第35話 反撃2

チムガは間もなく視察司一行が到着するという伝令をうけた。

(それにしても、グーロンは何をしておるのか)

 チムガは腹立たしさの一部を部下に向けた。グーロンがあの辺境者をさっさと片付けて、兵をこちらに向けていれば、もっと楽に戦えるはずなのである。

 既に行列の先頭はチムガの視界に入っている。その先頭に兵士が三人、視察司が載る輿の脇に左右二人づつ、後ろにも数人の兵士がいるのだろう。全部で九人かとチムガは相手の兵士の数を数え、お付きの女官と輿を担ぐ人夫を含めれば、視察司一行は三十人ばかりかと見当をつけた。

 チムガの手兵で十分に片付けることができるに違いない。チムガは輿を降りた。都の貴人を迎えるのに、身分が低い彼が輿に乗っているのは不敬に当たると考えているのである。この辺りはこの男の面白さである。これから殺害する者たちだが、敬意をもって迎えろと言う指示を受けている。その指示を守ったのである。そして、別の一派から受けたもう一つの指示も実行せねばならない。

 チムガの手に先ほどグーロンの使者がもたらした剣がある。ルシュウの剣である。剣を眺めたチムガは再び腹立たしくグーロンを思い起こした。

(奴が手兵を連れて戻れば、もっと楽な仕事であったもの)

 行列がグーロンの伏せた弓兵の位置を通過した。チムガは手にした剣を振り上げた。振り下ろす瞬間に弓兵が一斉に矢を放つ手はずである。

 その時、大声で叫ぶ者がいた。

「剣、オレのもの。返す」

 チムガは大きな目を更に大きく見開いた。見慣れぬ少年が、チムガが振り上げた剣を指さしつつ、返せと抗議しているのである。

「あっ、あの馬鹿が」

 小さくつぶやいたのは、薮の中のガルムとバンカである。先ほどバンカの傍らできょろきょろしていたルシュウは、目ざとくチムガの手にある自分の剣を見つけて、取り返す交渉に出向いたらしいのである。今は、斜面を下って、視察司一行とチムガの間に割って入る位置にいる。事情を説明すれば、剣を返してもらえるとでも考えているのだろうか。

 この時、この場は、ルシュウを中心に時間が停止していた。そして、この一瞬の停止は視察司を護衛する近衛兵に、警戒するという好機を与えた。

「やれっ」

 チムガが慌てて剣を振り下ろして、街道の脇に潜んだ弓兵に命令したものの、矢に倒れた近衛兵は僅かである。それでも視察司の輿をかついでいた人夫が倒れ、輿から転げ落ちそうになった少女が、大きな悲鳴を上げた。

 この時の、近衛兵らの動きは見事と言わざるを得ない。まるで打ち合わせてでも居たように、行列の全面と側面の兵士が、少女の護衛に付き、背後の兵士を中心に攻撃に転じたのである。

弓兵が第二射を放った直後に、後方の護衛についていた、近衛兵が剣を抜いて藪に飛び込み、潜んでいた弓兵に襲いかかった。

「ほうっ」

 チムガは感嘆の声を上げた。この男も本質は武人だった。輿の後方の三人の近衛兵は死の恐れも感じさせずに、十人の弓兵相手に挑みかかっているのである。

 しかし、味方の兵士を無駄に損じるわけにはゆかず、チムガは手元の兵士に突撃を命じた。チムガの兵は一斉に剣を抜き、喊声をあげた。相手は僅かな兵士と人夫である。勝利は間違いなく、チムガの兵の志気は高かった。

 ルシュウは、一端はチムガと向き合ったものの、剣を構えて迫ってくる兵士たちの勢いに押されるように後方に逃れて、視察司を護衛する近衛兵の中にいる。近衛兵らも不審そうにルシュウを眺めたが、多勢に無勢、この不思議な少年の正体を探っている余裕がなかった。

 周囲はチムガの兵士に殺害される人夫や女官の悲鳴に満ちているのだが、人数が僅かな近衛兵たちは、中央の少女を守るのに手一杯である。わずかの間に、彼らはチムガの兵に厚く包囲されていた。

 ガルムは斜面の小道に伏せたまま、その一部始終を見守っている。自分に最も得な役回りが回ってくるのを冷静に待っているのである。

 救わねばならないのが、今は地面に降ろされた輿に乗った少女であろうことも推測が付く。

(しかし)とガルムは考えた。

 少女は、歳の頃は十二、三ではないかと推測したほどに幼い。屈強な兵士たちに取りまかれて、縮こまっておびえるためによけいにそう見えるのだろうか。こんな幼い小娘に、ガルムは運命を託さなければならないのである。しかし、長く失望を感じる余裕がない。

少女を中心に女官が二人、取り囲む近衛兵が六人、ルシュウまで混じって居る。対するチムガの兵が二十数人を数え、護衛の数倍は居るのだが、護衛が堅くてを出すことができないらしい。しかし、護衛兵が疲れ切るのも時間の問題だった。やがて、先ほどのガルムやルトと同じく、一人づつ兵を損じて、やがて一気に志気が崩壊する。

