第7話 異世界 (憧れの)

 頭が痛い。ガンガン痛む。ああ、また飲み過ぎた……。

 俺はぱっと目を開いた。違うぞ。昨夜は飲んでいない。というか、俺はさっきまで小説を書いていたんだ。「宇宙人小説家の陰謀」の続きを。そして……それから?

 俺は自分の身体が横たわっている事に気づき、上半身をゆっくりと起こした。背中も頭もゴツゴツした場所に押し付けられていたようで、ひどく痛む。俺は辺りを見回した。

「どこだ……ここ」 

 岩だ。そこは、見渡す限り岩だらけの荒野のようだった。妙な形をした、細長く背の高い大きな岩があちこちにそびえ立っている。まるで威嚇するかのようなそれらは、古代の遺跡か何かの様にも見えた。そしてその合間合間に、ひょろひょろとして頼りなげな痩せた木々がぽつん、ぽつんと点在している。葉の無いその木々は、石ころだらけでほとんど草も生えていない乾いた地面に、不気味な触手のような影を落としていた。しかし光は薄ぼんやりとしていて、朝なのか夕方なのかさえ良く分からない。空を見上げると、輪郭のはっきりしない、どうやら月と覚しき天体が二つぼんやりと浮かんでいる。一つは赤、もう一つは緑色だ。

「なんですか……?ここ」

 俺の隣で声が聞こえたのに驚いて視線を向ければ、そこには誰かが力なくへたりこんでいる。スウェット姿。少しぽっちゃりとした体つき。気の弱そうな、しかし柔和な表情……。

「……平野!?平野健一!?」

 俺達の目線が合った。平野の小さめの瞳が大きく見開かれた。

「……もしかして、桜田、洋一、さん?」

 自分が創作した人物を、実際にこの目で見るなんて。なんとも言えない、落ち着かない気分になった。もし自分の小説が映画化されたとして、俳優が俺の創作した人物を演じているのを見る時は、こんな気分なんだろうか。

「俺もいるぞ」

 背後からの声に、俺と平野は同時に振り返った。そこには背の高い細面の男が、憮然とした表情で立っていた。そこそこ、男前だ。趣味の良い、カジュアルだが実は高そうな服に身を包み、俺と平野の二人をほとんど睨みつけんばかりの顔で見ていた。

