第13話 早駆けのバンカ2

 ルシュウが招き入れられた家は、迷路の奥まった箇所にあったのだが、入り口の大きな水瓶やムシロを垂らした質素な入り口など、他の家と変わる事無く、長老に招き入れられなければ、指導者の家であろうとは判別できない。

「質素な所だが」

 老人は遠慮がちにそう言った。

 実際に質素で、家の中も敷物の毛皮が立派だ、という以外に調度品に褒めるものが無かった。老人の連れ合いらしい老婆と、まだ年若い少女が、部屋の中央の火の無い囲炉裏を囲んで蔓を壺の形に編み上げていた。

「お客人をお連れした。ネアと儂を救ってくれた恩人だ」

 老人は二人に言った。老婆は慣れた調子で、少女に二言、三言、言いつけて家を出て行った。奥にボロかカーテンか区別の付かない布きれを隔ててもう一つ部屋があり、寝室か物置にでもなっているらしい。老人はルシュウに敷き皮を進め、腰をおろして、くつろげと手振りを交えて言った。

 そして、自らも腰を下ろして、入り口を一瞥すると、偵察に来たらしいチビのバンカに命じた。

「兄ィのバンカも呼んで来い」

 少女はルシュウの背後に回り、背負い袋を下ろし、矢筒を腰から外す手伝いをした。ルシュウがやや戸惑う素ぶりを見せた。少年は身の回りの作業をするのに、人の力を借りる事に慣れていない。娘はそれを誤解してルシュウに語りかけた。

「大丈夫よ。大事なお客様だもの、何も盗らないわ」

 ルシュウが背負っている荷物を盗まれないかと疑っているように感じたに違いない。やや上目使いにルシュウをのぞき見る少女の目の奥に悲しみがある。しかし、ルシュウの笑顔が少女の疑いを消し去った。人を疑うことを知らない笑顔である。少女はてきぱきと仕事をこなして炉に鍋をかけて、湯を沸かした。ルシュウは座って機嫌良く何も無い部屋の中を見回していた。老人は微笑みつつそんなルシュウを眺めていた。少女がちらりと眺めたところ、機嫌は良いらしいが、その二人に全く会話がない。

 帰ってきた老婆が娘に数枚の木の葉を渡した。土地の人々がアマと呼ぶ一種の茶で、乾燥しすりつぶした物を煎じて飲用にする。

 少女はアマを擦り潰しつつ、客人を見、口が不自由なのではないかと思った。この家に入ってきて、先ほどの笑顔で心を伝えた以外、この少年は言葉や意志を発していない。老婆は長老の横に腰を下ろした。小柄で穏和な目である事以外は特徴の無い人物だが、夫の横に腰を下ろすと、妙に存在感があり、夫と合わせて一対の置物の様でもある。彼女は周りの様子から、夫と客人の間で会話が弾んでいない事を知った。彼女はルシュウが少女の行動を目で追っているのを見て、少女の身の上話をした。

「あの子も不憫な娘でね。母をチムガの兵士に殺されて、助けようとした父親まで失いましてね。妹のネアと……」

 そこまで言って、老婆は自分の早とちりに苦笑した。ルシュウが視線を転じたので、別に孫娘に興味を抱いた訳ではなかった。アマの葉の粉を煎じて、布で濾過をして、茶を入れるという初めて見る動作に興味を抱いていたのに気づいたのである。また、沈黙が続いた。それは妙な沈黙で、何か向かい合っているだけだが心が通い合っているように心地よい。

 やがて、ルシュウは敷き皮を撫でて尋ねた。

「これ、お前、捕る?」

 長老がルシュウに敷物として勧めた毛皮は、土地の人々がグチカと呼ぶ豹に似た獣の皮で、よほど熟練した猟師でなければ捕る事は難しかろう。

「そうだ、昔、ワシが捕ったのだ」

 老人は嬉しそうにそんな返事をした。今は露天で壺を売るこの老人も、昔は狩人だった。ようやく、老人と少年は会話をするのに共通の話題を見つけたのである。老人は、ムウの山々に広がる密林の話をした。それは密林の中で獣道の見つけ方、羽を傷付けない鳥の捕り方、薬効のある葉の話だったり、もっぱら老人が話し手で、ルシュウは聞き役だった。

