第5話 ある男の記録1

 さて、ここまでの記録に目を通してくれてなお、君は私の頼み事をきいても良い、そう考えていてくれているだろうか。私個人の願いからすれば良い、という言葉をもらいたい、そうあって欲しいと思う、しかし、いいか、ここから先この記録を読み続けたならば、君は私が求める行動を続けざるを得なくなるやもしれない、何度も言うようだが、私は君にこの頼み事を強要したくない。なぜなら危険だからだ。無事に済むとも限らない。だからこそ、もしその意思がない、あるいは関わりを絶ちたいと思うのならば、今の内にここで読むことを止めるべきだ。


 正直に言おう、この手紙は誰に向けても良い、というつもりで書いたものではない。君でなければならなかった。今更だが、騙していたような構図になってしまって申し訳ない。私は嫌だったのだ。紙に君の名を書き、最初に記したならば、君は簡単にこの文章にとりつかれただろう。私の願いからすれば、そうあった方が良かったのかもしれない。しかし、それでは強いることになる。だから嫌だったのだ。


 しかし、君はここまでの文章に目を通し、読み進んでくれている。まずはそこに感謝したい。ありがとう、そして今から君に本当の事を綴ろうと思う。もし嫌気がさしたならば、腹立たしく思ったのならば、この時点で読み進めることを止めてもらって構わない。しかし、もし本当に私のこの願いを聞いてくれるのならば、私は君が求める情報を提供できると思っている。注意して欲しいのはこの記録を部分的に読んでも意味がない、ということだ。君の求める情報を得るためには、この記録全てを読んでもらう必要がある。どうか、それを忘れないで欲しい。


 君はこう感じているはずだ、この街は気持ちが悪い、人も街並みも不気味で居心地が決してよくないと、もっともだ。しかし、住みにくいのならば出ていけばいい。しかし、君は出ていこうとは思わない。君がこの街は何かおかしいという疑念を抱き続けながらも街から出てゆけない訳。それはどこにあるだろう、そう、君が求め続けている情報、この記録を読み続ける本当の理由、それは教団にある。


 書かれている記録は教団の関わりが薄い順にした、何度も言うようだが私は君に強要したくなかったからだ。君は両親が消えた理由を調べているのではないか、具体的には君が物心つく前に、君を捨てた両親に何があったのか、それが知りたいのではないか。



 僕が実質的な今の両親、祖父、祖母にあずけられたのは六才の頃だったと思う。都会的な家から離れ、田舎に連れてこられてから常に二人が親代りだった。僕の父と母は、車で僕を送り届けたあの日以来、一度も姿を見せず、年老いた二人もけして両親を探そうとしなかった。


 何故僕に会いにこないの、そう聞くたびに祖父母には両親が死んだと聞かされて育った。もういないんだ、両親は死んでしまった。だから、お前は両親の分まで幸せに生きなきゃあならない、そう言われ続けてきた。


 思い出されるのは静かで平穏な日常だった。街の喧騒から離れ、テレビの音一つも聞こえない質素な日常。風の音が子守唄として眠り、鳥の声を目覚ましの代わりとして起きる、ごく小さなスペースだけで生活を続け、どこに出かけることもない、そんな何もない日常。


 僕は体に先天的な異常を抱えていたために、人と関わることが苦手だった。幼年時代は周りと変わらなかったが、年齢が上がるにつれ肌の異常はより顕著≪けんちょ≫になりだし、友人と呼べる存在もいつの間にやら無くなっていた。


 その外見を恐れられ、腫れ物ののように扱われ続ける。学校にいても特にクラスメイトと会話を交わすこともなく、空気のような存在だった私には、会話の種をさがす必要もなかった。いじめの対象とならなかったのは幸いだが、彼等は私に一切関わることもしなかった。


 完全に浮いた存在であり、人ではない置物のような扱い、それは教員も同じだった。誰もが私を触れてはならない物のように扱い、深く踏み込もうとはしなかった。いや、考えてみればそれはいじめだったのかもしれない。存在を無いものとされるいじめ、しかし、当時の僕はそれが特別苦しいとは思わなかった。始めは辛かった、そうした扱いに慣れていなかったからだ。しかし、途中からそれがどうでも良くなった。


