log.14 交渉

 テロリストグループに乗っ取られた『アサヒ』の周囲には、10隻にも及ぶ巡視船艇が取り囲むようにして航行していた。

 その船団は主に第十、第十一管区の巡視船艇である。第三管区内にある横浜から急行した『やしま』を司令船とし、PLH型巡視船1隻、PL型巡視船2隻、PS型巡視船3隻、PC型巡視船4隻の計10隻。そして、その上空をヘリコプター・ベル422が飛んでいる。

 船橋からその光景を眺めていたテロリストのリーダー、林蓮司がくつくつと喉の奥を鳴らした。

 「実に壮観だな。こんな光景、人生で二度とあるかもわからん」

 林蓮司の言葉に同意するように、他のテロリストたちも笑い声を上げる。

 その中で、船橋の隅で大人しく縄に付いている汐里とマルコの方に、林蓮司は不敵な笑みを向けた。

 「助けを期待しても無駄だぞ。船内に潜んでる鼠共も見つかるのは時間の問題だ」

 林蓮司は部下たちに船内のどこかに潜んでいるであろう海上保安官の行方を捜すよう指示していた。しかし10万トン級のタンカー。こんな広い船内から隠れた人間を捜すなど簡単な事ではない。

 「(こいつ、明らかに素人ね)」

 具志堅がいなかったら、まともに船を動かす事もできないだろう。彼らは沖縄の独立を謳っているようだが、彼らの様子と主張がどうにも噛み合っているようには見えなかった。

 「奴らは大した事のない小物集団だ。我々が本気になれば、奴らの船など簡単に沈められる」

 「大した自信ね。どうしてそこまで彼らを侮辱できるのかしら?」

 その場にいた誰もが、同じ所に視線を向けた。隣にいたマルコでさえ、驚愕したような表情で汐里を見ている。ただ一人、林蓮司だけが面白そうな笑みを浮かべながら、両手を縛られ床に座らされている汐里の目の前に腰を下ろした。

 「実際に俺はこの目で奴らの情けない姿を見てきたからだ。ここは自分達の領土だと言いながら、俺達がどんなに脅しても、奴らはビビッて手を出してこない。俺の上司は一度奴らに捕まった事はあるが、報復を恐れたのかすぐに釈放された」

 「ふふ、馬鹿みたい」

 汐里は可笑しそうに笑った。銃を向けられている状況の中で、汐里の態度はこの場にいる誰もが異様に見えた。

 「子供の挑発に乗らない大人と一緒よ。貴方達の相手をしなくちゃいけない保安庁に同情しちゃうくらいだわ」

 「面白いな、お前」

 汐里の顎を、林蓮司が指でくいっと摘まんだ。その小さな顔立ちを、林蓮司は舐め回すような視線で見詰めた。嫌悪感と敵意を隠さない汐里の様子に、手を離した林蓮司は面白そうに立ち上がった。

 「直にお前もその姿を見て、失望する事になる」

 林蓮司が向かった先に、具志堅の姿があった。

 「さぁ、奴らに見せ付けてやろうか。俺達の決意を」




 九州南方に向かって進む『アサヒ』の後方を、『やしま』が距離を取りながら追尾していた。『やしま』の船内では官邸との中継機能を置き、現場の状況を官邸に伝える準備を整えた所だった。そしてその傍ら、船橋では『アサヒ』の進路予測が計算された。

 「『アサヒ』の進路を計算した所、『アサヒ』は鹿児島湾に向かっているものと思われます」

 船長を始めとした幹部が揃う中、主任航海士が計算結果を報告した。彼らの目の前の机上には東シナ海から南九州まで描かれた海図が広げられ、コンパスと定規によって『アサヒ』の進路予測が描かれていた。

 「首都東京ではなく、何故鹿児島に?」

 この手のテロなら日本の首都であり中枢としての機能を持つ東京が標的にされると思うものだが、敵が目指している先は乗っ取った船の母港である東京ではなく、最も近場の鹿児島湾であると予測された。だが、鹿児島にも十分に標的となり得る施設があった。

 「鹿児島湾には喜入基地がある」

 海図を見詰めていた内村が、神妙な面持ちで呟いた。

 周囲に動揺が伝染する。

 「喜入基地って、確か……」

 何かを思い出したかのように、主任航海士の顔がハッとなった。そしてその顔色がみるみるうちに青くなる。

 都倉も既に気付いていた。

 もし都倉の予想した通り、敵の狙いが喜入基地だったとしたら。

 最悪の想像を誰もが思い浮かべた船橋内は、重い空気に包まれた。



 その頃、首相官邸に『アサヒ』から衛星電話の回線が入った。野々村自ら、電話を取る。

 「内閣総理大臣の野々村だ」

 「初めまして、野々村総理。私は『琉球の海』のリーダー、林蓮司といいます」

 初めて聞いたテロリストの声は、実に滑らかで流暢なものだった。外国人とは思えない程に達者な日本語に、野々村は電話の向こうにいる相手が同じ日本人であると錯覚してしまいそうになった。

