第26話 ルシュウ脱出する1
その部屋の人々は眠れない夜を過ごした。夜が明けたのだが、ガルムには良い算段が思いつかなかった。もちろん、三人の侵入者の保護についてではない。自分自身の安全の算段である。チムガに知られずにあの侵入者と手を切らなければ、自らの地位が危ないのである。問題はあの少女である。ルシュウと青年は逃がしてしまえば良い。しかし、少女は拷問で体力を失っていて、意識を取り戻しても自力で逃げ出せるかどうか怪しいものだ。彼らがチムガの手の者に捕らわれれば、ガルムはチムガの友人であるという地位から、犯罪者の共犯に転落しなければならないのである。チムガやグーロン、チムガの兵士たちはもちろん、忠誠心のないガルム自身の兵からもこの者たちを隠しておかねばならない。
「儂が良いと言うまで、この部屋に隠れておれ」
ガルムはルシュウたちにそう命じた。もともと、ガルムが命じるまでもなく、バンカは会話どころか物音を立てる事さえはばかるような身のこなしで、自分が置かれた状況に気づいている。ネアはまだ意識が朦朧としている状況で、寝台から立ち上がる事も出来まい。ただ、この場合、最も心配なルシュウはにこにこと笑っているのみで、ガルムの言葉を理解したかどうか疑わしい。
「ルト。食い物と水を運んできてやれ」
この指示はガルムの優しさであると言うより、ルシュウという少年をここに閉じこめておく手段である。
「師匠。あれ」
ルトが板張りの窓に隙間を開け、覗き見するように外を指さした。外が妙に騒がしいのである。ガルムはこの侵入者の存在がばれたのかと、そっとルトの肩越しに外を伺った。
窓から見えるのは、見晴らしの良い練兵場を十数人の兵士が隊列を作って行進して行く光景だった。しばらく見ていたが、この館を囲む気はないらしく、ガルムが犯罪者を匿っている事に気づかれた訳では無さそうだった。
しかし、その光景にガルムは腹を立てた。
「また、この儂を無視しておる」
何の目的かは知らぬが、チムガが兵を動かすらしいと見たのである。
「貴殿のご助力を仰ぎたい」
チムガはガルムにそう言ったのではなかったか。
(何故、自分に助力を求めぬ。何故、手柄を立てる機会を与えぬ)
ガルムはそう思い手柄を失う事を焦るのである。
「グーロン殿。グーロン殿はおられぬか」
ガルムは大声で領主の執政官の名を呼ばわりながらグーロンの執務室に向かった。もう、ガルムの中で考えがまとまっている。
(何のための出兵かは知らぬが、儂の兵も加えて出兵し手柄を立てるのだ。そして、儂の兵の武器の運搬にかこつけて、荷車か何かに、少女を乗せてを運び出せば良い)
自分の名誉のために、行動を起こす、考えはそれからついてくる。それがガルムという男の特徴であるらしかった。
そして、ガルムはこの別邸の一郭にいるグーロンを訪れ、自信満々でその計画を話して言葉を締めくくった。
「聞き入れられるまで、ここから動かぬ」
チムガのいる邸宅に使いの者が走らされ、やがてその許可を得て戻ってきた。ただ、彼らは別邸の裏口から目だたぬように敷地内を通り、裏門から人目を避けて町に出るようにとの事であった。チムガの立場から見れば、これから暗殺者に仕立て上げる男たちと、チムガとの関わりを市民に目撃されたくはないということである。
しかし、この場合、ガルムらにとっても、ネアを密かに逃がすのに都合が良かった。
「働きがいのある任務で一暴れし、貴殿の名を天下に知らしめよ。そのために、今回は貴殿の事を内外に秘し、ただの兵士の訓練と考えられよ」
何よりも、そう伝えられたチムガの言葉がガルムの耳に心地よかった。出発は日没になると言う。夜の闇の中で油断する不逞の輩を一網打尽に捕らえるというのである。一網打尽という言葉で飾られた行動に参加出来るという事が、ガルムを興奮させた。ガルムはその興奮をバンカたちが居る寝室まで持ち帰った。
「ルトよ。いよいよ我らの出番である」
ガルムはそこで言葉を途切れさせて、部屋の中を眺め回して首を傾げた。
「アレはどこだ?」
「アレとは?」
そう聞き返すルトの耳に、部屋の外からルシュウの声が響いてきた。
「お前、サクサ・マルカ知る? サクサ・マルカ、大変遠い」
その声に驚いて部屋の中を見回せば、確かに先ほどまで部屋にいたはずのルシュウの姿が無い。ガルムの部下たちの笑い声に、ルトが岩囓りとあだ名をつけた男の声が混じっていた。
「変な小僧だぜ」
