第8話 ファンタジーらしい冒険
俺達は、ともかく歩いてみることにした。俺達のタブレットや携帯に表示されるWi-Fi電波強度の表示をヒントにするのだ。もし電波が強くなれば、それはこの空間に空いた「隙間」に近いということだ。たったそれだけの手がかりでも、あてもなく彷徨うよりは遥かにマシだ。手分けして探す事も考えたが、はぐれてしまったら会うのが大変だし、何があるか分からないので集団で動こうという事になった。
俺達は黙々と歩き続けた。だが、
「ちょ、ちょっと待って……」
案の定、最初に音を上げたのは俺だった。
俺の前を歩いていた平野が振り返る。
……汗一つかいていない。それに比べて俺はぜいぜい息をして、もう限界だった。俺はつくづく、足で稼ぐ営業マンの体力に感心した。
「大丈夫ですか?ちょっと休みましょう」
平野は俺の肩を軽く叩き、座らせた。やっぱり良い奴だ。
年がら年中椅子に座ってキーボードを叩き続け、移動といえば家の中だけの俺。平野や松野との、日頃の運動量の差は歴然としていた。
「松野さーん!ちょっと待って下さーい!」
先頭を早足で歩いたまま俺達に気づかない松野に、平野が大声で呼びかけた。松野が振り返り、戻ってくる。
「どうした?」
「ちょっと休みましょう」
平野はさりげなく俺の隣に腰掛けていた。
「もう休憩かよ?まだ30分も歩いてないぞ!?」
松野に呆れたように言われ、俺は内心、やっぱりこいつは嫌な奴だと思った。
「まあまあ、あせってもしょうがないですよ。まだまだ先はながそうですし」
言ってから、グレイは、「しまった」という顔をした。
俺達の四方を地平線がぐるりと囲んでいる。その果てに何があるのか、いやそもそも果てがあるのかさえ、分からない。
つい余計な事を言ってしまう所は、俺とよく似ている。俺はグレイの顔を眺めながらつくづくそう思った。
幸いな事に、この世界には昼夜の区別がないらしい。休憩しながら俺は岩に背をもたせかけ、空を眺めた。そこに浮かぶ二つの月は、さっきからいっこうに位置を変えていない。俺は今朝から何も食べていなかったにも関わらず、いっこうに空腹を感じていない事に気づいた。もしかしたら、ここは時間のない世界なのかもしれない。なにしろ異世界だしな。俺はぼんやりと空を眺めながら、そんな事を考えた。
気温は寒くも熱くもなく、俺達の着ている春物の服で調度良いくらいだった。湿度も快適で、これで花でも咲いていれば結構居心地は悪くなさそうだ。
俺はタブレットの画面をチェックした。表示されているWi-Fi電波強度は、歩き始める前と変わらない。
「……さて、そろそろ行こうぜ」
松野がせわしなく立ち上がった。
「もういくんですか?」
グレイも俺と同じく辛そうだ。オタクは運動に向いていない。
「行こうぜ。俺はこんな所でのんびりしてる時間無いんだよ。早く帰らないと。俺にはやらなきゃいけない事が山ほどあるんだ」
「……何だよそれ。まるで俺達はヒマ人みたいな言い方だな」
松野の言い方に少しムッとした俺は、思わず呟いてしまった。
「そんな心配しなくても大丈夫だよ。ここは時間の流れが止まってる。あの月の位置もさっきから変わってないし、腹も減らないだろ。何しろ異世界だからな、そういうもんなんだろ」
松野は慌てて、自分の腕に付けた高そうな腕時計を見た。納得したらしい。むっつりと黙り込んだ。ザマミロ。
「そんなことも気付かなかったのか。優等生だったか知らないけど、意外と鈍いんだな。ああ、あれか。勉強『だけ』はできるってやつか」
「なんだと!」
ちょっとからかっただけのつもりだったのに、松野はムキになって食って掛かってきた。
「お前に言われたかねえよ!お前だって高卒のくせに!!」
これには俺も、ムッとした。
「俺はね、クリエイティブな世界の人間なの!お前と違って。地位とか収入でしか自分を語れない奴って、ほんと可哀想だなあ」
「バッカじゃねーの。何がクリエイティブだよ。ずーっと好きなことばっかりやって、ちゃらんぽらん生きてきたくせに!偉そうな事言ったって結局あんたみたいのは、普通の人間が誰でも出来ることが出来ないんだよ!それがたまたま運良くプロになれたもんだから、勘違いして調子乗ってるんだろ。俺はなあ、努力してきたんだよ!必死に働いて!好きな事も我慢して、がんばってきたんだよ!お前なんかに俺の何が分かるんだよ!!」