 「動画は御覧になられましたか?」

 「どういうつもりだ。我が国のタンカーを乗っ取り、何の罪もない国民を巻き込むなんて。君達は自分たちの仕出かした行為に後悔する事になるぞ」

 「そんな事を言っていられるのも今のうちですよ、総理。ご自分の置かれた立場をもう一度よく考えた方が良い」

 余裕が伺える声色に、野々村は唇を噛む。

 「人質には女もいる。人質に何かあれば、総理、貴方の責任ですよ?」

 「……君達の目的は何だ」

 「動画を観たのならもう知っているでしょう。我々の目的は琉球の独立……」

 「それは君達の本当の目的ではないだろう。こちらも君の正体は既に知っている」

 電話の先にいる男が日本人ではなく、スパイの疑いが掛けられている事は既に熟知済みだ。野々村の探るような真意が含まれた言葉に、林蓮司と名乗る男は一笑に付すと、次の言葉を紡いだ。

 「もう一人、総理と話したいという人間がいます。その方に代わりましょう」

 「待て! まだ話は終わってな――」

 「――今度は俺の話を聞いてもらおう、総理」

 聞こえてきた林蓮司とは別の人間の声に、野々村は一瞬動揺した。

 「貴方は……」

 「俺はこの船の船長で、具志堅というものだ。3年前にこの世を去った川上美香子という記者の父親だ」

 その名を聞いた瞬間、野々村は息を呑んだ。顔を見合わせた名塚と赤池が、緊張した面持ちで野々村の電話のやり取りを見守る。

 「具志堅船長、一つ確かめたい。貴方は彼らに脅されているのですか? それとも……」

 「これは俺の意志だ。娘を殺したあんたたちに復讐するためにな」

 船長自身の声を聴いた野々村は、落胆を押し隠しながら電話を続けた。

 「船長、貴方は誤解している。政府は貴方のご令嬢を殺めたなどという事実はない」

 「嘘を付くな! あんたたちは米軍との密談のスキャンダルを握られたから美香子を殺したんだ!美香子は沖縄のためにあんたたちと米軍の不祥事を掴み、真実を公表しようとしたのに、それを阻止するためにあんたらがアメリカと結託して殺した!」

 「違う! そのような事は断じてありません」

 「あんたの言葉が信用できると思うか。国民を騙し、沖縄を無碍にするあんたに」

 「船長、貴方のご令嬢は不幸な事故によって亡くなられたのです。ご令嬢が手にした政府と米軍の不祥事は事実だった事は認めます。しかしその後に起こった事故は全くの偶然であると言わざるを得ません。貴方はそこにいる林蓮司に利用されているのです」

 だが、それ以上野々村が何を言っても、具志堅は聞く耳を持たなかった。娘は政府と米軍に殺されたのだと完全に信じ切っており、テロリストへの協力も止める意志を見せない。具志堅の怒りを鎮める事は出来ない。今何を言おうと、火に油を注ぐ行為に他ならない。

 「この事態を終わらせたいなら、俺の要求も受け入れる事だ」

 「……要求ですって?」

 「3年前に美香子が掴んだ政府と米軍の不祥事を世間に公表し、同時に美香子を殺した事実も国民に伝えるんだ。それが俺からあんたら日本政府への要求だ」

 そんな事出来るはずもない。そもそも政府が川上美香子を殺したという事実はない。野々村はそう返すが、具志堅はやはり信じなかった。

 「要求が受け入れられない場合、この船は鹿児島湾に突っ込む。よく考えるんだな」

 「船長!」

 野々村は必死に説得を続けようとするが、無情にも電話は切られてしまった。

 力なく電話を戻した野々村に、携帯を閉じた名塚が動揺を隠し切れない様子で告げた。

 「総理、たった今海保から連絡がありました。敵は鹿児島湾に向かっていると……」

 「何故、敵は鹿児島湾に向かっている?」

 「ご説明します」

 名塚は対策本部のスクリーンに鹿児島湾の地図を映すよう指示した。オペレーターの作業により、スクリーンには鹿児島湾内の詳細な地図が表示された。

 「鹿児島湾には喜入基地という原油備蓄基地が存在します。この基地は日本国内の石油使用量約2週間分に相当する735万キロリットルの原油を貯蔵しています。正に日本国内でも屈指の原油備蓄基地と言えましょう」

 「それが奴らの狙いか」

 「更に『アサヒ』には、中東から持ち込んだ原油が200万バレルほど満載されています。もし船が基地に突っ込み、爆発でもしたら……被害は甚大です。間違いなく南九州が死の大地と化します」

 正に最悪の状況だ。敵はあえて東京ではなく、最も近い鹿児島の原油基地を狙ってきた。原油を満載した船が爆発しただけでも鹿児島湾は死の海となる。そして喜入基地にも被害が及べば、一帯は死の大地と化す。

 「この鹿児島を狙う行動はあくまで脅迫で、真の目的は別にあると思われます」

 「それが君の考えですか、名塚くん」

 「ええ。総理も先ほど、林蓮司に仰っていた通りお気づきになられていたと思いますが、奴らは沖縄を独立させようだとか我が国を滅ぼそうだとか、そんな事は目的ではありません」

 「では、その真の目的とは?」

 その問いに、答えられる者は誰もいなかった。名塚も無言でかぶりを振った。

 「総理、敵の目的が何であれ事態の解決を急ぎましょう。そのために、この事態に対処が可能な特殊部隊による解決を提案致します」

 「何処の特殊部隊ですか」

 「すでに彼らは、現場にいます」

 その言葉の本当の意味を、この時の野々村はまだ知る由もなかった。

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