第6話 戦乱の都サクサ・マルカへ

 ガルムとルトがルシュウを伴って町に戻ったのは、森に入って八日目の夕刻の事である。ルトと大きな荷を背負うルシュウが並んで歩く後ろを、ガルムが油断無く見張るように歩いていた。ルシュウを利用して、ムウ大陸への渡航許可を取るまで、この少年を失うわけにはいかないのである。


 町の入り口の関所で、ルシュウはやや緊張を見せた。以前、一人で町に入ろうとして、関所の役人に荒っぽく追い払われているのである。ルトは緊張感を見せるルシュウに、心配は要らないと言うように傍らに引き寄せた。ガルムが勇者を気取った口ぶりで、関所の役人に宣言した。

「この通り、我ら二人が森の悪霊を調伏して参った。今は、儂にてなづけられてこの通りじゃ」

 大男のルトの傍らのルシュウはいかにも幼く見え、その素直な笑顔は、二人の勇者によって、取り付いていた悪霊が祓われた善良そうな存在に見える。兵士たちは首を傾げつつも何も言わず、三人の通行を許した。

 関所から中にはいると、森と町を隔てる川があり、小さな橋がかかっている。橋を渡った辺りから露天商が並んで町の中央へと通路を作っている。賑やかな道路ではない、それでも露店商たちの生活を支えているのである。露天商たちは思い思いの声を上げて客を誘っていた。

 ルトは露天商の列に目をやった。端が果物売りの露店で、幾品種かの果物を篭に盛り上げるようにして並べているのだが、中でもムウの人々がプノと呼ぶ果物がめだって赤く、網膜に焼き付くように新鮮だった。

 ルトは歩調を落としてガルムの傍らに寄り、前方を機嫌良く歩いているルシュウを眺めて、ぽつりと言った。

「親方、ルシュウをどうするつもりだい?」

「儂は都に行くのだ」

 そう断言したものの、ガルムにもあてがない。森に巣くう精霊を退治したと称して、町の有力者の元を回れば、後援者として金を出す者がいるかもしれない。ルシュウに興味を示す者がいれば、この少年を売り飛ばして金に換えればいい。森の精霊など珍しがられて高値がつくかも知れない。

 ここで、小さなトラブルが起きた。ルシュウが露店の前を通りかかりざま、プノの実を取り、かじりついたのである。そして、美味しいと礼でも言うように、立ち止まって店主に会釈をした。無邪気な笑顔を浮かべただけである。金は払わない。

 一瞬、店主は訳が分からないというように、呆然としていたが、ルシュウが立ち去ろうとするに至って、店先の売り物をひっくり返すほどに慌ててルシュウを追い、襟首を捕まえた。

 その慌てぶりにルトは腹を抱えて笑ったし、ガルムですら苦笑を浮かべている。この少年は純朴な笑みを浮かべつつ、売り物をかすめとったのである。店主はルシュウの襟首を捕まえ放さず怒鳴った。

「このガキっ。ちゃんと金を払いやがれっ」

「あなた、なぜ、怒る?」

 襟首を捕まれた少年も憤慨している。この蛮族の少年は物を購入するという意識がないのである。少年の立場で見れば、たくさんあれば、皆で分かち合うのが当然という意識だったのかも知れない。ガルムがルシュウと店主の間に割って入った。

「店主。蛮人のことだ許してやれ」

 別に親切心ではない、ルシュウをてなづけておかなくてはならないのである。ガルムはやや迷っている店主に続けて言った。

「役人を呼ぶか?」

 役人に少年を引き渡すかと訊ねているのである。役人と言う言葉に、店主は苦々しく顔をしかめて地面に唾を吐き付けて言った。

「あいつらは気にいらねぇ」

「それでは、これでよいな」

 ガルムはトラブルにけりをつけた。ルシュウはガルムと店主のやり取りを訳も分からず聞いていたが、ガルムに救われたことを知ったらしい。笑顔を浮かべてガルムに感謝した。

「タダノ・ガルム、いい人」

 赤いプノの実をかじって果汁で口元を赤くした屈託の無い笑顔だった。

「あなた、サクサ・マルカ、知る?」

 ルシュウは果物売りにもそんな質問をした。のんびりした性格のようだが、用意は周到で情報収集に抜かりはないようだ。突然の質問の意味を理解しかねる果物売りに代わって、権威付けのしかめっ面をしたガルムが、海を越える旅の困難さを説明した。

