#2
「何入ってんの?」
そろそろ沈黙に耐えられなくなった僕は、彼女が抱えているコンビニの袋を指差して云った。
「買い出し行って来たんだよね?」
「はい、コンビニまで」
「連中んとこ持ってかなくていいの?」
「あ、野木君が持ってってくれたんで。こっちは私物です」
「ああ、そう」
――再び沈黙。
この時間に付き合おうと思ったものの、そもそもが僕は彼女のことをあまりよく知らなかった。
沈黙を軽く振り払うかのように、一呼吸おいてから彼女は口を開いた。
「先輩、コーヒー飲みませんか?」
「いいね、もらうもらう」
「少しぬるくなっちゃいましたけど」
「全然OK。灰皿欲しかったし。喉乾いてたし」
「あはは、どうぞ」
「悪いね。やっぱヤニ代とあわせて払うよ。なんぼ?」
缶コーヒーを受け取ってプルタブを開ける。
「いいですよー。そんなの」
「いやあ、後輩にたかるわけにもいかんでしょ」
「んー……じゃあ少し一緒にお話ししてもらえませんか?」
「別にその程度、かまわないけど」
こっちもそのつもりだったし、そう口の中で繋げてから、彼女の横顔に目を向ける。視線が合うことはなかった。
「いや、先輩一人になりたくって、ここに来てたんじゃないかなって。お邪魔しちゃってるじゃないですか」
「あー別に。そういうんじゃないよ。一人になりたいっていうか……まぁ酔い覚ましだよ」
「そうだったんですか?大丈夫ですか?」
「うん、もう結構平気。さっきまで頭痛がアレだったけどね」
云いながら缶コーヒーを煽る。なま温かくて、甘ったるいコーヒー飲料が一気に喉を潤しながら胃に入っていった。一瞬で空き缶になったそれに、僕は最後の一吸いをしたタバコを放り込んだ。
――しゅ。
軽い音を立てて、缶の中に残っていたコーヒー飲料に浸されたタバコの火が消える。
「ごちそうさま」
「あはは、一息でしたねー」
「うん。喉乾いてたから」
――返答なし。また沈黙だ。
少し痺れを切らした僕は、こちらから水を向けることにした。
「俺でよけりゃ、聞くよ?」
「え?あ、はい。」
「聞くだけだけど」
大仰に作り笑いをして道化てみせる。
「あはは! 先輩ひどいですねー。でも、ありがとうございます!」
ようやく視線があった。
「ちょっと下に行きたくなくて……。でも1人でいると、ちょっとヤバそうなんで。あがってきたら先輩がいて、なんか突っ伏してるから、どう声かけたものかわかんなくって」
「そか。いやぁ突然だったもんな。『誕生日なんです!』って。いーよ。付き合う付き合う。タバコとコーヒーの御礼」
「うん。ありがとうございます」
――そして、今までとは違う種類の沈黙の後、今度は彼女から言葉を放った。
「これ」
そういうと、彼女は指を広げて左手の甲を僕に向けると、薬指を示した。
銀色に光るリングが、そこには収まっている。同じサークルというだけで、よく知っているわけではないのだが、それでも既婚者であるわけはない。つまりは彼氏がいるとか、虫除けとかそういう意味なんだろう。
「へぇ」
特に興味がわかなかった僕は、簡単な感嘆の声を漏らしておくに留めた。
「今さっき、フラれてきたんです」
「あらま」
「野木君に」
「おやまあ、そうだったのか」
「はい」
「えーと……。ってぇか、きみら付き合ってたんだ。それすら知らなかったよ」
「先輩そういうの興味ゼロですもんね」
「いやまーそんなこともねーんだけど。そっか、ふーむ。おつかれさん」
「やだなぁ、『おつかれさん』って、なんですかそれ」
「んー。そういうの必修の保健と違って、不得意ジャンルだから、どうコメントしたもんかわからんからさ」
呆れたように苦笑する彼女に、わざと眉を八の字にした僕は、天丼の冗談を交えて応えた。
まぁ事実興味はないし不得意なジャンルなのだが、それでも大体はわかることがある。この後に続くのは、いわゆる愚痴ってやつだ。「付き合う」と云った手前、吐き出せるだけ吐き出せるように誘導するのが『先輩』としての在り方かもしれない。
そんなことを漠然と考えながら、続きを促した。
「で? 突然?」
「はい。んー……でも、なんか薄々はわかってたんですけどね」
「そか。どんくらい付き合ってたの?」
「半年ちょっとです」
「そっか。微妙な時期だね」
「ええ」
そこから先、コンビニ袋から取り出したマンゴーナントカというアルコールなんだかジュースなんだかわからんようなものを煽りながら、彼女が話したことはありきたりのようでありきたりでない話だった。
同じサークル内での同級生との恋愛。そこそこ人気のある男で、自分と付き合っていることが、しばらくは信じられなかったようだったということ。
付き合っていた相手の気持ちが少しずつ離れていっていることに、自分自身も少しずつ気づきはじめていたということ。そして他に誰かがいるのじゃないかと疑っていたこと。
それらのことをついさっき、二人で買い出しに行った際に話したところ、あっさり肯定されて、別れることになったということ。
行きはそれでも恋人同士だったのに、帰り道では色々な意味で別々に帰ってきたということ。
――それはそれでドラマチックだな。表現も好いね。
なんて云おうと思ったけど、多分それは著しくデリカシーに欠けるとか云うヤツなんだろうと思って口をつぐんだ。