三ヶ月で営業職をクビになった思い出が俺の胸に浮かんだ。こうなるともう、売り言葉に買い言葉だ。
「自分一人が不幸みたいに浸ってるんじゃねーよ!俺だって、色々あったんだよ!皆それぞれ色々あんの!青年実業家とか言われてちやほやされたって、そんな事も分からないようじゃ、まるっきり子供だな!」
「いいよなあんたみたいな身勝手な人間てさ!羨ましいよホント。どうせ誰が何と言ったって、自分の好きな事以外はなーんも目に映ってないんだろ。迷惑してるのは周りの人間なんだよ!あんたB型だろ!絶対そうだろ!悪いけど俺はあんたと違って周りの事も考える人間なんだよ!」
「人のせいにすんなよ!お前みたいな奴、ホント一番たち悪いよ!やろうと思えばいつだって、好きな事できたんだよ本当は!俺だってなあ、周り全部が味方だったわけじゃない。お前はただ見栄っ張りなだけなんだよ!周りの人間に優秀だって思われてたいんだろ!だからいつもデキる男ぶって、そのくせ心の中では被害者意識でいっぱいなんだろ。ほんと陰険だよなー!お前は好きなこと我慢してとか言ってるけどな、本当はなあ、好きなことなんて何も無かったんだよ!本当に好きだったらなあ、周りになんて言われようと、関係なくやり続けるもんなんだ!やめられるようなもんじゃないんだよ!お前は世間からは成功者って思われてるかもしんないけどな、所詮そういう薄っぺらい人間なんだよ!」
「うるせえこの底辺!貯金いくらあるか言ってみろ!」
「黙れ!俺はなあ、文豪だぞ!」
「うっせーこの三流ラノベ作家!文豪ってのはなあ、太宰治とか宮沢賢治のこと言うんだよ!一緒にすんじゃねえよ!」
「三流だと!?もっかい言ってみろ!」
「言ってやるよ!三流!三流三流!」
「なんだと!」
「本当のことだろ!」
俺達は互いに引込みがつかなくなって、もうめちゃくちゃにわめき合った。しかし……。さすがに俺はもう、若い頃のように殴り合いをする気力体力は無いのを感じていた。殴り合いどころか、怒鳴っただけでなんかもう、ちょっと息が切れてきた。俺と松野はゼーゼー言いながら無言で睨み合った。だめだ。肺活量が足りない。歳は取りたくないもんだ。
その時、ぽかんと口を開けて俺達を眺めていたグレイが突然叫んだ。
「あー!僕知ってますこういうの!きのう単語の勉強してて、ちょうどでてきたんです!ええと、こういうの、『オトナゲナイ』っていうんですよね!?そうでしょ?」
日本語ボキャブラリーの豊富さを、得意満面の笑みで披露した。が、
「うるさい黙ってろ!このゆとり!」
と、俺と松野の見事にハモった声で一蹴されてしまった。しかし勉強家の宇宙人はめげずに、手元の端末で聞き覚えのない単語「ゆとり」を検索し始めた。
「……あの、グレイ、さん」
まだ端末を覗きこんでいるグレイに、平野が震える声で話しかけた。しかしグレイは夢中だ。
「ちょっとおまちください……今……」
「グレイ!!危ない!」
松野の叫び声に、グレイははっとして顔を上げた。その目の前には、さっきまで空を飛んでいた、翼の生えた黒い獣のようなものが立ちはだかっていた。大きさはグレイの身体の二倍ほどもある。異世界ファンタジーにはつきものの、なんか魔物的なやつだ。
「うわああぁぁぁっ!」
パニックに陥ったグレイの叫び声を合図にしたように、俺達は一斉に逃げ出した。
残念ながら俺達はファンタジー世界のヒーローではない。こんな得体の知れないものからは、逃げる以外に何が出来るだろう。
俺達は走った。死に物狂いで走った。
しかし。案の定、俺とグレイは遅れをとった。俺達二人のかなり先を、松野、そのすぐ後ろを平野が、
「ひゃああああぁあぁぁ」
と、情けない声を出しながら走っていく。
「うわぁ!!」
俺のすぐ後ろで、グレイの声がした。走りながら振り返った俺の目に、転んでしまったグレイと、そこに今にも襲いかからんばかりの怪物の姿が映った。
一瞬、俺は戸惑った。動けなかった。
その時だった。俺のすぐ脇を、松野が、怪物に向かって風のように駆け抜けていった。
「おらぁ!!」
気合の入った一声と共に、怪物に松野の渾身の蹴りが入った。怪物がよろめいた隙をつき、松野はグレイの腕をすごい勢いで掴んで引き起こし、引きずるようにして再び走り始めた。
「早く!」