 あれを始めてから気にならなくなったんだ。それに良いこともなければ悪いこともない、何も起きない、それはある意味で平和じゃないだろうか。


 あれを始めたのはいつの頃だっただろう。何か嫌なことがあった、寂しくなった、暇に押しつぶされそうになった、そんな時に始めたのだと思う。


 始めたのは妄想だった。ただの妄想じゃない、僕特有の妄想だ。僕にはよく見る夢があった、その夢の中の出来事を暇があればそのたびに思い返していた。空想を重ねることで生まれた、僕の頭の中でしか見られない奇妙な遠い世界。見たことのない生き物で溢れ、見たことのない建造物がひしめいている、この世界とはかけ離れた、どこか懐かしさを感じる、そんな奇妙な世界。


 その夢の中の世界のことを考えていると不思議と心が安らいだ。心と体がこの世界の鎖から解き放たれ、鳥のように自由になれている、そんな気がして。


 そうして集中していると時間はあっという間に過ぎた。時には学校でそれを行うとあっという間に放課後になる。不思議と誰も気がつかれず、放課後の夕日が差し込む教室で、一人席に座っていた。そうして無視されることが苦痛ではなくなった。


 ただ夢を見ている、そんな日々が何日も続いた。そうしている内他の生徒や教員の僕を見る目が日に日に変わってきている、そう感じ始めていた。けれどもやがて、教員から知らされたのか学校での異常を知った祖父母は私を通わせる事を諦めた。噂になり、私の存在が晒し者になる事を恐れての対処だったと後に二人から聞かされている。


 だからといって寂しくはなかった。元々、学校にいても一人で過ごしていたようなもの、それに祖父母は学校から見放された僕に、自らの時間を割いて様々なことを教え、一般的な教養を身につけさせてくれたのだから。


 丁度歳が二十歳を超える頃、誕生日にと祖父と祖母は私に写真と手帳をくれた。写真は私の両親が写っていた。二人とも幸せそうで、父の腕の中には赤ん坊が一人、抱かられていた。それが私らしい。


 そして手帳には両親の字で当時の生活の様子が記されていた。二人はある宗教家で、その宗教が創設された当時から、管理役としての職務を任されていたことが書かれていて、私が生まれたことから、このままこの宗教活動を続けるべきか、辞めるべきかを悩む様子が文章として事細かに綴られていた。


 教団経営と育児環境の狭間での葛藤≪かっとう≫、教律の厳化、洗脳行為の過激化にしたがい、両親は教団の教祖にあたる人物について、疑わしさを感じてきている、そういったことまで。


 僕はこの手帳を元に、何とかこの教団を探そうとしたけれど、これだけの情報量にも関わらず、その手帳には人物の名前に関する情報から地名などを特定するための要素が完全に消され、隠されていた。



 もうわかるだろう、私がこの家に手紙を置いたのは偶然ではない。見つからない可能性がある事も承知の上だ。見つからなくとも私は別に構わなかった、とは言えない。現実的な話、私は君の助力を必要としているからだ。


 私はこの部屋の合鍵を持っていた。申し訳ないが君の情報を私は密かに探っていた。何故か、それは君が本当に、君の両親であるあの二人の息子だったのか、それを確かめねばならなかったからだ。そして、私にはこれまでに成し得てきたことの、最期の記録を私のかわりに書き記し、残してくれる人間が必要だった。


 私は君の両親を知ってはいるが、君のことは何も知らなかった。済まないと思っている、しかし、元教団関係者に知られるとまずい。彼等は厄介だ、かつての教団は影響力が強大で、壊滅の憂き目にあいながら、二十数年経つ今でも彼らの放った爪痕は各地に残り続けている。

 この街に蔓延≪はびこ≫り、未だ活動を続けているいくつかの奇教もその爪痕の一つだ。彼等の熱は冷めることがなく、時が経つごとに捻れ、熱量を増加させている。一般人と混じりあい、熱から覚めた素振りを見せて平然と日常を送っていながら、他教の入り込みを拒み続け、信じることを疑わない。


 あの教団崩壊の日、教団幹部の者達があの日時を境に一斉に消息を絶ったため、末端の信者たちは何が起こったのかも分からぬまま、組織は瓦解≪がかい≫していた。


 残された何人かの信者が各々別の可能性を述べ、それに同意する信者達、そうしたグループが幾つかに分かれてできた。それを起点として信仰の形が変わり始めた、例えば、教祖は神成りしたのだ。などと言うもの、あるいは彼等は修行に出たのだというもの。試練を下さったのだと悟った気になるもの。各々が答えを用意し、信望するものに寄り集まった。彼らは今はバラバラだが、いつか教祖が復帰を果たし、また一つの教団へと戻れる日を疑わない。