それから彼女はなんとなく――なんとなくだって?――タバコを吸いたくなって、コンビニに戻って飲み物とタバコとライターを買ってきたということ。『元彼』になってしまった相手と一緒にいるのが辛くなりそうだったから、この石段を上がって逃げてきたということ。
そしてそこで僕を見つけて、話がしたくなったということを語った。
「先輩あたし今日誕生日なんですよ?」
数十分ほど前に、今の状況の口火を切った台詞を、違うイントネーションで彼女は繰り返した。マンゴーなんとかの次にプルタブを開けたのはピーチなんとか。その2本目も終盤に差し掛かっていて、少し酔い始めているようだった。
「そう、誕生日だね」
「ヒドイと思いません?」
「そうだね。なかなかに非道い話だ。でも覚悟できてたみたいじゃん?」
「なんとなくはわかってましたけど、それでもショックですよ」
話している内にショックと悲しみが怒りに変わってきたのだろう。彼女はコンビニの袋から3本目のカクテルのボトルを取り出して、勢いよくフタを開けて飲み始めた。相変わらず右手の人差し指と中指の間には火のついていないタバコが挟まっている。
「まーおつかれさんってとこだな」
「もー……先輩さっきからそればっかりじゃないですか!」
「あー? だっていったじゃんよ。聞くだけだけどって」
「あははは! そういえばそうでしたね!!」
笑いながら彼女は僕の方をぽんぽんと叩いた。相当酔ってきているみたいだ。
あるいはそのフリをしてるのか。僕は何本目かの吸い殻を空いた缶コーヒーに放り込んで云った。
「タバコ、吸わんの?」
「あー……そういえばずっと持ってますよね、あたし」
「うん」
「……どーしようかなぁ?」
「迷ってるなら、やめたほうがいいんじゃない? 似合わないし」
「似合わないのなんかわかってますよ」
――だから吸うんじゃないですか。
とでも云いたげに彼女は僕を睨む。
――『元彼』になった彼へのアテツケってヤツ? 随分女の子っぽいことするねぇ?
危ない危ない。火薬庫の前でタバコを吸うようなことは、極力避けた方がいい。余計なことを云わないように僕は再びタバコを咥えて火をつけた。箱の中身は既に2/3くらいに減っていた。
「じゃ、一時保留でいいんじゃない。しまっておきなよ。いつまでも火のついてないタバコ持っててもカッコイイもんじゃないし」
「わー! 先輩勝手だー! 自分が持たせたくせに!」
「はいはい、勝手です。ごめんなさい。申し訳ありません」
「先輩も所詮男の子ですよねー。無責任だし自分勝手だし」
「おいおい、随分言いたい放題だなー」
嘆息しつつ云いながら、彼女の持つタバコに手を伸ばすと、彼女はからかうように手を遠ざけた。追いかけると、またひょいと動かしてかわす。
もう一度。
もう一度。
最後に彼女は左手にタバコを持ち替えると、高く掲げて、きゃらきゃらと笑いながら云った。
「どーしても、吸わせたくないなら、なんか面白い話してくださいよー」
「なんだそりゃあ」
「だって先輩ひどいですもん。聞くだけならとかって、ホントに聞くだけだし。そんなのナイですよ。なんかお話ししてください。面白いの」
「んなこといわれてもなぁ……」
短く刈り揃えた後頭部を指で掻く。
参ったな、こんな甘え方されるとは。面白い話ね、面白い話、と。
僕がしばらく考え込んでいると、彼女は何かに気づいたように一声あげてから、僕の背中を叩いた。
「あ、そうだそうだ、あの話の続きしてくださいよ!」
「は?」
続き? 身に覚えがない。そもそも彼女の下の名前も覚束ないくらいしか知らないのだから、ここまで話したこともないし、なにか続きのあるような話をした覚えもなかった。
「この間の会誌に載ってたショートショートの続きですよー」
「あー……アレか」
僕と彼女と『元彼』になった彼や、眼下の桜の下で騒いでる連中が所属しているサークルは、いわゆる文芸系のサークルだった。
毎月なにかしらのテーマを決めて、書きたいヤツに書かせる、それで原稿がページ分溜まれば、コピー機で適当に刷り上げて作る。そんな適当なサークルの、適当な会誌だった。
「そーです。あれ、なんかすごく興味深くって。続きが気になってたんですよ」
「続きも何もねー。〆切に間に合いそうになかったから、適当にでっちあげただけだし」
「じゃあ、考えながらでいいから話してください。コイン屋さんの話」
「あはは、コイン屋さんね」
そう、僕は前回の会誌に、散文的なショートショートを書いた。そのときの会誌のテーマは「恋愛」。しかも「コメカミを指で抑えて唸りたくなるような内容歓迎」という御丁寧な指示つきだった。
こんなサークルに身を置いている以上、文章を書くのは嫌いじゃない。嫌いじゃあないが、別に創作をするつもりだったわけではなかった僕は、それでも仕方なしに色々考えて、一本でっち上げたのだった。
――やれやれ、変な展開になったもんだな。
僕はそんなことを考えながら、自分で考えた物語を思い出す為に、記憶を手繰り始めた。
――高台から見下ろす視界には、一面の桜が、いや櫻が、狂ったように咲き乱れていた。
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