第58話 略奪



 あまり穏便な話ではないが、他人のもの(あるいは相手)に手を出して奪い取る行為は略奪と呼ばれる。これは物品や地位だけでなく恋愛でも様々な場所で実際に行われており、有名人のそれが発覚すればそれだけで大きなゴシップニュースになる。略奪が実際に行われるためにはいくつかの前提条件がある。

 一つは、愛しいもの(人)が自分の手元にはなく他者の下にある。更に、それを正当な手段で譲り受ける方法がない、あるいはその行為をする気持ちがない。その上で、どうしても自らの下にそれを起きたいという欲求に抗えなくなったとき略奪は実行される。

 そのため、略奪は基本的には衝動的なものだと考えられる。ただ、別のパターンとしては計画的なケースもあるように思う。この両者にはどのような違いがあるのだろうかが気になった。同じように無理矢理でも手に入れることを切望しながら、前者は感情の奔出として衝動的な行動に出るケースで、時には映画の題材になったりすることもある。ところが後者についてはあまり良い感じはしない。計画的なそれは、同じように希求したとしてもそこはかとなく傲慢さが漂うのである。

 前者は唯一無二の存在としての行動であるが、後者の余裕はそれを必ずしも意味しない。盗賊のそれのように一種の収集癖のような感じを受ける。だとすれば、同じように求めたとしても結果として受ける印象が全く異なったものに見える。


 恋愛においても、略奪という形には似た傾向が見受けられるように思う。それが全てであるケースは、時と場合によるものの比較的寛容に受け止められることもあるようだが、繰り返される懸念を感じ取ったとたんに社会のルールを無視する暴挙として認識されてしまう。

 もちろん一度限りの行為であっても、奪われる側の状況次第では容易に許容されないこともあろうが、恋愛の場合にはものと違い二人の感情の問題が絡むから単純ではない。奪われる本人の意思がそこに介在し、上記のように奪う側の見立てとは別の動きとなるわけだ。

 略奪が奪われる当人との合意の上で行われるとすれば、悲しいことではあるが奪われ残されるもう一人にとってはいずれにしても悲劇的な結末しか残らない。法律的あるいは常識的には自らに理があったとしても、恋愛という感情を考える上ではそれを主張することにあまり大きな意味はない。突きつけられた事実は、一緒にいたいはずの相手の心が自分にはなかったという敗北感にしかならないわけだ。

 仮に世間体により略奪行為を阻止したとしても、伴侶の心が自分の元に無ければ虚しいことはない。気持ちを取り戻す努力により回復したように見えても一度覚えた敗北感は容易にはぬぐえない。

 略奪は奪われる側の合意なしに行われるケースもなきにしもあらずである。それはかなり特殊なケースだと思われるが、言葉を換えて言えば拉致であり囚われた人が物理的に逃げ出すことが可能であれば、この略奪は容易に終焉を迎える。こうしたケースで問題となるのは、奪われる側の心理である。

 どちらか片方に明確な気持ち(愛情)があるのであれば、結果が幸福か不幸かは別にして状況として明快である。ところがケースとして少なくないのがどちらつかずの心理に陥っている場合であろう。現在の相手と奪いに来た相手の双方に心を残した場合、状況は悲劇的になる。

 不倫のように相手に知られないでいられる間は当人にとっては良いのかもしれないだろうが、略奪の場合はその行為が誰の目にも明白であるがために、それは奪われる側にも決断を迫っているわけである。


 奪う側からすれば、略奪という行為に及ぶのは(繰り返す場合を除いて)自分の方に奪う相手の気持ちがあるという絶対的な自信があるからであり、奪い取る相手に対する示威行為でもある。周囲から見れば単なる愛憎劇の一つに過ぎないが、当人にとっては囚われの姫を救い出す騎士的な行為にも等しい(女性の場合には立場は異なるが、でも感覚的には近いであろう)。

 仮に自身がなければこうした行為は秘密裏に行われていくケースが多いからである。ただ、どちらにしても常識からは外れた行為となるため、仮に成功したとしても背負うものは大きい。そのリスクを考慮した上でもやる価値があると判断するからこそ手を出すのであり、それを繰り返すものはそのリスク自体が目的となっている。もちろん目的となってしまう原因は当人の中にある。

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