log.11 接舷

 海賊と思われる二隻の不審船に追われた『アサヒ』は、ジグザグ航行と全速前進で逃れようとした。しかし驚異的な速度で追いすがる二隻に、『アサヒ』はその距離をどんどん縮められていった。

 「スターポード30!」

 「スターポード30」

 右舷側に30度、旋回する。しかし海賊たちは引き剥がせない。

 汐里はこれまでに経験した事がない程の緊張感を覚えていた。だが、冷静さを失うわけにもいかなかった。汐里の指示に、舵を握るマルコが復唱する。マルコの額にも汗がびっしりと浮かび上がっていた。

 この状況の中で、汐里は外ウイングにいる我らが船長に不信感を抱いていた。吾妻の指示を無視した上に、操船の指揮を汐里に任せているからだ。船に緊急事態が起こった場合、当然船長が指揮を執るものだが、具志堅はウイングから双眼鏡で海賊の方を監視し、何故か、いちいち放水する先を指示している。

 汐里はこの事態を本当に潜り抜けられるのか、不安が募るばかりであった。



 防弾チョッキに着替えた三島は、照準器付きの狙撃用89式自動小銃を抱え、事前に決められた所定の位置に着いていた。手すりと船体の隙間から目標のいる海上を見据えながら、三島は腹を着け、うつ伏せの状態で狙撃の態勢に入っていた。

 89式自動小銃は陸上自衛隊でも使用されているアサルトライフル。海上保安庁が最初に採用したストック部を畳める折曲銃床式は、もともと陸自の空挺部隊向けに開発したものだが、容疑船移乗時に携行しやすいために選ばれた。後に固定銃床式も採用されている。

 弾倉は30発入りのマガジンを使用、5.56mm弾を装填。三島の89式には機関部の上に照準装置用のレールがあり、エイムポイント・コンプM2という光学照準器ドット・サイトを装着し、命中精度を高めた仕様となっている。

 船体を横切る風の間から図々しい程に蠢く敵のエンジン音はつくづく不快だったが、精神を研ぎ澄ませた今とあっては、風と共に三島の神経から去りゆくだけだった。

 三島航貴は、日本初となるシップガードとして、同じく選ばれた同僚二人と共に『アサヒ』へと乗り込んだ。一ヶ月に及ぶ航海の中で、商船上から敵を迎え撃つという前代未聞の状況においても、三島は庁内から高く評価される凄腕のスナイパーとしての自分を維持できる自信、いや、確信があった。自分がこの船に居る理由。それを突き詰めた結果として、三島は自分の存在を確立させる事が出来る。

 照準器のスコープから観察する敵は、講習などで見聞きしていた風貌とはどこか違っていた。人種を隠すためか、覆面のようなものを被っている。その後ろには強力な船外機が確認できた。

 海賊といえばソマリアやマラッカ・シンガポールなどの海域が有名だが、実際の所、海賊とは世界各地の海に存在する。フィリピン沖に現れてもなんらおかしい事ではないのだ。

 敵が威嚇射撃の実施を許す射程距離の範囲内に入り込もうとした時、突然三島の目の前で異変が起こった。

 覗き込んでいた照準器のスコープが真っ白に覆われたのだ。三島は思わず目を上げる。現実へと戻った神経が風やエンジン音とは別の音を捉えていた。

 『アサヒ』の船体各所から伸びたホースから、水が滝のように噴き出していた。水はぐるりと一周したアサヒの船体各所から噴き出し、水の壁を作っていた。三島は状況を察し、舌打ちした。

 同時に、トランシーバーから吾妻の声が聞こえた。

 『作戦は一時中止。繰り返す、一時中止』

 三島は握り締めた拳を船体に叩き下ろした。

 「馬鹿野郎が」

 三島の前から、敵は放水の壁に隠れていなくなった。



 『アサヒ』の船内各所から幾つもの水が噴き出した。まともに当たれば転覆の危険、乗っている者が落水する可能性がある程に強力な放水が海賊たちを襲う。しかし海賊たちは放水を巧みに避けながら、確実に『アサヒ』の船体へ接舷しようと近付いていた。

 「待て、なんだあれは」

 三島は放水を回避する海賊たちの異変に気付いた。思わず目を疑う。海賊たちはボートの上から梯子のようなものを立てていた。梯子の上の先端にはフックのようなものが見え、ボートのような小型船から『アサヒ』のような大型船に乗り込むには絶好の梯子だ。まるでわざわざこの時のために特注したのではないかと思う程の代物だ。

 「くそ、何をやってるんだ!」

 それに引き換え放水はまるで見せかけのように、ただ海賊たちの脇などに放たれるばかりだった。あんな下手糞な放水では撃退できるはずがない。

 更に三島は海賊側に抱いた違和感にも気付いた。

 奴ら、武器を持っているのに何故撃ってこない?