立ち止まったままの俺もその声で我に返り、二人と一緒に再び走り始めた。
体勢を整えた怪物は、恐ろしい叫びを上げつつ空に舞い上がった。どうやら怒らせたようだ。俺達がどれだけ走っても、まるでからかうように頭上を旋回しつつ追ってくる。いつでも飛びかかれる射程距離圏内だ……。
そして次の瞬間怪物は、旋回を止めたかと思うと、俺を目指して空中からきりもみ飛行で舞い降りてきた。見上げた俺は、そいつと一瞬目が合った。もうダメだ。俺は覚悟を決めた……。だが危うい所ですぐ後ろを走っていたグレイに突き飛ばされ、そのおかげで怪物は目測を誤った。怪物は地面すれすれのところで翼をひらめかせて方向転換し、再び空に舞い上がった。
「桜田さん、がんばって!!」
言いながらもグレイは走り続けている。
俺も走った。人生でこんなに走ったことはない、という位走った。
怪物はすごい速さの低空飛行に切り替えた。その大きく鋭いクチバシ状のものが、鈍い光を反射している。この速度で、あんなので突き刺されたらひとたまりもない……。
怪物は再び俺に的を絞った。俺をめがけて、真横から向かってくる。そして鋭い爪とクチバシで襲いかかろうとしたその瞬間……。
俺は咄嗟に身を伏せた。
目標を外したクチバシは、俺の身体のすぐ上の空中を、風を切る音と共に通り過ぎた。怪物は怒りの呻き声を上げると、方向転換……
バンッ!!!!
凄まじい音がした。次の瞬間、怪物はまるで叩きつけられたかのように地面に落ちた。その音に、全員が思わず足を止める。怪物は地面に身体を横たえたまま、ピクリとも動かない。
俺は急いで起き上がったが、一体何が起こったのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
松野が、恐る恐る怪物に近づいて行った。
「ちょっ、ちょっと、松野さん!危ないですよ!」
平野が泣きそうな顔で止めに入ったが、松野は、
「大丈夫……」
と呟きゆっくり歩いて行った。俺も後に続いた。
近くまでゆくと、怪物は目を開けたまま地面に惨めな姿を横たえているのが分かった。死んではいないようだが、動き出す気配は全くない。俺は思わず胸を撫で下ろした。グレイと平野も、ビクビクしながら近くまでやってきた。
それにしても、一体何が起こったのだろう。
さっきはまるで怪物が何かにぶつかったような音がしたが、そこにはぶつかるような木も岩も、何一つ無い。俺達はわけが分からず、互いに顔を見合わせた。
俺は怪物の周りを見まわした。怪物はまるで空中の見えない何かにぶつかったかのように思える。俺は無意識に空中に手を伸ばした。
コツンッ。
伸ばしたその手が何かにぶつかった。俺は驚いて思わず手を引っ込めた。
「何ですか?今の」
平野が驚きの声を上げた。
「どうした?」
跪いて怪物を調べていた松野も顔を上げた。
俺は再度、そろそろと手を伸ばした。目に見えない何かが、俺の手のひらにぴったりと触れた。
手探りしてみると、それは壁みたいなものだった。見えない壁。目に見える限りでは、俺達の周りには荒野が地平線まで果てしなく広がっているのだが、よく見ればそれは見えない壁に描かれているだけだったのだ。ちょうど、舞台セットの背景のようだ。怪物はこれにぶつかったのだ。
「これは……。この世界の端っこ、ということなんでしょうか……?」
と、平野。
探ってみたが壁には切れ目がない。どうやら、ずっと続いているようだ。
「よし。この壁に沿って歩くんだ」
松野の提案に全員賛成した。松野は尖った形の小石を拾うと、壁のすぐ脇に生えていた木の幹に大きく×印をつけた。
俺達は壁を見失わないよう、片手を壁につけたまま歩き始めた。
「……思ったより、狭かったな」
「……だな」
「ですねえ……」
二時間近く歩いただろうか。俺達は顔を見合わせて立ち尽くしていた。なんと俺達は壁伝いに一周し、元の×印の地点まで戻ってきてしまったのだ。
「見掛け倒しだな」
誰にともなく俺は言った。
「うーん、ここはつまり、宇宙人小説家の心の世界みたいなものなんでしょう。だから、心の大きさがそのまま反映されてるんでしょうね」
平野が言った。
「ちっせえな……」
松野がボソリと呟いた。
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