log.13 声明

 母港の横浜を出航した巡視船『やしま』は、東京湾から浦賀水道を通り、太平洋へと出た。

 『やしま』船長の都倉峯光二等海上保安監は、先刻本庁より乗船してきた内村真課長補佐を隣に、多くの船舶が行き交う浦賀水道の出入り口を見据えた。

 急遽慌ただしく乗船してきた内村は、本来は本庁に務める警備課の課長補佐という役職であるのだが、今回は特別な事情を抱えてこの新型巡視船である『やしま』に飛び込んできた経緯があった。都倉よりも十以上も歳が離れている内村は、先を急ぐ船橋の張り詰めた空気の中でも、船長への状況説明を律儀にこなしていた。

 「約二時間前、第五管区本部より本庁に緊急連絡がありました。内容は『該船に乗船中の武装保安官から、武装勢力に占拠されたとの通報があった』というものでした。該船を所有する大和郵船に確認した所、該船からの応答が無いとの回答。これを受け、本庁は該船がシージャックされた可能性があると断定。本庁は直ちに各巡視船艇と航空機に対し、シージャックされた可能性のある該船の捜索を命じました。本庁の判断で本船の『やしま』を司令船とし、本庁からは私、内村が参った次第です」

 持参した資料を手に、内村は淡々と説明を終えた。

 該船――それは現在、シップガードが乗船している民間のタンカーの事であり、その船には第五管区から出向した武装保安官が乗っている。

 海上警備法施行後初めての実施という体で、武装保安官が乗船したタンカーの警護を行うというものだったが、それはあくまで表向きのものに過ぎなかった。

 本当の目的は他にあった。本庁の人間がわざわざこの『やしま』に乗ってきたというのもそれが理由だ。

 「(警備課課長補佐が直々に現場に乗り込んでくるとはな……)」

 警備課とは主にテロや領海警備に携わる部署である。つまり今回の事案に関してはこの警備課が主に担当するのだが、その課長補佐が直々に巡視船に乗り込むというのは前例がなかった。

 内村は警備課長から現場指揮とその状況の推移を実際に観測する大任を任され、この『やしま』に乗船していた。


 巡視船『やしま』は海上保安庁最大の巡視船で、その規模は海自のはたかぜ型護衛艦とほぼ同等である。総トン数は7175トンで、全長は150メートルもある。正に世界最大の巡視船とも言えた。海保の巡視船としては唯一、対空レーダーOPS-14の改良型を搭載している他、搭載している2機の大型シュペルピューマ・ヘリコプターの正確な位置を把握できる。


 船体は他の巡視船と異なり強固な軍艦型の構造設計で、船橋には複数の巡視船艇からなる船隊の司令部となる作戦指揮所が備えられている点は、今回も司令船として運用されるのにふさわしい巡視船だ。

 最新鋭の巡視船である『やしま』は、実を言うと今回のシージャック事件に対する本当の主役として待機していた船であった。

 「船長、該船と思われる船舶を発見したとの報告が」

 通信士が都倉に通達する。都倉と内村がほぼ同時に通信士の顔を見た。

 「何処だ」

 「宮古島南東20キロの海域。付近を捜索していたファルコン900が該船と同様の大型タンカーを発見。船名を確認。現在、該船は沖縄本島の南南東に向かって航行中」

 報告を聞いた都倉はそれが『アサヒ』である確信を抱いた。都倉は直ちにその船舶を追うよう指示。『やしま』も当該海域へと急行するよう下令した。その時、本庁から連絡を受けた内村が慌てた様子で都倉に声を掛けた。

 「船長、犯人たちから声明が発せられたようです」



 雨が降り注ぐ永田町。その中心にある首相官邸には、天候にも関わらず多くの報道陣が押し寄せていた。その報道陣の中を潜り抜けるように、車から降りた野々村首相が、詰め掛けるマスコミからSPに守られながら官邸に入った。来る参議院選に向け地方に飛んでいた野々村首相を最後に、現内閣の閣僚のほとんどが官邸内の会議室に揃っていた。

