log.5 公僕
日本を出航してから数週間。シンガポールに寄港後、海賊被害が報告される狭いマラッカ海峡を無事に通過し、インド洋に出た『アサヒ』は順調に目的地のペルシャ湾に向かっていた。
この航海の間に、汐里を始めとした『アサヒ』乗組員は三人の特別乗員との親睦を深めていた。長期間、船上で過ごす彼らは時にイベントを行う事でストレスを発散し、乗員間のコミュニケーションを確認する。最初は客人のような扱いだった三人が打ち解けるのも時間の問題だった。
吾妻は汐里の印象通り、周囲から好かれるような好青年であった。誰とでも上手く溶け込み、乗員達の仕事をよく手伝ってくれる。年齢は35歳で、三人の中で最年長らしい。顔の若さから汐里はもっと若いものだと思っていた。
体格が良い岩泉は口数は少ないものの、周囲に気を配る一面を持っている。年齢は32歳。料理が得意で、厨房の手伝いをしている光景をよく見かけた。
そして三島は――正直言って、よくわからない男だった。年齢は29歳と三人の中で一番若い。乗員の手伝いをするのは他の二人と同様だが、頭の中で何を考えているのかわからない人間だった。相変わらず汐里に対するデリカシーに欠ける態度は変わっておらず、しかし何故か男連中からは一番の人気だ。
汐里以外の乗員からの人気を集めている事と他の二人からも信頼を寄せられている通り、人望はあるようだった。
ただ唯一、この三人に対してあまり関わろうとしていないのが具志堅船長だけという話だった。
ある日、目的地であるペルシャ湾を目前にした航海の最中。当直で船橋に立っていた汐里は、特別乗員の吾妻が落ち込んだ様子で入ってきて不思議に思った。
「どうしましたか? 元気がなさそうですが」
汐里の質問に、吾妻が困ったような笑みを浮かべた。
「さっき、船長と今後の予定について話をしようと思ったのですが」
その一言で、汐里はある程度の事情を察した。特別乗員の三人組の中で代表格である彼は、その見た目と雰囲気通り、三人を代表して船長や機関長と打ち合わせをする姿が多く見られた。今回はペルシャ湾で積荷を満載し、日本への帰路に着いた後の予定を話し合うつもりだったらしい。
しかし何故か今回ばかりは、強く拒絶されたそうだ。
「今までは渋々でも相手はしてくれていたのに、突然の豹変っぷりに戸惑ってしまって」
吾妻にここまで言わせるとは、余程船長の態度が凄まじかったのだろう。
しかし汐里は船長が何故今回に限って吾妻に強く当たったのか、その原因に思い当たる節があった。
「ごめんなさい、吾妻さん」
突然頭を下げた汐里に、吾妻が驚きの表情を見せる。
「吾妻さんは何も悪くありません」
そう言うと、汐里は立ち上げたスマホの画面を吾妻に見せた。画面をジッと見据えた吾妻の表情が変化するのを見計らうように、汐里が言葉を並べる。
「多分、これのせいです」
汐里が吾妻に見せたスマホの画面には、ネットニュースの一面が載っていた。今の時代、船で長く日本から離れていても、電波が届けばスマホや携帯一つでなんでも情報が手に入る。ニュースだけじゃなくて、これから向かう先の天候や潮の状況まで知る事ができるのだから。汐里も前回の乗船前に買い替えたスマホを重宝している。
スマホの画面に映し出された記事には、こんな事が書かれていた。
『辺野古 海上で海保と抗議船が衝突 抗議船に乗っていた市民2人が負傷』
記事の内容には、沖縄県・辺野古の埋め立て工事を巡り反対する市民と警備を担当する海上保安庁が衝突した経緯が書かれていた。
政府と沖縄県の交渉が決裂し、交渉期間中に一時工事が中断していた辺野古の沖合で、工事再開に反対する市民が乗った抗議船が海上保安庁の警備船と衝突し、抗議船に乗っていた市民が負傷したというものだった。
負傷した市民二人の内、一人が右手首を骨折するなどの重傷だった。更に市民側は、抗議船に乗り込んだ海上保安官がそのまま負傷した市民を乱暴に拘束したと訴えており、海保側に謝罪を求めている旨が伝えられていた。海保側は保安官の行動は適切だったと反論している。
しかし記事は実際に起こった現場の流れより、ある部分をあからさまに強調しているのが目立っていた。
抗議船と海保の警備船が衝突したとあるが、実際の所は禁止区域に入ろうとした抗議船が海保側の制止を振り切ろうとした結果、抗議船の船首が海保の警備船の左舷側に突っ込んだというものだった。しかし記事のタイトルや内容には両者が衝突したという書き方が為されており、経緯の中で抗議船側が警備船の横腹にぶつかったという事はさりげないようにしか書かれていなかった。
しかも衝突の際に海保側にも乗組員が三人軽傷を負っているが、些細なもののようにしか書かれていない。
ともかく、記事は海保を非難するような内容で書かれていた。しかしこの記事が出ているという事は、この記事を書いた記者を含めこの事件に対し非があるのは海保側である、工事を断行した政府側が悪い、という考えを抱いている者が存在するという事と同じだった。
「具志堅船長は、この記事を見て、海保である貴方を拒絶したんだと思います」
まさか、と表情を浮かべた吾妻だったが、先ほど自分が受けた仕打ちを思い出したのか、何とも言えないような顔になった。何をされたのかは知らないが、本当に強く拒絶されたようだ。
そして何かに気付いたように、吾妻が汐里の顔を見た。
「もしかして、具志堅船長って……」
「はい、船長は沖縄の方なんです」
沖縄に多い具志堅という苗字からも察する通り、具志堅船長は沖縄出身であった。
「船長は宮古島の出身なんですが、ご家族が住んでいる家は本島の方にあって辺野古にも近いんです。辺野古の埋め立てにはとても強く反対していて、関連のニュースを見る度にああなるんです」
「船長が僕達に強く当たるのは、それが原因だったのですか」
吾妻はようやく納得したような顔を見せるが、おそらく内心は納得は何とかしていても理解はしていないだろう。それは当然だ。海保というくくりだけで、吾妻達まで嫌っているのだから。それはまるで子供のような言い草だ。
「でも、佐倉さんが謝る必要はないですよ」
吾妻は先ほどの困惑染みたものではない、いつもの笑みを浮かべた。
「僕達は公僕ですから、嫌われる事も珍しくありません。こういうのは慣れていますよ」
きっと渚だったら惚れてるだろうなという笑顔で、吾妻はそんな事をハッキリと言ってのけた。
本当にどうして、このような彼らが、こんな船なんかに乗ってきてしまったのだろう。
その理由を汐里が身を以て知る事になるのは、まだ先の事である。
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