第12話 早駆けのバンカ1

 マニの街の街道からいくつかの路地を縫うように通って、ネッタの区画と呼ばれる地区があった。そこに一歩踏み込むと、表の街道とは違った活気がある。娼婦が三人いるが、仕事帰りらしい。大道芸人らしい男が商売道具を整理しつつ、通りかかった娼婦に陰媚な言葉を投げかけたが、解放的で明るく、陰湿な感じがない。娼婦たちが歯茎までむき出して大きく笑って答えている内容は、彼女らの昨日の稼ぎは、どうやらこそ副業が泥らしい男の収入より多かったと自慢しているのである。

 バンカはそういう中で、仲間に囲まれて、ネッタの区画の顔役を気取っているのである。仲間内の顔役を気取るために、当然、危ないこともやってみせている。五日ばかり前には、領主の館に忍び込むというという大胆不敵なことをやった。鏡を盗み出したのである。


 いま、バンカは仲間に囲まれてその鏡を手にしている。町の北の川を挟んで存在する山の岩場に隠していたが、ほとぼりが覚めたかと考えて持ち帰ってきたのである。鏡は青銅で表面が良く磨かれており、縁は金で装飾されていた。庶民には無縁の品である。

 仲間の賞賛を集めたいという欲に耐えられず掘り出して見せびらかしていたわけだった。とりわけ、ネアには見て欲しい。バンカが気取った調子でネアに語りかけた。

「これ。お前の可愛い顔がよく写るぜ」

 バンカの期待に反してネアは眉を顰めて顔を背けた。何か心に引っかかる不安がある。バンカは言葉を継いだ。

「なあ、見てみろよ。お前のために盗って来たんだぜ」

 ネアはその言葉で思い当たる記憶があった。

「あんたが、この間、港で隠していたのはそれね」

「そんな事はどうでも良いじゃねぇか」

「チムガの館から盗んできたという事ね。どうして、そんな危ないことを?」

「この俺様が、危ないことを怖がるとでも?」

「あんただけじゃない。この町のみんなが危険に晒されるって分かんないのかい!」

「ネア。せっかくお前のために盗ってきたものを捨てろとでも?」

「そんな物を持ってたら、あっという間に兵隊に捕まっちまうよ。それでなくても、私に目をつけてる兵隊が居るんだから」

 ネアが言うのは、先日、露天商に因縁をつけてきた三人組の兵士のことである。妙な少年に救われたが、あのとき、立ち去る兵士たちの憎しみはネアに向いていた。時折、町で見かける下っ端の兵隊だがその顔は記憶している。ネアは用心深くあの兵士たちを避けているのである。

「そんなもの、海にでも捨てちまいな」

 ネアはそれだけ言い残して走り去った。バンカは期待していたネアの賞賛を受けられずに終わったのである。

 そんな様子を見守る仲間がおり、バンカは気恥ずかしさを振り払うように、鏡を仲間に放り投げた。

「まったく、ネアのやつもわからねぇ奴だな」

 仲間はバンカの言葉を聞きもせず、かわるがわる興奮気味に鏡を手にした。

「ああっ、俺の顔が映ってらぁ」

「みんな、生まれて初めて、自分の顔を見たんじゃねぇか」

「魂まで吸い取られるって話だぜ」

 そんな中、一人の少年が、物思いにふけるバンカに気づいて言った。

「兄ィ。思い切って、目ンと向かってネアに言っちまえよ」

「何を?」

「俺の女になれって」

「生意気言うんじゃねぇ」

 バンカは少年の頭を拳でこずいたが、その手付きに柔らかさがある。少年はチビのバンカという。たまたま、名前が同じだと言う理由で、幼い少年はバンカを慕い尊敬しているのである。バンカ自身、チビを弟のように可愛がっていた。チビのバンカは話題を変えた。

「兄ィ。館の話の続きをしておくれよ」

「おうよ」

 バンカは得意気に応じ、仲間に顔を寄せろと手招きした。

「この前のジュッテの夜のことだ。俺は前からあの月のない夜をねらってたんだ」

「ネアさんに、良いとこ見せたかったんだろ」

「うるせぇ。話を聞け」

 仲間の笑いが響く。

「俺が使ったのは、ナイフ一丁だけよ」

 仲間が更に身を乗り出してバンカの話を聞き入っていた。バンカには仲間の尊敬の眼差しが自分に集中するのが、嬉しくてたまらないのである。そして、この種の眼差しをネアから得る事が出来ればと考えるのだが、ネアは現実的な少女だった。

 ネアという少女は、その商売にかけてはバンカを上回る器用さと勘の良さを持っており、その気の強さと併せてバンカは二つ年下の少女に頭が上がらないのである。仲間内の顔役であると言う面子と、彼女に一人前の男として認めて欲しいという純真な心根が入り交じって、彼の心は複雑に屈折している。

