第10話 グレイ
シクシクシクシク。
グレイは、岩陰に体育座りで座っていた。顔を両膝にうずめ、そばには端末が放り出してある。
……やっぱりな。
俺は溜息をつき、グレイの隣に黙って座った。
グレイが驚いて顔を上げる。その顔は、涙と鼻水でグチャグチャだった。慌てて袖で顔を拭うと、無理に笑顔を作った。
「あ、あ、桜田さん!すみません、いまちょうどそっちに向かうところでした!!はっ、はやく脱出しましょう……」
「いいよもう隠さなくて。……宇宙人小説家は、お前だったんだろ」
「……!!」
グレイの顔がぐしゃっと歪んで、涙がポロポロとこぼれた。
「まったく、泣くくらいならどうして、俺達にわざと自分を攻撃させるなんて事を言い出したんだ?黙ってりゃ分かんなかっただろ」
「……らってしょうがないし。ごごから出るにはそれじかないし……」
喋りながら、グレイはエグエグとしゃくりあげている。
「ぞうでもしなけりゃ、みんなでずっとごごにどじごめられて……うっうっ」
俺は上着のポケットを探った。こないだ駅前でもらったティッシュが入っている。俺はグレイにそれを渡した。
「あ、あじがどうございばず……」
グレイは大きな音をたてて鼻をかんだ。
「そもそもどうしてこんなこと企んだんだ?電波を送って人に小説を書かせるなんて」
「ぼ、僕……日本のマンガとかの影響で、自分でもなにか書いてみたくなったんです。でも、だれも読んでくれるひとがいなくて。僕の星では、今どき本をよむっていうひとはもうほとんどいないんです。ほかにもいろんな娯楽があるので……」
「そうなのか……」
「はい。それで、電波で地球のひとに送って代わりに書いてもらって、地球で読んでもらおうと……。こんなはずじゃなかったんです。ふつうのSF小説のはずだったのに、ストーリーがどんどん勝手にすすんでいって、ループになってきて……。なんだかおかしなことになってると思って、やめようとしたんです。そしたら、電波の送信機がなんか調子わるくて、僕、機械よわくて……あつかいかたがよくわかんなくて……」
「止められなくなっちゃったのか」
グレイはこくんと頷いた。
「電波がとめられなかったので、みなさんの方で書くのをやめてもらおうとおもったんですけど……」
「初めからそう言えば良かったのに。陰謀だとか大げさな話を持ち出したり、治安維持局だとか、名刺まで作ったりして」
「だって、地球では、『かたがき』がないと信用されなくて、話も聞いてもらえないって『にほんのせいかつガイド』に書いてあったから……」
「うん、君はなかなか勉強家だな」
俺は感心した。
「……そこまでしたのに、結局俺達が忠告を聞かずに書き続けちゃったってわけだな」
突然声がしたのでそちらを向くと、平野と松野が立っていた。
二人の顔を見ると、グレイは再びエグエグし始めた。
「桜田、お前よく分かったなあ」
「うーん、何となく」
「でもどうして、グレイさんまでこの世界に?」
「自分で作った世界に自分がハマり込んじゃうってどういう事なんだよ?」
俺には何となく分かる気がした。だが松野には理解し難いだろう。説明できるようなものではないので、俺は、
「まあ、よくあるよ。俺も」
と、さらりと流した。
「全部僕のせいなんですぅ。ごめんなさい……」
グレイは泣き止まない。
「全く、こんなメンタル弱いくせに無茶すんなよ」
松野はグレイの傍にしゃがみ込むと、さらに一枚、ティッシュを出して渡してやった。
「だ、だってべつに、死ぬわけじゃないですし。たかが言葉で、ちょっと心にヒビがはいるくらいなら……」
「ちょっと待て!!」
突然大声を出した俺に、グレイはびっくりして思わず泣き止んだ。グレイだけでなく、松野も平野も俺の方を振り返った。
「グレイ、君は勘違いしている」
「え……?」
「『たかが言葉』って君は言ったな。だけど、言葉っていうのは、単なる情報を伝えるツールじゃないんだ」
「……?」
「言葉にはね、力があるんだ。まあいわば、魔力みたいなものだ。その魔力には、人を祝福する力、呪う力の両方がある。使い方次第だ。ささいな一言が人の一生を左右することだってある」
「…………」
「俺は作家だ。俺は、言葉の力を信じている。言葉は、『たかが』言葉なんかじゃない。世の中には、言葉が持つ重みというものを知らない人間もたくさんいるけれども……」
「…………」
「君だって、小説家の端くれだったら、『たかが言葉』なんて絶対口に出しちゃいけない。もっと言葉の力を信じろ」
「……小説家のはしくれ……僕が……?」
グレイは俯いた。
「君は書いたじゃないか、あんな美しい小説を。それに君はこうして人前で泣けるような純粋な人間……というか宇宙人?なんだ。そういう君だからこそ、あんな繊細で美しい小説が書けるんだ。そういう君が、言葉の力を知らないとは俺には思えない。少なくとも俺は、君の小説は好きだ。もっと書いて欲しい」
「……はい」
グレイは、まだ涙に濡れた頬のまま、ようやく笑顔を見せてくれた。
ゴゴゴゴゴゴゴ……
夕立によく似た音が響き、この世界を空から壁まで引き裂いていた亀裂が、ゆっくりと閉じていった……。
「あああああ……」
松野が小さく、落胆の声を上げた。
俺達は、誰からともなく、まるでキャンプファイヤーでもするかのように輪になって座り込んでいた。
「これからどうなるんでしょうね、私達……」
平野が呟いた。皆がチラリと平野の顔を見た。
「グレイ。桜田も。何か考えは無いか?」
「そういうお前は?」
俺と松野は顔を見合わせて、黙り込んだ。グレイもただ首を振るだけだ。
「このままずーっとここで暮らすなんて、嫌だぞ俺は」
松野が仏頂面で言った。
「俺だってそれは困る。だいたいそれじゃ、この、『宇宙人小説家の陰謀』のオチがつかないじゃないか」
「……あ!」
平野が小さく叫んだ。
「あの、私、ちょっと思いついたんですが……」
平野はおずおずと口を開いた。全員の、期待のこもった眼差しが平野に注がれた。
「素人考えで恐縮なんですが。そもそもこの世界に来てしまったのは、小説が原因でしたよね。同じように考えればいいんじゃないでしょうか。ええと、つまり、小説に書くっていう方法で……」
「……あ!」
俺とグレイは同時に叫んだ。どうしてそれに気付かなかったのだ。これは小説だ。要は、小説の続きを書けば良いんじゃないか?