「お前は……松野、真司……?」

「……ああ」

 憮然とした表情を崩さず、青年実業家、オンライン学習ビジネスの革命児、松野真司は俺に答えた。

「あんた……桜田洋一、だよな?」

「……そうだ」

 松野は平野の方を向いて顎をしゃくった。

「んで、あんたは……」

「あ、私は、平野です。どうも始めまして」

 平野は機敏な動きでさっと立ち上がると、軽くお辞儀をした。

「あ、これはどうも」

 松野もつられてそうした。二人のビジネスマンに囲まれて、俺は何となくばつの悪い思いをしなければならなかった。


「ところで……。ここはどこなんでしょうね?私達はお互いの書く小説の中にいたはずなのに、いったいどうして、今ここに三人揃っているんですかね?」

 挨拶がひと通り済むと、平野が、不安そうな顔で俺と松野を交互に見比べながら言った。

「俺にもさっぱり分かんないよ。さっきまで自分の仕事場にいて、『宇宙人小説家の陰謀』の続きを書いていたはずなんだ。それが、気がついたらこんなとこにいて……」

 俺も、平野と松野を交互に眺めて言った。

 松野は黙ったまま、するどい目つきで辺りを伺っている。

「ここは、『ループの中心』ですよ」

 ふいにどこからか声が聞こえて、俺達三人はびくっとして辺りを見回した。すぐ近くの岩の影から、グレイが現れた。

「グレイ!君もいたのか!」

 こんな不安な状況で知った顔を見つけて、俺は救われた気分になった。俺の顔には安堵が現れていたに違いない。が、グレイの表情はそうではなかった。

「みなさん、あれほど言ったのに……」

 グレイは恨みがましく、三人の顔を交互に眺めた。

 返す言葉も無い。俺はうなだれた。

「……ごめん」

「……すみません」

「…………」

 グレイは一瞬はっとした表情を見せたが、無理に笑顔を作って優しい声で話しかけた。

「あ、いえ、そんな。せめてるわけじゃ……。まあともかく、みなさんおケガありませんか?」

 しかしその笑顔の中にも、不安の影が色濃く宿っている。これは思ったより悪い状況なのかもしれない。俺は嫌な予感がした。

「ああ、どうやら全員無事みたいだ。お前は、俺に電話してきた、宇宙人……だよな。お前が俺達をここに連れてきたのか!?」

 気の短い松野は、早速怒りを露わにした。

「あ、あの、いえ、そういうわけじゃ……」

 可哀想に、グレイはしどろもどろになった。

「じゃあこれはいったいどういう状況なんだ?説明してくれ。その、ループの……中心?って何だ?」

 グレイは大きく息をつくと、慎重に、言葉を選んで話し始めた。

「ええと、つまりですね。桜田さんは、小説の中で平野さんという人物をつくりだしました。そしてその平野さんは、おなじように、小説の中で松野さんをつくりだしました。さらに松野さんもおなじように……。みなさんそれぞれがご自分の心のなかの、『違う自分』を、小説のなかでうみだしたわけです」

 突然、ギャアギャアという動物の声が頭上から聞こえて、俺達は一斉に天を仰いだ。鳥だか恐竜だか何だかよく分からない、翼のある大きな黒い生物が上空に弧を描いている。その不気味さに俺はぶるっと身震いした。気の小さい平野なんかは、今にも泣き出さんばかりの表情だ。

「うん、それで」

 不安を打ち払うかのように、松野が視線をグレイの顔に戻して先を促した。

「あ……はい。それでその、みなさんもお気づきだったかとおもいますが、ここにいわゆるループが完成したわけです」

 そうだった。俺は思い出した。

 俺は平野を眺めた。俺が創り出した平野。幸せな普通の生活を送る、普通の男になってみたいという思いで、俺が創りだした平野。

 平野は同じように松野を眺めている。何か人と違う、普通でない事を成し遂げられる、優秀でエネルギッシュな松野。まるでヒーロー小説の主人公のような松野。平凡な男・平野健一が創りだした、非凡な男・松野真司。

 視線を松野に向けると、目が合った。

 ……俺?松野が創りだした……俺?努力家で向上心が強く、常に人の上を行く事を人生の目的としてきた松野。他人など気にせず、自由気ままに自分の好きな事に邁進する人生を空想し、俺、桜田洋一を創りだした……?

 これはどういう事だ。「俺」は一体……現実なのか?小説なのか!?

 俺達三人は顔を見合わせた。それぞれが、他の二人の考えが手に取るように分かっていた。三人共が、全く同じ事を考えているのだ。

 グレイは説明を続けた。 

「ほんらいであれば、みなさんはこのループ、いわゆるわっかのまわりを、ぐるぐるとまるで追いかけっこをするように、周りつづけけているはずだったんだとおもいます。気づかないまま、永遠に。要はとじこめられた状態です」

「……それが今どうして三人共ここに、この、あんたが言うところの『ループの中心』に、一同に会しているわけなんだ?」

「たまたま、入り口ができちゃったんだとおもいます。シンクロしたことで」

「……シンクロ?入り口?」

「ええ。つまりですね、みなさん方三人の、なんというか、思考とか意識とか精神の波長みたいなもの。それがほんの一瞬ぴったり重なりあってしまったんです。すごーくかんたんに言えば、『気が会っちゃった』んですね。そして、ええと、重なりあったことでループの円周上からループの中への入り口ができて、みなさんはそこからすいこまれてしまったんだとおもいます。日蝕、ですか?ああいうかんじをイメージしていただけるとわかりやすいかと。ちょうど太陽と月がかさなってカゲができるようなかんじで、入り口ができたとかんがえてもらえると」

 日蝕。月と太陽が重なり合って、黒い影ができる。確かにそれはまるで太陽の内部に入り込む入り口のようにも見える。つまり、太陽と月のように俺達三人の心の動きが重なり、その影のような入り口が開いたというわけなのか。

 と、いう事は。つまり、俺達が今いるここは、いわゆる……?

「異世界ってやつか!?」

 俺が急に大声を出したので、全員驚いて俺の方を見た。だが俺は構わず続けた。

「なあグレイ君、そうなのか!?ここは地球上とか宇宙のどこかじゃなくて、違う次元の世界っていうか、要は異世界ってことなんだろ?なあそうだろ?」

 早口でまくし立てる俺の勢いに押されて、グレイが答えた。

「ええ、まあ、みなさんがたの言い方をすれば、そうなりますね……」

 ……すごい。

 ……すごいぞ。

 異世界!!!!