「ところが、」

 老人は顔を曇らせて言った。山が沈んだと言う。ルシュウは良く分からないと首を傾げた。

「ワシは、山で白い蛇を射た」

 老人は眉をひそめて言い、それから山には獣が居なくなったのだと説明した。やがて、二度、三度、大きな地鳴りがあり、山の神の祟りで住むところすら失った、ともつけ加えた。彼らはいくつもの峰を越えて、ここに住み着いたのである。

 話が重々しくなった。老人は話題を変え、ルシュウの荷の中にある弓を眺めた。

「弓を見せてはくれぬか」

 老人はルシュウから弓を受け取った。老人の肩幅よりやや大きい。老人は弓を撫でて感想を述べた。

「うん。良く使い込んである」

 長老は傍らの妻を振り返って自分の言葉を解説した。

「弓を見れば、狩人の腕が分かろうというものだ」

 歳老いた妻は黙って微笑んでいる。老人はようやく戸口の青年に気づいて招き入れた。

「バンカ、さっさと入って来い」

 バンカがチビのバンカに手を引かれて入ってきた。メンツにかけてルシュウと顔は合わせたくはない。しかし、ルシュウの存在が気にもかかるのである。チビのバンカにいやいや引っ張ってこられたとポーズを作って、老人が指さしたルシュウの隣に腰掛けた。老人はバンカの席を指さすと、もう彼の存在を忘れたかのように妻に弓を見せて言った。

「見よ。良く使いこなしてあって、弓のしなりが素直でよい」

「本当に」

 妻は夫の言葉にうなづいたが、彼女には弓の善し悪しは分からない。ただ、夫が久しぶりに嬉しそうに興奮しているのが楽しいのである。

「ナーニ。弓を出せ。ワシがあの悪いグチカをしとめた時の弓を出せ」

 ナーニと呼ばれた老妻は、部屋の隅に祭られるようにおかれていた布の包みを解いた。ルシュウの物に比べると一回り大きく反りが少ない。丁度、ルシュウの上半身の大きさだった。

「かせっ」

 老人は待ち切れぬように、妻から弓を奪い、弓に弦をかけた。その弓をしならせる腕に盛り上がった筋肉は、老いたとは言え、山を掛けめぐって生きてきた山の民のものだ。

「どうだ」

 老人は自慢気にルシュウに弓を渡した。ルシュウは言葉こそ発しなかったものの、弦を引いてみてその強さに感心し、細かな細工に感動しているように思われた。

「どうだ。お客人、射てみるか?」

 ルシュウは長老の言葉の意味を察したらしく、その言葉に大きくうなづいた。バンカは一人ふてくされて言った。

「このジジイ、俺の事なんかすっかり忘れていやがる」

 老人は年齢を感じさせない足どりでルシュウを外に連れだした。ネッタの区画の迷路を北に抜けると、山の民が生活用水にしている小川があり、川の向こうはウスル山系の小高い山の一つ、切り立った斜面が壁の様に広がっている。

 その川沿いに約1ダンガジル(約七十メートル)四方ばかりの空き地があり、見晴らしが良く、弓の試射に丁度良いのである。


 長老に促されて、チビのバンカが洗濯をしていた女どもを川辺から下がらせた。文句を言う者はいなかった。長老と見慣れない少年の後ろにはバンカの他、珍しい物見たさの住人達がぞろぞろつき従っており、何事かと洗濯の手を休めていたところである。

 ルシュウという異国の少年は、人々の娯楽の対象になってしまったらしい。

「ただの、戯れ事に」

 バンカは怒りを込めてそう呟いたが、噂を聞きつけた人々が観客として増えつつある。

「よいか、お客人。あれを射てみよう」

 長老はそう言い、矢をつがえて引き絞った。矢は小舟を係留する杭に命中した。半ダンガジル(約35メートル)ばかり先、直径が約三レゴン(約二十センチ)の的である。ルシュウと老人の位置から見ると、矢を数本束にした程度の太さしかない。

 観客から歓声と拍手が上がった。

「やってみよ」

 長老はルシュウに弓を渡した。少年は目を輝かせて弓を受け取ると、もて遊ぶように弦を引いた。そして、矢を取り、森の木の葉の揺れを見、矢をつがえて引き絞った。そのフォームが淀み無く自然で、観客もあの少年なら当てるかもしれないと考えた。

