ボーリング調査に着手し海上作業を強行している。このような暴挙が、許されるもののはずがない!」
拡声器から声を上げる男の背後には、『辺野古移設工事反対』『埋め立てを許さない!』などと書かれた横断幕が中年男性と女性の手で掲げられていた。右手に拡声器、左手に演説の内容が書かれているのだろうメモ張というバランスは、滑稽などとは以ての外、むしろ勇ましささえ覚える。
「ボーリング調査のために、仮設桟橋と称しながら本格的な突堤を建設しようとして、貴重な珊瑚の破壊を続けている。そしてこれ程までの工事は『仮設』という域をとうに越え、事実上の埋め立て工事に他ならないのである!」
男の声に同調するように、聴衆たちの「そうだ、そうだ」という同意の声が上がる。それが止むのを見計らってから、男は再びメモ帳を一瞥し、拡声器に唾を吐く。
「辺野古では新基地建設に反対しようと非暴力で抗議する市民に対して、陸では警察の機動隊が、海では海上保安官たちが排除と弾圧を繰り返し、けが人も出ている! これは明らかな非人道的行為だ!」
演説はいよいよヒートアップの段階に達し、聴衆たちがシュプレヒコールを上げる。演説をしていた男が警察の背後にある工事現場に向かって声を上げると、他の聴衆たちも同じ言葉で声を上げる。
その中で、彼は一人だけ不満げに足を着けていた。シュプレヒコールを上げる周囲の連中に正気を疑うような眼差しで眺めた。こいつらは何しに来たんだと、彼は本気でそう考えていた。
沖縄県民による革命の時だ、と今は演説台に立っている教授に誘われて来てみれば、やっている事はただののど自慢大会じゃないか。
こいつらのやっている事は何とも滑稽で。いい年をした大人が、年季が入った老人が、まるで幼児のように座り込んで、自分達よりずっと年下の警察官に引きずり出される様は正に滑稽という名の権化だ。所詮、こいつらの脳味噌で思いつく抵抗とはこの程度なのだ。
琉球大の三年生である
地元の若者としても希少な存在である我那覇を、反対デモの主催者である教授が目を付けたのが半月前。教授は独自で沖縄のために働く我那覇に感銘を受け、「君こそが将来の琉球に必要な人材だ」と絶賛し、彼を自分の主催する反対デモに誘った。「沖縄県民による革命」と謳った教授に、我那覇は付いてきてみたが――我那覇の評価は「凡庸にも値しない」というものだった。
我那覇の性格を狙って「革命」という言い方を選んだとわかる教授の安直さに、我那覇は呆れを覚えていた。教授は何もわかっていない。所詮、この男もまた他の日和見主義者と変わらない。真に沖縄を自立させるには、こんな生温い事では駄目だ。
もうあの男と関わる事は二度とないだろう。我那覇がその場を立ち去ろうと聴衆たちの輪から抜け出した途端、唐突に声を掛けられた。
「我那覇透くんだね?」
「?」
群衆から抜け出した我那覇に声を掛けたのは、帽子を被った背の高い男だった。鍔の下から覗く細い瞳が、不思議とその瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えさせる。
だから完全に意識を捉えられた。
「誰だ、あんた」
「私は林蓮司という者だ。君と話がしたい」
見るからに怪しい男だったが、我那覇はその男から自分に近い匂いを感じ取った。この男は、もしかするかもしれない。我那覇は二つ返事で了承した。
それが、林蓮司との出会いだった。彼は真の革命に関わる機会を与えてくれた。昨今のデモなどでは満足できず、より過激な反対運動、独立運動を望んでいた我那覇に、林蓮司は接触を持った。
そして今、彼は鹿児島に向かうタンカーの船上にいた―――
「この船が鹿児島に着いた時、沖縄独立の第一歩になるのか」
大きなウインチがある船尾で見張りをしていた我那覇は、AK-74USを抱えながら貧乏ゆすりをしていた。その口端は吊り上がり、まるで遠足を楽しみにしている子供のように落ち着かない様子だった。
