第56話 恋愛貧困社会



 少し前にちょっと寂しいというか悲しいニュースを見かけた。

<ストーカー:男が交際を求め手紙 容疑で逮捕>


 ストーカーは卑劣で愚かしい行動だ断ずるべきだとは思うが、ラブレターを渡すことがそれに該当すると評価されてしまうことにはさすがに行きすぎだと感じてしまう。もちろん、詳細な状況がわからないものであり、手紙を渡された人がどれだけの恐怖を感じたかにも依るからこの記事だけで断定はできない。それを理解した上でではあるが、あくまで一般的な感覚としてラブレターを数回渡すことがストーカーに分類されるというのは、やはりちょっと考えさせられてしまう。

 現状では容疑と言うことでしかないが、逮捕に加えて実名報道されたことも受けてこの男性も世間から大きな心理的圧迫を受けることになるだろう。男性の年齢を揶揄する声もあるが、そもそも恋愛に年齢の制限はない。それを邪魔するのは、多くの場合世間体と呼ばれるものである。


 なぜ今回この件を取り上げたかと言えば、世の中で恋愛に対する失敗を過度に恐れる風潮をそこかしこで感じてきたためである。仮に、社会的なプレッシャーが増えることで多くの若者の恋愛傾向が更に抑制的になるのは残念というに留まらず、国家の存亡にも寄与しかねない。今の人口減少は、子供を産まないことよりも結婚しないことの方が大きく影響している。恋愛イコール結婚ではないが、恋愛なしに結婚がスムーズに行われるような時代ではないのだから、恋愛の増加は日本のために寄与する。

 恋愛とは言っても、石田純一氏の事例が広まっているように、「不倫は文化だ」とあらゆるそれを肯定するつもりはないが、ごく当たり前の恋愛が社会のそこかしこで育まれることは、社会としても国家としても正常な状態であると思うのだ。ちなみに、石田純一氏のそれは誤解が広まったとされており、根拠はネット等で調べてほしい。


 一方で少子化を嘆き問題としながらも、実際の雰囲気は子供NGなところも少なくない。先日も飛行機の中で子供が騒いだケースが話題になっていたが、私が思うに子供が有利に生きられない社会は未来は暗いと感じずにはいられない。子供の存在は恋愛の帰結でもある。

 結局のところ、制度がどうこうと議論するよりももっと大切なことは、日本社会が恋愛に対してもう少し鷹揚に対応できるようになることではないだろうか。繰り返しになるが、恋愛マイノリティの権利を認めようという運動ではなく、ごく常識的で一般的な恋愛が受け入れられる社会を作り上げることが大切なのだと思うのだ。

 どうも、内輪では恋愛話に花開くことが多いが社会になると口を閉ざしがちで、せいぜいゴシップ記事に載る芸能人の恋愛遍歴を興味本位で取り上げる程度に思えるのだが、もう一歩進んで恋愛が社会においてもっと肯定的に受け入れられる社会が大切ではないか。


 私達は、恋愛のすばらしさを否定することはないのだが、同時に恋愛の失敗やトラブルを恐れて過度に防衛的になっている面も垣間見える。その小さな積み重ねが、一種「恋愛貧困社会」とも呼べるような現状を作り出しているとすれば悲しいではないか。

 世の中において、芸能人のゴシップや不倫あるいは同性愛などばかりが恋愛の話題を占めるのではなく、普通の恋愛が肯定的に捉えられるような社会になって欲しいと思う。

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