「サクサ・マルカへ行くには、大船に乗らねばならない」

「おおぶね、何?」

 少年の質問に、ガルムは大船は海を越える大きな船だ、という説明をした。海の水は塩辛く、その深さは底知れず、その広さは天空ほどで、その水の量はメビルという伝説の巨人が一生かかっても汲みきれないのだとも言った。そういう根本的な説明を要した。別に少年が阿呆だと言うのではなく、少年とガルムの人生が違いすぎるのである。

 さらに、サクサ・マルカは海の遥か向こうにあるのだということ、船に乗らなければならないということ、船にのるには役人の許可をえなくてはならないこと、多額の費用が要ることを身ぶり手振りで説明した。

 特に少年には役人という概念が理解できない様子である。ガルムは懐の中のわずかな貨幣をルシュウに見せ、この貨幣を山のように役人に賄賂として渡す身ぶりを必死で演じてみせた。

 その身ぶり手振りのおかしさに、果物売りを始め、周囲の露天の人々ががゲラゲラと腹を抱えて笑っている。少年はまじめな顔でうなづいたり、分からないというように首を振ったりしていた。少年はまじめな顔でガルムが演じる一人芝居を眺めていたが、首を傾げる様子を見れば、ガルムの熱意は報われてはいない。

 ガルムは傍らの石に腰をかけて息を整えた。しかし、この少年を利用するためには、渡航費用や金銭というものを理解させておかねばならない。この時、ガルムは手に触れた地面の砂の感触に考えがひらめいた。貨幣はともかく蛮族とも共通の価値観を共有できる物がある。ガルムは砂を掴んで、傍らにしゃがみ込んでいたルシュウに語りかけた。

「よいか? 砂金と同じく価値のあるものが要るのだ」

「さきん?」

 ガルムは首を傾げるルシュウに手にした砂をさらさらと地面に溢して見せた。そして、それが貴重なものだという表現に、こぼれ落ちた砂を丁寧にすくい取った。そして、もう一度溢して見せた後、眩しいというように砂粒を見る目を細めて手で目を覆った。

 ガルムが目を覆った手を下げてルシュウを眺めると、ルシュウも機嫌良く、砂を地面に溢し、眩しいと目を細めて、ガルムの一人芝居をまねていた。ガルムは怒鳴った。

「馬鹿者! ちゃんと見ておれっ」

 ガルムはやや考えて、砂と空の太陽を交互に指して、砂に触れ、眩しいという仕草をした。形状は砂で、太陽のようにきらきら光っている物だと言うことを表現したつもりである。

 砂金というと、ルトも噂で知ってはいたが、生まれてこの方、一粒の砂金も見たことはない。そんな経験をふまえて、ルトは少年が親方の仕草を理解することはないだろうと思った。ただ、少年は何かに気づいたように、背中の背負い袋を地面に降ろした。

「親方、もう、そんなことはどうでも良いじゃねぇか」

 ルトはガルムにそう声をかけた。見ていて面白かったが、いつまでもそんな一人芝居をさせておく訳にもゆくまい。ガルムも自分の説明に興味を失った少年の背に罵声を投げた。

「このクソ精霊め、どこぞの商人に高く売りつけてやる。一生鎖につながれて見せ物として生きるが良い」

 ルシュウはそんな罵声を気にする様子もなく、網袋の底を探って探り当てた拳大の皮袋を取りだして言った。

「これ、よい」

 そう言ったのは、必要ならこれを使えばいいというのだろう。手渡された袋はずしりと重い。革袋を開けたガルムとルトは息を呑んだ。驚いたことに、皮袋の中にはやや粒が大きな砂金があり、その数は数え切れなかった。それは貨幣に換算すれば三人が大陸に渡る許可を取るのに十分な額である。ガルムはその渡航費用に自分とルトの分を含めて計算している。ガルムにとって、どうしてルシュウがこんな物を所持しているのかという理由はどうでも良かった。

