第51話 妥協と間伐



 恋愛においても結婚においても抱く期待は高けれど、その要求レベルを獲得できる人はそれほど多くはないだろう。もちろん、付き合ったり結婚後に新たな魅力を見付けるケースもあるだろうが、多くの場合には嫌な面、気に入らないことを見付けるものでもある。それでも、小さな欠点はあるものの好きであるという感情が上回れば、恋人や夫婦を続けて行くには十分でもある。


 そもそも妥協とは理想に至らないもので我慢することを言うわけだが、それでも全く許容できないものではないことは、妥協をすることが前提となっていることからもわかる。結局、妥協という言葉を使ってしまうのは、いくつか存在する選択肢の中でベストではないと考えるものを選択したときに自己を卑下しつつも弁護するために用いる言葉であろう。そもそも、恋愛において理想そのものを実現できる人はほんの一握りであるわけだし、現実に理想通り行くと考えている人もそれほど多くはあるまい。

 理想というのは自分の脳内で都合良く組み上げられた幻想である。多くの場合には自分にとって都合良いものであるから、逆に相手方からすれば却って都合が悪いことも多くなる。その悪い都合に合わせてくれるということが自らの理想の大前提となっているのである。

 世の中そんなに都合の良いことばかりが続くはずもなく、全ての要求を満足させようと思ってもおそらくそれは実現しない。とすれば、妥協とは理想を追求する場合においても常について回る存在となる。

 ただ、世の中において「妥協」が意味するところはおそらく大幅な譲歩である。一般に、妥協とは決して得られることがない理想の完全なる追求を諦めた時点から、常に私達のすぐそばをついて回っている。


 少々話を別のものに振ろう。今では日本の斜陽産業の一つに挙げられるが森林経営というものがある。要するに山で木を植えて育て伐採する。伐採した樹木を売って商売と為すものである。この木の苗を植える時には結構密に植えるのである(密植)。その上で、生育の悪いものから成長に合わせて少しずつ伐採していく。これを「間伐(かんばつ)」と呼ぶ。実は妥協とはこの間伐と似ているのではないかとふと思った。妥協できないというのは、生育の良い太い木を切ることに等しい。

 全ての木が同じように立派に育てば最高ではあるが、現実的にはそんなことはあり得ない。とすれば、育てる良い面を徐々に絞り込んでいく作業。これは、ポジティブな意味での妥協である。より重要性の低いものを捨て去っていくことで太く確かな関係を築き上げようという考え方となる。

 もちろん何でもそう上手く行くとは限らない。ただ、妥協を全てマイナスだと考えるよりは、妥協は残りの部分をより良くしていくための必要なコストなのだと考える方が、ポジティブであるのは間違いない。そして、結果的にポジティブさが恋愛などの関係性を良くしていくものなのだろうと思う。


 間伐は、むやみやたらに切る事でも仕方なく切る事でもない。より大きな幹を育てるために必要な過程なのだ。理想を追い求めて無い物ねだりを続ける事よりも、ずっと建設的で現実的ではないだろうか。


「妥協はスタートでも結果でもなく、過程なのだ。」

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