第5話 ガルムとルト、そしてルシュウ
明くる日の朝、目覚めた二人は準備された朝食を食べた。既にガルムは剣を片手に、これから現れるに違いない少年を待っていた。少年はいつもと同じように音も立てず、ガルムが振り回す剣から逃れるように身構えつつ、木陰から姿を見せた。
いつもなら、少年がサクサ・マルカについて問いかける瞬間、ルトは太い右腕でガルムの行動を制して、少年に呼びかけるように叫んだ。
「サクサ・マルカ。俺は、サクサ・マルカを知っているぞ」
その言葉に、ガルムの剣を避けて背を向けかけていた少年は立ち止まって振り返った。ルトは繰り返した。
「サクサ・マルカ。俺は知っている」
ルトの言葉に、少年は僅かながら警戒を解いてルトに言った。
「あなた、サクサ・マルカ、知る?」
「あぁ。知っている」
「あなた、サクサ・マルカ、知る」
ルトの言葉に少年は嬉しそうに応じた。ルトの推測通り、この少年はムウ帝国の都サクサ・マルカの事を知りたいのである。少年がガルムに注ぐ警戒感から、ガルムが剣を手にしているのに気づいたルトは、ガルムに言った。
「親方。剣は鞘にしまってくれ」
ルトの思った通り、ガルムが剣を手放すのを見て警戒感を解いた少年は、二人にゆっくりと歩み寄ってきた。ルトは自分の大きな胸板を指さして、念を押すように三回名乗った。
「俺はルト、ルト、ルト」
少年は意味を解して頷いた
「ルトォ。あなた、ルトォ」
発音は少しおかしいが、ルトは妥協し、次にガルムを指さして言った。
「あれはガルム」
少年もまたガルムを指さして、覚えた名を繰り返した。
「アレガルム、アレガルム」
ルトは笑って、少年の勘違いを正した。
「違う。アレガルムじゃない。ただの、ガルム」
少年は頷いて、ガルムを指さして言った。
「タダノ・ガルム」
少年の言葉を聞いたガルムは、眉を顰めてルトに命じた。
「儂のことは、ご主人様と呼ばせろ」
ルトは少年の物覚えの良さに感心しつつ、少年を指さして尋ねた。
「お前は?」
「名前、わたし、ルシュウ」
「なるほど、ルシュウというのか」
もちろん、ムウ帝国では聞かない名である。頷きながらも初めて聞く名に首をかしげたルトに、少年は自分の名を説明するように言った。
「ル・シュウ。星、たくさん、人……」
意味はよく理解できないが、星にまつわる名前らしい。星の数ほどの人々の魂と触れあう運命を持った人。そんな予言のこもった名だと知るのは、一年以上も経てからである。
「一緒にサクサ・マルカへ行こうと誘ってやれ」
ガルムはそう言ったが、本心ではない。そう言えば、この少年は街までルトについて来るだろう。捕らえたり、切り捨てることは難しそうだが、この少年を伴っている姿を街の有力者に見せるだけでも、ガルムたちが森の悪霊をてなづけたというイメージを生み出せるに違いない。
ルトは親方の本心に気づかないまま頷いて、少年を指さして行為の当事者だと確認しつつ言った。
「お前、サクサ・マルカ、行くか?」
少年は笑顔を浮かべて大きく頷いて、生い茂る樹木の中に姿を消したが、何度も二人を振り返ってその存在を確認するようだった。ルトは後を追おうとするガルムを制止して言った。
「すぐに戻ってくるよ」
ルトの予想は当たった。間もなく少年が姿を現した。ただ、今まで見かけた身軽な姿ではない。蔓を編んで作った大きな網袋を背負っている。網の目の間から、用途がよく分からない道具が数え切れないほどかいま見えた。ずっとこの辺りに定住しているにしては、網の背負い袋は使い古され、すり切れて、補修の跡がある。この少年が担いでいる彼の全財産は、少年が長い旅をしている様子をうかがわせていた。そして、サクサ・マルカにこだわる様子をみれば、サクサ・マルカを探し求めてさまよっていたのだろうとも思わせる。荷を担いで戻ってきたルシュウにルトが尋ねた。
「生まれはどこだ?」
「生まれ?」
言葉の意味が分からなかったらしいルシュウにルトは別の言葉で質問した。
「何処からきた?」
ルトの問いに少年は無邪気に、東の彼方森の奥を指さした。
「向こう」
少年の答えに、ルトは重ねて尋ねた。
「ここで何をするつもりだった?」
「わたし、サクサ・マルカ、行く」
少年はムウの都の名を挙げて断言した。ガルムは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。ルトは親方に分からないようにうつむき加減に笑いをかみ殺しながら傍らの少年を眺めた。。無邪気に言い切る少年の言葉には不可能を実現してしまいそうな意志が隠っていた。ただ、親方も自分もサクサ・マルカへ行く手段がなく、無駄に日を過ごしているのではないか。
しかし、そこで少年はルトに同意するように少し困った顔をして付け加えた。
「でも、ここ、サクサ・マルカでない。サクサ・マルカ、大変遠い」
ルトは確信を持った。やはりこの少年は長い旅をしていたのである。
「サクサ・マルカへ行くつもりか?」
ルトの問いに少年は頷いて悪意の無い笑顔を浮かべた。多少、はにかんだ笑顔だった。ルトもつられて笑った。ガルムは僅かに唇の端を歪めたが、思いとどまった。笑うのは彼の沽券にかかわるのである。
「あなた、シオルク、知る?」
少年は言った。文法とアクセントが奇妙だが、ルトの解するところ、
『シオルクという人物を知っているか?』と、尋ねているらしい。
シオルクというのはムウに良くある名だが、ルトには人物の心当たりはなく、首を振った。ガルムは黙ったままだ。
「シオルク、日に、三匹の、ウシカ捕る。お前、知る?」
シオルクというの少年の親しい人物の名で、ウシカという獣を捕らせたら天下一品の猟師らしい。少年が身内の自慢話をしているわけではないことは、少年の縋り付くような目の色を見ているとわかる。誰か親しい人の消息でも尋ねているのだろうか。
しかし、ガルムにはそんなことに興味がなかった。
「あれは?」
少年の背を眺めたガルムが言った。少年の背負い袋には普段の生活用品が入っているのだろう。ガルムの目を引いたのは、背負い袋からはみ出すように飛び出している細長い荷物である。
(剣ではないか)
その荷物の形状や大きさからそんな想像をしたのである。街で売り飛ばせば少しは金になるかも知れない。
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