「よしっ」

 ガルムはうなづいた。

「儂ら二人が、お前をサクサ・マルカへ案内してやろう」

「タダノ・ガルム、好い人」

 契約という言葉を強引に使うなら、彼らの契約は成立した様である。ガルムは口の中で呟いた。

「見よ。やはり、儂は運に恵まれている」

 ガルムは言葉に出してそう思い、その幸運を逃がさぬように言った。

「早い方がよい」

 ガルムは顎をしゃくって少年について来いと伝えた。行く先は役人の詰め所ではない。まず、ルシュウの衣類を改めさせるつもりである。ただ、振り返ってみると、付いてきているはずのルシュウは、先ほどの場所で、ガルムを真似て顎をしゃくる行為を何度も繰り返して、意味が分からないというように首を傾げていた。

「ルト!」

 ガルムは少年を指さして、弟子に連れてこいと命じた。ルトは笑いながらルシュウに歩み寄り、手を引いて導いた。まるで首筋をつかまれて運ばれる子犬のように。ルシュウは素直にルトを信じて従った。ルシュウが素直なせいもあるのだろうが、ルトにも言葉でなく態度で人を信頼させる包容力がある。

 いよいよ町の中心にさしかかると、金持ちの商人御用達の店から、貧乏な庶民を相手にする店まで、街道沿いに数多くの店が建ち並んでいる。ガルムはその店の一軒に入った。庶民や下僕が着用するサザンと呼ばれる貫頭衣を買い求めるのである。

 幅は人の肩幅よりやや長く、長さは人の背丈ほどの大きさで、中央に頭を通す穴が開いており、胴をくくるためのひもがぶら下がっていた。用途が理解できないサザンを渡されたルシュウが首を傾げた。ルトが手伝って、ルシュウの毛皮の衣類を脱がせて、サザンの穴から頭を通してやった。この少年は勘が良く、自分が着せられた衣類と、ルトの衣類を見比べて、この衣類の仕組みを理解したらしく、紐で胴を結わえた。そして、迷惑そうな表情をするルシュウにソルビという庶民が掃くサンダルを履かせた。これでこの少年は少し文明人らしく、ガルムに手名付けられた雰囲気がするだろう。

「歩く、良くない」

 素足にサンダルを履かされた少年は、右足の膝から下を振って見せて、強引に履かされたサンダルの履き心地をそう表現した。


 まだ、砂金は余るほどにある。更に小振りな皮袋を1つ買い求め、少年の砂金の一部をその中に移した。ガルムとルトの武術大会の参加費用である。少年の砂金はその金額を上回った。参加費と役人の賄賂をさっ引くと少年の皮袋はずいぶん軽くなったが、少年の機嫌は良かった。

 次に役人に実際に参加費を振り込んで渡航許可の証明を貰わなければならない。ガルムという男の面白さは、渡航費用の当てもないまま、渡航手続きについて詳細に調べ上げている点にある。

「儂はガヤン・ガルムである。都で武術指南を勤めておりました」

 役人の詰め所に入るや否やガルムは役人を一喝した。金銭を背負った人間は強気になるものらしい。ガルムは机の上に袋の中身を溢すように積み上げた。貨幣を利用するとはいえ、この人々はその価値をあまり信用してはいない。ただ、目の前に注がれた金の粒には間違いなく価値がある。役人の目が小ずるく光った。ガルムは言った。

「故あって、この地にまかり越しましたが、皇帝のお目通りにかなう勇者を見つけました故に、ただ今より帰参いたす所存でござる」

 難しい言い回しで、ルトには良くわからなかったが、弟子のルトを勇者に仕立てて渡航理由にしているのだろうと想像がついた。ただ、親方の堅苦しい言葉が正確な文法に乗っ取ってはなしているかどうか怪しいものだとも考えている。

 少年はルトより困惑した顔をし、ルトと妙な会話をした。

「皇帝……、何?」

「一番偉い人だ」

「皇帝、ウシカ捕る?」

「一匹も捕らないね」

「皇帝、強くない」

「帝国で一番偉いから、捕らなくていい」

「帝国、何?」

「これだ」

 ルトは言い、剣を抜いた。ルトの体格に合わせて打ったもので、通常の剣の五割り増しの重量がある。ルトの体格でこの剣を振り回せば、目の前の小役人の体など一撃で潰されるだろう。ルトは小声でルシュウと会話をしているのだが、同時に親方のガルムの背後でガルムの交渉の進行を観察してもいる。