「うおおおおお!!やった!!すごいぞ!!!」

 俺は大急ぎで上着のポケットに手をやった。が、しかし。ポケットは空っぽだ。いつでもアイデアを書き込めるよう肌身離さず持ち歩いているメモ帳は、仕事場の机の上に置きっぱなしだったと俺は思い出した。落胆しかけたその時、俺は、自分がしっかりと片手にタブレットを握っている事に気づいて狂喜した。さっき意識を失う寸前、咄嗟に掴んだのだろう。良かった。俺はすぐさまメモを取り始めた。

 異世界。あの。憧れの!!ファンタジーを書く作家なら誰でも、こんなシチュエーションを夢見た事は一度や二度じゃないはずだ。

 ええと、とりあえず、あたりの風景とかから始めようか。なるべく詳細に書き込んでおかなくては。

 俺は一心不乱にメモを取り続けた。これはあとで素晴らしい情景描写の小説になるぞ。なにしろ本物の異世界をこの目で見て書くんだからな。俺はメモを取りながらもニヤニヤ笑いが止まらないのが自分で分かった。

「おい、桜田」

 …………。

「桜田さん……」

 ……うるさい。

「あの、おいそがしいところすみませんが……」

「うるさい静かにしろ」

「……あ、はい、すいません」

「…………」

「…………」

「おい、あんた何やってんだよ」

 ……!

 しつこい。俺はキレた。

「うるさい!作業中は邪魔するなっていつも言ってるだろ!」

 怒鳴ってやった。俺は執筆に没頭している時に邪魔されるのが、何より嫌いなのだ。

「作業中って、あんた何考えてんだよ?こんな非常事態にまで小説か!?」

 松野が逆ギレした。

「悪いかよ!異世界に来るチャンスなんて、もう二度とないかもしれないだろ。ちゃんとメモ取っておかなきゃ、もったいないじゃないか!」

「馬鹿かあんた!」

 神聖な執筆活動を邪魔された上にバカ呼ばわりされた。俺は完全に頭にきたので言い返した。

「何言ってんだ。だいたい元はと言えば、グレイがわざわざ電話して忠告したのに、お前が小説を書き続けたせいで俺達こんな場所に来ちゃったんだろ。来ちゃったもんはしょうがないじゃないか。とりあえず元は取らなきゃ」

 松野は一瞬言葉に詰まった。ざまあみろ。だがそこはさすがに回転の早い松野だ。すかさず言い返してきた。

「だけど、俺が書き続けてなかったら、お前は今頃存在しないんだぞ。そしたら平野だって」

「……ちょ、ちょっと待てよ!逆だろ!俺が書いたから平野がお前を書けたんだぞ!」

「何言ってんだ!俺がお前を書いたんだぞ!そんでお前が平野を書いて……」

 俺達は互いに黙ってしまった。誰が最初に誰を書いたのか?俺達は三人共、それが自分だと思っている。自分こそが現実の存在で、あとの二人は小説の中の存在に過ぎないのだと。三人共がそう考えているのだ。正しくループだ。なんとなく寒気がした。

 この問題については、とりあえず触れずにおこう。暗黙の了解が、俺と松野の間に成立した。


 じっと様子を見守っていた平野がこの瞬間を見逃さず、すかさず割って入った。

「まあまあ、桜田さんも松野さんも……。とりあえず今は、こんな状況ですから、ね。みんなで団結しないと、どうにかなるものもなりませんよ。ね?」

 穏やかな声音でたたみ掛ける。さすが有能な営業マン。ネゴシエーションは得意技だ。

「ところで……。グレイさん、でしたっけ」

 平野は穏やかにグレイに問いかけた。

「さっきの話の続きですが。ここはいわゆる異世界で、『ループの中心』?でしたっけ?そういった場所だって事なんですけど、私達としてはこれからどうすればいいんでしょう?どうやったらここを脱出して、元の世界に戻れるんでしょうね?」

 優しげな声でグレイに説明を求めた。ところがグレイは、

「それは……僕にも、ちょっと……」

 と、口ごもった。その返答に俺達三人はひきつった。

「え……君にも分かんないの?じゃあもしかして、俺達はもう……」

「帰れないのか!?」

 松野が、俺の言葉を遮って大声を出した。まったく外資系はこれだから。いきなり結論から入る。言葉をオブラートに包む習慣がない。しかし今度はさすがに言い争っている場合じゃないのが俺にも分かったので、余計な事は言わなかった。