我那覇の目の前には、後方から『アサヒ』を追う海保の巡視船艇の姿があった。辺野古の海で抗議に参加する民衆を弾圧、排除する海上保安庁の船がただ自分達を追いかけている事しか出来ない。
良い気味だ。お前たちはそこで大人しく、この船が鹿児島湾に入港するのをただ眺めているが良い。
その時は、お前たちの敗北だ。
沖縄人民の積年の恨みを、もうすぐ、純粋な沖縄人である自分が晴らすのだ。
その時が訪れる瞬間が楽しみで仕方がない。
今までデモや集会などという生温いものは飽き飽きしていた。歴史上に記される、歴代の独立活動家のように、もっとドデカい事をしなければ意味がない。
大学を中退し家族とも離れてまで林蓮司に付いてきた我那覇という青年は、一種の快楽的ニヒリズムを抱いた男でもあった。沖縄の独立という自らの主張、理念、そして過激な思想と共にそこへ刹那的な快楽すら無意識に求めていた。最早、彼は単なる沖縄独立派ではなく、林蓮司と接触して今までの自分が抱いてきた『仮象』が現実味を帯びた事で、それは彼自身に変革をもたらした。
「薩摩の末裔共め、これは沖縄独立への一歩と同時に琉球征服の報復だ」
400年前の歴史を口にする我那覇の姿は、誰が見ても異様であった。我那覇は完全に自分の世界に入っていた。夢想にふける彼の背後に近付く存在に最後まで気付けなかった程に。
「―――!」
気付いた時には、既に我那覇は背後から飛び込んできた存在に倒されて身動きが取れなくなっていた。腕に抱えていたAK-74USは一度も引き金を引けずに手元を離れ、ウインチの傍に落ちていた。手首を捻じられうつ伏せの状態で倒された我那覇は、耳元で自分を捕まえた者の声を聴いた。
「よーし、そのまま大人しくしろ。でないと手首が折れるぞ?」
「くそっ! 離せ、この野郎!」
「落ち着けよ若いの。ちょっとお前さんに二つ三つ聞きたい事があるだけだ」
後頭部にゴツリとしたものを当てられて、それが銃口であると察し我那覇は寒気を覚えた。
「や、やめろ。俺を殺す気か!」
「大丈夫、今の所そんな気はない。とりあえず俺の質問に答えてくれたら殺さないでおいてやるよ」
今正に自分は尋問されようとしていると気付いた後、我那覇は思い出した。ここに通じる扉や経路には何人か配置されていたはずだ。
「ほ、他の奴らは……」
「俺がここにいる意味を考えればわかるだろ」
この男は一人で何人も倒してここまで辿り着いたというのか。我那覇は戦慄した。
「こ、殺したのか……」
「さてね。さぁ、ここからは俺が聞く番だ。正直に答えろよ」
ぐっと銃口だろうものを押し付けられて、我那覇は焦りを覚える。
「まずは一つ目だ。さっき、ここに来るまでに三人倒した。後は何人、船に乗り込んでいる?」
「お、俺を入れて14人だ」
「人質は何処だ。見張りは何人くらいいる?」
「船橋、機関室、厨房に居住区からも集めてそれぞれ分けて集めている。お、おそらく機関室は二人、厨房には四人だ。後は船橋や甲板にいる……」
「おそらく?」
その声がやけに低く聞こえて、我那覇はビクリと震えた。
「正確な数は俺も知らない! 本当だ、信じてくれ!」
「そうか。お前たちのリーダーは、船橋にいるだろう。そうだな?」
「あ、ああ。それは間違いない」
「わかった。ああ、どうしようかと思ったがやっぱり聞くわ。四つ目の質問」
「な、なんだ……」
その時、後頭部に押し付けられていた固いものがすっと離れた。驚いて目線を向けようとすると、男の哀れみを孕んだような瞳が見えた。
「お前、日本人か?」
「………………」
我那覇はそこで、自分は沖縄人だと言えなかった。
男の問いに、我那覇は震えながら頷いていた。
「そうか、俺は正直者は大好きだよ。若い奴はもっと好きだ」
手首の拘束が緩くなった。しかし我那覇が逃げ出す前に、後頭部に強烈な一撃が降り注いだ。
我那覇はそのまま薄れゆく意識の中で、男の寂しそうな声を聴いた。
「まだ若いってのに、何やってんだお前は……」
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