第52話 ふたりの距離感



 人と人の距離感はいつの時代にも難しいものである。距離はアバウトに二人の関係の深さを意味するが、それは時と状況により変化するなんて話は誰もがよく知るところであろう。

 距離が離れすぎれば心離れを心配し、距離が近すぎれば束縛を疎んじ、ちょうど良い距離を保とうと努力してもそれが過ぎればマンネリ化する。誰もが求めるのは必要なときに必要な距離感を保つことなのだが、求めることは容易であっても実現することはなかなか困難なものなのだ。

 それでも、関係が仕事上のことなどであれば割り切りにより思うに任せない距離感も我慢することもできよう。あるいは家族であればその距離を当然のものと受け入れられることもあるかも知れない。

 しかし、こと恋愛関係においては距離感こそが結びつきの大きなウエイトを占めるように感じられるものである。距離感というのは二人の関係性そのものを示すのだから。


 理想の距離感はカップルにより異なるものであろうが、基本的には近すぎず遠すぎず、必要なときには近く、必要でないときには離れてという感じではないかと思う。 必要以上に近いのは関係性が密だと表面的には言えなく無いものの、仮にそうせざるを得ないと考えれば必ずしも望ましいものでもあるまい。要するに人前でべたべたすると言うのは、場合によれば見せつけた他人からのレスポンスでしか二人の関係性を評価できないという事でもあり、それはすなわち物理的な距離が近くても精神的な距離が近づいていないということでもある。

 もちろん、気が合うからいつも近くにいるという事はあろう。ただ、精神的な距離が近ければ本来物理的な距離はあまり関係ない。先ほども触れたように必要なときに近づけばいいのである。


 では、この必要なときとはいつの事なのか。これは二つの面で考える事が出来る。一つは「何かを与えるとき」、そしてもう一つは「何かを与えられるとき」である。

 何を与えるかは様々で何を欲するかもいろいろだろうが、問題は必要な時にお互いにそれを与え与えられるような状態にあるかが重要である。精神的に寄り添っており、かつ物理的にもニーズに応じて距離を縮める。だからこそ、その必要がない時にはお互いの物理的な距離は離れていても大丈夫となる。理想を言えば、どうしても物理的距離を埋められない時には脳内補完(精神愛:プラトニック)と言うことになろうが、これが現実にはなかなか難しい。

 精神的な距離の近さは、物理的距離によって補完されるのである。すなわち、遠距離恋愛とは精神的距離を物理的距離が引き離す過程でもある。


 私達は、人の無意識のようにままならない精神的距離を近づけ続けたいと考え、それを擬似的に満たすために物理的距離を埋める。ただ、物理的距離は精神的なそれを補完的に補いはするものの、それのみでは伸長させるほどの効果は期待しがたい。結局、精神的な結びつきがどうであるかを考えると物理的な距離感が想像もできるのであろう。

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