#3
1人の男がいる。
休日の度に、ダウンタウンのジャンクマーケットでいつでもコインを磨いている貧乏な男。
その男はピカピカに磨き上げたコインを、ジャンクマーケットを訪れる人に見せる商売をしていた。
――見せるだけ、だ。
男は色々な国のコインを並べている。古銭もあるけど、高い価値があるわけじゃない。でも彼は、それを油とボロキレだけでピカピカに磨き上げて、誇らしげに見せる。それだけの男。
「小さなコインだけどコイツらには価値以上の物語があるんだ。だから俺はコインが好きなのさ」
それが彼の口癖。マーケットの常連達からつけられた呼び名は「ミスタコイン」。僕が書いた散文はそんな男の自嘲的な回想の呟きみたいなものだった。
内容はこうだ。
彼の前に、一人の客が来る。ダウンタウンでは絶対に見かけないような女性。
高級そうな洋服、バッグ、靴。金のかかってそうな緩やかにウェーヴした金髪の美女。比喩でもなんでもなく、コインなんか見たこともないような「御嬢様」だ。
彼女はコインと彼自身に興味を持って、話しかけてくる。
最初は他の客を相手にするのと同じように接しているだけだった彼だが、段々と彼女にも興味を持ち始める。ミスタコインは彼女に「宝石」なんて呼び名を着ける。見たままのイメージ通りに。
宝石を知らなかった男と、コインを知らなかった女の、小さな小さな交流がはじまった。彼女は毎週ジャンクマーケットにやってきては、女は少女のように、コインの輝く物語をせがんだ。そして男はそんな彼女の輝きに惹かれながら、コインを物語った。
週末のジャンクマーケットの度に、彼は「宝石」が来るのを心待ちにするようになる。そして毎晩コインを磨きながら宝石を思い出す。彼女の為だけにコインをピカピカに磨く。色々なコインを集める。彼女が来れば珍しそうに見てくれる。それだけの為にコインを集めて、コインを磨いて、コインを並べて、彼女が来るのを待つ。
でも「宝石」は毎週来るわけじゃない。
どういうわけか、ダウンタウンに気まぐれにやってくるだけだ。それでも男はコインを集めてコインを磨いた。だけど次第にコインが増えるにつれて、彼の磨き方は変わってしまう。
彼が愛していたのは物語のあるコイン。その物語を光らせてやりたくって、愛でるようにコインを磨いていた。だからジャンクマーケットの中でピカピカと光るコインを見に来る客がいた。
だけど今の彼は違う。彼が磨くのはただのコイン。磨き方も、ただ光るように磨いているだけだ。
だから、どんなに磨いてもコインはコイン。どんなに集めてもコインはコイン。目の前で「宝石」を見てしまったから。彼はその輝きに負けないように、宝石のように光るように、並んでも劣らないように、コインを自分を宝石にしたくて、ただただコインを磨くようになってしまった。
でも、どんなに磨いても集めても、やっぱりコインはコイン。物語を失ってしまったコインは、額面だけの価値しかない。どんなに磨いても宝石にはなれないし、どれだけ集めても宝石の価値にも届かない。
男は自分を見失った。コインの物語を見失った。コインに金銭としての価値を求めてしまった。だからコインは光らなくなった。ただ光を反射するだけのコインは、物語を失ってしまった。宝石に求められても、光るコインを見せるだけで、語る言葉を失ってしまった。
そんな事を繰り返して、ある週末を境に宝石の彼女はダウンタウンに訪れなくなってしまう。彼女がダウンタウンに来ていたのは、コインに興味をもっていたからなのか、男に興味を持ったからなのか、ただのきまぐれだったのか、彼にはわからないまま。
彼女が訪れてくれるのを待っていただけの男は、彼女を失ってしまった彼は、かき集めて磨いただけの大量のコインの中で途方に暮れてしまう。
そして――。
『そして――』
僕が会誌に載せた文章はここで終わっていた。明確な理由があるわけじゃなかった。書き慣れないモノを書いた照れの限界とか、続きを書くのが馬鹿馬鹿しくなったとか、適当に含みを持たせておけばそれでいいだろうとか、色々な理由が重なったせいだと思う。
それでも多分ラストシーンみたいなものは、ある程度見えていた。見えていたからこそ書きたくなかったのかもしれない。
――自分で書いた駄文の中身が、なんとなく自分に重なったからなのかもしれなかったけれど。
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