 グレイは言い難い事を、一生懸命言葉を選びつつ俺達に伝えようとしていた。

「ええと、なにしろループですから……。ループというのはつまり、とじられた空間ということです。そしてそのループを作りだした本人である彼の観念上の世界にある空間である以上、そこにいわばとじこめられた状態にある僕たちにできることは……その……たぶん……」

「無いってことか」

 松野が言葉を引き取って呟いた。

 俺達三人は絶望の表情を浮かべ、互いの顔とグレイの顔とを交互に見合わせた。今さらながら、俺の心に恐怖感がじんわりと浮かんできた。本当にもう、俺達はここから出られないのか。出版社に原稿を送れなければ、せっかくの異世界体験が無駄になってしまう……。言うべき言葉も見つからず黙って俯くと、まだ片手に握りしめたままのタブレットにちらりと目をやった。画面の背景には、去年家族旅行で北海道に行った時の写真が大きく映しだされている。写真の中の娘の顔に胸が傷んだ。娘にも妻にも、もう会えないのだろうか。

 その時だ。俺は気づいた。一瞬、自分の目が信じられず、見間違いかと再度目をこらしてみたが……間違いない。しかし、そんなまさか。どうして?いやでも確かに……。

「お嬢さんですか」

 俺がタブレットを食い入るように見つめているのに気付き、平野が俺の手元を覗きこんで呟いた。家族思いの平野の事だ。きっと子供達の事を考えていたのだろう。しかし俺は平野の言葉には答えず、画面上のアイコンを指し示した。

 タブレット画面の右上に小さく、Wi-Fi接続のアイコンが光っている。

――ネットに繋がっているのだ!

「これ、今気づいたんだけど、ネット繋がってるみたいなんだ」

「え?」

 想定外の俺の言葉に、全員が一斉にタブレットに注目した。俺は指でその証拠のアイコンを指し示して、みんなの顔を見回した。

 次の瞬間、松野が大声で笑い出した。

「そりゃあすげーな!ネットが繋がるって。異世界まで電波が届いてるのか!!で?それがどうしたんだよ?ネットが繋がればそれで俺達が助かるのかよ!?119番にでも救助を頼むのか!?」

 半分やけになって、攻撃的な態度で喰ってかかってきた。

「別に、そんな言い方してなくてもいいだろう!?ただ俺は……」

「ちょっ、ちょっとまってください!」

 突然グレイが割って入った。

「本当なんですか?それ?たしかに?」

 なんだかえらく興奮している。そのグレイの様子に押され、平野と松野も思わずポケットから携帯を取り出した。俺も念のためブラウザからYoutubeを開くと、トップページにあった適当な動画をクリックしてみた。動画はきちんと再生された。

「やっぱり、つながってるよ」

 グレイの方を振り向くと、その表情がさっきまでとは打って変わって明るいのに俺は驚いた。平野と松野も気付いたらしい。

「で?ネットが繋がったらどうなんだ?」

 松野が幾分言葉を和らげて尋ねた。

「さっき、僕、この空間はループで、とじられた空間だと言いました。でも……ネットがつながるってことは、どこかにWi-Fiの電波がはいってこられるようなスキマがあるということです。もしここが、さっきまで僕の考えていたような閉鎖空間なら、電波なんてとどかないはずです。でもいま、現にこうして電波がはいってきてる。それなら、もしかしたら、その電波のはいってきているスキマからぬけだせるかもしれません」

 俺達三人は顔を見合わせた。確かに、グレイの言うことには筋が通っているように思える。この異世界のどこかに、いわゆる隙間のようなもの、つまり出口があるのなら、そこから脱出できるかもしれない。

「でも、閉鎖空間のはずのループ内にどうしてそんなスキマがあるのか……」

 グレイは首を傾げている。しかし松野が、

「グレイ、今はそれを考えている時じゃないだろう。それは後回しだ。今はとにかくここから抜け出すことが先決だ。よし、全員でその隙間を探すぞ!」

 と、素晴らしいリーダーシップを発揮してぴしゃりと言い放った。

「そうだな。俺もそう思う。グレイ、考えるのは後にしよう」

「そうですよ、グレイさん」

 ここに来てから初めて、俺達三人の息が合った気がした。

「さて、じゃあ」

 張り切ってキッと顔を上げた松野だが、俺の肩越しに目線をやると、途端に言葉を詰まらせた。俺もつられて振り向いた。

 そこには、岩だらけの荒野が地平線の果てまで広がっていた。

 ……探すって、どうやって?この土地を全部?歩いて?

「……ここ、広さはどれくらいなんでしょうかね?」

 平野が、誰にともなく呟いた。

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