 「総理、お忙しい中わざわざお越しいただいて申し訳ありません」

 「これも首相としての役目です。直ちに事態の説明をお願いします」

 会議室の席に着いた野々村は、他の閣僚たちと同じようにその視線を国土交通大臣の名塚に向けた。緊張した面持ちを浮かべた名塚は重たそうに口を開いた。

 「海上保安庁長官より連絡を受けまして……」

 その後に続いた名塚の説明に、その場にいる閣僚の誰もが驚愕を隠し切れなかった。野々村も当然同じだった。これまでに何度もこのような場を設ける事態は遭遇しているが、今回ばかりは比ではなかった。

 「テロリストが民間のタンカーをシージャックした、と。それが現在起こっている事態というわけですね」

 「そうです。船を乗っ取った犯人グループから声明も。こちらになります」

 名塚の指示で、秘書官がノートパソコンと接続した会議室のスクリーンに動画を再生させた。動画には東洋系の男が映し出され、流暢な日本語で語り始めた。

 「――我々は『琉球の海』。日本国から長年迫害され続けている琉球を救うために活動している正義の使者である」

 「『琉球の海』? なんだそりゃ」

 動画をジィッと細い目つきで眺めていた副総理の四方田は子供のように素直な反応を口にした。

 動画の中にいる男は自分達を琉球(沖縄)独立を掲げる組織であると主張し、タンカーの占拠は独立運動としての現日本政府への抵抗であると謳った。

 「第二次大戦による米軍の占領下から日本国に再び譲渡されて以降、……いや、明治政府による琉球征服から、琉球――現在の沖縄の人々は、人権及び自己決定権を蔑ろにされている」

 閣僚たちは思い出した。彼の言葉をどこかで聞いた事があると。最近まで交渉相手だった県知事の演説内容だ。

 「政府は直ちに、再開した辺野古埋め立ての工事を永久的に中止する事。在沖米軍の存在理由の要因にもなっていた沖縄の地政学的根拠は嘘であると国民に告白する事。明治時代に沖縄を併合したのは不法であると認める事」

 そして将来的に沖縄へ主権を返還する事。つまり、沖縄の独立を約束せよ、というものだった。

 あまりに奇想天外な要求に、閣僚たちは理解に苦しんだ。

 「こんな阿呆な要求を呑む政府がどこに居るって言うんだ」

 副総理の四方田が呆れたと言わんばかりに手を上げる。

 「歴史史上類を見ない非現実的な要求をするテロリストだな」

 「しかし奴らは本気だ」

 ふざけ半分でタンカーを占拠するはずもない。出来るはずもない。彼らはタンカーを乗っ取った時点で、正真正銘のテロリスト集団なのだ。

 「この動画は先ほど、インターネット上の動画サイトに投稿されたものです」

 投稿日は三時間前にも関わらず、既に膨大な再生数を稼いでいた。それだけ国民のみならず世界中の人間がこの動画を閲覧したという事になる。そしてこの動画の真偽を確かめるために、今の官邸前には多くの報道陣が押し寄せ、テレビでは速報として報道され続けている。

 「赤池くんは『琉球の海』という組織を知っているのか?」

 野々村は国家公安委員長である赤池に質問した。だが、赤池は首を横に振る。

 「いえ、そんな組織の名など聞いた事がありません」

 そもそも沖縄独立論自体、あってないようなものだった。米軍基地に対する反対運動などでしばしば話題として取り上げられる事もあるが、独立論に関しては県民の支持は得られていない。独立派による政治的運動も下火の域を脱していない。

