第9話 ある火葬場の記録

 深い眠りから無理に起こされた後の様な倦怠感が体にまとわりついていた。定期的にやってくる鋭い頭痛、そして体の節々に身に覚えのない筋肉痛のような痛みが起きていた。意識を失っている間、僕は何をしていたのか、彼女が人の姿を失ってから、僕はどうやってあの場所から帰ったのだろう、記憶を辿ろうと頭を振って集中し、眠った記憶を呼び起こそうとしても、やってくるのは痛みと苛立ちばかりで、得たいものは得られずじまいだった。


 体を寝かせながら他に何かないのかと腰や足に手を当て、探っても、傷はひとつもなかった。幸いにも無事に帰還を果たしたというのは喜ぶべきなのだろうか、立ち上がろうと上半身を起こして始めて、横のテーブルにどこで拾ってきたのか、封筒があることに気がついた。


 見慣れてはいるけれど未開封の封筒、中を覗くと、再び写真と手紙が入っていた。既視感を感じて見返してみると、以前のものとは違う、だとするとあの場にいた何者かに渡されたのか、それとも工房にあったものを無意識の内に拾い上げ、僕がもって帰ってきたのだろうか。考えてみても何も始まらない。


 僕は写真をしばし眺め、手紙に目を通すと一息付き、もう一度この一連の行動を初めから思い出せる限り、思い返してみようと考えた。


 そこで手紙を頭から読み直すと何か引っかかりを覚える。気のせいか、手紙に並べられた文字の筆跡が微妙に異なり始めている、そんなふうに思えた。


 僕はこれまでの手紙を一通り引っ張りだし、確認のためもう一度初めから読み直すことにした。するとどうだろう、確かに筆跡が変わり始めていた。その変化は微々たるもので並べてみると違いが分からない、しかし、最初に部屋に置かれていたものと、いま手にしている封筒、そこに書き出されている文字を並べると明らかな違いが見て取れた。それは矯正されていた文字の書き方がもとに戻ってゆくような、隠されていた癖が露になりつつあるような、そんな変化だった。


 最初のあの手紙、それは何故か僕の文字の書き方に似ている、体裁を気にするあまり、筆圧が強くなってしまい字色が濃くなる。それらの特色が徐々に抜け、色が薄くなり、別人の筆跡に変わっていっている。


 何故僕の文字を真似る必要があったのか、それとも筆者は何者かに書かされていたのだろうか、いやまさか、寧ろあの工房にいた女性のように僕が二重人格で、という所まで考え、そうするとどう考えても辻褄が合わないことに気がつき、馬鹿馬鹿しくなった。そもそも、僕の精神は以前から正常だった、いや、だったはずだ。その上あの頃は来たばかりでこの街の本質に関わっていない。


 どちらにせよ僕の選択肢はこの手紙に指示された場所に向かう以外ない。もう過去に足を踏み入れた場所に、再び足を運ぼうとは思わなかった。僕は怖かったのだ、もしあの化け物じみた人々に再び顔を合わせてしまったら、あの過去が本物だと分かってしまえば、僕は自分の頭が信じられなくなる。その上で、人としての死よりも恐ろしい最後が僕のもとに訪れそうで。


 今はまだ、振り返らない。進むことだけを考えていたかった。元より不本意とはいえ情報を得るために自分で望んでいたことなのだ。僕は重い頭を振り、この気だるさを気持ちの上でだけ振り払うと再び部屋から出た。


 足元の影がいつもより色濃く目に映る。太陽は変らず空の上にある、それなのに何故か、違和感が捨てられない。見慣れたはずの街、その街の全てが入れ替えられてしまっている、そんな印象が頭から離れなかった。



 生命活動を終えた人間をどう扱うか。どのような国であれ、生命活動を終えた人間は葬られる、死者の国に無事たどり着けるように。世界的に見ても葬儀の形式はかつて、土葬が多かった。私たちの国も知ってのとおり土葬が主だった、それが近年火葬へと移行してきている。衛生面や墓地としての土地が不足していることを踏まえれば当然の経緯だろう。


 過去では燃料の確保が楽ではなかった様だが現在では寧ろ、宗教的な要素を除けば、衛生面や必要な面積が少なくて済む火葬が一般的だ。この街の葬儀も勿論、火葬が主だって選ばれている。宗教的な概念を絡めれば、一概に全ての人間が火葬されているわけではない、しかし、現実この街で亡くなられた方の遺体は燃やされている。


 さて、ではこの街の火葬場は一般的な火葬場とさほど変わらないと思うだろうか、答えはもう分かっているだろう、この手紙に記された場所でまともな場所がひとつでもあったろうか、無かっただろう?



