第34話 反撃1

 従卒が手ぶらでグーロンの元に戻ったときに、ルシュウは表情に不信の色を露にした。グーロンは従卒からチムガの指示を聞くや否や、目に殺気を込めて、ガルムとルトを囲む兵士たちを叱咤した。

「やれっ」

 戦闘は再開したが、突然に、勢いの風向きが変わった。グーロンがこめかみに、拳大の石を受けて口から血の泡を吹き、その直後に膝にも石を受けて倒れたのである。兵士たちは混乱した。更に幾つかの石が数人の兵士を打ち倒すと、すでに先ほどの統制が見られない。指揮官を失ったこと、どこから飛んでくるのか分からない石つぶてとで、互いに見つめ合う兵士たちの目に怯えがある。

「儂はガヤン・ガルムである」

 ガルムは剣を構えなおして目の前の兵士を一喝し、それから不意にその切っ先を別の兵士に向けた。一人の兵士がわっと声を上げて包囲の輪から背を向けて抜け出した。

「ルト、一人も逃がすな」

 そう声を上げたのは、ガルムのはったりであったが、実際にそうなった。もはや、ガルムらに向かってくる兵士はなく、ガルムもルトも兵士たちを追い散らし切り伏せた。

 遠く逃げ去ろうとする兵士は石つぶてに倒れ、それが兵士達の恐怖感を増大させた。ガルムは最後の兵士を彼の剣を投げて刺し殺した。そして、地に衝いた剣を支えにして片膝を地につけて、ゼイゼイ息を付いた。ルトも背中にべっとりと汗をかいて肩で息をしている。

(生き延びた)

 ガルムは死んだ兵士の背から剣を抜きながら、それだけ考えた。ガルムらを襲った兵士たちが全滅した。藪の中に姿を潜めていた男が立ち上がった。ガルムとルトにも見覚えがある。ルシュウと共に二人の部屋に訪れた青年である。

 街道の真ん中に倒れているグーロンには、まだ息があった。傍らにしゃがみ込むルシュウの姿があり、ガルムはルシュウが戦闘に加わらず、この男の傍らにいたことを知った。

 グーロンは石つぶてを受けて血まみれになった頭部を押さえながら、自分を害する気配のない少年を、ただ、じっと眺めていた。しかし、ガルムが近づいてくるのに気づいて、目に恐怖の色を浮かべた。先に受けた石つぶての為か、左膝の骨が折れて足が異様な向きに曲がっていた。歩くことなどかなわないだろう。

 ガルムの息は荒いが、とぎすまされた冷静さは取り戻していて、グーロンの命の使い道を考えた。ガルムたちの正当防衛を証言させるという使い道だが、この男にはそれが期待できそうにない。

(生きていられては邪魔になる)

 ガルムはそう判断した。証言が得られなければ、ガルムたちが領主の兵と切り結んで殺害したことを目撃した男でしかない。言い換えれば、ガルムたちを公権に楯突いたお尋ね者にするだろう男である。ガルムは剣の先でグーロンを示してバンカに呼びかけた。

「この者は、お前の仲間を焼き殺した男だ」

 その言葉にグーロンは、初めて出会ったバンカの立場を察したに違いなかった。彼は大声で笑い始め、そして言った。

「おおっ、お前の仲間が焼ける臭いが体に染みついて、臭くてかなわぬ。さっさと殺せ」

 バンカはその言葉に怒りを見せて、腰の短剣を抜きかけた時、ルシュウの叱責とも哀願ともつかぬ声が響いた。

「バンカ。殺す。良くない」

 ルシュウの言葉に、グーロンは驚きを見せた。この少年は、自分を殺そうとした相手の助命をしているのである。人間など欲や憎しみなど負の感情によって動くと信じていたグーロンが、初めて見る資質の人間だった。

「待て」

 グーロンの短い言葉を、バンカはナイフを構えた姿勢であざ笑って言った。

「今更、命乞いか?」

「違う」

 グーロンは傷の痛みに顔をしかめながら、ルシュウに視線を移して言った。

「少年よ。お前の剣はチムガ様の元にある」

 そして、街道の東、チムガがいる方向を指さした。自分に情けをかけてくれた人間に報いる。グーロンという男の身分の違いを離れた矜持だったのだろう。そして、再びバンカを眺めて短く言った。

「さあ。殺せ」

 グーロンの言葉にバンカはナイフを構え、その意図を察したルシュウは再び言った。

「バンカ、殺す。良くない」

 バンカはちらりとルシュウの顔を眺めた。このルシュウという異邦人にはひどく混乱させられる。バンカ自身、時に殺人もいとわない生き方をしてきた。そして、目の前に憎んでも飽き足らない男がいる。殺して当然だと言う思いと、殺すことが正しいのかという思いで判断がつかない。

 この時のバンカは別の指針で、短剣を鞘に収める判断を下した。

「そうだな。ひと思いに殺してやるのも面白くねぇ。そのまま苦しんで死ぬんだな」

 グーロンの頭部の傷を見ればどうせ助かるまい。そのまま放置されて苦しみながら死ねばいいと言ったのである。バンカは身を翻して前方を指さした。

「ルシュウさん。チムガは向こうだ」

 ルシュウも頷いてバンカの後を追って駆け始めた。持ち去られてしまったルシュウの剣は、バンカが指さす先にあるはずだった。

 ガルムは立ち去る二人を眺め、そして足下にいたグーロンに視線を移すと、迷わずその喉元に剣を深々と突き立てた。グーロンは声も上げず事切れた。その行為が、邪魔者の息の根を止めたのか、苦しむグーロンを安楽死させてやったのか、ルトが考えるまもなく、ガルムが言った。

「ルト。儂らも行く。襲われる視察司を救うのだ」

 ルトは耳を疑った。この親方が人を救うために戦おうとは考えてもいなかったのである。

「儂らは救わねばならぬ」

 ガルムはそう言い、ルシュウとバンカの後を追って駆け始めた。何が親方をこうの変えるのだろう。ルトは先ほどまで仲間だった死体に詫びるように手を合わせると、ガルムに付き従って走り始めた。ガルムは足早に駆けながら考えている。彼は領主の兵を切った。このままではガルムはお尋ね者に違いない。視察司がどのような人物かは分からないが、今は視察司の命を救い、その庇護を求めねばならないと思うのである。


 ガルムがバンカを追って駆ける道はやや上り坂になる。細い獣道が街道沿いに街道を見おろせる斜面をたどる。そのまま身を屈めれば街道から身を隠していられるだろう。

 やがて、先を走るバンカが足を止め、振り返ってガルムとルトに身を屈めろと合図をし、斜面の下を指さした。この斜面の上からは領主の兵が街道脇に伏せてあるのがよく見える。

 視察司が通り過ぎるのを待って背後から矢を浴びせる算段に違いない。その左側街道沿いにチムガ自身と手兵が見える。そして、バンカが再び傍らに目を転じると、ルシュウの姿がない。つい先ほどまで身を屈めて、きょろきょろと剣を探して周囲を見回してしていたはずだ。

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