 親方と小役人の交渉が最終局面に入っている。ルトはそれに合わせて、師匠のために剣を僅かに抜いて見せたのである。生半可な言葉より役人に与える迫力がある。ルトにはこういった大男には似つかわしくない気配りがあった。ルトが抜きかける剣に怯えたようにびくりと反応した役人から、意外なほどに簡単に渡航許可が下りた。ガルムが正規の金額以外に役人に渡した、一粒の金の効果も大きい。

「ムウか、あれもムウらしい」

 ルトは役人に渡した皮袋をみて思った。この社会は金さえあれば何とでもなるという証拠のような光景だった。あの中身が一粒あれば、彼の村の人々は百年は餓死者を出さずに済むだろう。彼らはその金額をたった三枚の小さな樹皮と交換して役人の詰め所を出た。その樹皮に記述された文字が彼らのムウ帝国での身分を証明するのである。

「おいっ」

 詰め所を出たとたんにガルムが慌ててルトに声をかけた。

「アレ、アレはどうした?」

 ルトには師匠の言葉がよくわからない。

「アレって何だよ」

「あのガキはどうした?」

 少年の姿が見えないのである。二人は雑踏の中に金蔓の少年を見失ったのである。

「ルト、おまえは港へ行け。儂は山手を探す」

 ガルムはルトにそう指示した。少年の皮袋の大半を使ったとはいえ、武術大会の参加の名目で、ようやく植民市を離れる許可を取ったにすぎない。未だ、本土への渡航費用や本土での滞在費を含め、砂金を持った少年に依存すべき点は多いのである。


 ガルムは焦って探し回ったのかもしれないが、港に出たルトは迷わずにルシュウを見つけた。あの蛮族の少年を中心に人垣が出来ているのである。

もっと正確に表現するなら、水夫達がマストを囲んで、空を見上げている。マストの上、帆桁に器用に足を絡ませて体を支え、ルシュウが感心したような表情で海の彼方を見回しているのである。

「どうだ?」

 一人の年老いた水夫が言った。たぶん、この老水夫にとって、ふつうの大きさの声というものがない。怒鳴っている様子はないが、その声がルトの腹にまで響いてくるのである。

「山、無い」

 素直な驚きを込めて、ルシュウが言った。ルシュウはどうやら水夫を相手に「水平線」の有無について議論をしていたらしい。

 ルシュウはするするマストを下った。足をマストに絡めたり、帆索に手をかけたり、上るときと同様に、その動きに無駄が無く、体重の移動に安定感を維持している。老水夫はルシュウに水夫の才能を認めた。

「山、無い」

 ルシュウは老水夫の横で繰り返した。その口調や表情に議論した相手に向ける悔しさが無く、老水夫に対する素直な尊敬の念が溢れている。老水夫は少年の尊敬の眼差しが嬉しくてならないのである。

「サクサ・マルカは、あの向こうにある」

 老水夫は孫でも扱うように、ルシュウの肩を抱いた。

「わたし、サクサ・マルカ、行く」

「よし、船長に掛け合ってやろう」

 船員に一人欠員がある。この時期、許可証のない辺境者を大陸へ渡る船に乗せるのは、役人の監視の目があり、ほとんど不可能に近い。しかし、この蛮族の少年なら、何とでも言い訳が立つのではないかと、この老水夫は一人考えるのである。

 ガルムが港に姿を見せたときに、彼は本土に渡る船便を探す必要は無かった。ただ、身分証明を見せ、ルシュウの皮袋から渡航費用を出しただけだ。ルシュウは船縁に腰掛け、素足のつま先をぶらぶらさせて、そんなガルムを眺めていた。ただ、背負い袋の財産が一つ増えたと言わんばかりに、さっきまで履いていたサンダルは、ルシュウの背負い袋の網の内側に見えていた。この少年はガルムに飼い慣らされる気はないらしい。


 ガルムたちがルシュウと出会って十日目。三人を乗せた船は植民市ピウスの港を離れた。もちろん、この時まで海の旅を知らなかったルトは、この後に経験する船酔いの苦しさを知らずにいた。

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