「そうだ!どうして気付かなかったんだろう。平野さん、あんたすごいな。さすが、きめ細かいことこに気づくな」
松野が心底感心したように言った。そして、笑顔を見せた。そのインパクトは絶大だった。なにしろこれまでで始めて、松野が笑顔を見せたのだ。いつも厳しく近寄りがたい雰囲気の松野の笑顔は、思いがけず優しげで暖かな笑顔だった。平野は、「いえ、そんな……」と謙遜しつつも、少し顔を赤くした。
……なるほど。これが人心掌握術というやつなんだなあ。俺は内心思った。これには、人がついてくるだろう。松野が若くしてカリスマ社長となったのも、何となく理解できる気がした。
「じゃあ、さっそくやりましょう!ぜひ、桜田さんにおねがいしたいと思うんですが」
グレイが言った。
「え?俺?」
「はい。小説の電波送信はもうとまってるみたいですが、また三人で書いてしまったら、結局ループになっちゃいます。だからここから先の展開は、桜田さんに書いてもらうのが良いかと思うんです。桜田さん、どうかこの、『宇宙人小説家の陰謀』を完結させて下さい。おねがいします」
「ええ、私も、それが一番いいと思います!桜田さん、お願いします」
平野が、俺に熱心な目線を送る。
「……まあ、みんながそう言うなら、いいよそれで、俺も。あんた一応プロだしな。あんたに書いてもらうのが最善策だろうな」
と、松野。
俺はしばらく黙って考えた。
「桜田さんにしかできません。それに、桜田さんならきっとこの『宇宙人小説家の陰謀』の結末を、すばらしいものにしてくれるとおもいます!」
グレイが力説する。
「まあ、そんなにいわれると悪い気はしないな」
俺はポリポリと頭を掻いた。
「分かったよ。やってみる」
俺は適当な岩を見つけて腰掛けると、タブレットを膝に乗せた。タッチパネルキーボードは入力しづらい……だが贅沢を言っている場合じゃないしな。
俺はゆっくりと、書き始めた。
「……なぁ。まだかよ?」
松野はすっかり退屈して、岩にもたれかかって伸びをした。
「…………」
平野は背中を丸めて斜めに岩に寄りかかり、居眠りをしている。
「まあまあ、松野さん。邪魔しちゃいけませんよ」
グレイが松野をたしなめる。
「……もうちょっと待っててくれ」
俺は画面を睨みつけつつ答えた。さっきから、指がちっとも動いていない。筆が乗らない。
「だってさっきから、全然進んでないみたいじゃないか」
短気な松野が、一応は苛立ちを抑えつつ言った。
「……うるさいな!アイデアが浮かばないんだよ!仕方ないだろ!」
ああまた癇癪を起こしてしまった。だがそれも仕方ない。こんな期待を込めた目で絶えず監視されている状況で、プレッシャーを感じつつ書くのは精神力が要る。いわゆるカンヅメ状態というやつだ。
「いいじゃんかよ、そんなこだわらなくても。何でもいいからちゃちゃっと書いてくれよ」
「そうはいくか!!一応、それなりのもの書かないと……」
「じゃあ俺も一緒に考えてやるよ。そうだな……この世界の事は全部夢でしたってのはどうだ?よくあるだろそういうの」
「……絶対書かないぞ、そんなの!!」
「何でだよ?」
「夢オチとか、もうチープの極みだろ!!そんな使いつくされた展開、プロとして、俺は断じてそんなもの書かないぞ!!」
またこれだよ。と、松野の表情がそう言っていた。だが口には出さずに堪えている。
「じゃあ、主人公が一人で敵の本拠地に乗り込んで行ってドカーン」
「俺を殺すなよ」
「じゃあ死んだと思わせて生きてる」
「…………」
「じゃあ、なんか誰かが宇宙船で助けに現れて、脱出した途端にドカーン」
「ご都合主義!!」
「まあまあ、桜田さん。とりあえず何か書きはじめてみたらどうですか?手をうごかして書いてるうちにアイデアがうかぶって、よくあるじゃないですか。書いて、気にいらなかったら消せばいいだけの話ですよ」
俺と松野が話をするとどうしても最後はケンカになるという事を、いい加減グレイも掴んでいるようだ。たしなめつつ、折衷案を出してきた。
「でもなあ……」
まあでも、確かにグレイの言うことも一理ある。とにかくただ画面を睨んでいるよりはマシかもしれない。それに……。俺は居眠りしている平野を眺めた。寝顔に疲れが伺える。あまり感情にまかせて物を言う事のない平野だが、内心はきっと不安でいっぱいだろう。
うん。そうだな。元の世界に帰してやらなきゃな。それが俺に出来るのなら。
「……そうだな。分かった。じゃあとにかく書くよ。気に入らなかったら、後で消せばいいんだしな……」
俺はもう一度平野の寝顔をチラリと眺め、ゆっくりと書き始めた。
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