 川辺が静まり、ルシュウの発した矢の音が響いた。しかし、命中しなかった。矢は的を左にそれて失われたのだった。

「はんっ。当たるわけがねぇ」

 傍らの観客にバンカがそう断言した。しかし、観客の中には止むを得ぬ、という雰囲気がある。長老と少年では格が違うのである。

 ルシュウは二本目の矢を手にした。人々の声が無くなった。ルシュウは弓の握りを確かめ、そして、空を見上げた。木の葉がザワザワ音をたてて揺れている。川辺の草が川の流れに沿った方向に流れるように傾いている。

(先ほどは弓の癖を調べ、今度は風を読んでいるのだ)

 長老はルシュウの動作をそう思った。ルシュウは弓の握りを変え、二本目の矢を射た。観客は上げた歓声をため息に変えた。

「ほうっ」

 ルシュウの矢は一本目と反対側、右の方にそれたのだ。

「やばい奴だ。当たるかと思ったじゃねぇか」

 バンカはそう呟きかけて、周囲を気にして口ごもった。

 観客達のほっと緊張感から解き放たれる様な、吐息や笑い声が戻った。何故、長老の矢が当たり、少年の矢が当たらないのかについて、もっともらしく理論的な解説を行う者がある。ルシュウの幼さに同情する女達の声もあり、バンカたちのあからさまな嘲笑もあった。

 しかし、ルシュウ自身はそんな声など聞こえぬようで、ただ沸き上がってくる興奮を楽しむように、僅かに微笑んでいる。観客はおしゃべりに夢中で、少年が身を屈めるほど大きく息を吐き、ゆっくりと伸びをするように吸い込んで息を止めたのに気がつく者がいなかった。

 ルシュウは自然な動作で三本目の矢を手に取ってつがえた。そして、ルシュウは一呼吸の間に三本の矢を射た。その三本の矢はことごとく的を捕らえて、長老の矢から指一本分以上の間隔を開けるものがなかった。

 数十人の観客からどよめきが消えた。

はあっ。と大きく息を吐きだしたルシュウの額に汗が浮かんでおり、風が髪をなぶっているが、ルシュウの目は的にある。長老はその姿を愛でた。

「おお、この目よ」

 少年は瞬きもせずに的を見据えており、唇の端を僅かに上げて微笑んではいるが、しっかり閉じた口元に少年の意志を感じられる。誰かが歓声を上げた。残りの観客がそれに一斉に追従した。少年を讃える歓声である。

「はんっ」

 バンカが言葉にならない侮蔑を唾液と共に地に吐き出して、観客を押し分けるようにしてルシュウの前に進み出てた。チビのバンカも続いている。観客の視線が一斉にバンカに向いた。

「止まっているモンなら、偶然ってモンがあらあ」

 バンカは人々の視線を浴びて少し得意気にそう叫び、上空を指さして言葉を継いだ。

「あれを射落としてみな、あれをよ」

 バンカが指さす先に一羽の鳥が飛んでいた。観客の歓声に驚いて、向こう岸から飛び立ったものらしい。ルシュウはまた困惑した表情で返事を返した。

「あの人、大きい。オレ、あの人持てない」

 その意味するところは、ルシュウが食料をたっぷり持っており、あの鳥を捕っても持って行けないと語っているらしい。そして、ルシュウは彼をあざ笑っているバンカに言った。

「オレ、あの実、お前にやる」

 川向こうに、枝振りの良い木があり、川のこちらに近いところまで、枝を伸ばしている。ルシュウはその枝に下がっている黄色の実を指さしている。バンカは笑った。

「ば、馬鹿か、お前」

 実は枝から下がって、風に流れて不規則に揺れている。それを射落とすなど鳥の動きを読むより難しいに違いない。

 しかし、ルシュウはそれをやった。ルシュウは膝まで濡らして川下で矢とともに流れてきた実を拾い上げ、戻ってきた。その実は、土地のビイと呼ぶ実で、甘く食用になる。

 チビのバンカが兄ぃのバンカの傍らで、ルシュウから差し出されたビイを受け取ろうとしたときに、ハンカはそれをたたき落として駆け去った。チビのバンカは周りを見回して、観客の中にやや白けた雰囲気があるのに気づいて、兄ぃの後を追った。

