半年前

 階段を下りていく人たちの邪魔にならないように移動し、僕は携帯を取り出した。

 綿貫さんの返信かな、と考えながら開く。

 そこに現れた文字に、僕は眉をしかめた。


齊藤さいとう(食品栄養男子の会):問題! 今日は何の日だ?』


 突然何だ、こいつは。

 何かを狙っているのだろうが、正直部室へ早く行きたい今の僕としては邪魔なだけだ。せめて電車に乗っている間に送ってくれればよかったものの。

 グループの方に送ってくれているんだし、誰かしら答えるだろ。

 そう思った僕は迷いなく携帯をしまう。ほぼ同時に振動を感じたが、取り出すことなく僕は改めて階段へと向かった。


*


「なーなー、渡瀬。そういえばお前、綿貫さんとどういう関係なんだ?」

「は?」


 入学から半年、後期が始まり少しずつ冷たい風も吹くようになった十月。

 僕は学食のカレーをかきこむ手を止め、目の前で大盛日替わり定食のコロッケを口に放り込む齊藤をまじまじと見た。

 今一緒にいるのは、同じ学科の男子、僕を含め八人。まさかの百人以上いる学年の中でこれだけだとは思わなかった。まあ少ないからこそすぐに仲良くなったし、団結力も強いし、良かったとは思っているが。

 周りで各々昼食をとっていた奴らも、驚きと好奇心を隠さずに僕または齊藤へと視線を向けていた。

 ごくん、と鳴りそうな勢いでコロッケを飲み込んだ齊藤は、悪びれもせずに「だってさー」と話し始めた。


「お前結構仲いいじゃん?女歴皆無と言ってたお前がそんなに仲良くしているならさ、何かないのかなーという俺の勝手な期待」

「勝手すぎだろ」

「いや、そこに突っ込まなくていいから」


 思わず突っ込んでしまった。


 で、今、齊藤が聞いてきたのは――綿貫さんとの関係?

 その答えは、明快だ。

 僕は呆れ気味に溜息をついて、答えた。


「どういうって……彼女はただの友達だよ。入学式の時に隣になって、話すようになった、ってくらいの関係。期待するようなことは何もないよ」


 周りの視線から目をそらして、僕の家よりも野菜が小さめに切られた、おそらく中辛のカレーをすくって口に入れる。


「いや、そうかもしれないけどさ……」


 少しもごもごしていた齊藤は、ややあって口をつぐんだ。付け合わせのキャベツを口に放り込んだあたりからして、追及を諦めたのだろう。

 心の内で大きく息をはいた。


 正直なところ、僕が彼女のことをどう思っているのか、自分でもわからないのだ。


 学籍番号が最後の二人ということで実験や実習はすべて同じ班だし、偶然にも入った部活の部室が隣ということでよく一緒に部室棟に足を運ぶ。そんな関係だから僕は彼女とよく話すし、正直齊藤たちより彼女の方が遠慮せずに話せることも多々ある。


 そんな彼女に対して友達以上の気持ちを抱いているのか。

 何度も自分の中で考え、答えの出ない疑問だ。


 ふとした瞬間に異性であることを意識して戸惑ったり、小さな仕草が可愛いと素直に感じて真っ直ぐに彼女を見られなかったり。そんなことがたまにある。

 ただ、自分の中ではこれが友達の一線を越えた感情のようにはとても思えないのだ。


「あ、やっべ」


 齊藤の焦ったような声に、僕は顔を上げた。

「……どうした?」

 急に食べるスピードを上げた齊藤に僕は尋ねる。

「実習の材料当番なの、忘れてた。あと十分で実習室行かないと減点食らっちまう」


 実習、とは僕たちの学科の代表ともいえる科目、調理実習のことだ。

 昼休みのうちに事前に割り振られた当番の生徒が、その日の授業の材料を計量して各班に配布することになっている。

 ただ、確か今日は――そう思って僕は首をかしげる。


「あれ、今日は何も作らないんじゃ」

「配布プリントの準備手伝えって言われてんだよ。渡瀬、これの片づけ頼む」


 残りわずかだった白米を一気にかきこんだ齊藤は、勢いよく立ち上がって荷物を掴むと、僕の返事も聞かずに学食を駆け出して行った。


「……さすがに二人分の返却を一気には無理だよな」

 今度は本当に溜息をついて、僕は最後の一口をすくった。


 ちなみにこの後、弁当を持ってきていた奴が僕の代わりに齊藤の分を片づけてくれた。

 このことはなんとなく黙ったままでいる。


*


 大学は駅から十五分ほど歩いた住宅街の中にある。

 駅前の商店街を抜け、桜の舞う住宅街の中を歩きながら、僕は考えていた。


 今でも僕は、彼女のことをどう思っているのかよくわからないでいる。

 半年前と抱いている感情はほとんど変わらない。

 この気持ちが一体何なのか。

 最近はテストやバイトで忙しかったので考えることもなかったが、今日は妙に気になっていた。

 彼女と出会って一年、というキリのいい日だからだろうか。


 さあ、と風が吹き、目の前にたくさんの桜の花びらが舞ってくる。

 手のひらを差し出すと、その中の一枚がそっと僕に乗った。

 つぶさないようにそっと手を握る。


 『桜の花びらを掴むことができたら恋が叶う』なんて話を聞いたことがある。


「……いや、まさか、な」


 僕はそっと手のひらを開く。

 花びらは風に乗って、目の前を舞う花びらに紛れていった。

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