 だれも逃げたとは意見しなかった。なぜならば、強固な精神的縛りが解けていなかったこともあるが、教団の資金がそっくりそのまま残されていたからだ。



 僕はどうして今更こんなものをと祖父に尋ねた。すると祖父は、お前が二十歳を迎えるまで、両親に秘密にしておいてくれと言われたと話してくれた。祖父や祖母はそれが正しいことだと思っていた様子だった。そして、両親は死んだのではなく、行方不明なのだとも教えてくれた。お前の中では両親が死んでしまった事にしておいた方が幸せだろう、両親の二人もそれを望んでいたが、それでは余りにあの二人が可哀想だと。


 お前のためを思って俺達はこれまで二人を探さなかった。けれど、お前が望むなら、二人を探してやってくれないかと言われたのだ。けれども僕は当時、教団の名前以外の情報を何一つ持ち合わせていなかった。祖父母はどんな街に二人が住んでいたのか、どんな教えを続けているのかなども何一つ教えてもらっていなかった。だから僕は渋々諦めるしかなかった。それより、年老いた二人のために恩返しをしてあげなければと就職活動に必死だった。


 就職して一年目の春、祖父が。三年目の夏に祖母が鬼籍に入った。祖父は眠るように亡くなり、祖母は祖父が亡くなってから生きる気力を失ってしまい、植物が枯れるように衰弱し、病院の一室で息を引き取った。僕は父と母の愛情を知らなかったけれど、人並みの幸せを感じることはできた。祖父母には感謝してもしきれない。


 そうして就職してから六年目の夏の事だった。唐突に家に一通の手紙が届いた。その手紙には例の教団がある街で活動していたこと、両親がその街に住んでいたことが記されていた。切手もはられず消印のない白封筒、そのなかの手紙に。



 崩壊の日、幹部達が姿を消した日。私もその場所にいた。誰もが幹部の帰還を信じて疑わなかった。しかし、そこに来て巨額すぎる資金が元で諍いが起きた。元々信者をまとめていた幹部は既に姿を消している。その資金を元に教えを広めるべきだと言う者と、手を付けずに維持すべきだという者。罵り合いが始まり、緊張が限界を超えた時、一人が振り上げた拳が原因で暴動が始まった。獣じみた叫びに、歯止めのかからない暴力、広がる狂気熱、誰もが感情を浮かされていた。


 そして不意に殺し合いが始まった。始めは椅子などの家具を使い、それが石に変わり、更に鉄の棒など、より殺傷能力の高い道具にかわっていった。


 これは意図されていたものだ。限界まで心身共にすり減らされた信者達は最早、平常心をとうに失っていた。狂気のうねりの中で身を躍らせ、喜びに満ちた笑い声をあげる信者、数十名の屍の上で咆哮をあげる者。地獄の有様の中で誰一人それを止めようとする者はいない、トランス状態の信者達は獣でしかなかった。


 こんなはずではなかったのだ、暴動が起き、誰かが一人、重傷を終えば事は済んだはずだった、けれども止まらなかった。どうにも止められなかった。狂気の熱狂に嵌≪はま≫り、最早私までもが暴力に飲まれようとしていた。私は教団特有の仮面を身に付けたままに、その場から逃げた。


 あまりの騒がしさから通報を受け、立ち入った最初の警察官が襲われ、教団の敷地から外へと逃げ出した。手筈の通り、敷地外に待機していた外街の記者団に発見され、そうして事態は急速に沈静化していった。表では血塗られた記憶は忌避の対象になり、街全体がこの異常を記憶の彼方に消そうとしていた。


 結果、教団は止む無く解体され形を抹消されたことで、今はもう存在しない。しかし、その場にいなかった末端ではない者、事件から生き残った狂信者、そうした信じ続ける者達がいるのだ。教団の根は深く、そして街全体に広がっていて、完全に消すことなどできなかった。


 そうした旧信者が未だにこの街を支配している。そうして、事件の原因をしつこく探し出そうとしているのだ。彼らの鼻は良く効く、だからこそ、私は彼等に君に送った手紙の内容を知られるわけにはいかなかった。