 空には雲がかかり始めていた。埃の綿のような厚い雲は陽の光を随分と弱めてしまっている。バス停の周りには何もなかった。平地に畑が延々と続くばかり。


 畑に並ぶ果樹の森、その向うに太く古い煙突が一本、空に伸びていた。現在では使われていない煙突。煙に燻され、灰色の空に同化するように聳え立つ。指定された火葬場は郊外に位置していた。この街にはひとつしか存在しない火葬場、今日は客がいないのか、それともここ数日開いていないのか、人気のない火葬場の門は閉ざされ、今にも雨が落ちてきそうなこの天候が合わさり、おどろおどろしさをたたえていた。


 待合室には遮光ガラスが使われているのか、それとも単純に煤がこびりついているのか、薄く濁り中が見えない。私は門の前のブザーを押し、少しの時間をただ立ち尽くしていた。


 やがて、煙突のつく建物の奥から腰をかがませた傴僂(せむし)の男がやってきた。後ろに張り出した背、せり出した巨大な頭、目深に被る帽子の影から覗く、大きな目がなおも強烈な印象を僕に抱かせる。


 「何用でしょう、うちは今日はやっていませんで」


 聞き取りづらい低く濁る声でその男がそう僕に言った。僕は慌てて要件を伝え、写真を見せた。再び封筒に入れられていた写真だ。台紙の厚いそれは炎の写真だった。煤けた歪曲する硝子窓の無効に揺れる黒く熾る炎。


 白黒写真でないと解る理由は炎の穂先が赤いからだ。煤の点の向こうで赤く踊る穂先、そして静かに揺らめく黒い耀き。何か惹かれるものがあり、同時に禍々しさも感じられた。


 写真を覗き込むと男はこぼれ落ちそうな程に目を見開き、言葉を口からもらした。


 「これは、あんたどなたさんで。あやりさんのお知り合いで?」


 僕はその言葉を否定して、ただ、ここの管理の人間に会いたいとだけ伝えた。

男は無言で私について来いと手で促すと、背を向け歩きだした。


 「お前さん、ここは人のくるところじゃあねえよ。俺はこんななりだから別にいいが、あんたみたいなまともなのがくる場所じゃあない。いいか、この街はおかしな奴ばかりだ、俺も普通とは言えねえが、今じゃまともに話せるってえだけで、この街じゃあ珍しいくれえなんだから」


 男は背を向けながらそんな話を始めた。そんなこともないだろう、そう言えない自分がいる。


 「ここはな、捨てられたもんが集まるとこなんだ。俺たちみたいなこぼれもん、何も残らないかすみてえな冷たい死骸、死んじまった思い。死んでも捨てられない暗い思い出、そんなもんの吹き溜まりよ」


 やがて焼却場が見えてくる。扉を開き、続いて中に入ると棺桶を入れる窯が見えた。今は冷やされているのか、黒い煤が僅かに壁に見えるだけで炎の姿はかけらもない。


 「あやりさんはここじゃあねえ。下よ、この下。お前さん、本当に入るのか。降りたらそれっきり、引き返せねえぜ、帰るなら今だ」


 そう言われて引き返しそうになるけれど、何故か足は巻き戻らなかった。これまでもこれからも、引き返せない場所を何度も進んできたのだ。僕は恐れを抱きながらも自分の心境の変化に驚いていた、恐れるどころか何かを期待すらしている。ここ数日で何かが僕の中で変わってしまっていた。


 僕は帰る意思のないことを男に示す。


 すると男は端の釜の扉を開け、床の金具を引っ張り上げた。すると地下への階段が見える。


 十段程の階段を下りるとすぐに広い部屋が見えた。牛刀、中華包丁、ナタ、きり、糸鋸。表現できない形の数々の刃物。白い油の付いたそれらが天井からの紐にくくられ、暖簾のように釣り下がっていた。


 「安心しな、いっただろ、うちは今日はやってねえって」


 いつの間にか僕の後ろに回り込んだ男が、背中に向けてそんな言葉を呟いた。背筋から冷たい汗が伝う。


 「は、緊張しなさんな。俺は生きた人間はばらさねえ。これで大体分かっただろ。ここじゃ大概の死骸は肉と骨にばらされんだ。骨は焼べられ、肉は送られる。どこへかってか、知らねえな、俺は綺麗な死骸をばらせるだけで満足なんだ」


