log.7 船内レクレーション

 外航船――少なくとも『アサヒ』は基本的に九ヶ月間の航海=船員の勤務期間となっている。だが、だからと言って九ヶ月ぶっ続けで働きっぱなしというわけではない。

 船にも船内休日と言う日が存在する。船は24時間フル稼働で走っているから、船員全員が同時に休む事は出来ない。故に『当直』というものがある。

 当直に就いた航海士は休日も当直航海というものがある。機関場も同様、当直機関士は機関室の見回り、各部の点検を行う。

 当直以外の休日の過ごし方は人それぞれだ。乗船する前に買い込んで持ってきた本や映画のDVDを楽しむ者もいれば、船内にはトレーニングマシンなどを揃えた部屋があり、そこで筋トレをしたり、広い甲板でマラソンをする者もいる。


 汐里の船内休日の過ごし方は読書や友達に薦められたドラマのDVDを観たりして過ごすのが主であるが、新入社員の頃から変わらず続けているのは、資格を取るための勉強である。

 資格、と言っても、それはやはり船の資格だ。

 船の資格とは色々あるが、主たるものが海技士である。

 汐里が入社した頃は、大学卒業時に取得した三級海技士の資格(主に大型船舶の職員が持たなければならない船の免許、国家資格)を有していたが、航海中の自由時間に勉強を重ね、二級海技士の資格を取得して現在の一等航海士になった。だが、汐里が目指す船長に上り詰めるためには最上級の一級海技士を取得しなければならない。


 船舶の乗組員は、職員(オフィサー)と部員(クルー)の二種類に分けられる。 職員とは船長や機関長、航海士、機関士など、部員を指揮して船を運航する者たちの総称だ。

 部員は職員の指揮の下、様々な仕事を行う者。甲板部(航海)では甲板員、機関部では機関員、操機手などと言う。

 汐里は一等航海士なので職員に分類される。船舶職員法という法律によって船舶職員の資格が定められており、これに基づく海技従事者国家試験に合格した者でなければ職員として船に乗り組むことができない。

 外航の大型船、この場合は5000総トン以上、機関出力6000キロワット以上の貨物船で遠洋区域を航行する船という分類になるが、この船の船長になりたければ一級海技士の国家試験に合格し免状を取得しなければいけない。


 なので汐里のように休日の時間を有効活用し上位の資格を取るため勉強に打ち込む船員は存在する。


 話を戻すが、船には船内休日というものがある。何ヶ月も陸に上がれない日々が続く船上の世界。そんな世界に長い間閉じこまれていると言っても過言ではない船員たちのストレスや疲労は当然のように蓄積される。

 故にガス抜きとして、船内休日が存在する。『アサヒ』のように船内休日の一部を利用して船内レクレーションを開催する船も少なくない。

 要は陸でいう運動会のようなもの。広い船上は運動会の会場として利用するにも持ってこいの場所だ。

 インド洋の洋上で行われた船内レクレーション。今回は三人の特別乗員も含め、これまでにない程の盛況ぶりとなっていた。

 やはり、彼ら海上保安官は運動に強かった。紅組、白組に分かれた乗組員たちはそれぞれ三人の特別乗員を含めバスケットボールやリレーをして競い合っていたが、彼らは予想通りというか飛び抜けていた。

 「お前ら、次の勝負で決めるぞ!」

 「おおー!」

 紅組で絶対的主力にしてリーダーシップを発揮しているのが三島という男であった。三人の中でも特に船員たちの人望を集めている彼は、このレクレーションにおいてもその頼れる存在感を露わにしていた。

 一方、岩泉と吾妻が座している白組。こちらは二人とあって頼もしい限りではあったが、最早『三島組』とも畏れられた紅組にギリギリ張り合うだけで精一杯という状態であった。