 私は君の両親と知り合いだった。君に手紙を送ったのは私だ。君の両親はこの街に住んでいたと、そして教団に関する情報の破片を書き記して君のかつての住所に送り付けた。


 新聞にも載っていたとおり、教団の形が表からの消失を迎える少し前のことだ、二人は教団の在り方に疑問を抱いていてある計画を練っていた。設立時代から教団に関わっていた君の両親は教団の洗脳を受けてはいなかった。


 教宣浄化と呼ばれる密室での洗脳作業。教律の仮面という目の位置にも口の位置にも穴のない仮面をつけられ、一週間に続く飲まず食わずの教言浴びに、強制的に課せられる肉体的苦痛。大概の人間は根本から人格を矯正されてしまう。



 僕は少しずつこの街に足を向け、地道に調べ続けることで、両親が続けていたという教団が、両親が丁度私を父の実家に置き去りにした年に壊滅していたことを知り、そしてこの街にかつて、両親の教団が本当に栄えていたことを知った。


 僕は今しかないと、これを逃したらきっと両親を探し出す機会は一生失われると思った。どこの誰かが僕を誘っていることには気がついていた。なぜ自分なのか、理由は分からないけれど、確かに僕が両親を探している事を知っている誰かに。そんな人物には全く心当たりがなかった。けれど、この際その疑問は先送りしよう、動かなければ何も始まらないじゃないか。身一つでいられる今ならどんな境遇にも耐えられる、そんな気がしていた。


 そうして僕は六年間に渡る会社勤めを辞して、その間に貯めた貯金と生前に祖父祖母から渡された資金を元にこの街に越してきた。考えてみれば不動産屋に訪れたあの日、最初から何かおかしかったんだ。僕が他所の人間だと知ると、不動産屋の対応はおざなりで、どういうわけかどこも空きがないとぞんざいな態度を取った。


 しかし、僕が両親を探したい、両親はある教団で生活していたと告げると、予想外に食らいつき、この街にいるのかと根ほり葉ほり聞かれた。僕が何も両親に関して情報を持っていないと知ると、やがてぞんざいな態度に戻り、嫌々ながらといった風情で部屋を一つ紹介してくれた。


 僕はなんだかこの対応に不快と奇妙さを感じながらも、結局その部屋に住むことに決めた。それから毎日、けれども、街の住民に教団に何があったのか、両親を知らないかと聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りだった。


 その理由が全く掴めずに困惑するばかりだった。けれども、やっとこの記録を読んで、何故街の住民達は教団の存在を隠そうとするのか、その理由に当たりをつけることができた。



 君の両親はそれが許すことができなかった。より強固な結託は洗脳によってもたらされる。これは教祖の言葉だ。なぜ私がそこまでの事を知り得ているか、君は疑問に思うだろう。君は気がついただろう、恐らくご想像の通りだと思うが、私はこの教団の関係者だった。君の両親を含め、創設当初から席を置く幹部の一人だったのだ。


 いつの頃からかこんなことになってしまったのか、いつから教祖が歪み始めたのか。際限のない欲望の渦は洗脳を続ける教祖の人格までも変えてしまった。アレはもう、これまでに紹介した人の姿をした化け物と変わらなかった。私達はただ、教団をまっさらに戻したかっただけなのだ、あの狂気の巣窟を元の姿、平常な形に戻したかった。


 街は既に変えられてしまっていた。かつての守り神や先祖の英霊が跡形もなくなる、それ程の影響を街にこの教団は与えていた。そして力を持ちすぎていた。有力者から警察機関、政治家に至るまでが莫大な資金によって操り人形にされていた。引き返すには遅すぎたのだ、余程の事件でもない限り、この教団を潰すことは不可能だった。


 この先については後ほど記そうと思う。この先臨むべき場所はこの教団に深く関係する場所ばかりだ。君はより、ご両親の影に近づけるだろう、どうか目をそらさないで欲しい、これが私達が過去に犯した罪の結果なのだ。


 僕はきっと、もう止められない。恐れの感情も徐々に鈍くなりつつあった。あの手紙を読んでから、最後まで止めないと決めたのだ。両親に何があったにせよ、なぜ僕を置き去りにしなければならなかったのか、この街に何が起きたのか、突き止められずにはいられない。続けなければ、何を見たとしても、何があったとしても。

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