聞こえてきた言葉の意味にも関わらず、小僧という言葉に親愛の情がこもっていたし、男たちの柄の悪い笑い声に、好意が満ちていた。ガルムとルトが部下たちの部屋に駆けつけると、案の定、ルシュウもいた。ルシュウは男たちの所へ出向いて、彼の旅の目的地について情報収集をしていたらしい。
「ガルム、腹立てる? オレ、よく分からない」
ルトが蟹とあだ名をつけた男がルシュウの口まねをし、突然に部屋に飛び込んできた雇い主を評した。その言葉が男たちの笑いを誘った。岩囓りもルトを指さし、ルシュウの口調を真似た。
「ルト、間抜け面して立っている。オレ、よく分からない」
退屈しきっていた男たちの爆笑が、次の爆笑を呼んで騒ぎが拡大する気配がする。ガルムは声を荒げて男たちを制した。
「静かにせよ。この者は蛮族だが、潜入工作に長けておる。ために、我らの密かな任務に使う。皆は心してこの者の存在を口にするではない」
ガルムの言葉に、ルトが疵と名付けた男が応じた。
「難しい言葉を使うんじゃねぇや、要するにその小僧のことは黙ってろって事だな。わかった、黙っといてやる」
「小僧。いつでも遊びに来い。相手をしてやる」
岩囓りの言葉にルシュウが笑顔で応じた。
「いつでも遊ぶ、とても良い」
「馬鹿め。勝手に出歩きおって、さっさと来ぬか」
ガルムはルシュウの襟首を掴んで元の部屋に引き戻した。
(面白い)
ルトはそう思った。僅かな時間の間に、ルシュウはあの荒くれ共にすっかり溶け込んで仲間になっているのである。人を引きつける魅力は、ガルムやルトなど、ルシュウの足下にも及ばないだろう。しかし、ガルムの怒りの矛先が今度はルトに向いた。
「馬鹿め。お前が目を離すからだ」
そのガルムの怒りが一気に冷めた。グーロンの執務室の仕切りの厚いカーテンが開くのが見えたのである。この状況でグーロンが部屋から出てくれば、ルシュウの存在に気づかれてしまうに違いない。
「何か、騒がしいようですな」
グーロンが部屋から出てきて、ガルムの姿を見つけて騒ぎの理由を尋ねた。
「いや。兵どもが早く力を試したいと騒ぎおるので、なだめておったところ」
ガルムはそう言いながら、左手の先を小刻みに振って合図をし、ルトにルシュウを隠したまま寝室へ放り込めと指示した。ルトがルシュウの前に立ちふさがってグーロンの視界から遮った。
「いやぁ、儂も今夜のことを考えると、腕が鳴ってしょうがないわい」
ガルムは大声で笑いつつ、グーロンに歩み寄って大声を上げた。もちろん、グーロンの注意を自分にそらすためである。ルトはくるりと向きを変えて太い腕でルシュウを抱き上げ、足早にグーロンの視界から姿を消した。部屋の中で開放されたルシュウは大きく息をして不平を言った。
「オレ、息できない」
「お前が大声を上げるからだ」
ルトはルシュウに声を出されるのを封じるために、ルシュウを抱きかかえながら彼の顔を厚い胸板にぎゅっと押しつけていたのである。それを称してルシュウは呼吸が出来なかったと苦情を言ってるのである。しかし、ルトもまた肩を上下させて喘いでいた。この野生動物のように気まぐれな少年が、グーロンに見つかってはならないという緊張感から開放されてほっとしていたのである。その様子に、ルシュウは迷惑そうな表情を一転させ、ルトの身を気遣うように尋ねた。
「ルト、疲れる?」
「お前のせいだぞ」
部屋に戻ってきた無邪気なルシュウと、冷や汗を拭くルトのやりとりを眺めて、ネアが寝台の上でくすりと笑った。いち早くそれに気づいたルシュウが嬉しそうに駆け寄り、床に膝をついてネアと視線を合わせて言った。
「お前、笑う。オレ、とても嬉しい」
ネアが意識を取り戻して多少元気を取り戻したことを喜んでいるのである。
「ありがとう。それから……」
彼女は口ごもったものの、以外にもその先の言葉を素直に口にした。
「ごめんなさい」
ネアは救ってもらった礼に、詫びの言葉を付け加えた。露店で顔を合わせた時に冷たくあしらったこと、兵の難癖から救ってもらったのに礼を言わずに逃げたこと、ネアの心にわだかまっていた意識が自然に口をついて出た。しかし、首を傾げるルシュウに、詫びの言葉など意味がないことを知った。この少年は人の悪意が理解できない質であるらしく、人を恨んだり憎んだりする意識が欠けているようだった。
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