 「ああいう男が一人ぐらいいたな、中学の体育祭に……」

 見ているだけで汗を掻きそうな程に暑苦しい紅組を、白組の席から見ていた汐里の呟きに、隣で聞いていた吾妻が小さく噴き出した。

 「中学、という所が何故かあいつにピッタリなのがまた面白いな」

 爽やかな第一印象とは裏腹に、案外腹黒い部分もあるとわかったのはこの航海で得た成果の一つだ。

 「だけど僕も驚きましたよ。佐倉さん、運動得意なんですね」

 「得意という程でもありませんが、まぁ、体育の成績は悪くはなかったですよ」

 「いえいえ、十分我が社の採用試験も余裕の合格範囲内ですよ」

 吾妻は本気か冗談かわからない発言と同じくらいの笑みを浮かべる。

 「ちなみに佐倉さんなど女性の場合ですと、上体起こし13回、反復横跳び37回、鉄棒両手ぶら下がり10秒以上で合格基準です」

 案外簡単でしょう?と続ける吾妻に、汐里はいやいやと首を横に振る。

 「むしろ逆、案外難しいんでしょうそれ。若い人ならともかく、大人にはキツいでしょ」

 「それを貴女が言いますか」

 「私は若くないですから」

 なんか勝手に不貞腐れているように聞こえるが、汐里は純粋にそう思っていた。

 「貴女も全然お若いですよ」

 「だって私、――歳ですよ?」

 あっさりと自分の歳をバラした汐里に、吾妻は目を丸くした。

 「……驚きました。女性は自分の歳を隠したがるものだと」

 別に目を丸くしたのは、汐里の歳に対するリアクションというわけではなかったようだ。

 「そんなのただの見苦しい抵抗です。私もしますけどね、たまに」

 もちろん極力明かさない事に越した事はないが、このような男所帯に居る状況下では気にしても仕方がないという話もある。

 「……良いな、それ。うん」

 「?」

 聞き取れなかった程に小さく呟いた吾妻の声。しかし気にしない方が良さそうだったので追求は避けた。

 「私のような女は、あまり海保そっちにはいないんですか?」

 汐里の質問に、吾妻は少し考えるような仕草を取った。

 「うーん、そうですね。少なくとも僕の知る女性保安官は、実年齢をさらりと白状する人はいなかった」

 吾妻の返しに、汐里は笑う。

 「吾妻さんは彼女とかいないんですか?」

 こういう話に持っていくのは、汐里も純粋に恋愛話が好きな乙女であると自負しているから、というわけではないのだが、男女間の世間話としては普通に上がる話題の一つであると思う。

 「いやー、それがいないんですよ」

 予想外の答えに汐里は驚いた。汐里が吾妻に対して最初に抱いた第一印象の通り、ジャニ系のアイドルグループにも負けない程の顔を持っている。しかも公務員という最良物件も付いていてお得感満載なのに、モテないというのはさすがに嘘を付いているようにしか見えない。

 「えぇ? 吾妻さん、モテそうなのに」

 「そんな事ないですよ」

 いやいや、そんな事絶対あるって。

 しかし吾妻の方は謙遜などではなく本当の事であるように言った。

 「そもそも海上保安官と付き合いたい女の人なんていないと思いますよ」

 その吾妻の発言は、汐里を一番驚かせた。

 吾妻自身がモテるモテないは置いておくとしても、公務員の中で更に海上保安官という職業は女性にモテそうな雰囲気を醸し出している。合コンで「海上保安官です」なんて紹介されたらテンションが上がらない女性はいないのではないか。

 「というよりは、付き合ってもあまり上手くいくとは思えません」

 「どういう事ですか?」

 「海上保安官って色々な仕事をやるんですけど、それ故に給料も勤務体制も極端なんですよ。例えば海上勤務で長期間航海に出ると、まぁ手当は出るけどずっと会えなくなる。陸上勤務になれば一緒に過ごせる時間は増えるけど給料は海と比べるとガタ落ちになったり、とか。あと海上保安官って、休日も遠い所にデートとか旅行なんてできないんですよ?」

 「ええっ、なんで?」

 「いつ何が起きても、すぐに船に戻らなければいけないからです。だから、電波が届かない場所は絶対に行っちゃ駄目です」

 海上保安官はたとえ休日であっても、事件や事故が起きた時は必ず呼集に応じなければならない。なので基本的に休日に出掛ける際も船からなるべく遠く離れないようにしなければならないのだ。

 そして電波が届かない場所に行くのは禁句というのは、呼集は各保安官の携帯電話に掛けられるからだ。故に、例えば海上保安官は地下には行かない。

 「デートの途中で緊急呼集が掛けられたら、泣く泣く船に向かわなければならない」

 「海上保安官って、大変なんですねぇ……」

 「それでもイイと言ってくれる相手が居るのなら、その相手を持つ保安官は幸せです。まぁ僕は元からモテないタイプなので、今までの事は言い訳に過ぎませんがね」

 「……でも、気持ちはわかります」

 汐里の言葉に、今度は吾妻が驚く番だった。

 「私も長い間、船に乗っている事が多いですから。こんな私に彼氏なんて出来るはずもなく」

 「それこそ信じ難いです。佐倉さんのような素敵な方」

 「元々年齢イコール彼氏いない歴ですよ? 友人にも言われましたが、私には女らしさが足りないんです」

 「そんな事は……」

 何かを言いかけた吾妻を、汐里は手を上げて制する。いけないいけない、なんだか気を遣わせてしまっている。

 「やめましょうか、なんか悲しくなりますし。あ、振ったのは私でしたね」

 「……佐倉さんなら、きっと良い相手が見つかりますよ」

 「ありがとうございます」

 「少なくとも、僕は佐倉さんが彼女だったら――」

 何かを言いかけて、しかしゆっくりと口を閉ざした吾妻の様子に、汐里は首を傾げる。汐里の顔をじっと見詰めた吾妻はいえ、とその視線を正面に戻した。

 汐里もレクレーションの方に意識を戻す。丁度、最後の競技である綱引き対決が行われようとしていた。

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