 「このような過激な行動に出る程の組織、存在していたのなら既に公安がマークしているはずです」

 赤池の物言いに、野々村は違和感を覚えた。

 「赤池くん、組織は知らないと言いましたね。では、この男は知っていますか?」

 「………………」

 野々村の質問、そして赤池の反応に周囲がざわつく。赤池は聞こえない程小さな嘆息を吐くように答えた。

 「……この男は、公安がマークしていた者です」

 「どういう事だ、赤池!」

 他の閣僚に迫られた赤池は、動画に映っていた主犯格と思われる男を以前から公安がマークしていた事実を説明した。

 「男の名は林蓮司。3年前より日本に滞在していた香港籍の男です。彼にはスパイの容疑が掛けられており、公安が彼の動向を張っていました」

 「その男が何故、我が国のタンカーを?」

 「わかりません。声明にあった目的が本当の目的であるかも疑わしいです」

 「公安がマークしていたのなら、何故この事態を防げなかった」

 他の閣僚に責められた赤池は、バツが悪そうな表情で答えた。

 「帰国した後はさすがに追えません。二ヶ月前に香港に帰国したのを最後に、日本ではその存在を確認されていません」

 ざわめき始める閣僚たちの中、一人冷静にその光景を観察していた野々村が、もう一人の閣僚に言葉を投げかけた。

 「名塚くん、君もなにか知っているような顔ですね」

 指摘された名塚が驚いた反応を見せる。

 「……総理には何もかもお見通しのようですね」

 「そんな事はありません。本当に何もかもが見通せたのなら、このような事態を防ぐ事が出来たはずですから」

 「……説明致します」

 名塚が赤池に目配せをする。この二人が何らかの共通した情報を持っている事は明白だった。

 「今回の『琉球の海』と名乗る犯人グループ、いえ、テロリスト集団に関して。海上保安庁と公安が共同で捜査を行っていました」

 周囲のざわめきが一層増した。どういう事だと、閣僚たちの口から次々と説明を求める声が上がる。

 公安は『琉球の海』という存在を認知していなかったはずではなかったのか。

 「組織ではなく、我々はある個人を追っていました」

 『組織』ではなく、『個人』―――

 誰もが赤池の言葉に耳を傾けた。

 「そもそものきっかけは公安がマークしていた林蓮司が、ある事件に関わった民間人に接触を持った事が発端でした。その時点から、捜査には海上保安庁も加わりました」

 「ある事件? 民間人?」

 引っ掛かりを覚えた四方田が、目を細める。

 「3年前の沖縄で、ある女性が米軍兵士が乗った乗用車に轢かれ死亡しました」

 それだけを聞く限りはただの交通事故にしか過ぎない。だが、その事故が『ただの』ではない故に、それは『事件』と呼ばれる。

 「被害者の女性の名は川上美香子。琉球タイムスの記者だった彼女は職場からの帰宅途中に、那覇市内の国道で米軍兵士が運転する車に轢かれ、搬送先の病院で死亡しました。事故に遭う直前、川上美香子はある人物と接触しています」

 その後を引き継ぐように、赤池が言葉を紡ぐ。

 「林蓮司です」

 会議室の空気が一瞬、震えた。

 「川上美香子はある情報を林蓮司から受け取っていた疑いがあります」

 「待て、3年前って事は……」

 まさかという表情を浮かべる四方田に、赤池は頷いた。

 「はい、川上美香子が亡くなった直後に林蓮司は香港へと帰国しました」

 公安がマークしていた人物と関わった民間の女性が、交通事故に遭って死亡し――その直後に、その男、林蓮司は中国に戻った。彼女の事故と林蓮司は関連性があるのか。

 「川上美香子が林蓮司から手に入れた情報とは何だ」

 四方田の問いに、赤池は一瞬戸惑いを見せた。

 「赤池くん」

 野々村の一声に、赤池は意を決したような表情を浮かべ、口を開いた。

 「在沖米軍司令部に務めるある将校と日本の官僚の間で交わされた密会のスキャンダルです……」

 それは米軍基地に対する風当たりがますます強くなるのに十分な内容の代物だった。米軍将校と日本の政治家との間で交わされた、賄賂を含むやり取り。普天間移設と辺野古新設の計画にも大きく関わるものであった。