 長老が片手を上げて言った。

「さあ。お客人を讃えよ」

 観客は一斉にルシュウに駆け寄り、ルシュウはちょっとした英雄になった。その中で老婆のナーニは孫娘のスクルがくすくす笑うのを見た。

「おばあちゃん。私たち、まだあの子の名前も知らないわ」

 名前も名乗らずやって来て、仲間に入り込んでしまうのが面白いと言うのである。

 その日の午後は、ナーニと孫のスクルが呆れるほどに、来客が多かった。人々が入れ替わり立ち代わりに、何かの口実を設けては、長老の家にやって来て、ルシュウを見物してゆくのである。

 そして、ルシュウは終始機嫌が良く、その人たち全てと、彼特有の言い回しで会話をした。人々はもっともらしく頷いたりきながら、少年のちょっとした仕草の中に、言葉の中の不明な部分を補って楽しんだ。

 しかし、ルシュウが突然に顔を曇らせて立ち上がって言った。

「オレ、サクサ・マルカ行く」

 低い声ではあったが、引き留めようもないくらいにハッキリと断言したのである。彼の周りで笑い騒いでいた人々が黙りこくった。

「そうか、」

 ややあって、長老はそう言い、傍らにあった弓を手にして妻に命じた。

「矢を持ってこい」

 長老は妻が置くから持ってきた矢の束を、黙って弓と矢筒をとともに布で包み、ルシュウに差しだした。

「ここで、ワシらとお前が出会った印だ。持って行け」

「持って行け?」

 ルシュウは長老の言葉を繰り返して首を傾げた。与えてくれるという長老の言葉が良く理解できないのである。長老は言葉のやりとりが不自由な事に苦笑いをして付け加えた。

「お前が持つにふさわしい」

 ルシュウはまだ、長老の言葉の意味が良く分からないらしく少し戸惑っていたが、背負い袋の中を探って皮袋を出して、長老の前に中身をあけた。ガルムに使われて少なくはなったが、なお数十粒の金の小粒がある。ルシュウはこの金の粒で弓を買う、というつもりらしい。一瞬その場に居合わせた人々はその輝きに息を飲んだが、長老は怒鳴るように言った。

「分からぬ奴だ。今日、ワシらが出会った事、出会った印を覚えておいて欲しいと言うている」

「しるし?」

「そうよ」

 スクルが砂金の粒をすくって袋に戻した。そして弟を諭すように言葉を継いだ。

「おじいちゃんの弓と私たちの心を受け取りなさいな」

「そうだ、受け取れ」

 たまたま居合わせた男がうなづいてそう言う声を挙げ、それに呼応するように、戸口の外で様子をうかがっていた多くの人々、若い女や、老人や、岩みたいに頑丈そうな男や、性別の分からない子どもたちの数人の塊が、ドア代わりのムシロの外でうなづいたり、声を上げたりした。

 ルシュウは弓を受け取って、少し考えて、自分の弓を差し出して言った。

「し・る・し・だ。持って行け」

 印というルシュウが初めて聞く言葉にぎごちなさがある。ルシュウは今まで持っていた弓と長老の弓を交換しようというのである。

「そうか」

 長老は弓を受け取り、孫の頭でも撫でるような指使いで、弓を扱った。


 ルシュウが去って行くのを誰も引き留めたりはしなかったが、細く折れ曲がった視界のはしに消えて行くのを見送らぬ者はなく、ルシュウが一人で微笑んだり、くすくす笑ったりするのを見、少年が人々を気に入ったらしい事を知って、皆安心した。

 この町は泥棒やスリや売春や、その他雑多なことをなりわいとする人々の集合だが、決して彼らが卑下したりするほどのものはなく、彼らは自らの能力に長けた誇り高い盗賊であり、誇り高い娼婦に違いなく、人に仕えるという事が出来ない質の人々だった。

 そして、ルシュウが気に入ったのは、彼ら一人一人が独立していながら、同時に持ち合わせている仲間意識に違いなかった。

 ルシュウは道を戻ると、彼をあの区画に追いやった死体が、相変わらず転がって腐臭を放っていた。ルシュウは、やや顔をしかめた。腐臭を嫌ったものか、ここまで出てくると人の質が違うと思ったのかはっきりしない。

 ルシュウは人混みの中を南西の方向に走る街道に足を向けて人混みに姿を消した。たぶん、昨夜の場所、ガルムやルトとの待ち合わせの宿に戻るつもりなのである。

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