 バンカは話を続けようとしたが、突然に思いとどまった。通りにのんびり歩く蛮族の少年の姿がある。バンカはガルム立ちを探してさまよっていたルシュウの姿を、このネッタの区画で見つけたのである。

「あれは? ……」

 バンカはそうつぶやいた。見覚えがある。以前、ネアの商売の邪魔をしたヤツではないか。そして、あの蛮族の少年をとっちめてやれば、ネアの復讐にもなるばかりではなく、自分の実力をネアに認めさせる事にもなるのではないか。彼は素早くそう計算した。

「よしっ」

 バンカは決意し、仲間に向いて念を押した。

「お前ら、手を出すんじゃねぇぞ。おれのやり方をよく見てな」

 もともと、リーダーとしてのバンカはワンマンであって、仲間に口をはさむ余地はない。バンカは裏口を抜けて、ルシュウに気取られぬように駆けだした。

 バンカは急ぎ足でルシュウの先回りし、物陰からルシュウの様子をうかがった。ルシュウは袋を背負い、弦を外した短弓と矢筒を一まとめにして腰に下げている。荷は大きく、ルシュウの動きを制限しそうに見える。そして、彼が何に気を引かれるのか分からない。時々立ち止まっては、ぽかんと空を見上げたり、ぶつぶつ呟きながら地面に何かを話しかけている。その姿はまるで緊張感というものが無く、スキだらけで、バンカたちスリにとって絶好のカモに見えた。

 バンカはニヤリと笑って通りに足を踏みだした。ルシュウと視線を合わせないように、接近してゆく。すれ違いざまに、やや体を触れさせ、懐の物をスリ盗る算段である。

「ネアの奴め、駆け足で目だつ接近をするからバレるんじゃねえか」

 バンカはそう呟いた。バンカはルシュウにすれ違いざま、ルシュウに体当たりするように身を傾けたのだが、感触がまったく無く、振り返って眺めれば、ルシュウは何事もなく道の真ん中を歩いているだけだ。

 バンカは裏道を駆け抜け、ルシュウを待ち受けた。今度は、ルシュウが通りかかる瞬間に、側面から駆け寄って接触するつもりである。しかし、駆け寄ったものの、ルシュウがいた位置をすり抜けて通路の向かいまで走り過ぎてしまった。何の感触もない。その間、ルシュウはバンカの存在を意識している様子はなかった。

 三度目はルシュウ背後から接近した。やや伏し目で、振り返ったルシュウと視線を合わさないようにし、しかし、ルシュウの足元からは目を離さず、ルシュウの位置を確認しつつルシュウの背後から駆け寄った。

 ルシュウは背後からバンカがぶつかる瞬間に、ルシュウは体を大きめに左にスライドさせ、その左足を軸にして上半身を右に回転させた。バンカが突っ込んだ位置にルシュウの体は無かった。バンカがつんのめった次の瞬間には、ルシュウの体はあるべき元の位置にある。その体重の移動が、ごく自然に行われているので、ルシュウ自身は衝突を避けているだけだが、バンカはルシュウの体を通り抜けたかのような錯覚に陥っていたのである。立ち止まったルシュウの前で、片膝をついて立ち上がったバンカはこの少年にコケにされていると考えた。仲間が物陰から、彼の失策を残さず見つめ続けている。

「この野郎」

 バンカは悔し紛れにそんな言葉を吐いたが、それ以上の名案があるわけではない。ルシュウは困惑したような表情を浮かべて言った。

「人、すぐ怒る。俺、良く分からない」

 バンカが怒っている理由がよく分からないと首を傾げるのである。そののんびりした言い方がバンカの感情と誇りを刺激した。バンカは自分を見失い、ルシュウに殴りかかった。結果は同じである。わずかに身をかわされてルシュウに触れる事が出来ない。二度、三度。結果は変わらない。このとき、低いがよく通る声が路地に響いた。

「バンカ、やめい」

「長老」

 バンカにそう呼ばれた老人は、昨日、ネアと共にいて、兵士の難癖から救われてルシュウと顔なじみになった人物である。

「その方は、ワシの客人じゃ」

「きゃくじん」

 ルシュウは老人の言葉を繰り返した。初めて聞く単語だが、自分を指している事を悟ったらしい。バンカは舌うちをし、仲間に顎をしゃくって引き上げるぞと合図をした。強がったものの、老人の仲裁で最も救われたのはバンカに違いない。

「バンカ、お前も来い」

 長老は手招きしてそう言った。真面目くさった表情のルシュウも、バンカに手招きして同じことを言った。

「バンカ、お前も来い」

「長老……」

 バンカはルシュウを睨みながら話しかけたが、老人はそれを制した。ルシュウが知り合った老人は、このネッタの区画では「長老」と呼ばれ、指導者的な存在であるらしい。老人の通るところ、大道芸人が黙礼し、娼婦たちが挨拶をしてゆくのである。そして、幼児が老人に駆け寄っていくのもまた、老人の人柄を良く現していた。


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