第22話 ルシュウ救出を決意する
バンカが貧民窟を構成するネッタの通りに戻った時に、ルシュウもそこに居た。人々は不安や恐怖や悲しみや失望感に打ちひしがれているが、ルシュウにはその原因が理解できず、何も力になれない失望感でしょんぼりと肩を落としていた。この状況から逃れようにも、ルシュウには他に行き場が無く、この人々を残して去るという思いつきもなかった。
「ニングが殺された」
バンカが呟くように言った。
「知っておる」
長老はその一言で答えた。
「あの鏡を返せ。じじぃ。俺が鏡を持って名乗りでてやらあ」
「馬鹿め。これ以上仲間を苦しめる気か」
「何で?」
「あの鏡の中の書簡はな。都の高官がチムガに宛てた物だ」
老妻のナーニと孫娘のスクルは話に興味がないように取り繕った。長老は声をひそめて続けた。
「その都の高官には邪魔者がいる。チムガに対して忠誠の証にその邪魔者を殺せと指示した。そういう内容だ。そういう書簡を隠した品を我々が所持していると気付かれてみよ、我らは皆殺しにされる」
長老は声の調子を戻して、バンカの肩を握った。
「バンカ、あきらめよ。この老人の気持ちを察せよ」
長老がそう言った瞬間にスクルのすすり泣く声がし、走り出て行くのが見えた。捕らえられた妹のネアの死と向き合わねばならないのである。
「儂らはこうやって生きて来たのだ」
老人は呟くように言い、バンカが肩を落として立ち去るのを、音だけ聞いた。そして、ルシュウが立ち上がった。その後ろ姿を目で追い、長老はあの少年にも見捨てられたのかとも思った。
ふと気付くと、チビのバンカも取り残されたように部屋の中にいる。そわそわと落ち着きが無く、どうしてよいのか分からぬ風である。老人はチビのバンカを呼び寄せて、昨日ルシュウと交換した弓を差し出した。
「やろう。この老いぼれにはもう用の無いものだ」
長老はルシュウの弓をチビのバンカに与えつつ言葉を継いだ。
「バンカ、チビのバンカ、お前はあの少年のようになれ」
長老はルシュウを思ってそう言った。もしも、人々が他人の心の底の善意を信じて疑わず、しかも、誰にも頼らず自分の道を歩んで行く、あの少年のように生きられたら。老人はそう考えたのである。
炉に燃える小さな赤い火が長老の疲れた表情を照らしていたが、チビのバンカには長老のそんな感情を読みとる事が出来なかった。
ネッタの区画を貫く路地の突き当たり。月の光も届かない暗闇である。スクルが壁にもたれかかるようにしゃがみ込んで、顔を覆って妹のネアの運命に、嗚咽の声をあげていた。暗闇の中にバンカが手にした明かりの光を浴びて、そんな姿が浮かび上がっていた。その姿が酷く弱々しく、傍らに立ち尽くしているバンカはどう声をかけて良いか分からない。
「スクル泣く。良くない」
ルシュウがバンカの体越しに言った。バンカに言ったものか、スクルに語りかけたのか、ただの独り言かは分からない。
「オレ、チムガ行く。ネア、持ってくる」
ルシュウは快活にそう宣言した。人々の態度や片言の単語を結び付けて、スクルがネアが居ないので悲しい事。そのネアがチムガの居場所に居るらしい事。その二つを悟ったらしい。そして、ルシュウはバンカに尋ねた。
「お前、チムガ、知る?」
ルシュウは今回のトラブルを人々の言葉や態度から敏感に感じ取って、バンカとチムガのつながりに付いても気付いているのである。
「お、おうよっ」
バンカは戸惑いつつうなづいた。既にルシュウは自分の行動を定め、背負っていた大きな荷を、剣と矢筒だけにし、片手に弓を持った軽装に変えていた。
スクルは顔を上げてルシュウを眺めた。この少年は自分がしようとしている事がどんな危険な事なのか知っているのかといぶかったのである。しかし、ルシュウのすばやい行動がその疑問を圧倒している。
「急ぐ、良い」
ルシュウは緩く駆け始め、バンカを振り返ってそう呼びかけた。
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