 動けずにいると、男はこっちだとさらに奥の部屋を示す。僕は誘われるがままに暗がりの通路を、明滅を繰り返す電灯の下、歩き続けた。



 あの場所は言ってみれば魂の墓場だ。死んだ者の魂が抜ける、その際に残滓が肉体に残るとしよう、そのカスのようなものを集めて、違う形へと昇華させている。肉体の根幹は何かわかるだろうか。人のからだを支えているのは、体の芯に位置するものは、それは骨だ。あの場所では遺体の骨を奪い、それを特殊な炎で焼いている。


 あの施設は二重構造だ。一階部分は見せかけにすぎず、実際は地下に位置する部分が主要な役割を果たしている。上で窯に入れられた遺体は高温だから、というまやかしの言葉でごまかされ、ガラス窓にも鉄の目隠しが施される。その期を利用して遺体は地下に運ばれ、運搬台の上には焼け焦げた僅かばかりの骨が残される。遺体の殆どの部位はその間に解体され、別の場所へと運ばれてゆくのだ。


 さて、あの地下では何が行われているのか、君は思い火という呪法を知っているか、行灯の油の芯を乾燥させた人皮に変え、火をつける。すると焔の明かりの向うに皮の主の記憶映像が浮かび上がるというものだ。


 あの地下にある炎はそれをより強力にしたものと思っていい。思い火を継いで、何百人もの皮を燃やす、映像は混じり合い、死の向うの世界が見え始める、更に人の骨粉に油を染み込ませ炎を燃え盛らせてゆく、すると像が黒く濁り、やがて下に落ちて黒い炎が生まれる、面毘火だ。


 その炎は意志をもった炎で簡単には消えず、生み出した人間の願いを聞き届けると言う。こんな事を実際に行う者がいると思うか。今の君なら否定せずに言えるはずだ、いるのだろうと。



 やがて通路の奥に巨大な鉄の箱が見えてきた。無骨な作りの鉄箱の上部から天井には何本ものパイプが突き抜けていて、横面には鋼鉄の鋲が打たれ、目線の高さに引き上げ式の鉄の蓋が付いている。何故か中から圧力が加わったのか鉄が奇妙に外側に向け膨れていた。中央には鎖で巻かれた取っ手が左右にそれぞれついていた。両脇には痘痕だらけの二人の男が鎖の先を握って立っていた。


「あん中にあやりさんはおられるんで、その蓋を開けて覗いてみな」


 僕は指示されるがまま、両脇の男に注意しながらも蓋を上げ、覗き込む、広い鉄の箱の中には白い灰が積もり、砂丘のように幾つもの山が出来ていた。その山の上に幾つか炎が蠢いている。中心部にだけ灰が見当たらず、丸い鉄の円の上で写真で見たあの黒い炎が燃えていた。しかし、どうみても人の姿は見当たらない。


「どこにいらっしゃるんですか」


 僕がそう傴僂男に問うと、いまに解る、話しかけてみろと促す。僕はこんな事に意味があるのかと思いながらも誰かおられますかと窓から話しかけた。すると中心部の黒い炎に変化があった。あれは炎自体が黒いのでは無かった、透きとおる薪のような物質が空中に浮いていて、それ周りが燃えているのだ。丸みを帯びたそれを目を凝らしてみる、と凹凸と共に僅かに筋が見えた、徐々にその形が明確になり、球が球でなくなっていく。


 それは両足を抱えた人だった。炭化した人間、本来の形を取り戻したそれが体を伸ばす。ひび割れができた体のその裂け目から黒い炎が顔を出していた。足を地につけてそれがこちらに向けて歩いてくる。僕は事実を受け止めきれずめまいを起こした。不意に遠くなる意識、まずいと感じ気を戻らせると、気がついたときには目前にそれが迫っていた。


 「何の用だ」


 確かに目の前のそれは言葉をそう発した。


 「そん人があやりさんの写真を持ってきたんで、お通ししたしだいで」


 傴僂男がそう私の背後から答えた。僕は震える指先でどうにか写真を取り出し、それを見せた。


 「そうか、あなたが、遂に来たのか。私も、随分と長く、ここから、出ていない」


 それが発する声は人のものとは違っていた。タイヤから空気が漏れる、その瞬間に発するあの空気音。水が蒸発する瞬間に発するあの空気音。それらに似ていた。ひどく聞き取りずらく、そしてそれを発するたびに体の炎が大きくなるのが恐ろしかった。


