第39話 「愛している」をなぜ言えない



 女性が「愛している」という言葉を求めるのは、男性がそれを言わないため。

 言葉自体は陳腐なものではあるが、男性として本当に好きな女性にそれを使うのは、なかなか勇気が必要である。

 逆に言えば、気楽な酒の席でホステスに向かってその言葉を乱発するようなケースもある。

 冗談めかしたそれは使えても、真面目に考えると使えない。


 その言葉を使うには、それだけ強い気持ちと責任を感じてしまうのである。

 だからこそ、気楽には使えない。

 こんな風に考える男性は少なくないと思う。

 加えて照れがそこに拍車をかけるため、ますます「愛している」の言葉は希少価値を持ってしまうのだ。


 おそらくそれを要求する女性の方は、「愛している」という言葉自体にそこまでの重みを置いていない。

 いや、むしろケースバイケースでその強弱を使い分けている。

 そして、普段はコミュニケーションツールとしての価値しか置いていないからこそ、頻繁に聞かれないそれを不満に思うのではないだろうか。

 仮に面と向かってそう問えばおそらく否定の言葉が返ってくるだろうが、それでも男性は重さを知れば知るほど容易には使えないものである。


 逆に考えれば、女性側から軽くても良いので「愛している」の言葉を要求されているのだとも言える。

 普段の生活におけるエッセンスとして、軽い愛情表現を期待されるわけだ。

 だとすれば、何も重いそれを常に女性側に投げつける必要はない。また、照れを理由にして避けるのも少し違う。

 どちらにしても男性側の都合に過ぎない。

 男性側には「愛している」の言葉の重みに囚われず、それを軽重自在に使い分けて欲しいと期待されているのだ。問題は、それを上手く使いこなすのが容易ではないことにある。下手に軽く使えば、それは節操のない男として品位を下げてしまうことにも繋がるからだ。

 軽い男と見られることを気にしなければ問題はないのだが、それを男性の価値として否定する人にとってはやはり困難なことこの上ない。


 実際には周囲の目があるところでベタベタする必要など無く、二人だけの時に軽く囁くだけでよいのだが、その使い分けができる男性が少ないという実情が存在する。これは「愛している」を連発すると言うことが二人の関係において自己の地位を引き下げると認識しているがためかもしれない。仮にそうだとすれば、それは男女関係における自信のなさの表れなのだと感じてしまう。

 男性らしさを見せる機会がそれほど必要とされない時代だからこそ、普段それを無理に見せようとすれば軋轢が生じ、出さなければ無いで自分の価値に疑念が生じる。


 でも、ふと考えてみる。「愛している」が連発される社会が本当に愛に溢れているのだろうか?

 おそらく、言葉と実際には大きなギャップが存在する。

 本当のそれは、言葉ではなく行動で示されるものである。

 だとすれば、女性からのアピールは言葉そのものではなく、男性側の行動が愛を語るにふさわしいと思われていないことの裏返しでもあるかもしれない。

 行動で明らかに示せないのなら、せめて言葉くらいかけなさいよと。。。


「愛の認識は人それぞれだろうが、愛のバーゲンセールはあまり見たくはない。」

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