#1
「先輩今日あたし誕生日なんですよ」
ふさぎ込んでいた僕に、その声の主は云った。台詞自体は語りかけているくせに、云い方はまるで独り言のようだった。それは全く脈絡のない発言だったし、僕は危うく聞き逃してしまいそうになって、一時間ぶりくらいに声を発した。
「え?」
「あたし、今日、誕生日、なんですよ。先輩」
順番を変えて、一言一言区切るように彼女は繰り返した。
僕は顔を上げて、声の方向へ目を向ける。そこには後輩の姿があった。いつからそこにいたのだろうか。
声の方向ははっきりとは僕の方を向いていない。
そして彼女自身もまた、僕の方を向いてはいない。
きっかり1メートルくらいの距離をおいて、コンクリートの石段に座り込んでいる僕の右隣に立っていた。
彼女の視線の先に、僕も目を向ける。神社へと続くこの石段からは見下ろす角度には、厭になるくらい満開の桜と、その周りに広げられた屋台の明かりなんかが見えた。
――ごう。
風が吹いた。少し遅れて下に咲き乱れている桜の枝が揺れる。そして、花吹雪。
――ああ、綺麗だな。
50%は無理矢理飲まされたクソ不味いアルコールのせい。残りの50%は、こんな所に座り込んでいる自分の情けなさのせい。そんな成分で構成された頭痛を、奥歯でかみ殺しながら、単純な感想を描く。
「みんなは?」
「まだ下です」
「あ、そ」
「どうしてこんなところに座ってるんだろって思いました」
「ここ、風が吹くから。下綺麗だし」
「うん、わかります」
「誕生日? 今? 十二時前?」
「30分くらい前からです」
「ああそう、おめでとう」
「ええ、ありがとうございます。21になっちゃいました。」
「大丈夫、俺なんか23だから。」
「あはは、そうですよね」
「うん」
実に上滑りな会話だった。話すことが途切れる。所在なくなった僕は、コートのポケットにタバコを探した。だが、空箱とライターだけしか出てこなかった。そうなると、無性にタバコが吸いたくなる。
「タバコ、切れてるんですか?」
「ん、そう。この辺自販機あったっけ」
「ないですね。でもあたしもってますよ。多分先輩のと同じのです」
「あれ。吸うの? 意外」
「いや、吸いませんよ。これから吸おうと思ってたんです」
――理解不能。
「あ、誕生日に喫煙デビューってこと?」
「さぁ?」
そう云いながら彼女は僕に近づくと、手に提げていたコンビニの袋から、タバコを出して手渡した。確かに同じ銘柄だ、つまりは一番、軽い、タバコ。
「悪いね。払うよ」
乱暴にパッケージを開けながら、財布を求めて尻ポケットに手をやる。
「いいんですよ。そのかわり一本だけ吸わせてください」
「吸い方知ってるの?」
「全然、だから教えてください」
「教えるもんでもないんだけどね」
苦笑しながら、一本取り出す。百円ライターで火をつけようとすると、また風が吹いて、ライターの火が消える。横合いから、す、と彼女の手が伸びると目の前にスリムなライターが火を灯した。風が気にならないターボタイプだ。
「さっきタバコと一緒に買ったんです」
「あんがと」
タバコを咥えたまま、顔ごと近づけタバコに火を移す。思い切り肺に紫煙を流し込み、タバコを口から外すと、深呼吸する。身体の奥深くまで煙を流し込み、それから吐き出す。
――ふー。
くつくつという笑い声。
「先輩、美味しそうに吸いますよね」
「美味しいよ。普通にね」
「隣、座っていいですか?」
「どーぞ」
僕が座っている右隣の石段の上を軽く手で払う仕草をして道化てから、彼女に席をすすめる。
タバコのおかげか、幾分は頭痛がおさまった気がする――勿論気のせいなんだろうが――タイミング良くタバコをくれた彼女を、無碍にするわけにもいかないだろう。
「お邪魔しますね」
少し楽しげに云いながら隣に腰を下ろす。緩やかな風が吹くと、ふわり、と紫煙に混ざってコロンの匂いが鼻をくすぐった。
「吸い方、教えてくれますか?」
「いーよ。誕生日だしね。むせると思うけど」
「やっぱりそういうもんですか?」
「うん、たぶんね。それと、これはニコもタールも軽いけど、それでもヤニクラが来ると思う」
「ヤニクラ?」
「ああ、ヤニでクラクラ」
「ん? え?」
「保健でやんなかった? 2年下だよね? 必修だろ?」
「保健ですか?ええ、必修ですけど」
「急性ニコチン中毒。血管が収縮して血流が悪くなるから、軽い貧血みたいになるんだよ、そんでクラクラっとね」
「ああ! 思い出しました。よく覚えてますね」
「得意分野だから」
「え、保健がですかあ?」
投げやりな冗談に、ころころと笑ってくれる。
「あーでも、そうなんですかぁ。倒れたりします?」
「人によっては。まぁこの程度だったら大丈夫だと思うけど」
「そっか、どうしようかな……」
一本だけ引っ張り出したタバコの箱を向けられながら、彼女は躊躇している。
「好奇心?」
「え? そうですね……えーと」
なんだか云いにくそうだ。僕は無言で箱から一本抜き取ると、彼女に手渡した。
「火つけなけりゃいいわけだから、吸いたくなったらつければいいし。咥えているだけでもデビューはデビューなんじゃない?」
「あははっ、そう、ですね」
それからまた、無言の時間が少し流れる。
まぁ、彼女だってなんの意味もなく、わざわざ僕の隣に来たわけじゃないのだろう。少し付き合ってみるか。
短ければタバコ一本分、長くてもタバコ一箱分くらい。
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