 「遂に、出られる日が、来たのだな。私は、私のマニを、得た。あの炎、人外への、昇華の魅力に、逆らえなかった。私ごときが、あの方ではなく、私ごときが、すべきではなかった。あの二人が、教主を、殺めて、それから、ずっと。この、身悶えする、程の怒り、どこに、向けて、良いのやら、ずっと、苦しんで、来たのだ。人の皮を、喰らい、他人の骨を、馴染ませ、無ければ、私の意思の炎は、消えて、しまう。この頭蓋の、中で、悪魔が、囁くのだ、受けわたせ、全てを、受け入れろ、炎で、全てを、浄化する、のだと。私は、死んだ、者達の、記憶を、得て、私は大概の、情報を、得た。この目の中、この口の中、この臓腑の中、その全てに、炎が滾っている、死にゆくものの、最期の願いとは、なんだ。生への執着、残るものへの懺悔、それとも呪詛か、それらは、恐るべき力を、秘めている、真に残るのは、そうした想いの残滓だ。私は毎日、死者の記憶と、共にそれを、喰らい、熱を増していった。抑えきれない、怒りが時に、熱波となって、外に漏れ出す。私はお前のような、完全な人間体に、怒りを抱くように、なっていた。私は、人殺しだ。生きた人間を、この窯の中で、何人手にかけたか。神になりたかった、神になれば、そんな感情には、振り回されない、そう願っていたのに、私は醜い、ああ、この瞬間にも、お前の全てを、焼いて、しまい、たくなる。お前は、お前は誰だ。ああ、違う、お前は、あなたは、あの方の」


 頭には三つの窪みがあった。両目と歯が抜け落ち、覗いた喉の奥の穴から黒い炎が踊っている。そこから音が漏れていた。


 「お前の、探している、者たちは、あの、穴蔵の、中にいる。○○地区、の、旧地下壕、だ。この地で、選り分け、された、肉。それに、あの病棟で、選別を、うけた、者達も、そこに。さあ、行け。もう、ここには、用は、ないはずだ」


 震える指先から写真が足元へと落ちた。それが炎に触れて燃える。すると、台紙から生まれた灰が、炭の体を持つそれにまとわりついた。


 体の罅割れを埋めるように灰が飛び回る。僕に向かって走ってくると弾かれたように対岸の壁へと吹き飛ばされた。そして両腕を振り上げ、ガンガンと扉を叩き、言葉にならない何かを発っする。僕は何も言えず、何もできずただそれを見ていた。頭を抱え、膝を付き、灰の上をのたうち回り、荒い球体へと戻っていくそれは、やがて完全に丸くなり動かなくなった。


 「何をした。お前、一体、おお、炎よ、私は炎に」


 背中から男がそう言うと同時に、動かなくなった球体が黒く燃え上がり、罅割れ、三倍ほどに膨れ上がる。僕が危険を感じてすぐに蓋を閉めると同時に巨大な爆発音が鳴り響き、扉がぼこりとひしゃげた。その衝撃に押され、床に吹き飛ばされる。


 形を半分ほど残した扉が赤く溶けていた。いや、扉どころか建物自体が半ば程吹き飛び、空が覗いている。奇怪な雄叫びを上げ、人型の炎が三躰、目の前で踊っていた。頬と髪をじりじりと焼くほどの熱が感じられるのに、なぜか僕だけが無事だった。


 燃え踊る三つの炎がやがて崩れ落ち、膝を抱えたまま動かなくなる。すると、全て溶け落ちた扉の奥から炎の渦が覗いた。渦の中心、黒いタールの球体の上で赤い波がうねうねと踊っていた。


 黒く小さな太陽、それが床に落ち、地面へと沈んでゆく。溶け出した地面、しかし球体自体も歪んで目玉焼きの黄身の様に横に伸び、崩れてゆく。黒い煙が空へと伸び、球体は溶けた地面の底で泡をふき、たぎり続けていた。


 ああ、僕にはもう分からない。どこからが現実でどこからが夢なのか、これが現実なのかそれとも僕の妄想なのか。


 熱か、それとも疲れが原因なのか、空気が歪み、景色が溶け、踊り始める。やがて強烈な眩しさを感じ、唐突に暗闇がやってきて、私の意識は刃物で切り落とされるようにふつりと落ちた。



 あの男はその黒い火を飲み込んだ。生み出した炎は確かに消えることなくそこにあった。それを見ているとどうしても飲み込みたくなったのだという。その代償は君も目にする事ができるだろう。人ならざる力を得るということは、同時に人を捨てるということだ。社会で生きていく行為、人としての人との繋がり、それだけのものを捨てる価値が、果たしてあるのか。


 さて、君もそろそろ得たい情報が得られるだろうか。あの火葬場に行くには、時間が必要だった。なぜならば、あの男に認めさせる必要があったからだ。君が本気なのだと、本気で君の両親を探しているのだと。でなければあの男は話はしまい。逆に君が炎の糧にされてしまうのが落ちだ。では、君の健闘を祈る。そしてまた会えることを期待している。

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