第53話 結婚バブル崩壊



 結婚に「平均」を求めるオンナたちという記事を見た。


 結婚に夢と希望を描く人は昔も今も少なくない。もちろん、その現実が情報として氾濫する現在では、夢と現実が入り交じり複雑な感情となって世の中の人を覆い尽くす。実際には、結婚は与えられるものでは無く作り上げていくものではあるが、ついつい寄りかかるものとしての認識が強くなるにつけ受動的な夢に浸りがちだ。その反動として結婚を避けるというか諦めてしまう人たちも随分多くなったが、これは結婚というものに対する責任と権利を混同しているのではないかと感じてしまう。


 かつて日本が高度成長やバブルを謳歌していた頃、結婚に対する敷居もドンドンと上昇した。丁度、家という頸木から解き放たれ個人としての結婚観が広がった時期ともリンクする。経済のバブルは早々に崩壊したが、人々の観念に根付いた結婚バブルは経済ほど容易に崩れはしない。白馬の王子様シンドロームと共に待ち続け、あるいは現実逃避方向に逃げ込む者も少なからず存在したが、それは随分と上げられてしまった意識中にある結婚への敷居が容易に下がらなかったこともあるのではないか。もちろん、バブル崩壊は20年も前のことであって今の若者が直接それに影響されているとは言わないが、社会そのものの雰囲気がバブルの影を引きずっていたのではないかと思うのだ。

 三高(身長、学歴、収入)が大ぴらに謳われたのはまさにバブル絶頂期であって、経済的なバブルは人の意識の奥底に入り込み長らく生き続けていたと言っても良い。それが分相応のレベルをようやく思い浮かべるようになってきたのだとすれば、日本人女性の心のバブルもついには崩壊したのだと感慨深くもある。


 ただし、これらの件は平均像での話であって個々を考えれば経済バブルでも同じようにそれに踊らなかった人も数多くいるし、あるいは無縁を決め込んでいた人も昔からバブリーだった人も存在するだろう。ここで書いているのはあくまでメディアがこうした現象を取り上げたという事実が、日本の平均像としてその変遷を語っているのではないかと言うことだ。

 精神的な結婚バブルが大きければ大きいほど、現実の結婚とのギャップも大きくなりやすい。「理想は高く」というのはゼロサムでの利益最大化としては、個々にとっては必ずしも悪いわけではないが、それが全体に波及すると社会の歪みを生み出すことになる。この合成の誤謬とでも言うべき状態を考えると、結婚バブル崩壊はむしろ社会としては喜ぶべき事ではないかと思うのだ。

 ただ、逆に考えればこのバブルは社会や恋愛観をリードするものとして、消滅させてしまうことは望ましくないのも事実だと考える。それは映画やドラマ、あるいは小説の中で語られ夢として存在する。バブル期にはその夢が必ず現実に出来るとあがき苦しんだり、理想のとギャップを悩み・諦めたりすることになるが、それは夢だとしっかりと認識できるとすれば想像上で楽しむ権利は誰にも存在する。そうした娯楽の一つとして確固としていき続ければいいのではないだろうか。

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