 普通なら船の乗員たちを牽制するために、その火力を浴びせながら攻めてくるはずだ。

 しかし奴らの行動は、まるでこの船に乗り込む事が既に決まっていて、後は近付くだけだと言わんばかりだ。

 実際、放水はまるで海賊たちを追い払う意志が感じられない。


 ――まさか。


 三島は乗船前に聞いていたある情報を思い出し、最悪の想定を浮かべた。

 その時だった。海賊たちは遂に穴だらけの水の壁を潜り抜けた。

 「こちらデルタ! 目標が本船に乗り込む!射撃を始める!」

 『待て、デルタ! 乗員の安全が未確定のまま、射撃を行う事は許されない!』

 「そんな事を言っている場合か! 奴ら、梯子を本船に掛けようとしているぞ!」

 吾妻の言っている事は理解できる事のはずだった。このまま銃撃戦となれば、放水を行うために外に出ていた乗員が危険に晒される。それを事前に防ぐために、吾妻は乗員の船内への避難を指示したはずだった。

 だが、この状況では乗員が全員船内に避難したとは完全に確認できない。

 「乗り込まれれば元も子もないぞ!」

 『今からブリッジに確認を乞う。それまで待て!』

 両者の言っている事は互いに理解はできる。だが、猶予は残されていないのが現実だ。

 「……くそッ! 梯子が、掛かった!」

 遂に三島の目の前で、梯子の先端が『アサヒ』の船体に掛けられた。一人が梯子に手を掛け、昇ろうとしている所だった。

 一人が梯子を昇り掛け三島がトリガーを引きそうになった時、トランシーバーから声が上がった。

 『射撃開始! 繰り返す、射撃開始!』

 トランシーバーから聞こえた吾妻の復唱に弾かれるように、三島は89式のトリガーを引いた。



 海上は銃弾が飛び交う戦場と化した。『アサヒ』側から海賊船に向かって銃弾が飛び掛ると、海賊たちも火が付いたように『アサヒ』に向かって射撃を始めた。オレンジ色の火線が至る所に飛び交い、『アサヒ』の船体構造物から火花が飛び散る。

 三島は梯子を昇っていた海賊の手元に銃弾を浴びせ、火花と共に脱落した海賊の一人を確認した。だが、梯子は本船に掛かったままだ。

 今の三島の射撃で位置を知ったのか、他の海賊たちが三島がいる方に向かって撃ってきた。三島の周りにある壁や構造物に幾つもの火花が散った。

 三島は自分のとは別の、他の89式の連続射撃の混じった音を聞いた。タタタ、タタタという低い音が重なり、海賊たちのボートに火花を散らせる。一人、また一人と、梯子に昇ろうとする海賊たちに銃弾を浴びせるが、奴らは諦めようとはしなかった。

 「おい! 放水を止めさせろ! 邪魔だ!」

 放水の水や飛沫が射撃の邪魔をする。三島はトランシーバーに向かって叫ぶが、放水は一向に止まない。船を守ろうとしているはずの放水が、海賊たちの防壁になっている。

 『こちらベータ! 目標が梯子を……』

 もう一隻のボートも反対側から梯子を掛けたようだ。岩泉の報告が言い終わらない内に、89式の射撃音が聞こえた。

 海賊は挟み込むように両舷から梯子を掛けて乗り込もうとしている。

 その時、三島はある異変に気付いた。


 ――待て、船の速度が落ちていないか?


 船の速度が落ちたような気がした瞬間、それに合わせたかのように、海賊がまた一人、梯子を昇った。三島はまた梯子から落とそうとトリガーを引くが、スッスッと昇るソイツはおそろしく機敏だった。足元に火花が散る。だが、ソイツはどんどん昇っていく。

 「まずい」

 三島は照準を海賊の頭に合わせた。一瞬、トリガーに触れた指に力がこもる。

 しかしトリガーを引く事は叶わなかった。三島のすぐ傍に火花が散った。熱が三島の頬に帯びる。ボートにいる他の海賊の援護射撃だった。

 再び三島が梯子に視線を戻した時には、既に一人が股をかけて船体に乗り込もうとしている瞬間だった。

 三島はトランシーバーに向かって叫んだ。

 「一人、本船に乗り込んだ!」

 こんな最悪の報告を自分がしなくてはならなかった状況に、三島は唇を噛み締めた。

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