 それがジャーナリストである川上美香子の手に渡ったとあらば、そのスキャンダルは当然、スクープとして世間に報じられる展開となっていただろう。しかしその情報が表に出る前に、川上美香子の死によって潰える事となった。

 「そして林蓮司は再びある民間人と接触を持った。その民間人は、川上美香子の父親。林蓮司率いるテロリスト集団にシージャックされたタンカーに乗っている具志堅船長です」

 「川上美香子の父親だと!?」

 「具志堅船長は林蓮司と接触し、今回の航海に出かけました。おそらく、この事件は具志堅船長の協力があって実現したものと思われます」

 「そんな関連性が……」

 「もしかして、娘が死んだのはスキャンダルを潰そうとした日米政府の陰謀で、船長はその敵討ちのために林蓮司と共謀した。なんて事はないよな?」

 冗談混じりに呟いた四方田の考えを、誰も笑う者はいなかった。

 「その可能性は、十分に考えられます」

 「冗談じゃないぞ……」

 項垂れる四方田の傍で、野々村が名塚に視線を向けて問いかけた。

 「シージャックされたタンカーの状況は?」

 「つい先ほど、海上保安庁の航空機が該船を発見。船は沖縄の南の海域から九州方面へと航行中。現在、周辺の巡視船艇と共に追尾中です。タンカーには日本人船員の他、外国人船員を含む二十名前後の人質がいます」

 更に、名塚が言いにくそうに。だが、意を決してはっきりと口を開いた。

 「実はこの船には武装した海上保安官が三名乗船しておりました。具志堅船長の動向を見張り、林蓮司の襲撃を警戒していたのですが……」

 申し訳なさそうに言葉を沈みこませる名塚。海上保安庁は林蓮司と接触した具志堅を監視するため、そして不測の事態に備え、海上保安官を乗り込ませた。大和郵船からの要請により、海上警備法施行後初のシップガードの乗船。真実は林蓮司絡みの任務を遂行するための口実に過ぎなかった。

 だが、実際に船は乗っ取られてしまったので、海保の失態と批難されても否定はできない。

 しかし今それを責めても事態は解決しない。この先の事を考えるべきだと、野々村は判断した。

 「皆さん、これは一刻を争う事態です。彼らが犯行を行うに至った経緯は何にしろ、この日本が現実としてテロ攻撃を受けている事は明白です。捕らえられた人質を何としてでも救出し、この事態を解決に導くために、私はあらゆる手段も厭わない決意です」

 会議はそこで一旦締めくくられた。閣僚たちが退席する中、赤池ただ一人が野々村に呼び出された。

 「――赤池くん、改めてお聞きしたい事があります」

 「何でしょう、総理」

 赤池は野々村の表情から、何を聞いてくるのかを大体察していた。

 「川上美香子さんが亡くなったのは……、本当に、ただの『事故』なのですね?」

 この話題が挙がった時に誰かが言った陰謀論。米軍との間に交わされたスキャンダルを公に晒されないために、口封じのために川上美香子は――

 首相の座に就く前に起こった、今回の事件にも繋がる因縁に、野々村は危惧していた。

 もし本当にそのような事で一人の国民が、国家権力に殺されたとあれば――

 この事件を引き起こした責任が誰にあるのか、自ずと知れた。

 「総理、日本政府が川上美香子を殺したなどという事実はありません」

 赤池はそれだけを答えた。それ以上、赤池が言葉を続ける事も、野々村が追求する事もなかった。

 会議が閉幕した後、野々村首相の指示の下、首相官邸に対策本部が設置された。タンカーに新たな動きがあったのはそれから一時間経った頃だった。

 

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