 しかし、ガルムに勝算が無いわけではない。あの広い街道上の戦闘を、山の中に移せばよい。こちらの細い山道なら、敵を殺すことはできなくても、逃げ切ることはできるかもしれない。それには一度あのチムガの兵士の囲みを破って、中心の小娘を連れ出さねばならない。ガルムは状況を伺いつつ、そう計算した。

 危険はある。しかし、ここは領主の兵を殺したお尋ね者として逃げ回るか、親類の命を救った恩人として、あの視察史の少女の親の貴族の庇護の元に生きるか二者択一でしかない。

 そう言う単純な考え方が、ガルムという男をこの年まで生き延びさせていた。ガルムはここでも自分の経験を信じようと考えた。

「おいっ」

 ガルムはルシュウの子分らしい青年に声をかけた。まだ青年の名前を覚えていない。

「儂とルトが今から坂を下る。あの少女を連れて戻る故に、おまえはここで石を投げて援護せよ」

 そしてガルムは剣を抜いてルトに促した。

「ルト。我らはあの少女を救う」

 ルトは親方ほど単純な割り切り方をすることができない。何やら面倒なことに巻き込まれたという、滅入る気分である。しかし、幼い少女が襲われていて見過ごすには良心が痛む。

「しょうがねぇ」

 そういう、この男の単純な運命論が剣を抜かせた。鞘の鯉口が血糊でぬるりとする。先ほどの血がまだ乾ききって居ないのである。

(頃合か)

 ガルムがそう考えたのは、弓兵を相手にしていた近衛兵が一人、負傷しつつも戻って来た時である。十人のチムガの弓兵に挑みかかった三人の近衛兵が、自ら討たれながらも敵を倒し、生き残った一人の近衛兵が戻ってきたという事である。たいして優勢になるわけではないが、チムガの兵士の包囲の輪がやや変形した。

「ガヤン・ガルムでござる。お助け申す」

 ガルムはそう怒鳴り、木をかき分けつつ斜面を下った。包囲の輪のガルムの前面に当たる部分が、ガルムとルトの突進に慌てて緩んだ。輪の中の近衛兵も討って出た。

 するりと、ルシュウが輪を抜け出た。少女の手を引いている。その他に、包囲の輪を抜けた者、女官が二人、近衛兵が三人。

「山へ、山へ」

 ガルムが自分が下ってきた斜面を指さして叫んだ。ルシュウが少女の手をとり、引きずるように、ガルムの脇を駆け抜けた。

「何をしておる。一人も逃がすな」

 チムガは自ら進み出て怒鳴った。チムガの兵が包囲の輪を抜け出した者に向いた。輪に取り残された近衛兵が最後の抵抗したのだが、チムガの兵を僅かに足止めするにとどまった。

 女官がガルムとルトの脇をすり抜けた。三人の近衛兵が続く。近衛兵にとっても僅かに残された生き延びるチャンスである。突然に姿を現したガルムとルトの正体を云々する余裕がなかった。

 ガルムとルトが、追ってきたチムガの兵の先頭と二三合、切り結んだときにバンカの石つぶてが飛んだ。

「ルト、逃げるぞ」

 道が細くて進みにくい。山の民が「蛇道」と呼んでいることを知れば、なるほどと頷いたに違いない、山の斜面を伝って刻まれたような獣道である。名前も分からない植物が腰のあたりまで覆い、その隙間からのぞく地面の色が、どこかに繋がる道の存在を教えてくれる。

 しかし、今やこの道幅の狭さが、彼らの命を救うのである。追手が二十人ばかり居る。その追手も、この細い蛇道の上を一人づつ、長い列になって、背後から迫うしかないのである。

くねくねとうねる道と、生い茂る植物で視界が利かず、敵の姿を見ることができない。しかし、藪の中に響く兵を叱咤する重々しい声はチムガのものだ。

 ガルムの前を駆けていた近衛兵が一人、突然に立ち止まった。早く行けとガルムが怒鳴りそうになったが、兵士は斜面にへばりつくようにしてガルムに道を譲って、逃げる者たちの最後尾について言った。

「先に行け」

 まだ、二十歳になるかどうか、若い兵士である。整った顔立ちの中の大きく見開いた目に、やや恐怖の色が見て取れるのだが、忠節とかいうガルムに理解できぬものが、恐怖を押し止めているらしい。

(死ぬつもりか)

とガルムは思い

(間違いなく死ぬ)

とも思った。

 あの兵は、死ぬまであの位置を動くまい。あの位置で死ぬまで戦って敵を足止めし、貴族を逃がすための時間稼ぎをするつもりだ。

(何とまあ、簡単に死を決意することよ)

 しかし、ガルムが逃げ延びるためには都合がよい。ガルムは兵士を引き留めはしなかった。

「急げ。あの犠牲を無駄にするな」

 ガルムはルトをせき立てた。

間もなく、背後から刃を交える音が聞こえた。あの近衛兵の孤独で絶望的な戦いが始まったらしい。ガルムを驚かせたのは、その近衛兵の忠節ではなく、戦いが意外に間近で始まったことにある。敵は思いの外、身近に迫っていた。

「急げ」

 ガルムは荒い呼吸の中で、その同じ言葉を何度も繰り返した。追い付かれては拙い、そして、前方を行く少女を見失ってしまうのも困るのである。


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